【記録 No.011】判定不能な依頼
朝の光が差し込む相談所で、
拓海は行政リンクに向かってペンを走らせていた。
しかし、端末の画面は冷徹なエラーメッセージを表示したまま、一向に進む気配を見せない。
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【依頼者情報】カイル(存在状態:判定不能)
依頼内容:未入力
目的:不明
報酬:未定
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「……」
拓海はぴたりとペンを止めた。
「どうしたの、拓海?」
机の向こうからリリアが首を傾げる。
「依頼として、全く成立していません」
「え? でも、あの人困ってるんだよね? さっき拓海も『受理する』って……」
「はい。ただ、行政は『困っている』という感情だけでは動けないのです」
拓海はバインダーの空白の欄を指し示した。
「依頼には、最低限必要な情報があります。『誰が』『何を』『なぜ』『どこで』『どうしてほしいのか』。それらが明確にならなければ、行政の支援ではなく、ただの独断になってしまいます。まずはカイルさんへの正確な聞き取りが必要です」
◇
波打ち際に停泊した船の甲板へ、拓海、リリア、工程を共にするフェルガの三人が向かった。
カイルはタラップの最上段に腰掛け、相変わらず掴みどころのない笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。彼は船の境界線から一歩も降りられない状態のままだ。
拓海はタラップの手前で立ち止まり、まず足元の砂浜を確認した。
「カイルさん。この船から離れることは、本当にできないのですか?」
「試したさ」
カイルは鼻で笑った。
「何度も、ですか?」
「……数えるのを、やめたくなるくらいにはな」
カイルは少しだけ目を細め、水平線の彼方を見つめた。
その声には、単なる年月では測れない、奇妙な時間の重みが混じっている。
彼が幽霊だから縛られているのか、あるいは──この「島」そのものが、彼を船から出さないようにしているのか、まだ判別はつかない。
拓海は表情を変えず、手元の画面をスクロールした。
「次に、あなたの犯罪歴について確認します」
背後でフェルガが即座に肩をいからせた。
「おい、拓海。本当にそんな危険な過去をここで穿り返すつもりか」
「行政として、滞在資格を審議するために必要な確認ですから」
拓海は静かに告げ、カイルを見上げた。
「へえ、聞いたら嫌になるぜ?」
「それでも確認します。あなたの口から聞かせてください」
カイルは小さく息を吐くと、遠い空を見上げた。
「……海の上で、奪えるものは奪った。商船も襲った。禁制品も運んだ。港もいくつか壊した。胸を張れる人生じゃねぇよ。海賊だからな」
言われるがままに拓海が画面のロックを解除すると、フリーズしていた行政リンクが一時的に同期し、カイルの履歴を赤黒く浮き上がらせた。
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【犯罪歴】
・海上略奪
・商船襲撃
・密輸
・港湾破壊
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リリアの顔から血の気が引いていく。
「……本当に、本物の海賊だったんだ」
だが、拓海はログの最下部に刻まれた別の表記に目を留め、息を呑んだ。
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【被害者情報】照会エラー
被害規模:記録欠損
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(犯罪記録は残っている。だが、被害を受けた側の記録だけが存在しない。そんなことがあるのか……?)
行政記録とは、本来「誰が、誰に、何をしたか」を公的に残すものだ。片方だけが綺麗に消え去っている記録など、拓海は前世を含めて見たことがなかった。
本当にただの海賊なのか。
強烈な違和感が拓海の胸に生じた。
カイルが意外そうに目を丸くする。
「それだけか? 普通はここで『危険人物』って決めつけて、武器を構えるだろ」
「犯罪歴は、あくまで客観的な判断材料の一つです」
拓海はカイルを真っ直ぐに見据えた。
「ですが、それだけではあなたの現在の状態も、今回の困りごとも判断できません」
◇
再び相談所に戻った一同は、
正式に「滞在者制度」の議論を開始していた。
しかし、会議は難航していた。
「俺はやはり反対だ」
フェルガが重々しく腕を組んだ。
「犯罪歴があり、存在状態すら不明で、島から離れることもできない。どこからどう見ても危険要素の塊だ」
「でもフェルガさん」
とリリアが食い下がる。
「あの人を不法滞在として今すぐ追い出したところで、彼は船から出られないし、島から離れられないんだよ? またここに留まり続けるだけじゃないかな」
フェルガは椅子から立ち上がり、拓海の前に立ちはだかった。その大躯が落とす影が、拓海の机を覆う。
「拓海、お前は優しすぎる」
「……」
「この島には、ようやく守るべきものができた。あの子たちの居場所ができたんだ。だからこそ、俺は疑う。もし俺たちの判断が間違えれば、次に傷つくのは俺ではない。……あの子たちだ」
かつて守るべきものを失ったことがある男の、それはあまりにも切実で重い拒絶だった。フェルガの懸念は正しい。行政は善意だけで運営できるものではない。
「フェルガさんの言う通りです」
拓海は静かに、しかし怯まずにフェルガを見返した。
「ですから、必要なのは受け入れるか拒否するかという二元論ではありません。『どのような条件の元で滞在を許可するか』というルールを決めることです」
拓海は紙に素早く条文を書き出していく。
「滞在許可条件。第一に、島内での武器使用の禁止。第二に、住民区域への無断立ち入りの禁止。第三に、今回の依頼内容の完全な開示。そして第四に、島の規則への同意。──これらを遵守させることです」
「甘いな」フェルガが鼻を鳴らす。
「いいえ、むしろ逆です」拓海はペンを置いた。
「条件も明確なルールも決めずに、ただ『可哀想だから』と曖昧に受け入れることこそ、行政として最も無責任な行為です」
◇
窓の外で二人の議論を聞いていたカイルが、ふっと息を漏らした。
「なぁ、条件があるってなら全部飲んでやるよ。だから……頼みたい」
カイルの顔から、先ほどまでの軽薄な笑みが完全に消えていた。
「俺の代わりに、あの北の崖へ行ってくれ。あそこに……まだ残ってやがる」
その声には、先ほどまでのふざけた調子が一切なかった。
まるで、二度と戻れないと思っていた場所を遠くから見つめるように、その瞳が重く沈んでいる。
拓海の手元で、行政リンクが強く脈動した。
フリーズしていた画面が激しく書き換わり、新たなログが刻まれていく。
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【行政依頼】受理
審査結果:
通常受付不可
理由: 依頼対象の定義が存在しません
・物品 → 未確認
・所有者 → 不明
・返却先 → 不明
・依頼目的 → 確認不能
※依頼者の「返還意思」を確認。
例外処理により受付します
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拓海は表示された画面をじっと読み込んだ。
「……例外処理」
拓海は視線を上げ、窓の外の海賊を見た。
「カイルさん。あなたは、これを『失くした』のではないんですね」
カイルは笑わなかった。
ただ、静かに目を伏せる。
「……ああ」
「置いてきたんだ」
「返す相手も、分からねぇままな」
通常なら通らないはずの、システムを揺るがす判定不能な申請。それを拓海が行政として確かに受け止めた。
「……わかりました。これより、灯り島行政依頼第号──北部崖地帯における、未返還物の回収任務を開始します」
拓海がバインダーを閉じようとした、その瞬間だった。
沈黙したはずの画面の最下部に、ノイズと共に最後の一行が滑り込んできた。
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【追加警告】
回収対象:『カイル・ヴァルディス本人』
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「……え?」
拓海は画面を見つめた。
依頼品ではない。宝でもない。記憶でもない。
行政リンクは、残酷なまでの冷徹さでこう記録していた。
──カイルさんが返すべきものは、彼自身である可能性があります。




