第18話「変異――あるいは、ピンクの肌への覚醒について」
朝、目を覚ました時、レオは自分の手を見た。
ピンクだった。
完全に。
昨日までの「うっすらピンクがかっている」ではなく、明確に、はっきりと、ピンク色だった。
「…………」
レオは、顔を触った。
ピンク。
腕を見た。
ピンク。
足を見た。
ピンク。
「…………」
「……レオ」
キウィが、恐る恐る声をかけた。
「肌、見た?」
「見た」
「昨日より、かなり……」
「ピンクだな」
「うん。完全にピンク」
レオは、自分の肌を見つめた。
カピバラの肌と、ほぼ同じ色になっていた。
ゴートの鼻先の色。子カピバラたちの耳の内側の色。
それと、同じ色。
「……ゴート様」
「ぬ」
「俺、ゴート様と同じ色になりました」
「ぬ」
「嬉しいです」
「ぬ」
ゼノンが、眉をひそめた。
「……嬉しいのか」
「嬉しいです」
「肌が異常な色になっているのに」
「異常ではありません。カピバラ色です」
「それを異常と言うんだ」
「カピバラは異常ではありません。ゴート様は異常ではありません。よって、カピバラ色も異常ではありません」
「三段論法として破綻している」
「破綻していません」
フェリクスが、レオの肌を観察した。
「……魔王様。これは、単なる色素沈着ではないかもしれません」
「どういうことだ」
「レオさんの肌からは、かすかな魔力反応が検出されています。聖遺物——ウォンバットの糞に含まれる成分が、皮膚だけでなく、魔力回路にも影響を与えている可能性があります」
「魔力回路に?」
「はい。通常、人間の魔力回路はほとんど発達していません。ですが、レオさんの場合、肌がピンクに変色するのと同時に、魔力回路の活性化が見られます」
「つまり、魔法が使えるようになるのか」
「そこまでは不明です。ただ、何らかの能力が発現する可能性はあります」
◇
その日、一行は北へ進み続けた。
レオは、歩きながら聖遺物を一つ、手に持っていた。
百九十八個のうちの一つ。
「……温かい」
「温かい?」
「ああ。聖遺物が、温かく感じる」
「それ、前からあった?」
「いや。今日からだ。朝起きてから、聖遺物に触ると、温かさを感じるようになった」
キウィは、レオの手元を見た。
ウォンバットの糞。キューブ状。茶色。
外見上は、何も変わっていない。
「……温かいだけ?」
「いや」
レオは、聖遺物を見つめた。
「声が、聞こえる」
「声?」
「聖遺物が、語りかけてくる」
「何て言ってるの」
「…………」
レオは、目を閉じた。
集中した。
聖遺物の声を、聞こうとした。
「……『モース硬度4.2』」
「え?」
「『密度1.8g/cm³』『主成分:植物繊維、ミネラル、微生物の死骸』『製造年月:約三ヶ月前』『製造者:オス、成体、推定年齢七歳』」
「…………」
「聖遺物が、自分自身の情報を、語っている」
キウィは、言葉を失った。
「……レオ。それ、本当に聞こえてるの?」
「聞こえる。明確に」
「幻聴じゃなくて?」
「幻聴ではない。聖遺物が、俺に情報を伝えている」
レオは、別の聖遺物を取り出した。
「『モース硬度4.5』『密度1.7g/cm³』『製造年月:約二ヶ月前』『製造者:メス、成体、推定年齢四歳』……違う個体の情報だ」
「…………」
「この能力は、使える」
「使える?」
「ああ。聖遺物の品質を、正確に判別できる。投擲に適した硬度のものを選別できる。保存状態の良し悪しがわかる」
レオの目が、輝いていた。
「これは……聖遺物鑑定能力だ」
◇
ゼノンが、近づいてきた。
「……今の話、聞いていた」
「はい」
「お前は、聖遺物の情報を読み取れるようになったと」
「そうです」
「それは、バグだ」
「バグ?」
「この世界のルールにはない能力だ。私は八百年この大陸にいるが、ウォンバットの糞の情報を読み取れる生物は見たことがない」
「つまり、俺は特別な能力を得たと」
「特別というか、異常だ」
「異常ではありません。進化です」
「進化ではない。変異だ」
「変異でもいいです。結果として、聖遺物をより深く理解できるようになりました」
ゼノンは、ため息をついた。
「……お前の前向きさには、呆れを通り越して感心する」
「ありがとうございます」
「褒めていない」
フェリクスが、分析結果を報告した。
「魔王様。レオさんの能力について、仮説があります」
「言え」
「聖遺物——ウォンバットの糞に含まれる成分が、レオさんの皮膚を通じて体内に吸収され、魔力回路を変質させた。その結果、聖遺物と『共鳴』できるようになった」
「共鳴?」
「はい。ミラーニューロンの強制活性化に似た現象です。クオッカの笑顔が感染するのと同じメカニズムで、聖遺物の『情報』がレオさんに流れ込んでいる」
「……つまり、お前はウォンバットの糞と共鳴しているのか」
ゼノンは、レオを見た。
「誇らしいか」
「誇らしいです」
「…………」
「ゴート様と、より深く繋がれた気がします」
「繋がりの媒介が糞だということについては」
「問題ありません。聖遺物です」
「もういい」
◇
夕方、野営地で。
レオは、全ての聖遺物を並べていた。
百九十八個。
一つ一つに触れ、情報を読み取っていた。
「『硬度4.1、密度1.9、三ヶ月前、オス』……これは投擲用」
右に置いた。
「『硬度3.8、密度1.6、五ヶ月前、メス』……これは保存用」
左に置いた。
「『硬度4.7、密度2.0、一ヶ月前、オス』……これは最高品質。切り札として保管」
特別な袋に入れた。
「……何してるの」
キウィが聞いた。
「聖遺物の分類だ。投擲用、保存用、切り札用に分けている」
「今まで、そんなことしてなかったよね」
「今までは、品質の違いがわからなかった。今はわかる。だから、分類できる」
「…………」
「この能力は、本当に役に立つ」
レオは、ピンク色の手で、聖遺物を一つ一つ分類していった。
傍目には、完全に狂人だった。
ピンク肌の男が、糞を並べて、糞に話しかけ、糞を分類している。
だが、レオは幸せそうだった。
「百九十八個中、投擲用が百二十三個、保存用が六十七個、切り札用が八個。切り札用は全て硬度4.5以上、密度1.9以上の最高品質」
「詳しいね」
「聖遺物が教えてくれた」
「…………」
キウィは、何も言わなかった。
レオが幸せなら、それでいい。
狂っていても、幸せなら、それでいい。
たぶん。
◇
夜、レオは眠る前に、ゴートの横に座った。
「……ゴート様」
「ぬ」
「俺、ピンクになりました」
「ぬ」
「ゴート様と同じ色です」
「ぬ」
「嬉しいです」
「ぬ」
「そして、聖遺物と話せるようになりました」
「ぬ」
「これは、ゴート様のおかげです」
「ぬ」
ゴートは、いつもと変わらなかった。
半開きの目。虚無の表情。
だが、レオには感じられた。
ゴートの「ぬ」の中に、肯定があることを。
「……ゴート様。俺は、これからも聖遺物を集めます」
「ぬ」
「そして、投げます。必要な時に」
「ぬ」
「ゴート様を守るために」
「ぬ」
レオは、ゴートの横で眠りについた。
ピンク色の肌で。
百九十八個の聖遺物と共に。
◇
遠くの丘の上で、カインが見ていた。
「……あいつ、肌がピンクになってる」
機械化ハシビロコウが、首を傾げた。
「完全にピンクだ。人間の色じゃない」
カインは、眉をひそめた。
「何が起きてるんだ。あいつに」
答えは、なかった。
だが、カインには感じられた。
かつての上官が、何かに変わりつつあることを。
人間から、別の何かに。
「……報告しないとな。魔王様に」
カインは、闇の中に消えていった。
第18話「変異――あるいは、ピンクの肌への覚醒について」
――終――
【次回予告】
「……道を、塞がれている」
「何に?」
「あれは……アナグマ?」
「ラーテルだね。ミツアナグマ。世界一恐れを知らない動物」
「世界一恐れを知らない?」
「ライオンにも、ヒョウにも、コブラにも、臆さず立ち向かう。気性が荒くて、一度怒ると止まらない」
「……どうする」
「交渉するしかない」
「交渉? 何を差し出す」
「聖遺物」
「…………え?」
次回、『絶望の暗黒大陸で、俺だけがカピバラ(時速50km)に乗っている』
第19話「狂乱――あるいは、世界一恐れを知らない者たちとの交渉について」
お楽しみに。




