表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/37

第16話「投擲――あるいは、聖遺物という名の運動エネルギーについて」

 三日が経った。


 一行は北へ進み続けていた。


 黒い平原を抜け、荒野を越え、岩場を登り、また荒野を歩いた。


 カインは姿を見せなかった。


 だが、レオには感じられた。


 視線。


 丘の影から。岩の陰から。地平線の向こうから。


 誰かが、ずっと見ている。


「……また見られてる」


「うん」


 キウィが、低い声で答えた。


「カインだね。ずっとついてきてる」


「なぜ襲ってこない」


「わからない。でも、何かを待ってるんだと思う」


「何を」


「……たぶん、ゴートが動くのを」


 レオは、ゴートを見た。


 ゴートは、いつもと変わらず歩いていた。


 半開きの目。虚無の表情。時速三キロの巡航速度。


 子カピバラたちが、その後を追っている。


 ナマケモノが、ゴートの背中に乗っている。


 クオッカが、子カピバラの群れの中に紛れている。


 平和な光景だった。


 だが、その平和の外側に、影が張り付いていた。



   ◇



 四日目の夕方。


 一行が岩陰で休憩を取っていた時、それは起きた。


 カインが、姿を現した。


 正面から。


 堂々と。


 機械化ハシビロコウを連れて。


「よう、団長」


 カインの声は、軽かった。


 三日前の警告の時とは、違う調子。


 嘲笑が、混じっていた。


「……また来たか」


 レオは、聖剣の柄に手をかけた。


「言っただろう。次に会う時は『処理』すると」


「ああ、言った。でも、その前に一つ聞きたいことがあってな」


 カインは、レオの背負い袋を見た。


「それ、まだ持ち歩いてるのか」


「…………」


「ウォンバットの糞。あんたが『聖遺物』と呼んでる、あれ」


 レオの手が、背負い袋を掴んだ。


「聖遺物だ」


「糞だろ」


「聖遺物だと言っている」


「団長。俺は、あんたの部下だった」


 カインの声が、少しだけ真剣になった。


「三年間、一緒に戦った。あんたの剣技を見てきた。あんたの指揮を見てきた。あんたは、本物の騎士だった」


「…………」


「それが今、何をしてる? 動物の糞を集めて、洗って、並べて、『聖遺物』と呼んでる。正気か?」


「正気だ」


「正気じゃねえよ」


 カインが、一歩近づいた。


「あんたは壊れてる。記憶を失って、目的を失って、自分を保つために糞にすがってる。それを『聖遺物』と呼ぶことで、自分を騙してる」


「黙れ」


「黙らねえよ。俺は、あんたに本当のことを言う義務がある。部下として」


「お前は、もう俺の部下じゃない」


「ああ、そうだな。今は別の主に仕えてる。でも、だからこそ言える」


 カインが、レオの目を見た。


「団長。その袋の中身は、ただの汚物だ」


「…………」


「聖なんかじゃない。遺物でもない。ウォンバットの、糞だ。あんたが何と呼ぼうと、それは変わらない。糞は糞だ。いくら洗っても、いくら並べても、いくら名前をつけても——」


「黙れと言っている」


 レオの声が、低くなった。


「——それは、ただの、汚物だ」


 カインが、笑った。


 嘲笑。


 純粋な、嘲笑。


「団長。いい加減、目を覚ませ。あんたが大事にしてるのは、動物の排泄物だ。それを抱えて旅をして、それを守るために命を賭けて——馬鹿じゃねえのか?」


 レオの中で、何かが切れた。



   ◇



 レオは、背負い袋に手を入れた。


 聖遺物を、一つ掴んだ。


 ウォンバットの糞。


 キューブ状。硬い。角が立っている。


 レオが丁寧に洗浄し、乾燥させ、保存してきた、聖なる遺物。


 それを、握りしめた。


「……団長?」


 カインが、怪訝な顔をした。


「何を——」


 レオの腕が、振りかぶった。


 そして、投げた。


 全力で。


 聖遺物が、カインの顔面に向かって飛んだ。


 キューブ状の物体。角が立っている。硬い。


 投擲武器として見れば、それなりに有効な形状だった。


 カインは、反射的に顔を庇った。


 聖遺物が、カインの腕に当たった。


 鈍い音がした。


「っ——!」


 カインが、よろめいた。


 思った以上に、衝撃があった。


「……何しやがる」


「汚物だと言ったな」


 レオは、二個目の聖遺物を掴んだ。


「汚物だと。糞だと。馬鹿だと」


「団長、待て——」


 二個目が、飛んだ。


 カインが避けた。


 聖遺物は、カインの横を通り過ぎ、後ろの岩に当たって砕けた。


「聞けよ、話を——」


 三個目。


「待て——」


 四個目。


「落ち着け——」


 五個目。


 レオは、聖遺物を投げ続けた。


 一個、また一個。


 カインに向かって。


「これが汚物か!」


 投げた。


「これが糞か!」


 投げた。


「これが馬鹿のすることか!」


 投げた。


「俺の聖遺物を——俺の宝を——俺の心の支えを——汚物と呼ぶな!!」


 レオの目に、涙が浮かんでいた。


 怒りの涙。


 悔しさの涙。


 そして、何かを守ろうとする、必死さの涙。


 カインは、聖遺物の雨を避けながら、後退していた。


 機械化ハシビロコウが、カインを庇うように前に出た。


 聖遺物が、ハシビロコウの金属フレームに当たって弾かれた。


 だが、レオは投げるのをやめなかった。


「六個! 七個! 八個! 九個! 十個!」


 カウントしながら投げた。


「これが俺の武器だ! これが俺の誇りだ! これが——」


 十一個目を投げようとした時、レオの手が空を掴んだ。


 袋が、空になっていた。


「…………」


 レオは、空の袋を見下ろした。


 聖遺物が、全部なくなっていた。


 十個全部、カインに向かって投げてしまった。


「…………あ」


 我に返った。


 足元を見た。


 聖遺物が、散乱していた。


 砕けたもの。転がっているもの。岩に当たって欠けたもの。


 レオが丁寧に収集し、洗浄し、分類し、保管してきた聖遺物が、無残な姿で散らばっていた。


「…………」


 レオの顔から、血の気が引いた。


「……俺の、聖遺物……」



   ◇



 カインは、岩陰に隠れていた。


 聖遺物の雨が止んだことを確認して、顔を出した。


「……終わったか」


「…………」


 レオは、膝をついていた。


 散らばった聖遺物を、一つ一つ拾い集めていた。


「ああ……砕けてる……これは欠けてる……こっちは傷が……」


 涙声だった。


「何で投げたんだ俺は……何で……」


 ゼノンが、呆れた顔で見ていた。


「……お前は、自分で自分の聖遺物を破壊したぞ」


「わかってます……わかってますけど……止まらなかったんです……」


「止まらなかった?」


「カインが……汚物って……言うから……」


「だから投げたのか」


「だから投げました……」


「…………」


 ゼノンは、額に手を当てた。


「……お前の行動原理は、私には理解できん」


 フェリクスが、聖遺物を一つ拾い上げた。


「……これ、意外と硬いですね」


「モース硬度四から五だ。石英より柔らかいが、蛍石より硬い」


「投擲武器としては、それなりに有効な硬度ですね」


「投擲武器じゃない。聖遺物だ」


「でも、今投げましたよね」


「投げた……投げてしまった……」


 レオは、崩れ落ちた。


 カインが、岩陰から出てきた。


 警戒しながら。


「……団長。一つ聞いていいか」


「…………」


「今の、本気だったのか」


「本気だった」


「俺を、糞で攻撃しようとしたのか」


「聖遺物だ」


「いや、糞だろ」


「聖遺物だと言っている!!」


 レオが叫んだ。


 カインは、一歩後退した。


「……わかった、わかった。聖遺物だ。聖遺物でいい」


「よくない! お前が汚物と言ったから、俺は全部投げてしまった! 責任を取れ!」


「責任?」


「新しい聖遺物を調達する手伝いをしろ!」


「嫌だよ」


「副官だろう!」


「元副官だ。今は別の主に仕えてる」


「知るか! お前のせいで俺の聖遺物が! 十個が! 全部が!」


 レオは、地面を叩いた。


 子供のように。


 キウィが、レオの肩に降りた。


「……落ち着いて、レオ」


「落ち着けるか! 俺の聖遺物が……俺の宝が……」


「拾えば、また使えるよ。砕けたのは三個だけ。残りの七個は無事」


「……本当か」


「本当。ほら、これとこれとこれ。ちょっと傷がついてるけど、形は保ってる」


 レオは、キウィが示す聖遺物を見た。


 確かに、七個は原形を留めていた。


「……七個……」


「うん。七個は助かった」


「……七個……」


 レオの目に、光が戻った。


「七個あれば……まだ……」


「まだ大丈夫。ゼロじゃない」


「ゼロじゃない……」


 レオは、聖遺物を抱きしめた。


 七個の、生き残った聖遺物を。


 泣きながら。



   ◇



 カインは、その光景を見ていた。


 元上官が、動物の糞を抱きしめて泣いている光景を。


「…………」


 言葉が、出なかった。


「……団長」


「なんだ」


「俺は、今日のところは引く」


「逃げるのか」


「逃げるんじゃない。……なんか、攻撃する気が失せた」


「失せた?」


「ああ」


 カインは、頭を掻いた。


「俺は、あんたを『処理』しに来た。俺の魔王様の命令で。でも、今のあんたを見てたら……なんか……」


「なんだ」


「……可哀想になってきた」


「…………」


「だから、今日は帰る。また来る」


 カインは、背を向けた。


 機械化ハシビロコウが、カインの後に続いた。


「待て、カイン」


「何だ」


「お前、次に来る時は……」


「ああ」


「聖遺物を、汚物と呼ぶな」


「…………」


「呼んだら、また投げる」


 カインは、振り返らなかった。


 だが、声だけが返ってきた。


「……わかった。聖遺物と呼ぶ」


 そして、霧の中に消えていった。



   ◇



 カインが去った後、レオは聖遺物を数え直していた。


「一、二、三、四、五、六、七……七個だ」


「うん。七個」


「三個失った……」


「でも、七個残った」


「七個……」


 レオは、聖遺物を袋に戻した。


 大切に。


 丁寧に。


「……キウィ」


「なに」


「俺は、間違っていたのか」


「何が」


「聖遺物を、投げたこと」


 キウィは、少し考えた。


「……間違ってない、と思う」


「本当か」


「うん。レオは、自分の大切なものを守ろうとした。それは、間違ってない」


「でも、投げた結果、三個壊れた」


「壊れた。でも、カインは引いた」


「引いた……」


「投げたから、カインは引いたんだよ。レオの怒りが、本気だってわかったから」


「…………」


「だから、間違ってない」


 レオは、空を見上げた。


 夕焼けが、荒野を赤く染めていた。


「……キウィ」


「なに」


「聖遺物を、補充しないと」


「うん」


「七個じゃ、足りない」


「うん」


「もっと集めないと」


「……どこで?」


「わからない。でも、探す」


 レオの目に、決意が宿っていた。


「聖遺物を。もっと。たくさん」


 ゼノンが、ため息をついた。


「……また糞集めか」


「聖遺物集めです」


「同じことだ」


「同じじゃありません。聖遺物です。俺の宝です。俺の武器です」


「武器……」


 ゼノンは、レオを見た。


「お前、さっき投げていた時、なかなかの速度が出ていたぞ」


「速度?」


「カインが避けるのに苦労していた。あの投擲精度は、素人のものではない」


「俺は騎士団長だった。投擲訓練も受けている」


「つまり、お前は聖遺物を武器として使えるということだ」


「武器として……」


 レオは、袋の中の聖遺物を見た。


 七個の、キューブ状の物体。


 硬い。角がある。投げやすい形状。


「……聖遺物は、投擲武器になる」


「そうだ」


「俺の聖遺物は、攻撃手段になる」


「そうだ」


「つまり……」


 レオの目が、輝いた。


「……聖遺物は、聖なる遺物であると同時に、聖なる武器でもある」


「そこまでは言っていない」


「聖なる投擲武器。ホーリー・プロジェクタイル」


「待て」


「聖遺物投擲術。セイクリッド・スロー」


「待て」


「これは……新しい戦術の誕生だ……」


「待て。私はそこまで言っていない」


 レオは、聖遺物を一つ取り出した。


 構えた。


 投擲のフォームで。


「……よし。投げる練習をしよう」


「するな」


「なぜ」


「残り七個しかないのに、練習で使ってどうする」


「…………」


 レオの手が、止まった。


「そうだ……残り七個……」


「そうだ」


「練習できない……」


「そうだ」


「補充しないと……」


「そうだ」


 レオは、聖遺物を袋に戻した。


「……聖遺物を、探しに行かないと」


「好きにしろ」


「ゴート様。北に、ウォンバットはいますか」


「ぬ」


「いるんですね」


「ぬ」


「行きましょう。聖遺物の補充に」


 レオは、立ち上がった。


 北を向いた。


 聖遺物を求めて。


 新たな旅が、始まろうとしていた。



第16話「投擲――あるいは、聖遺物という名の運動エネルギーについて」


――終――



【次回予告】


「……何だ、ここは」


「市場だね。闇市」


「闘市? 闇の市?」


「魔族や魔物が、非合法な品物を取引する場所。ここなら、何でも手に入る」


「何でも?」


「うん。何でも」


「……聖遺物も?」


「…………」


「キウィ?」


「……あるよ。あそこの店。見て」


「『ウォンバットの糞 高価買取・販売』……?」


「…………」


「聖遺物の、再販市場……だと……?」


次回、『絶望の暗黒大陸で、俺だけがカピバラ(時速50km)に乗っている』


第17話「市場――あるいは、糞の価値が暴騰する日について」


お楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ