久しいな。わしに触れる者など
声が、高い天井にわんわんと響いた。
隣で、リオネル殿下が目をまるくしていた。
……いけない。
「こ、こほん。失礼いたしました。あまりに、見事な眺めでしたので」
「いや」
殿下は口もとを手で隠した。その手の向こうで笑いをこらえているのが、よく分かった。
「どうぞ、続けて」
「つ、続けません」
続けなかった。……はじめの、ほんの少しのあいだは。
気がついたときには、わたしは寄木の戸棚の前にしゃがみこんでいた。扉が一枚、ちょうつがいから外れているだけだ。寄木の模様は驚くほど手が込んでいて、色の違う木を何種類も使い分けているのに、継ぎ目がどこにあるのか、目を近づけても分からない。いまどきの職人には、そうそう組めない細工である。
隣のろうそく立てを起こす。ずしりと手首にきた。真っ黒だけれど、これはただの曇りだ。灰と布で気長に磨いてやれば、銀の白さがかならず戻ってくる。
椅子は脚が一本ぐらついているだけ。背もたれの彫りは、ぶどうのつる。座面の布は擦り切れているけれど、張り替えればいい。
直せる。直せる。これも、直せる。
「ふふ……お宝ちゃん、こんにちは。でてらっしゃい、いらっしゃい……」
「それは、歌かい」
真うしろから、声がした。
振り向くと、リオネル殿下がわたしの肩ごしに戸棚をのぞきこんでいた。近い。すぐ耳もとである。
「う、歌ではございません! 口が、勝手に」
「続きを聞きたいな」
「……続きは、ありません」
顔から火が出そうだった。
ごまかすように立ち上がって、棚のあいだの通路へずんずん入っていく。器の棚。布の棚。小さな箱や金具の並んだ棚。どの段にも、白いほこりの下で何かが眠っている。
ふと顔を上げると、いちばん上の段に、ぽつんと何かが載っていた。
……鳥?
背伸びをした。届かない。つま先で立って指を伸ばしても、まだ届かない。
うしろから、長い腕が伸びてきた。
リオネル殿下が、わたしの頭の上からひょいとそれを取った。背中のすぐうしろに、殿下の胸があった。触れるか触れないかのところに。
「これかい」
「……は、はい」
心臓がばくばくしていた。手渡されたものを、ろくに見もしないで受け取ってしまったくらいに。
木彫りの、フクロウだった。
両手にすっぽりおさまるくらいの大きさ。太い羽角に、まるまるとした胴。ずんぐりとして、なんだかちょっと不機嫌そうである。
彫りは、お世辞にも上手とは言えなかった。羽の線はたどたどしくて、まっすぐ入っていない。目のまわりは左右で大きさが違う。職人の手ではないのだろう。
けれど、頭のまるいところだけが、あめ色につやつやと光っていた。
なでられた跡だ。
誰かが通りすがりに、ひょいと手を伸ばす。いってきます、とか、ただいま、とか言いながら、その頭をなでていく。それを気の遠くなるほど長く繰り返して、木はこんなふうに光るようになる。
上手に彫られたのではない。長く、可愛がられたのだ。
「……こんなに大事にされていたのに、どうして、こんなところにいるの」
袖の先でほこりを拭って、その頭をそっとなでてやった。
「——ほう。久しいな。わしに触れる者など」
低くてしわがれていて、それなのに、やけによく通る声だった。
わたしは、手のなかの木彫りを見た。
それから、リオネル殿下を見た。殿下は棚のほこりを指でなぞって、しげしげと眺めている。今の声が聞こえた様子は、まるでない。
……疲れているのね、わたし。
そうでしょうとも。婚約を破棄されて、陛下に呼ばれて、そのうえ——
「疲れておるのか、お前さんは」
手のなかで、木彫りの輪郭が、ぼう、と、灯りとは違う色ににじんだ。
次の瞬間、それはわたしの手から消えていた。かわりに、目の前の棚の段に、膝の高さほどもあるどっしりとしたフクロウが、羽をたたんで鎮座していた。こちらを見下ろす、まんまるの金色の目。
「…………」
「…………」
「——ぎゃあああっ!」
仰け反った。仰け反った先に殿下がいて、背中からまともにぶつかった。
「おっと」
殿下の腕が、わたしの肩を受け止めた。
「どうしたんだい」
「ふ、フクロウが! 大きくなって! しゃべって!」
殿下は、わたしの指さしたほうを見た。殿下の目には、棚の段に手のひらほどの木彫りがころんと転がっているだけらしかった。
「わしだ」
フクロウが言った。殿下は何も聞こえなかった顔で、首をかしげている。やっぱり、聞こえていないのだ。
「しゃ、しゃべった……木が……」
「木ではない」
「では、なんなのですか!」
「神だ」
「…………はい?」
——モノにも神様がいらっしゃるんよ。
昨夜、頭の奥ではじけた、祖母の声。
……本当だったのね、おばあちゃん。
へなへなとその場に座りこみそうになったのを、殿下の腕が支えてくれていた。
「ヴィオレッタ嬢」
殿下がわたしの顔をのぞきこんだ。からかう顔ではなかった。
「そこに、何かいるんだね」
「……信じて、くださるのですか」
「あなたが、そんな顔でうそをつくとは思えないからね」
殿下は棚の上の木彫りに向かって、軽く会釈した。
「はじめまして。第二王子の、リオネルです」
フクロウが、金色の目をゆっくりとしばたたいた。
「……小僧か」
「なんと、言っていた?」
「……小僧、と」
殿下は、声を立てて笑った。
「手厳しい神様だ」
フクロウはふいと殿下から目をそらして、わたしのほうへ向きなおった。
「お前さん、わしの姿が見えておるな」
「見えますけれど……」
「そうか」
フクロウはしばらく黙っていた。それから、ふう、とそれはもう長い息をついた。
「……人と口をきくのは、いつ以来か」
さらりと言われた。わたしは殿下の腕から離れて、まんまるの顔と目の高さが合うように腰をかがめた。
「長いこと、お一人でしたのね」
返事はなかった。かわりに、金色の目が少しだけ細くなった。
「お名前を、うかがってもよろしいですか」
「……まだ足りん」
「足りない、とは。何が、でございましょう」
フクロウは、ふい、と顔をそむけてしまった。
「……では、フクロウさま、とお呼びしますね」
「好きにせい」
その、とたんだった。
しん、としていた倉庫が——ざわ、と揺れた。
風ではなかった。棚のどれかが倒れたのでもない。それでも、はっきり分かった。あっちの戸棚も、こっちのろうそく立ても、奥の暗がりにしまわれた何かも、いっせいにこちらを向いたのが。
「……目を覚ましかけておるな。お前さんの声で」
フクロウさまが、ぽつりと言った。
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