表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女扱いされていますが、景観を守っているだけの紳士です 〜美しくないものを整えていたら、少しずつ世界がおかしくなりました〜  作者: 葱市場


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/6

第2話 「……投獄? 解せぬ」

 ――そのはずだった。

 

 だが。


 鉄格子越しに差し込む光。

 冷たい石壁。

 鎖に繋がれたまま、僕はゆっくり体をひねる。

 肩と腰の角度、指先の微妙なライン、首の傾きまで計算して、光の当たり方を確認する――。

 それは、囚人とは思えない完成度の姿勢だった。

 鎖に繋がれ、光に照らされながら、僕は“最も美しく見える角度”で静止する。

 まるで展示された芸術品のように。


「……投獄……解せぬ」


 一瞬眉をひそめ、また姿勢を整えながら、僕はこの事態のきっかけを考える。


「……やはり、作製中のものより、僕の方がふつくしいか……」


 牢の中には、自分の指先を見てトリップする紳士しか居なかった。



 三か月前


 屋敷の一室。

 精巧な関節構造の人形に指を添え、微調整を行う僕。

 胸元のライン、手首の角度、膝の反り具合まで理想通り。


「王命とのことですが……」


 ノルンが肩を揺らす。


「今、可動域の最適化中だよ?」


 僕は視線を外さない。


「人間界の政治ですし、まぁ、放置ですね」


 有紗も肩をすくめる。


「私たち関係ないですよね?」


 サッシェは楽しげに笑った。

 どうやらこの三人は、王命を放置して僕の創作を尊重することを決めた様だった。



 使者は何度も訪れるが、三人は無視する。 僕も人形作りに没頭し、ノルンと有紗の手によって、庭も屋敷も完璧に整備されていた。

 僕の指示により、微妙な光の加減まで計算され、どの角度から見ても美しい。


「知らない王より精密関節、他所の国家より造形でしょ?」


 僕は独り呟き、手を動かしながら微笑む。



 その頃の王城。

 穏和で知られる賢王も、最初は苦笑して見守った。


「聖女殿も忙しいのであろう……」


 一か月、二か月……三か月が経過した。

 忍耐の限界に達し、ついに宰相が机を叩く。


「王が呼んでいると言っている!!」


 即日、騎士団に出動が命じられた。



 宰相の号令一下、屋敷を取り囲む多数の鎧姿。

 その集団を前に、屋敷の門を背にしてノルンが腕を組んで立つ。


「ご主人様は渡しません!」


 有紗も胸を張る。


「まぁ、アレでも主ですので……」


 サッシェも微笑む。


「紳士ですし」


 集まった騎士たちの中で、一際立派な鎧を着込み、騎士団長の腕章を付けた男が冷静に告げる。


「なら、お前たちも王命違反で同罪だな?

 王命違反だ、最悪死罪すらあり得るが……」


 その言葉に三人は顔を見合わせ、沈黙する。

 ノルンが屋敷の門の横に下がる。


「……ご主人様、頑張って」


 ノルンの隣に移動した有紗が、更に一歩下がって深く一礼する。


「ご武運を」


 その隣には更に一歩下がるサッシェ。


「お土産お願いします。

 あ、出来れば甘いものがいいっす。」


「え……」


 僕は絶句した。

 それはそれは見事な保身だった。


「よし、確保だ!」


 騎士団長が号令をかける。

 その号令に、一糸乱れぬ動きで突入する騎士たち。

 その光景に、僕の魂の叫びが響き渡った。


 

「おまえらぁぁあ!」


「ええい、暴れるな!」


「待て、今この角度が一番尊い――」


 鎖が鳴る。

 僕は馬車に押し込まれる。

 その馬車を三人は整列し、見事な所作で見送る。


「「「いってらっしゃいませ」」」


 僕はドナドナされた。



 回想終了。

 僕は再び鉄格子の前に立つ。


「……解せぬ」


 見張りの守衛が告げる。


「王は激怒しているそうだ」


 僕は腕を組み、微笑む。


「王は造形の素晴らしさを理解していない」


 牢の奥で、微かに不穏な気配がする。

 その後、王直々の面会希望が告げられた。



「王は、あなたを処刑するかもしれぬな」


 守衛のその言葉に、僕は薄く笑い粗末な囚人服の袖に指で触れる。

 一瞬、完全に思考が停止する。

 

「……」


「……囚人服で処刑は嫌だな」


 それが僕にとっての最優先事項だった。



 それから数日後。

 玉座の間は、重苦しい沈黙に包まれていた。

 王は額に手を当て、深刻な面持ちで呟く。


「……聖女が出てこない」


 宰相は静かに答えた。


「説得不能にございます」


 騎士団長も腕を組む。


「力尽くも無効でした」


 沈黙。

 重い。

 国家の中枢とは思えぬほど、問題の核心が曖昧だった。

 聖女が牢から出てこない。

 理由は単純。

 ――気に入ったから。

 騎士団長がふと顔を上げた。


「……屋敷の三名ならば、説得が叶うかもしれませぬ」


 その言葉に、王の目が光る。


「呼べ、何としても、聖女を貴賓室へ移すのだ!」


 即断だった。

 そして王は、事の発端を思い浮かべる。



 数日前の事。

 玉座の間に、誇らしげな声が響いた。


「ご下命通り、無礼者を投獄して参りました!」


 騎士団長は胸を張り、直立不動で報告する。

 王は玉座に腰かけたまま、わずかに瞬きをした。


「……投獄?」


「はいっ、王命を三か月も無視した大罪人です」


 沈黙が落ちる。

 広い玉座の間が、やけに静まり返った。

 王はゆっくりと立ち上がる。

 その動きに、周囲の空気が張り詰めた。


「私は……賓客として迎えるつもりだったのだぞ?」


 王の言葉に、騎士団長の顔から血の気が引いた。


「……は?」


 宰相が咳払いをひとつ。


「しかし、王命違反は重罪にございます。

 ここで不問とすれば悪しき前例となり、法の権威が揺らぎます」


 騎士団長は必死に頷く。


「軍規の観点からも、見逃すわけには参りません」


 王は両手で額を押さえた。


「なんと言う事だ……兎に角、急ぎ謁見の準備を整えよ!」


 王の号令で城が動いた。

 赤絨毯が敷き直され、花が飾られ、侍従達が待機する。

 玉座の間は、賓客を迎えるに相応しい荘厳さをその身にまとう。

 宰相が指示を出す。


「聖女様を貴賓室へ移動させろ!」


 だが、問題はそこからだった。



 石壁、鉄格子、差し込む斜光。

 鎖に繋がれたまま、僕はゆっくりと首を傾ける。

 光の角度を確認。

 床の反射率、石の質感、陰影の深度。

 完璧だ。


「……ここ、最高ですね?」


 伝令が戸惑いながら声をかけて来る。


「王が謁見を望んでおられます」


「あ、僕には用無いのでキャンセルで!」


「貴賓室をご用意しております。

 せめてそちらへご移動願います。」


 僕は鉄格子に指をかけ、目を細めた。


「この鉄格子の陰影、尊い」


 守衛と伝令が顔を見合わせる。

 僕は床に座り込み、片膝を立てる。

 冷たい石壁に背を預け、視線を斜め上へ。


「この冷たい石壁……背景として完成度が高い」


 伝令が震える声で言う。


「で、ですが……」


「静かだ。

 装飾もない……無駄がない」


 僕は満足げに頷いた。


「僕、ここに住もうと思う。」


 守衛は、可哀想な人を見る目になった。

 この変な少女は、どうやら牢を気に入ったらしい。



 報告を受けた王は、しばらく言葉を失った。


「出てこない?」


「はい。牢を気に入られたようで……」


 王は天を仰ぐ。


「……牢を?」


 宰相が淡々と補足する。


「採光が良いそうです」

 

 王はしばらく黙った。


「余は、何と戦っているのだ?」


 王はゆっくりと椅子に座り直した。


「宰相」


「はっ!」


「説得してこい」


 宰相の顔から表情が消えた。



 宰相は理性的な男である。

 理屈で通じない事象は存在しないと信じてきた。

 そんな自分ならば、小娘一人くらい説得出来ると思っていた。

 牢の前に立ち、深呼吸する。


「聖女殿、王の温情である。

 ここを出れば、今までの不敬を不問とするゆえ、速やかにご同行願いたい。」


「いやです。

 ここ、採光が完璧ですから」


 即答だった。


「貴賓室は南向きでさらに明るいぞ?」


「壁が白すぎる気がします」


「暖かく、ふかふかの絨毯も敷いてある」


「模様がうるさそうですね」


 宰相のこめかみがひくりと動く。


「……何が望みだ?」


 僕は目を閉じる。

 訪れる静寂。

 そこに混ざるわずかな風の音。

 石壁の冷気。


「静かだ、無駄がない……光が直線的だ」


 僕は鉄格子に触れる。


「この影の落ち方……。

 計算されていないのに、完成している。

 人工物として、敗北を認めざるを得ない。

 人が作ろうとして作れなかった美が、ここにはある。

 そう、ここは――美しい」


 話を聞かない相手に、宰相は震える手で額を押さえた。


 



 玉座の間。


「あの変人に、理論は通じません」


 宰相の報告に、王は深く息を吐いた。


「騎士団長、なんとかしろ」


「はっ!」


 騎士団長は力強く頷く。



 それからほどなく、騎士団長は牢獄への扉の前に立つと、牢の扉を勢いよく開く。


「失礼する!

 聖女殿、貴様を連行する。

 大人しくするならば良し、さもなくば力づくで連れて行くことになるぞ!」


 剣を抜いてそう宣言する騎士団長の後に続く様に、数名の兵士たちも突入して来る。

 僕は壁に寄りかかったまま、軽く指を鳴らした。

 瞬間、透明な膜が広がる。

 いわゆる結界。

 

「貴様、抵抗するかっ!」


 その膜に、騎士団長の剣が振り下ろされる。

 ――弾かれた。


「何!?」


 火花が散る。

 僕は動かない。


「結界越しに見ると……酷いなぁ」


 兵士たちが押し込もうとする。

 結界はびくともしない。

 騎士団長が全力で踏み込む。

 筋肉が軋み、床が割れる。

 それでも、動かない。

 僕は静かに呟く。


「……美しくない」


 騎士団長の剣が再び弾かれる。

 やがて騎士団長は剣を下ろした。

 ゆっくりと兜を外し、額を押さえる。


「……なんだこれは」


 結界の内側で、僕は満足げに目を閉じる。


「静寂とは芸術さ!」


 牢は静かだった。

 王も、宰相も、騎士団長も、誰も間違っていない。

 だが一人だけ、基準が違う。

 王城は、かつてない難題に直面していた。

 敵でもなく、反逆でもなく。


 ただ、――聖女が出てこない。


 それだけで、国は揺れているのだった。

 そして王の回想が終わる。



 屋敷の3人を招聘する為、使者を送って数日後。

 玉座の間の大扉がゆっくりと開く。

 ノルン、有紗、サッシェ。

 三人は優雅に歩み入った。

 まるで招待された賓客のように。

 王が立ち上がる。


「来てくれたか。

 事情は聞いておるな?」


 ノルンが無表情で頷く。


「はい。ご主人様が牢から出ない件ですね?」


「そうだ、聖女を説得し、牢から出してほしい」


「嫌です」


 ノルンの返答に空気が凍る。

 有紗が補足する。


「現在、牢は静謐で環境が安定しております。

 光量、湿度、音響すべて良好です」


 サッシェがにこりと笑う。


「今出すと機嫌悪くなるっす!」


 宰相が低く言う。


「機嫌とかの問題ではない」


 王は深呼吸した。

 自分は国王である。

 立場的にも、威厳を保たねばならぬ。


「成功すれば、その方らの望みを叶える」


 三人の視線が交差する。

 沈黙。

 そして、ノルンが一歩前へ。


「では、説得のためにも、王城の客室を一つ、自由に使わせてください」


 有紗。


「厨房の使用権を」


 サッシェ。


「甘味無制限で」


 王。


「……許可する」


 宰相が「陛下、それは――」と言いかけるが、王の視線で止まった。


「余は結果を求めておる」


 三人は深く一礼したのちに、承諾した。


「承知しました(っす!)」


 その笑みは、どこか不穏だった。


 その日から王城の一角は、別の意味で制圧された。



 王城の客室、ここはノルンたち三人が王城滞在のために貸し与えられた一室だった。

 その一室でノルンが腕を組む。


「このベッド、柔らかすぎます」


 即日交換。

 王家御用達の高級寝具が搬入される。


「カーテンの色が落ち着きません」


 総入れ替え。

 壁掛けも撤去。

 照明角度修正。

 使用人頭が震えながら報告する。


「まるで別室です……」



 厨房では、有紗が料理長を見下ろす。


「導線が悪い」


「は?」


「火元と冷蔵庫が遠い」


 翌日、配置変更。

 食材の仕入れ先の見直し。

 王城の食卓が急激にレベルアップした。

 料理長が呟く。


「……勉強になります」



 騎士団長が汗を拭う。

 なぜかノルンに説教されていた。


「踏み込みが甘い!」


「はいっ!」


「剣は体の延長と捉えなさい!」


「はいっ!」


 部下が小声で囁く。


「団長、叱られてますよ」



 サッシェがお茶会を開く。

 王城の庭が華やぐ。

 山積みの甘味を見た侍女たちが笑顔になる。

 完全に満喫していた。



 三人が贅沢三昧を始めて数日後。

 王が尋ねる。


「で、説得は?」


 ノルン。


「明日」



 翌日。


「説得は?」


 有紗。


「環境観察中です」



 翌々日。


「……説得は?」


 サッシェ。


「差し入れは済ませたっす!」


 王、頭を抱える。


「牢から出す方向で頼む」


 三人、同時に首を傾げる。


「なぜです?」


 その予想外の答えに、王は絶句した。



 一方その頃。

 牢は、もはや牢ではなかった。

 高品質クッション設置済み。

 ティーセット完備。

 光量調整済み。

 簡易的な台所も設置。

 食材も一通り運び込まれていた。

 湿度も安定している。

 香りも上品。

 僕は椅子に座り、静かに紅茶を口にする。


「……優雅に紅茶を飲む僕……まさに芸術」


 鉄格子越しの光が美しい。

 完璧だ。

 牢生活を満喫していた。



 玉座の間で、王が呟く。


「余は何をしているのだ」


 宰相が冷静に答える。


「聖女を迎える準備です」


 騎士団長。


「牢が最上級室になりました」


 両手で頭を抱えた王が心情を吐露する。


「誰も職務を果たしていないではないか!」


 宰相は静かに付け足す。


「聖女も出てきておりません」


 騎士団長も小声で追加する。


「あの三名も説得しておりません」


 やがて王は顔を上げた。


「……もうよい」


 二人が顔を上げる。


「城の一角を牢風に改装しろ」


「は?」


「聖女を移す!

 牢が気に入ったのならば、牢にしてしまえば良い。」


 騎士団長が目を見開く。


「王城を牢に?」


 王は遠い目をした。


「そうだ、出てこないなら、環境を合わせる」


 その瞬間。

 誰も居なかった筈の窓際から声。


「それはやめた方が」


 振り向くと、三人。

 いつの間に――

 有紗が淡々と述べる。


「ご主人様が増殖します」


 サッシェも口を開く。


「城全部牢になるっすよ?」


 王、再び崩れる。


「なぜだ……」


 その時。

 ――ドォン!!

 城外で爆音が響く。

 慌てた様子の伝令が駆け込んでくる。


「緊急です、魔王軍襲来!!」


 宰相が天を仰ぐ。

 騎士団長が剣に手をかける。

 王が叫ぶ。


「魔王軍だと!」



 王城外壁を震わせる爆音が、重々しい石造りの廊下を伝って牢まで届いた。

 鉄格子越しに差し込む光が、振動でわずかに揺れる。

 鎖に繋がれたまま、僕は眉をひそめた。


「……うるさいなぁ」


 今まさに完成へ至ろうとしていた、人形の服の縫製が乱れたのだ。

 わずかに首を傾ける。

 外から響く怒号と爆発音が、静謐を破壊し続ける。


「ヒャッハー!! 城を燃やせェ!!」


「王を引きずり出せェ!!」


 ……品がない。

 先程から、牢の入り口付近で控えていたノルンが淡々と告げた。


「ご主人様、魔王軍です」


「知っている。

 あの声量で分かるよ」


 有紗が冷静に続ける。


「現在、騎士団が防衛線を構築中。

 しかし押されています」


「庭は?」


「王城の庭園なら一部炎上」


「僕たちの屋敷は?」


「無事です」


 僕は小さく息を吐いた。


「……帰るか」


「「「はい」」」


 決断は一瞬だった。

 王城の戦況? 国家の存亡? そんなもの、僕には関係ない。

 僕には、僕が望んだ生活の方が重大である。


 牢を出ると、廊下は混乱していた。

 兵士が走り、伝令が叫ぶ。

 正門へ向かう途中、ちょうど正門前の広場に王と宰相が防衛状況を確認しているところに出くわした。


「聖女よ! ようやく出て来てくれたか!」


 王が叫ぶ。


「それじゃ、僕達帰ります。」


「は?」


「騒音が酷いので」


 宰相の表情が凍る。

 そばにいた近衛兵が声を荒げる。


「魔王軍が城門を突破寸前なんだ!」


「なら防げば良いじゃん?」


「それを貴殿に――」


「そんな義理は無いですね」


 一言で黙らせる。

 王が額を押さえた。


「……お主は聖女では無いのか?」


「僕は一言もそんな事言ってません。

 敢えて言うならば、僕は紳士ですよ?」


 交渉決裂。

 僕は踵を返し、堂々と城門へ向かった。

 三人も当然のようについてくる。

 どこかで、騎士団の怒号が聞こえる。


「押し返せ!!」


「ヒャッハー!!」


 世紀末の住人のような格好をした魔王軍が、トゲ付き肩当てを揺らしながら火球を乱射している。

 城門付近で、騎士団長が必死に防衛線を維持していた。


「今出るのは危険だ!」


「僕達は帰るので、邪魔しないで欲しいな?」


「何を言っている!?」


 呆然とする騎士団長をよそに、僕はそのまま城門を抜けた。



 王城から屋敷へ続く街道。

 背後では爆音が続く。


「ヒャッハー!

 メスがいるぞォ!!」


 魔王軍の一人が、こちらを見つけたらしい。


「メスだァ!!」


 上半身裸の魔族によって、土属性の魔法が放たれる。

 近くに着弾し、地面が爆ぜる。

 衝撃で土塊が弾け飛ぶ。


 ――ぴちゃ。

 静止。


 僕の白い衣の裾に、茶色い泥が一滴。

 僕の世界が止まった。

 ノルンが小さく呟く。


「……やばっ」


 有紗が一歩下がる。

 サッシェが両手を合わせる。


「ご愁傷様っす」


 僕は、ゆっくりと視線を落とす。

 白地に、濁色。

 あり得ない。

 調和が崩壊している。

 数秒、沈黙。

 そして――


「テメェらの血は何色だぁぁあっ!」


 僕は叫ぶ。

 空気が震える。

 魔王軍の男が笑う。


「ヒャッヒャッヒャッ!

 何だこいつ――」


 その瞬間、結界が展開された。

 透明な壁が世界を切り分ける。

 外界の音が遮断される。

 僕は指を軽く鳴らした。

 浄化魔法を圧縮。

 通常の数十倍に。


「背景から消す」


 光が走る。

 音もなく、魔王軍の集団が蒸発した。

 叫びも断末魔もない。

 ただ、存在そのものが消えた。

 衝撃波すら残さず、完全消滅。

 そして泥も消え、衣は再び純白に戻る。

 風が止んだ。

 遠くで戦っていた騎士団が、有り得ない光景にただ呆然と立ち尽くす。

 誰も動かなかった。

 その異様な光景に、剣を握る騎士の手が震えている。


 魔王軍は――

 跡形もなく消えていた。

 騎士団長が剣を下ろす。


「……今、何が起きた?」


 城壁の上で、王と宰相が立ち尽くす。


「……あれこそ、聖女だ」


 王が震える声で言う。


「……紳士です」


 宰相が訂正する。



 僕は袖を払っておどけて言う。


「汚物は消毒だっ!ってね?」


「元ネタ混ざってます」


 ノルンが即座に突っ込む。

 有紗が確認する。


「シミ、完全除去済み。

 再汚染の恐れなしですね?」


 サッシェが微笑む。


「今からなら、お茶の時間に間に合うっす」


 僕は頷いた。


「帰るよ?」


 王と宰相が追いかけて来ながら叫ぶ。


「待て!」


 僕は振り向かない。

 その僕の背に、王が問いかける。


「城は!?」


「立っている」


「魔王軍は!?」


「いない」


「国を救ったのだぞ!?」


 僕は少しだけ立ち止まり、考えた後に答える。


「なら良かったじゃん?」


 僕たちは再び歩き出す。

 背後では騎士団がざわついている。


「一撃……?」


「幹部もいたはずだぞ……?」


「消えた……?」


 王は遠い目をした。


「聖女とは何なのだ……」


 隣で宰相が、疲れ切った声で言う。


「アレには、手を出さない方が良いのかもしれませんな」


 宰相の考えに、騎士団長が真顔で頷いた。


 屋敷に戻ると、辺りは静かだった。

 木々を揺らす風。

 計算された完璧な光量。

 僕は満足げに屋敷を見上げる。


「やっぱり、我が家が一番だねぇ」


 ノルンがぽつりとこぼす。


「城、半壊寸前でしたよ?」


「そう?」


「一応、国ですよ?」


「僕のじゃ無い」


 有紗が紅茶を用意する。


「本日の茶葉はダージリンです」


「良い選択だね」


 サッシェがクッキーを並べる。


「王様、泣いてましたよ?」


「爺さんが泣いても美しく無い」


 三人は顔を見合わせる。

 そして同時に小さくため息をついた。

 遠く、王城の方角から鐘の音が鳴った気がする。

 たぶん、勝利の鐘だろう。

 だがここには関係ない。

 僕は、ティーカップを持ち上げる。


「静寂とは芸術だよ」


 誰も否定しなかった。

 夕陽が庭を橙に染める。

 その陰影は完璧。

 どうやら世界は救われたらしいが、正直言ってどうでもいい。

 衣は白い。

 庭は美しい。

 それで僕には十分だった。


 その夜、王城。

 王は玉座に深く座り、静かに呟いた。


「……あれをどう扱えばよい?」


 宰相が即答する。


「触れぬが吉かと」


 騎士団長が真顔で言う。


「怒らせなければ国は安泰かと」


 王は遠い目をした。


「……関わるなと通達を出せ」


 その命令は、後に王国全域へと広まることになる。


 “触らぬ聖女に祟りなし”


 国防より優先された、唯一の法律であった。



 屋敷の庭で、僕はもう一度くるりと回った。

 スカートがふわりと広がる。


「……やはり良い。」


 その様子に、ノルンが小さく呟く。


「意味が分からない」


 だが、その声はどこか穏やかだった。

 世界が救われたらしい。

 どうでもいい。

 美しくないものが消えただけだ。

 それで十分だ。


 ――世界より、美の方が重要なのだから。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ