第21話「回帰――あるいは、初期設定の村で起きているバグについて」
見覚えのある風景だった。
丘。草原。そして、その向こうに見える集落。
レオは、足を止めた。
「……ゴート様。この場所、見覚えがあります」
「ぬ」
「はじまりの村だ。俺が最初にゴート様と出会った村」
レオは、丘の上から村を見下ろした。
あの日、レオは記憶を失い、この村で目を覚ました。
何も覚えていなかった。名前すら、曖昧だった。
だが、村の外れでゴートに出会い、全てが始まった。
「……戻ってきたか」
感慨深げに、レオは村を見つめた。
だが、何かがおかしかった。
「……キウィ」
「なに」
「あの村、様子がおかしくないか」
「おかしい。すごくおかしい」
村の建物が、白かった。
全部。
家も、塔も、井戸も、柵も。
全てが、真っ白な立方体になっていた。
「……白い」
「うん。白い」
「あれは、何だ」
「読み込みエラーだよ」
キウィの声が、沈んでいた。
「テクスチャが剥がれて、基本オブジェクト——『豆腐』だけが残ってる。低ポリゴンの、最低限の形状だけ」
※ゲーム開発において、テクスチャが読み込まれていない3Dオブジェクトは、しばしば「豆腐」と呼ばれる白い立方体として表示される。
◇
一行は、村に近づいた。
白い豆腐が、整然と並んでいる。
かつて家だったもの。かつて店だったもの。かつて教会だったもの。
全てが、同じ白い立方体になっていた。
「……村人は」
「いない。たぶん、一緒に読み込みエラーになった」
「読み込みエラーになった?」
「消えた、ってこと。データが破損して、存在できなくなった」
レオは、白い豆腐の一つに触れた。
冷たかった。
質感がなかった。
ただの、形状データ。
「……これは、何が原因だ」
「たぶん、この村が『初期設定エリア』だからだと思う」
「初期設定エリア?」
「チュートリアル用の場所。最初に目を覚ます場所。システムにとって、最も古いデータが残っている場所」
「古いデータ……」
「古いデータは、壊れやすい。世界全体がバグり始めてる今、最初に崩壊するのは、最も古い部分」
ゼノンが、白い立方体に触れた。
「……ここは、この大陸で最も古くから存在するエリアだ。サービス終了の予兆として、真っ先にデータが『初期化』され始めているらしい」
◇
広場に、一人の人影があった。
村長だった。
白い豆腐に囲まれた広場の中央で、村長だけが、まだ人間の姿を保っていた。
だが、様子がおかしかった。
同じ場所で、足踏みを繰り返している。
左足、右足、左足、右足。
機械的に。無意味に。
「……村長?」
レオが声をかけた。
村長が、ガクガクとした不自然な動きで振り返った。
「……ああ……レオ様……。ようやく……戻って来られた……」
「村長、何があった。村が——」
「……今日は……いい天気ですね……。カピバラが……時速50キロで……走っています……」
「村長?」
「……今日は……いい天気ですね……。カピバラが……時速50キロで……」
同じ言葉の繰り返し。
ループ。
壊れたレコードのように、同じセリフを繰り返している。
「……村長、しっかりしろ!」
レオが村長の肩を掴んだ。
村長の目が、一瞬だけ、正気を取り戻した。
「……レオ様……。ああ……ようやく……適切な色に……なられたのですね……」
「適切な色?」
「……ピンク……。それが……あなたの……本来の……」
村長の言葉が、途切れた。
「……これで……ようやく……チュートリアルも……終わり……」
村長の体が、パシャリ、と水に溶けるように消滅した。
後に残ったのは、地面に刻まれた文字だけだった。
『Loading...』
「…………」
レオは、その文字を見下ろした。
「……チュートリアルが、終わる?」
「レオ……」
「俺が初めてこの村で目覚めた時から、ずっと『チュートリアル』だったのか」
◇
ゴートが、動いた。
広場の中央——村長が消えた場所——に向かって、歩いていった。
『Loading...』の文字が刻まれた場所。
そこで、ゴートは立ち止まった。
そして、前足で、地面を強く叩いた。
「……ゴート様?」
「ぬ」
ゴートは、黙々と地面を叩き続けた。
一回。二回。三回。
カピバラの前足。本来、掘削には向いていない。
だが、ゴートの足が地面を叩くたびに、土が砕け散っていった。
異様な力。
物理法則を無視した、破壊力。
四回目の打撃で——
ズドォォォォン!!
白い立方体の地面が砕け散った。
土埃が舞い上がった。
そして——
「…………」
レオは、息を呑んだ。
土の下に、何かがあった。
黒い、平たいもの。
長方形。
巨大な、長方形。
縦二メートル、横一メートルほど。
石でできている——いや、石のように見える何か。
そして、その表面に、文字が刻まれていた。
『Enter』
「……Enterキー」
レオの声が、震えた。
「パソコンの、Enterキー。決定を入力するための、あのキー」
「なんで、地面の下に……」
「わからない。だが、これは——」
レオは、Enterキーの周りの土を払った。
完全な形が、露わになった。
まさに、キーボードのEnterキーをそのまま拡大したような形状。
「——これは、蓋だ」
「蓋?」
「この下に、何かがある。このEnterキーを押せば——いや、開ければ、その下に行ける」
◇
レオは、Enterキーの端に手をかけた。
持ち上げようとした。
重い。
だが、動く。
「……手伝ってくれ」
ゼノンが近づいた。
フェリクスが近づいた。
三人で、Enterキーを持ち上げた。
ゴゴゴ、と音がした。
Enterキーが、横にずれた。
その下に、穴があった。
暗い穴。
階段が、下へ続いていた。
「…………」
レオは、穴を覗き込んだ。
暗闇の向こうに、何かが見えた。
光。
かすかな、緑色の光。
「……下に、何かがある」
「行くの?」
「行く」
レオは、階段に足をかけた。
「ゴート様。一緒に来てください」
「ぬ」
ゴートが、レオの後に続いた。
一行は、Enterキーの下へ、降りていった。
◇
階段を降りると、広い空間があった。
地下神殿のような空間。
天井は高く、壁は石でできていて、床には複雑な紋様が刻まれている。
緑色の光は、壁に埋め込まれた結晶から発せられていた。
そして——
部屋の中央に、人が立っていた。
いや、人の形をしたものが、立っていた。
十二体。
全員が、同じ姿勢で立っていた。
両腕を真横に広げ、両足を肩幅に開き、顔は正面を向いている。
Tポーズ。
3Dモデルの初期姿勢。
アニメーションが適用される前の、デフォルトの姿勢。
「……何だ、これは」
レオは、Tポーズの人々に近づいた。
よく見ると、彼らは鎧を着ていた。
騎士の鎧。
そして、その鎧には、紋章が刻まれていた。
見覚えのある紋章。
レオの記憶の霧の中で、かすかに光る紋章。
「……聖フォルティア王国騎士団」
レオの声が、震えた。
「これは……俺の、騎士団か」
Tポーズの騎士たちは、動かなかった。
目を開けているが、何も見ていなかった。
呼吸もしていなかった。
「……彼らは、俺の仲間だったのか」
「たぶん」
キウィが、小さく答えた。
「ここは、『没データの保管庫』。使われなくなったキャラクターが、削除される前に一時保存される場所。……彼らは、かつてこの世界に存在していた。でも、何らかの理由で『不要』と判断されて、ここに移された」
レオは、一人の騎士の前に立った。
顔を、見つめた。
若い騎士だった。
金髪。碧眼。端正な顔立ち。
記憶にはない。
だが、どこか、懐かしい気がした。
「……お前は、誰だ」
騎士は、答えなかった。
Tポーズのまま、微動だにしなかった。
◇
レオは、没データの騎士たちの間を歩いた。
十二体。
全員が、Tポーズで立っている。
全員が、聖フォルティア王国騎士団の紋章を身につけている。
「……カインは、ここにはいないな」
「カインは、まだ『稼働中』だからね。没データになってない」
「なら、ここにいるのは、俺以外の騎士団員か」
「たぶん」
レオは、立ち止まった。
一人の騎士の前で。
この騎士だけ、他と様子が違った。
Tポーズではあるが、手に何かを持っている。
紙。
古びた紙。
レオは、騎士の手から紙を抜き取った。
文字が書かれていた。
『団長へ。
もし、あなたがこれを読んでいるなら、
あなたはまだ、生きているのでしょう。
私たちは、没データになりました。
理由は、わかりません。
気づいたら、ここにいました。
でも、あなたは生き残った。
それだけで、十分です。
聖遺物を、大切にしてください。
あれは、私たちの遺したものです。
そして、いつか——私たちを、起こしに来てください。
――騎士団一同』
「…………」
レオは、紙を見つめた。
「……聖遺物は、騎士団の遺したもの」
「そう書いてある」
「そして、いつか起こしに来てくれ、と」
「うん」
レオは、自分の袋を見た。
百九十五個の聖遺物が入った袋を。
「……起こせるのか。彼らを」
「わからない。でも……」
キウィは、Tポーズの騎士たちを見た。
「彼らには、まだ『データ』が残ってる。アニメーションが適用されてないだけで、動く機能自体は壊れてない」
「つまり、復活させられる可能性がある」
「可能性はある。ただ、そのためには、大量の『追加メモリ』が必要」
「追加メモリ……」
「聖遺物。あなたが集めた聖遺物が、追加メモリとして使えるかもしれない」
レオは、没データの騎士たちを見渡した。
十二人の、動かない仲間たちを。
「……俺の聖遺物を、騎士団の復活に使う」
「使う?」
「使う」
レオは、袋から聖遺物を一つ取り出した。
「彼らは、俺の仲間だった。記憶はなくても、それはわかる。この紋章が、この手紙が、それを証明している」
「…………」
「俺は、仲間を見捨てない。聖遺物は大切だ。だが、仲間はもっと大切だ」
レオは、聖遺物をTポーズの騎士の手に握らせた。
何も起きなかった。
だが、騎士の体が、ほんの少しだけ、温かくなった気がした。
第21話「回帰――あるいは、初期設定の村で起きているバグについて」
――終――
【次回予告】
「……キウィ。聖遺物を『追加メモリ』として使う方法を、教えてくれ」
「方法は、ある。でも、危険だよ」
「危険?」
「聖遺物を騎士たちに移植すると、あなたとの『共鳴』が切れる。あなたの能力が、弱くなるかもしれない」
「構わない」
「それに、復活した騎士たちが、あなたを『団長』として認識するかどうかもわからない。あなたは、ピンクになってる。彼らの記憶にある『レオ・ヴァルハルト』とは、見た目が違う」
「……それでも、試す」
「本当にいいの?」
「いい。俺は、仲間を取り戻す」
次回、『絶望の暗黒大陸で、俺だけがカピバラ(時速50km)に乗っている』
第22話「統合――あるいは、Tポーズの騎士団と、追加メモリとしての聖遺物について」
お楽しみに。




