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蝸牛殺し  作者: くらげとパンダ


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二人の男は河辺から身を離して、通りの端の喫茶店に入っていった。

後ろ手に流れる汽水域の河川の下流は細くたなびく裾野を広げ、水蛇の尾とも口ともつかぬ行く先を撫でつけるように豊饒の海へと繋げている。

赤色灯の警戒音も、蛆のごとくに集る群衆のざわめきも、或るいは河の流れも都子の腐臭も、何もかもは彼らが抱え込んだ殻の周縁をぐるりぐるりと惑っては散っていく。

二匹の蝸牛はうようよと触角を伸ばして、悶え彷徨う道行の果てにとうとう互いの姿を探り当てると、その鑢目にも似た歯舌を機敏に動かして、互いの渦の中心に頭を伸ばして組んず解れつ絡まり合っている。

互いが互いを求める最中、ふとどちらかの蝸牛の殻が、割れた。



イヤイヤ、まあ一寸待ってくれ給えよ。

どうも君の自己補完された脳ミソでは把握と現実とに些か以上の乖離が見られるようだからね。

確かに包み隠さず述べるなら、あの日僕は都子さんをホテルに誘ったとも。

しかしそれは単に、君の尾行を巻かねばならぬという義憤に駆られて、では何処であれば都子さんのプライヴァシーを護れるだろうかなどと僕なりにウンウン熟慮を重ねてだね、ではいっそラブホテル等に逃げ込めば、正当な用件のない君は天地が返ろうとも追ってはこれまいと、まあそう発想した次第でね?




否否否、断じて否。

そもお前の騙る詭弁など一切合切その総て、筋道の通らぬ無価値の袋小路に何れも行き着く空疎の迷宮であること自明の妄言に他ならず、はなから取り合うに値しないと直感する次第である。

第一あの日私は、如何様にも疑う余地なく都子女史その人の口からお前が彼女を襲い穢したのだと言質を確かに取っているのであって、ともすればお前の言い分こそ取りも直さず歪に補完された海馬の、一種尋常ならざる自己本位の欺瞞を振り翳しての、厚顔無恥を地で行く把握と現実との乖離そのものでしかないのである。

だと言うのに口を開けば何をいけしゃあしゃあと、自己の無謬を偽造してまでその厭ったらしい惨め極まる陰鬱の変態性に上流振って蓋などして、而して私はお前の本性を知っているぞ。

お前は都子女史に欲情し、彼女を強姦して、死に至らしめた犬畜生にも劣る下種であってまた其實、彼女の柔肌を這いずって浅ましいリビドーの粘液を撒き散らした下賤の蛞蝓に過ぎない。

お前が彼女の聖性を剥奪した。

お前は彼女の心を殺し、彼女の存在を殺し、彼女の命を殺したのだ。

これだけが唯一信頼に足る確かな事実であってお前が生涯をかけて贖うとも取り返せぬ冷たい墓石の下の死骸の真相である。




云わせておけば好き放題に語り散らすじゃないか、ええ?

マッタク、何もかも全て一言一句に至るまで君の誇大妄想は皆目見当違いも甚だしいよ。

何を云い出すかと思えば、君が匂い立つほどに放言する聖性とやら、都子さんを何か聖処女か何か観念の超俗のように持て囃して、トンデモナイことだ。

理解できているかね?

その粘りつくような執着こそが彼女を死へと至らしめたのだよ。

では成る程、君の奇想に付き合って敢えてこう仮定しよう。

都子女史はラブホテルへ行くことを嫌がり、且つ僕の足取りにはある種浮足立った強引さがあったとして、だ。

また仮に、彼女の躰を暴こうとする僕の二の腕に青筋が立つほどに力んで押さえつけていたとして、だ。

しかし、これは仮定の話だが、彼女は僕にこう言い放ったのだ。

「あーあ、君って結局こうなんだね。浅ましい人。さぁ、すれば?」

などと、その軽蔑の念が滲み出すような鋭い視線。

途端に僕はまるで穢らわしい野卑の獣であるかのような、そんな頭を擡げる羞恥。

俗悪。

僕はただ、彼女に惚れてしまっただけだったのに、なんだよ。おかしいだろ。

僕をそんな目で見るなよ。

だって、イヤイヤ、そんな。

ともすれば、僕はこの人生の如何なる瞬間よりも手早く服を着直して、財布の中身もその場にぶち撒け、逃げ出すように部屋を後にした、かも知れない。

そうして逃げ出す姿を君は見たのかも知れないし、となればそもそも君は聖処女であってこの世の縁とまで公言して憚らない彼女が、疑いようもなく瀆された瞬間を目撃した、と感じたワケだろう?これまでの口ぶりからして。

ナァ、そのままカッとなって、君が彼女を河に突き落としたんではないのかね?

薄ら寒い付き纏いの相貌無しののっぺらぼうの、そのカマトトぶって心の中じゃあ、君は彼女を永遠の標本にしたかったんじゃないのかね?

んん?どうなのかね?




違う。違う。違う。

私は彼女の心の在りように、その生き様に見惚れていただけだった。

一度たりとて彼女を我が手に抱こうなどと妄想したことすらないと即座に誓って見せられるほどだ。

だと言うのに、ああ、お前のような卑近の蟲が、私の心の褥に土足でズカズカと上がり込んで。

お前のその、好色めいた獣の目が全てを雄弁に語っておるのだ。

お前は彼女の躰を暴いて、そうして果てには涙ぐむ彼女の残骸と交尾をしたに他ならぬのだ。

そうして心の器に罅が入って、彼女は世を儚んでしまったのだ。

お前が殺した。お前が殺した。お前が殺した。

お前が都子女史を殺したんだ。




イヤイヤイヤイヤ、何をひとり上手にエキサイトして、髪を振り乱して抗弁などしてみせるのだね?

あー、失敬。

イヤ、一人遊びが得意なのは孤独を拗らせて自家中毒症に陥る君のような人間の十八番だったかな?

君の発言は支離滅裂で、マッタク自涜行為も極まれり、その軽挙妄動の滑稽であることには郷士アロンソ・キハーノも苦笑いだよ。

宜しい。

君が彼女を欲望しないと云うなら、僕が今この場で彼女の躰を事細かに、さながら項をなぞり上げるが如くに解体してみせたところで、嫉む想いなど僅かばかりも沸き立たないとでも云うつもりかね?

僕の方こそ、君のことは唾棄する程に軽蔑しているのだよ。

いつもいつもいつも、思い返せばどの瞬間にも、視界の端でジロジロジロジロ、僕の都子さんを賢しらに観察していたよなぁ?

俺だって、あの日とうとうその身を交わらせぬままに、都子さんは死んでしまったというのに。

どんな思いで僕が今君の前に座っているか、きっと分かるまい。分かられてたまるものか。

あー、そうだとも。

例えば彼女の乳房の先、その柔らかく薄桃色の……




語るな!騙るな!!

下種が!

お前如きが神聖な都子女史の知の回廊に不可逆の傷をつけて良いとでも、そうただの一度でもどうして浅慮し得たのか、その脳髄を取り出して具に暴き立ててやりたいほどだ!

而してやはりお前は馬脚を顕した!

お前は彼女を姦淫したのだ!

そうして思い詰めた彼女は自室の欄干からでも、ひと思いに身を投げ出して……




何を云い出すかと思えば、声を荒げてどうしたというのかな?

君如きの凝り固まった頭では、あの日の僕の苦しみなど理解も及ぶまい。

ん?どうなんだ?

この僕は、これだけ長らく我慢して、都子さんに顎で使われて、挙句たった一度の過ちにすら手をかけることも赦されないで、その自己嫌悪に身悶えした翌日の朝、彼女は死んだ!

君には分かるまいよ!

付き纏いの、薄気味悪い、インポテンツのひょろなが男!

お前にセックスを持ち掛けて、それをけんもほろろに断られたんで、都子さんはプライドが傷ついて、それで死んだんじゃなかろうかね!?

或るいはもっと直截に、逆上した君が家までそっと付け回して、帰路の通りの河原道で、都子さんを後ろから突き落としたんじゃなかろうかね!?

んん?抗弁してみろよ!

愚図が!君如きのために青春など皆投げ出して偽の彼氏まで演じさせられて、それもこれもどれも、碓久辺都子の死の真相も、全部全部君のせいだ!君の!




黙れ、黙れ!

どの口が言うんだ!

強姦魔の下種の、厭ったらしい薄笑いの便所蟋蟀の分際で、お前如きが都子女史の死の真相など、考えるだに烏滸がましいことと、いっそ今舌を噛み切って死んで見せたらどうなんだ!?




君が死ね!君が!

都子さんの裸も見れなかったくせに、君こそ彼女の何が分かるって云うんだね!?

柔肌をはだけて、軽蔑の微笑を浮かべて、あれこそ魔性の美、ファム・ファタルというものだと…あー、イヤイヤ!

君には分からんよなぁ!?くそインポテンツが!

その惨めさを抱えて死んじまえばいいんだ君なんか!




私は、彼女をそんな目で見たことなどないと何度言えば分かる!?

お前、何なら今この場で私直々に神罰を与えてやろうか!?

盛った性依存症の犬畜生が!




引導を渡してやるのは僕の方だぞ!?

ぶっ殺してやる!

君のせいで僕は!




なんだと!?



やるか!?このッ!


死に晒せーッ!


やァーッ!


待っ…!


ガツッ!!


ぐぶっ……うぐく…。


あ、いや…こんな…違…クソッ!



突き飛ばされたものは後頭部から血を流して、床に溢れた飲み物の入り混じったビロードを描き出している。

刹那、どよめき立つ人の群れを掻き分けて、どちらかの男が足早にその場から逃げ去った。

残されたものはつい先刻まで確かに人であったのに、今この瞬間は男でも人でもない。

蝸牛だ。

その喫茶店の窓から微かに覗く汽水域の河川の下流は、細くたなびく裾野を広げ、水蛇の尾とも口ともつかぬ行く先を撫でつけるように豊饒の海へと繋げている。

蝸牛が蝸牛を突き飛ばしたこと以外は、それは何も変わらぬ昼前のことであった。


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