第20話「懸賞――あるいは、癒やしという名の組織犯罪について」
それは、突然だった。
空から、紙が降ってきた。
一枚ではない。数十枚。数百枚。
雪のように、ひらひらと。
「……何だ、これは」
レオは、落ちてきた紙を一枚拾い上げた。
そこには、絵が描かれていた。
ピンク色の肌。カピバラを抱いた姿。そして、不気味な笑顔。
その下に、文字。
【指名手配】
名前:ピンクの騎士(本名不明)
罪状:世界を滅ぼす大悪党
懸賞金:100,000,000ゴールド
特徴:肌がピンク色、カピバラを連れている、ウォンバットの糞を投げる
警告:極めて危険。発見次第、通報せよ。
「…………」
レオは、手配書を見つめた。
「……俺が、世界を滅ぼす大悪党……?」
「そう書いてあるね」
「なぜだ。俺は何もしていない」
「聖遺物を投げた」
「投げた。だが、世界は滅んでいない」
「うん。でも、誰かがあなたを危険人物として認定したみたい」
キウィは、手配書を見つめた。
「……この手配書、どこから来たんだろう」
「空から降ってきた」
「空から? つまり、この世界のシステムが発行した公式文書ってこと?」
「公式……」
レオの顔が、青ざめた。
いや、ピンクなので、より濃いピンクになった。
「……俺は、システムから敵認定されたのか」
「みたいだね」
「なぜだ」
「わからない。でも、たぶん……」
キウィは、言いよどんだ。
「たぶん、あなたがピンクになったこと。聖遺物と共鳴できるようになったこと。それが、システムにとって『想定外』だったんだと思う」
「想定外?」
「バグ。あなたは、この世界のバグになった」
「…………」
「だから、排除対象になった」
レオは、手配書をくしゃくしゃに丸めた。
「……ふざけるな」
「レオ?」
「俺は、ゴート様に仕えている。聖遺物を集めている。それだけだ。世界を滅ぼす気などない」
「うん」
「だが、システムが俺を排除しようとするなら——」
レオは、聖遺物を一つ取り出した。
「——俺は、戦う」
◇
手配書が降ってから、一行は警戒を強めた。
懸賞金一億ゴールド。
それは、この大陸の経済規模を考えれば、天文学的な数字だった。
「……賞金稼ぎが来るな」
ゼノンが言った。
「一億ゴールドを狙って、大陸中から集まってくる」
「対策は」
「殺すか、逃げるか、買収するか」
「買収?」
「金で黙らせる」
「俺たちに、そんな金はない」
「なら、殺すか逃げるかだ」
フェリクスが、猫耳をぴくりと動かした。
「……魔王様。接近する生物を感知しました」
「何体だ」
「……多数。十……二十……三十……数え切れません」
「賞金稼ぎか」
「いえ、違います。これは……」
フェリクスの声が、震えた。
「……猫です」
「猫?」
「小さな猫が、大量にこちらに向かってきています」
◇
砂丘の向こうから、それは現れた。
猫。
小さな猫。
砂色の毛並み。大きな耳。丸い顔。
スナネコ。
世界最小の野生猫。砂漠に適応した、可愛らしい姿の猫。
それが、数十匹、砂丘を越えてやってきた。
「…………」
レオは、剣の柄に手をかけた。
「敵か」
「わからない。でも、あれは……」
キウィの声が、弱々しくなった。
「……かわいい」
「かわいい?」
「うん。すごく、かわいい」
スナネコの群れが、一行の前で止まった。
そして、一斉にこちらを見た。
大きな目。丸い顔。ふわふわの毛。
「…………」
レオの手から、剣が落ちた。
「……かわいい」
「でしょ」
「すごく、かわいい」
「うん」
スナネコたちは、警戒心なく近づいてきた。
レオの足元をすり抜け、ゴートの周りを歩き回り、子カピバラたちと鼻を突き合わせた。
「……これは、攻撃ではないのか」
「攻撃じゃない。たぶん、好奇心」
「好奇心?」
「スナネコは、見慣れないものに興味を持つの。あなたたちが珍しかったんだと思う」
レオは、スナネコを一匹抱き上げた。
軽い。ふわふわ。温かい。
「…………」
レオの顔が、緩んだ。
ピンク色の顔が、幸せそうに緩んだ。
「……これは、危険だ」
「危険?」
「この可愛さは、武器だ。ビジュアル・テロだ。俺の戦闘意欲が、完全に消えた」
「消えたね」
「これが敵の作戦だったら、俺たちは全滅していた」
「そうだね」
スナネコが、レオの腕の中で目を細めた。
ゴロゴロと、喉を鳴らした。
「…………」
レオは、完全に骨抜きにされていた。
◇
そして、それは起きた。
ゼノンが、スナネコに近づいた。
「……ふん。猫か。私は猫は好かん」
「魔王様、近づかない方がいいですよ」
「なぜだ。たかが猫だ。私は八百年を生きた魔王だぞ。猫ごときに——」
スナネコが、ゼノンを見上げた。
大きな目。丸い顔。
そして、小さな前足を、ゼノンに向けて伸ばした。
「にゃあ」
「…………」
ゼノンの動きが、止まった。
「……何だ、今の」
「鳴き声ですよ、魔王様」
「わかっている。だが、今、私の中で何かが——」
別のスナネコが、ゼノンの足元に擦り寄ってきた。
ゴロゴロ。
「…………」
ゼノンの顔が、引きつった。
「……フェリクス」
「はい」
「私は今、非常に奇妙な感覚に襲われている」
「どのような」
「……撫でたい」
「…………」
「この猫を、撫でたい。八百年の魔王としての威厳が、粉々に砕け散りそうだ」
「それは、スナネコの呪いです」
「呪い?」
「はい。スナネコは、その可愛さで相手の戦意を奪います。これは、生物学的な防衛機構です」
「防衛機構……」
スナネコが、ゼノンの足に頭を擦りつけた。
ゴロゴロゴロ。
「…………」
ゼノンは、膝をついた。
そして、スナネコを抱き上げた。
「……ふわふわだ」
「魔王様……」
「黙れ。私は今、戦略的撤退をしている」
「撤退?」
「この猫の可愛さに、一時的に屈服している。だが、これは敗北ではない。戦略的な——」
フェリクスが、小枝を取り出した。
先端に、羽がついている。
猫じゃらし。
「魔王様。これを使ってみてください」
「何だ、それは」
「猫じゃらしです。猫と遊ぶための道具です」
「……遊ぶ?」
「はい」
ゼノンは、猫じゃらしを受け取った。
そして、スナネコの前で振った。
スナネコの目が、猫じゃらしを追った。
前足が、伸びた。
ぱしっ。
「…………」
ゼノンの顔が、緩んだ。
八百年の魔王の顔が、子供のように緩んだ。
「……もう一回」
「魔王様」
「黙れ。私は今、実験をしている」
ゼノンは、猫じゃらしを振り続けた。
スナネコが、それを追い続けた。
ぱしっ。ぱしっ。ぱしっ。
「…………」
レオは、その光景を見ていた。
八百年の魔王が、猫じゃらしでスナネコと遊んでいる光景を。
「……キウィ」
「なに」
「俺たちは今、何を見ている」
「魔王の威厳が崩壊する瞬間を見てる」
「そうか」
「うん」
「……記録しておいた方がいいのか」
「やめた方がいいと思う。魔王様が正気に戻った時、消される」
◇
一時間後。
ゼノンは、スナネコに囲まれて座っていた。
膝の上に三匹。肩に一匹。頭の上に一匹。
「…………」
完全に、屈服していた。
「……魔王殿」
「何だ」
「そろそろ、出発しないと」
「もう少しだけ」
「もう一時間経っています」
「もう少しだけだ」
「…………」
レオは、ため息をついた。
そして、スナネコのリーダー格——一番大きな個体——に話しかけた。
「お前たち、どこから来た」
キウィが翻訳した。
「……東から来たって。群れの縄張りが、最近、別の勢力に侵されたから、新しい場所を探してるって」
「別の勢力?」
「賞金稼ぎの集団みたい。ピンクの騎士を探して、大陸中を荒らし回ってるって」
「……俺を探しているのか」
「うん」
「スナネコたちは、俺を売らないのか」
「売らないって。あなたたち、温かいから好きだって」
「…………」
レオは、スナネコを見た。
スナネコも、レオを見た。
大きな目。丸い顔。
「……お前たち、俺についてこないか」
「え?」
「新しい縄張りを探しているんだろう。俺たちと一緒に旅をすれば、安全だ」
「レオ、それは……」
「スナネコは、この世界で最も可愛い生物の一つだ。その可愛さは、武器になる。敵の戦意を奪い、味方の士気を上げる」
「…………」
「俺は、スナネコを『広報部長』に任命する」
「広報部長?」
「ああ。俺たちの旅を、スナネコの可愛さで宣伝する。『ピンクの騎士は悪党ではない。可愛い動物と旅をする、平和な集団だ』と」
「それで、指名手配が解けるの?」
「解けるかもしれない。解けないかもしれない。だが、試す価値はある」
キウィは、スナネコに話しかけた。
スナネコのリーダーが、答えた。
「……いいって。ついていくって。あなたたち、面白いから」
「面白い?」
「うん。ピンク色の人間と、カピバラと、魔王と、猫。こんな変な集団、見たことないって」
「……変な集団か」
「褒め言葉だって」
レオは、スナネコを見下ろした。
スナネコが、レオを見上げた。
「……よろしく頼む」
「にゃあ」
こうして、一行にスナネコの群れが加わった。
◇
その夜、野営地で。
ゼノンは、まだスナネコに囲まれていた。
「……魔王様。いい加減、離れた方が」
「黙れ、フェリクス」
「威厳が」
「威厳など、もう要らん」
「…………」
「この温かさの前では、八百年の威厳など、塵に等しい」
フェリクスは、ため息をついた。
そして、レオに報告した。
「……魔王様は、完全にスナネコに屈服しました」
「見ればわかる」
「これは、重大な事態です。魔王軍の指揮系統が、崩壊する可能性があります」
「魔王軍?」
「はい。魔王様には、大陸各地に残党兵がいます。彼らが、この姿を見たら……」
「見たら?」
「士気が崩壊するか、あるいは……」
「あるいは?」
「推し始めるかもしれません」
「推す?」
「『猫と戯れる魔王様、可愛い』と」
「…………」
レオは、ゼノンを見た。
スナネコに埋もれた魔王を。
「……それは、悪くないかもしれない」
「悪くない?」
「推しの力で、魔王軍を統合する。恐怖ではなく、可愛さで」
「…………」
「スナネコを広報部長にした甲斐があった」
「レオさん。それは、軍の運用として正しいのでしょうか」
「正しくない。だが、効果的だ」
レオは、自分のスナネコを撫でながら言った。
「……この世界は、癒やしで変えられる。俺は、そう信じている」
第20話「懸賞――あるいは、癒やしという名の組織犯罪について」
――終――
【次回予告】
「……ゴート様。この場所、見覚えがあります」
「ぬ」
「はじまりの村だ。俺が最初にゴート様と出会った村」
「でも、レオ。様子がおかしい」
「おかしい?」
「建物が……白い。全部、白い立方体になってる」
「白い立方体?」
「読み込みエラーだよ。テクスチャが剥がれて、基本オブジェクトだけが残ってる」
「つまり、この村は……バグっている」
「うん。完全にバグってる」
次回、『絶望の暗黒大陸で、俺だけがカピバラ(時速50km)に乗っている』
第21話「回帰――あるいは、初期設定の村で起きているバグについて」
お楽しみに。




