第3話 「聖地の中心で『変態さんだぁぁあっ!』」
魔王城の玉座の間は騒がしかった。
巨大な石造りの広間にさまざまな魔族がひしめき合う。
だが――会議とは名ばかりだった。
「ヒャッハハハ!!」
「昨日の砦焼いたやつ誰だァ!?」
「俺だァ!!」
「酒持ってこい酒ェ!!」
机が叩かれ、空の皿が飛び、骨が転がる。
あちこちで殴り合いが始まる。
まさに世紀末だった。
その部屋の奥、一段高くなった場所に玉座があった。
黒い玉座に、当代の魔王が座っている。
年の頃は八歳ほど。
愛らしい金髪の幼女が大きな玉座に座り、届かない足をぷらぷらと揺らしている。
魔王が額に手を当てて叫ぶ。
「……静かにしろ!」
精一杯の低い声。
一瞬だけ、静かになる。
だが、すぐに玉座に程近い場所で殴り合いをしていた牛頭の魔族が叫ぶ。
「で、今日はどこの国ぶっ潰すんだァ!?」
「王都かァ!?」
「いや聖都だろォ!!」
「どっちでもいい!!」
また騒ぎになる。
その様子に、魔王は深いため息をついた。
隣に立つ宰相が口を開く。
「違う!
先日、勝手に王国の王都へ攻め入った部隊についてだ。」
床に魔法陣が浮かび、その上空に映像が現れる。
映像の中では、王都で破壊の限りを尽くす魔王軍と、白い衣の少女が映っていた。
魔族たちは、その映像を見つめる。
一瞬の光の後に、沈黙。
そして――
「……何これ」
「光?」
「人間じゃん」
一人が笑った。
「焼くか?」
別の魔族が頷く。
「焼こうぜ」
「焼こう焼こう」
「ヒャッハー!!」
宰相が叫ぶ。
「違う。
光の後、我が軍は消滅している。」
宰相の言葉に、全員が止まる。
「全滅では無い、消滅だ!
ちゃんと見ろ!」
映像が拡大する。
破壊された王都。
だが、破壊した魔王軍は何処にも居ない。
王都を離れる女性達に跪く人間達。
その映像に、魔族たちが首を傾げる。
「なんで?」
「わからん」
「宗教?」
「宗教って何だ?」
沈黙。
別の魔族が拳を鳴らす。
「じゃあ殴れば解決だ!」
「それだァ!!」
魔王が呆れ顔で宰相を見る。
宰相も魔王と似たような表情をしていた。
「黙れ」
静かになる。
魔王は言う。
「結界有り、儀式なし。
つまりは……聖女だ。
人間達の中から、あの忌まわしい聖女が生まれた。」
幹部たちが顔を見合わせる。
「……じゃあ殴れば解決?」
魔王は答えない。
代わりに視線を横へ向ける。
壁にもたれている魔族がいた。
その名は、ツェン。
この部屋では珍しく、ずっと静かだった。
腕を組み、映像を見ている。
魔王が言う。
「ツェン」
ツェンはゆっくり顔を上げる。
「はい」
「見ろ」
映像が拡大される。
ツェンの目が細くなる。
「……へぇ」
魔族の一人が言う。
「何かわかるのか?」
ツェンは肩をすくめた。
「何も」
笑う。
「だから面白い」
魔族たちは首を傾げる。
「焼けばいいだろ?」
「うん焼こうぜ!」
「ヒャッハー!!」
ツェンは手を振った。
「やめた方がいいですよ」
全員が注目する。
視線を浴びながらも、ツェンは映像を指す。
「聖女はまだ人間側と言う訳では無さそうだ。
今はまだ此方から手出しする意味は無い。」
「つまり?」
ツェンは言う。
「味方になる可能性がある。」
沈黙。
そして魔族たちは同時に言った。
「……そんなの殴って言う事聞かせればいい。」
ツェンは笑った。
「そういう問題じゃない」
魔王が口を開く。
「ツェン」
「はい」
「調べろ」
ツェンは、玉座の前へ出る。
片膝をつき、深く頭を下げる。
「了解」
魔王は最後に言った。
「聖女が王国寄りなら……わかるな?」
魔族たちが歓声を上げる。
「ヒャッハー!!」
ツェンは立ち上がり、再び軽く頭を下げる。
「では行ってきます」
そして振り返る。
騒ぐ魔族たち。
酒。
肉。
骨。
完全な世紀末。
ツェンは呟いた。
「人との意思疎通か……」
小さく笑う。
「この連中には無理な話ね」
ツェンは魔王城を出て、人間領へ向かう。 ――聖女の正体を探るために。
ツェンはまだ知らない。
その調査対象が、既に“現象”として広がり始めていることを。
そしてその“発生源”――屋敷の庭は、今日も完璧だった。
差し込む陽光の角度。
石畳に落ちる影の濃淡。
枝葉の隙間からこぼれる光の斑。
――すべて計算済みだ。
僕は剪定鋏を手に、枝を一本ずつ揺らす。
風に揺れたときに生まれる影の線すら、わずかに修正する。
「……完璧だ」
小さく呟いて鋏を置く。
庭の片隅にノルンが腕を組み、眉を潜めて立っていた。
「また植木を弄ってるのですか?」
「日々変化するからね」
側に控えていた有紗が、水差しを植木へ傾ける。
「葉の濡れ方まで計算済みでしょう?」
サッシェはにっこり笑って、紅茶の入ったカップを差し出す。
「毎日精が出るっすね?」
僕はカップを手に取り、軽く微笑む。
庭の緑と水面の青緑が、紅茶の琥珀色と絶妙に調和している。
その光景を目にした巡礼者たちが、遠くから静かに跪いていく。
「……なんと美しい」
「静かで、清らかだ……」
僕はただ紅茶を口に運ぶだけ。
世界は変わる。
そしてその変化は――屋敷の外にも及んでいた。
屋敷の塀の外。
暗い森を抜けた先に、女が一人立っていた。
「さて、お仕事の時間です」
エリート魔族のツェンが、冷たい目を光らせる。
その観察眼は鋭く、屋敷を見下ろす。
すると、庭がただの庭ではないことに気付く。
枝葉の曲線、影の落ち方――すべてが計算され、禍々しいが何処か美しい。
「……魔力の類は使っていない……?」
ツェンは唇を噛む。
しかし、現象は明白だ。
周囲に人が集まり、屋敷の秩序が変化している。
理論が通じない。
その瞬間、ツェンは理解する。
——これまでの常識が通用しないことを。
「そうだ、散歩だ!」
何となく過ごしていた屋敷での生活。
僕的には満足いく生活なんだけどさ、やはり予定調和は詰まらない。
そう思った僕は決断した。
幸い、屋敷の外は自然がいっぱいだ。
それに人も多いから、きっと人気の観光地なのだろう。
僕は地面に棒を立てる。
手を離す。
棒は倒れ――ない。
why?
何故?
ただ地面に立てただけの棒。
倒れた方向に行こうと思っていた僕の望みは絶たれた。
「……まぁ、こういう事もあるよね。」
僕は棒を置き去りにして、気の向くままに歩き出した。
「見て!聖女様が棒を立てたわ!」
「……奇跡だ!」
「風が吹いても倒れないぞ?」
「これは“導きの柱”だ……」
なんか後ろが騒がしいけど、気の所為だね。
観光地だもん、騒がしいのは普通だよ。
「……これ、景観に合わないよね?」
気儘に森の中を歩くこと30分程。
気の向くまま進んだ先で、僕は少し開けた場所に出ていた。
目の前には、濁った池というか沼がある。
小川から流れ込む水は綺麗なのに、何故か流れ込んだ先で泥水になっている。
どうするか考えてみる。
すると、反対側の森の小道から、1人の幼子がバケツのような物を持って現れた。
そして水際まで来ると……。
「ああっ!」
その光景に、僕は思わず声を上げる。
何と幼子が、汲んだ泥水を手で掬って飲み始めたからだ。
あり得ない。
これは飲み水として使える水じゃない!
「お姉ちゃん、飲む?」
少し呆けていた。
そして僕は惚けた。
「……僕の人形になってくれないか?」
幼女の顔から表情が消えた。
「……へ?」
幼女の顔が引き攣る。
そして、一歩後退る。
「変態さんだぁぁあ!」
そう叫んだ幼女が距離をとる。
ジリジリと後退るが、警戒心からか僕からは目を離さない。
「あ、待って!
僕は変態じゃない!」
「……そうなの?」
「ああ、僕は変態と言う名の紳士だ!」
「……やっぱり変態さんだ!」
更に距離を取り、逃げる態勢になる幼女。
だが、僕は焦らない。
なぜなら、幼女の視線が僕とバケツを行ったり来たりしているからだ。
迷う幼女……尊い。
「僕は安全だよ?」
「でも、変態さん見たら逃げろってママが言ってたよ?」
「それは紳士じゃないからさ!」
「変態さんじゃない?」
「そう、だから安心安全だよ?」
未だに警戒を解かないが、首を傾げ様子を伺う幼女。
新緑、木漏れ日、戸惑う幼女……尊い。
だが、貴様はダメだ。
「……浄化」
僕はボソリとそう呟く。
すると沼が光り輝く。
「お、お姉ちゃん!池が!」
驚く幼女……良いね。
光の印影でとても幻想的だ。
幼女は凄いと興奮する。
僕はそれを見てハスハスする。
ああ……やはり世界は素晴らしい。
その“奇跡”は、瞬く間に人から人へと伝わり――
数日後。
森から馬車で離れた王都では、その噂が渦巻いていた。
その中心に建つ王城、玉座の間。
朝の光が赤絨毯に落ちている。
だが、そこに安らぎはなかった。
急遽招集された王都周辺の貴族たち。
その多くの視線が王を見つめる中、王と宰相は頭を抱えた。
広間は、人々の声で揺れる。
「……これは、一体どうなっているのだ……」
王は額に手を当て、深く天を仰いだ。
「聖女……何故、聖女のことが民衆に広まっておるのだ?」
「聖女の件は緘口令を敷き、魔王軍は騎士団が撃退したことにしたのですが……」
宰相は困惑し、言葉を詰まらせる。
その時、誇らしげに一人の男が前へ進み出た。
「私が、皆に伝えました!」
「「はぁっ?」」
「聖女殿の献身、我が騎士団でも噂になっておりましてな。
我が民にも聖女殿の活躍を伝え、その偉業を皆で称えております!」
王と宰相が顔を見合わせ、声をそろえて絶叫する。
「おま……えっ、……お前ぇぇえー!」
外からも玉座の間にまで届く民衆の声。
「聖女様ー!
聖女様を出せー!」
「我らに救いをー!
聖女様ー!」
騎士団長はにんまりと笑い、窓の外を見やる。
城門前は押すな押すなの大騒ぎで、馬車も進めない状態だった。
「この脳筋め!
何ということをしてくれたのだ!
これでは王都が治まらぬ……」
宰相の手が震える。
「いえいえ、私へのお褒めの言葉はいりませんぞ?
それよりも、民衆はこのように聖女殿に期待しております。
まさにこれこそ、聖女殿の偉大さを示すものですな?」
騎士団長は高らかに笑った。
王は、怒りを抑えるかのように静かにため息をつく。
「一先ず、騎士団長よ。」
「はっ!
褒美なれば私ではなく、是非聖女殿へ願いますぞ?」
「お前、クビ。
今この瞬間にだ!」
「……は?」
「宰相!」
「ハッ!
近衛よ、この脳筋を摘み出せ!」
「王よ!
何故ですかぁぁあ!」
衛兵四人がかりで元騎士団長を連行するのを見送りながら、王はぼやく。
「……我が民は、我が城は、全く制御できんのか……」
玉座の間に、重苦しい沈黙が訪れた。
王の苦悩は、まだ始まったばかりだった。
そして、その混乱は収まるどころか――
数刻後には、貴族たちの新たな思惑を呼び寄せる。
民衆の喚声が城外で響き渡る中、玉座の間では王と宰相、残された貴族たちが沈痛な面持ちで並んでいた。
騎士団長は既に連行され、騒動の中心は聖女の事になっている。
その中で、四大貴族の一角を占めるハンツ公爵が声を上げる。
ハンツ公爵は、玉座に深々と頭を下げつつも、視線は王ではなく宰相の動向を冷たく窺っていた。
小太りの体に、鱗のように巻かれた金糸の刺繍が揺れる。
「陛下……民衆の期待は、国の安定にも大いに資するものでございますな」
低く落ち着いた声。
だがその視線は、まるで値踏みするかのように宰相へ向けられていた。
「我が家の調査によれば……
あの『聖女』なる者は、この騒ぎの中、いまだに城には現れておらぬとか?」
ハンツは腹を揺らしながら、グフフと下卑た笑みを浮かべた。
「成る程成る程、私が考えるに、所詮は平民の小娘。
我らが導いてやればよいのではないですかな?
私などはそう思うのですが……。
王の右腕たる宰相殿は、何故手を拱いているのか?
愚鈍なる我が身には些か腑に落ちませぬなぁ?」
宰相の眉が微かに跳ねる。
その表情に警戒心が芽生えたのだろう。
ハンツはすぐにその視線を外し、重々しく頭を下げたまま続ける。
「とはいえ、このまま放置は愚策。
故に、民衆の熱狂を押さえつつ、慎重にもちいれば良いと愚考致しますが……
どうですかな、宰相殿?」
試す様なその言葉に、公爵に近い貴族数名が小さく頷く。
玉座の間の混乱に紛れ、ハンツ公爵の策略は静かに、しかし確実に動き始めたのだった。
だが、その様子を宰相は静かに見つめていた。
表情は変えない。
ただ、ゆっくりと顎に手を当てる。
(……やはり動いたか、ハンツ公爵め)
宰相は長年、王国の政を預かってきた男だ。
貴族たちの思惑など、嫌というほど見てきた。
ハンツ公爵、王国建国からの四大貴族の一角。
その王都近郊の広大な領地と、そこから得られる莫大な財を背景に、国の政にも強い影響力を持つ男。
そして――野心家。
(聖女を担ぐつもりか?)
宰相は、窓の外から聞こえる民衆の叫びに耳を傾ける。
「聖女様ー!」
「どうか我等に救いをー!」
王城の外では、熱狂が膨れ上がっている。
(この熱狂を利用するつもりか……)
民衆の期待。
古からの聖女という象徴。
それを政治の道具に変える。
古くからある、実にわかりやすい手だ。
だが――愚かだ。
宰相の視線が、僅かに細くなる。
(あの娘を……ただの平民の小娘と思っている時点で、その底が知れると言うものだ)
宰相は、王都を救ったあの夜を思い出す。
あの光と奇跡。
あれは――
人が扱える力ではない。
もしもハンツ公爵が、本気で聖女を操れると思っているのなら。
それはきっと、彼にとって取り返しのつかない誤算になる。
宰相は、ゆっくりと玉座の前に歩み出た。
「陛下」
その声は、いつも通り静かだった。
「そろそろ……聖女殿の扱いを決めねばなりませんな?」
王は、心底嫌そうな顔で深くため息をついた。
王城の外では、民衆の歓声がさらに高まっていた。
それはまるで――
王国を揺るがす嵐の前触れだった。
なお本人は庭の剪定中である。




