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異世界に必要なのは行政でした ~元・役場の離島移住促進担当、勇者も魔王も受け入れます。チートなし異世界内政/開拓スローライフ〜  作者: nanananaca


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10/15

【記録 No.010】滞在者

潮風が、破れた帆を小さく揺らした。

船倉の暗がりから姿を現した男は、くたびれた外套を羽織り、自嘲気味な笑みを浮かべていた。


「おいおい、ひでぇな。持ち主はここにいるぜ?」


リリアは無意識に重心を下げ、いつでも剣へ手を伸ばせる構えを取った。フェルガは二匹の子どもを背後に庇うようにして、静かに一歩前へ出た。その瞳には、かつて戦場を支配した竜族の鋭い眼光が宿っている。


拓海は手元の行政リンクを開いた。

しかし、画面は激しく明滅し、見たこともない情報を羅列し始めた。


+

【生命情報】取得できません

存在状態:判定不能

犯罪歴:多数

+


数秒後、ノイズと共に画面が完全にフリーズする。

拓海は眉をひそめた。「……故障、でしょうか」


「違う」


フェルガが喉から低く地鳴りのような声を漏らした。


「異常だ。あの男、生気がまるで感じられん」


男は悪びれる様子もなく肩をすくめると、甲板から砂浜へと飛び降りようとした。

だが、その足が宙を踏んだ瞬間。


──ギィン!


硬質な音が響き、男の身体が目に見えない「壁」に弾かれた。砂浜に着地することすらできず、男はタラップの上へ不自然に押し戻される。


全員の息が止まった。

しかし、男自身は驚く風でもなく、ただ自分の靴底を見つめてぽつりと言った。


「……チッ、またか」


「あんた……一体……」


リリアが目を見開く。男の身体の輪郭が、一瞬だけ白く立ち込める海霧と重なったように見えた。朝陽の光が届いているはずなのに、その存在自体がひどく曖昧に揺れている。


「……そんなん、こっちが知りてぇよ」


男は髪をかき上げ、首を振った。


「この島に近づいたあたりから、急にこうなったんだ。船から離れようとすると、見えない何かに弾かれちまう」


会話はできる。だが、生命反応は出ない。

そもそも『生きている人間』なのかすら、何一つ分からなかった。





緊迫した空気が流れる中、フェルガが腕を組み、重々しく口を開いた。


「拓海。あの男をどうするつもりだ。問題は海賊だからではない。あれが何者か分からないことだ。敵か味方かではない。島の中に、理解できないものを置く危険性を考えろ」


フェルガの隣で、二匹の子どもが不安そうに外の海賊船を見つめている。


「いずれにせよ、あの男に子ども達を近づけるわけにはいかん。ペル、子供たちを連れて先に家まで帰ってて来くれるか?」


「……分かった」


ペルは頷き、子ども達の傍へ歩み寄った。


「……行こう」


フェルガは一度だけ振り返る。


「頼んだぞ」


その言葉に、ペルは少しだけ笑った。


全員の視線が拓海に集まる。

しかし、拓海はいつもの落ち着いた調子で、静かに首を振った。


「いいえ。まず決めるべきは、あの人をどうするかではありません。私たちは、個別の案件に対応する前に、『滞在者』という制度自体を決める必要があります」


「滞在者の制度……?」


リリアが言葉をなぞる。


「はい。この島に暮らす意思を持つ『住民』については、すでに皆さんの登録を終えました。ですが、世の中には『住む意思はないが、一時的に島に立ち寄る人』が存在します。旅人、商人、あるいは難破船の乗組員、漂流者です。もし明日、純粋な観光目的の人が来たらどうしますか?」


拓海はペンを執り、紙の上へ文字を書き並べた。


「先日も話し合いましたが、その人に犯罪歴があった場合、一律で入島拒否しますか? 過去に法を犯したとしても、すでに罪を償った人まで拒否しますか? 住民ではない人間が島にいるとき、その立場をどう定義するのか。それがないと、行政として一歩も動けません」


「……難しいね」


リリアが眉をひそめ、声を絞り出した。


「住民じゃないからって好き勝手に暴れられたら困るけど、事情も聞かずに一律で追い返すのは……」


フェルガは険しい表情を崩さない。


「理屈は分かる。だが、正体の分からん者をそのままにしておく理由にはならん」


拓海は頷き、白紙のバインダーにしっかりと書き留めた。


「ええ。ですから、この島における『滞在者制度』の策定を最優先とします。ルールなき滞留は認めません」





──ハハッ、ハハハハハ。


突然、乾いた笑い声が響いた。

全員がハッとして振り返る。


砂浜に停泊した船の甲板の上で、男が呆れたように笑っていた。拓海たちの議論を、ずっと静かに聞いていたらしい。


「……変な島だな、おい」


男は甲板の柵に肘をつき、眉をひそめた。


「普通なら、俺みたいな奴を見た瞬間、武器を抜くか、追い返すかだ。なのにお前らは……俺が何者かじゃなく、俺みたいな奴が来た時の決まりを先に作ろうとしてやがる。そんな考え方をする奴らは、初めて見たぜ」


男は甲板に立ち上がり、初めて自分の胸に手を当てた。


「昔は──カイルって呼ばれてた。まぁ、海賊の通り名だがな」


拓海は窓際へと歩み寄り、真っ直ぐにカイルを見据えた。


「カイルさん。あなたがこの島に流れ着いた目的は何ですか」


「教える必要がないねぇ」


カイルは外を向いたまま、ぶっきらぼうに笑った。


「では、その理由は?」


「言ったら断ると分かりきってるのに、わざわざ言う必要ないだろ」


カイルは少しだけ目を細め、自嘲するように付け足した。


「……俺でもそうする」


不穏な沈黙が流れる。カイルはそれ以上語るのを拒むように、ゆっくりと視線を転じ、島の北側にそびえ立つ切り立った崖を見つめた。


「……まだ残ってやがる」


その声には、先ほどまでの軽薄な笑みが一切なかった。まるで、二度と戻れないと思っていた場所、あるいは、触れてはならない禁忌を目にするかのように、その瞳が重く沈んでいる。


「何がです?」


拓海が重ねて尋ねると、カイルは口元を不敵に歪めた。


「だから、言わねぇって言ってんだよ……まだな」


未だフリーズを続けたままの、手元の行政リンクに目を落とす。バグのノイズが走る白い画面を見つめながら、拓海はゆっくりと、しかし明確に思考を固めた。


この男が何者なのか、その答えはまだ出ない。フェルガの警戒も当然の防衛本能だ。だが、目の前で行き詰まり、立ち往生している存在がいる以上、行政はそれを見過ごすべきではない。


拓海は深く、静かに息を吐き出す。

開いた窓越しに、カイルへ向かって真っ直ぐに告げた。


「……わかりました。行政として、あなたの困りごとを『正式な依頼』として受理します」


──その瞬間だった。

沈黙していたバインダーが激しく震え、光の粒子が画面のノイズを吹き飛ばした。拓海の能動的な行政判断に呼応するように、新たな文字列が一文字ずつ刻まれていく。


+

【行政依頼】新規受付

依頼者:カイル

対象地域:灯り島 北部崖地帯

【警告】 過去記録との照合不能

+


拓海はバインダーをカイルに向けた。


「肝心の、依頼内容が記載されていませんね」


カイルは一瞬きょとんとした後、実におかしそうに白い歯を見せて笑った。


「内容は口で話す。役所でも全部書類じゃねぇだろ?」


その言葉に、拓海の口元がわずかに緩む。

窓口に座る相談者の本音は、いつだって書類の枠外にこそある。


「では、詳しいお話から聞かせてください」


カイルは満足そうに頷いた。


「くくっ……あぁ、それでこそ役人だ。お堅い書類仕事、期待してるぜ?」

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