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蝸牛殺し  作者: くらげとパンダ


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2/5

ツブリ→


二人の男は欄干へ身を凭れて、言葉も無く唖然とする他なかった。

その汽水域の河川の下流は細くたなびく裾野を広げ、水蛇の尾とも口ともつかぬ行く先を撫でつけるように豊饒の海へと繋げている。

その水のうねりに逆らうように、柔らかく水を左右に退けながら、なま白い肉塊は木立の折れ枝に支えられて、牛の脂身のようにぬらぬらと照り映え、揺蕩っていた。

遠くを見れば赤色灯を毳毳しく明滅させた鯱の群れが、白と黒との躰を捩らせて一つまた一つと車道を疾駆するのが彼らの目にも映り込んできていた。

今まさに司法によって暴かれんとする碓久辺都子の痴態を眼下に、二人の男はゴクリと緊張の生唾を飲み込んだ。



あー、イヤハヤ参ったね。

一寸そこ迄にして貰おうか。

と云うのも、どうも君の語りを聞いていると今にも日が暮れてしまうだろうからね。

サァ、どうだろう。

良ければここいらで一度、僕に手番を譲っては。

まあ、とは云ってもね。

僕の語りなどは君の粘り付くような長広舌と異なって、端的である以上に鋭利で簡便なものなのだよ。

君もこの話を聞けばすぐに、己の罪科に震えて悔恨の念に堪えないこと必定というワケだ。

サテ、何から語ったものか。

まず以て、僕が都子さんと出会ったのは当大学に入ってすぐの事だった。

尤も君も知っての通り、僕は他大学から院試を受けて転学してきたワケだから、直截にやり取りをしたのはここ一年半程の短い期間ということになるだろうけどね。

ん、イヤイヤ。

短いと云うのは客観事実であって、僕の主観事実に於いてはまったく以て実りの多い豊かな毎日であったワケだがね。

しかし主観をどうこう述べたところで話は先には進まないからね。

兎角、僕と都子さんとはそうして一つ同じ研究室の傘の下で、日夜熱心に研究に励むことと、めでたくも相成ったというワケだよ。

しかしどうも彼女の研究は珍妙である以上に一寸奇矯に過ぎたからね。

僕は正直、君と違って学者としての彼女についてはかほども評価しておらんのだよ。

だってそうだろう?

民俗学専攻なんてキテレツを究める学群に所属していれば誰しもが即座に理解することだけれども、要するに柳田國男の『蝸牛考』などと云うのは、マトモな神経があればすぐに時代が生み出した与太話に過ぎないと野猿でも悟り得る荒唐無稽な論旨だからね。

それを何をトチ狂ったか、バカの一つ覚えみたいに研究、研究、研究の毎日だと云うのだから、それは当然煮詰まりもするだろうよ。

正しく挫折は必然であって、云い換えればそれは皮肉にも最大多数の学生を絡め取りうる典型的な学術の檻であるワケだが、まあ彼女も引き際を見失ったのだろうね。

隅に追い詰められた鼠さながら、ああして意味も無く教授各位に噛み付くなどして、パトロンを失った博士課程の学生が、行き着くところまで行き着いたワケだ。

あー、イヤイヤ。

そう腹を立てずに聞いてくれ給えよ。

所詮、軽薄なニヤケ面の浅学な男の云うことに過ぎないワケだろう?君に云わせればね。

しかしまあ、死人に口なしとはいえ、やや口が過ぎたことはここに認めよう。

要は僕が主張していることは端的で、僕は君と違って都子さんを変に神聖視するような風変わりな奇癖は持ち合わせていないということを殊更強調しておいたというだけなのだからね。

そこは呑み込んで貰わなくては、話が先に進まないからね。

サテ、では僕にとって彼女は何者であったかと云えば、それはもう偏に知の外郭を纏った柔肌の少女だという、この一語に悉きるワケだよ。

ん、イヤハヤ。

受け入れ難いのもムリはない。

しかしまあ、君は幾度となく彼女の知性の並外れて鋭敏であることを強弁してみせるワケだが、僕に云わせればその粘るような視線こそ、彼女を死に至らしめた直截の凶器であって狂気であると、そう告発せざるを得んのだよ。

まあ順を追って説明してみようか。

ハテサテ、彼女が僕を頼ったのはほんの些細なボタンの掛け違いのようなものであって、まったく取るに足らないキッカケだったワケだけれどね。

如何せん、一二度話をしてすぐに、彼女とは映画の趣味がよく合うと直感したものだから、僕は彼女と白黒の銀板写真のような早回しの再上映を鑑賞すべく、何度となく誘いを持ち掛ける関係だったワケだよ。

そのようにして熱心にアプローチを掛けていたある日のこと、彼女がふと改まって、自身に付き纏う気味の悪い男がいると云う。

僕は泡を食ってね。

そんな不埒な輩なぞ叩きのめしてやると息巻いたワケだけれども、しかし彼女が事を荒立てたくないと云うので、ではどうするかと問うたところ、彼女は僕を偽の恋人にすると申し出てきたのだよ。

それはもう、僕は大変に腹が立ったんだけれどね。

あー、イヤイヤ。

だってそうだろう?

何処ぞとも知れない不埒な輩の為に、僕は僅かばかりの尊厳をかなぐり捨てて呪い避けの藁人形にならねばならぬと云うのだから、これはまったく鼻持ちならない図々しさだと、僕はヘソを曲げかけたワケだ。

だが、しかしまあね。

都子さんは眉目秀麗は無論のこと、その高飛車で破天荒な振る舞いで他を寄せ付けない舌禍をもっているだろう?

その彼女が、この僕に頭を下げて、胸の谷間をチラつかせて、上目遣いに瞳を潤ませて頼み事をすると云うのだから、そりゃあ男としては一寸悪い気はせんワケだよ。

僕はバカに浮足立って、二つ返事で了解したね。

ん、イヤイヤ。

勘違いしては困るよ。どうも君は好色でイケナイね。

彼女とは二人で酒もロクに飲んだこともなければ、所謂恋人らしい対等な交際などもしたことがない。

無論その先も、ね。

単に時偶会って、少し話して、あとは彼女が言う通りに僕は西へ東へ影武者のように伴って歩く指人形と云うワケだよ。

アリバイづくりの小道具であってボディーガード、それ以上でもそれ以下でもない。

そこは名誉のために強く主張させていただくとしようか。

ん、話が逸れたね。

サテ、どうもそれから話を聞くには、加えて彼女は遠く離れ故郷の両親から、さんざっぱらお見合いの打診を受けているとのことだそうだよ。

その両親の思い通りになるのがイヤでイヤでしょうがないので、とうとう此方で形ばかりでもフィアンセを作ってしまおうと、まあそんな打算も噛んでの判断なんだそうだ。

まあここ迄で、君もことのあらましは理解できたかね?

昨日の夕方のことだ。

僕はまたぞろ例によって遥々呼び出されて、今度はまた高飛車のお姫様は何を申し付けるのかなどと嫌気が差しつつ電車を降りたら、ふと都子さんが駅の長椅子に指を指して、あれが付き纏いの男だと云うのだよ。

そう。取りも直さず君のことだ。

サァ、君。

都子さんは世を儚んで死んでしまったよ。

全て君のせいであって君の責任だ。

抗弁のしようもあるまいに、どうするつもりだね?

墓前で泣いて赦しを乞うか、それとも自首でもしてみるかね?

サァ、サァ、サァどうする?

軽薄な男の前で君は糾弾されて、どうだ?

参ったか?ひれ伏したか?

洗いざらい白状するか?

君は罪人だ。裁かれぬ虜囚だ。

いっそ死んで詫びたらどうだ?

これこそが僕が都子さんに捧げる鎮魂歌だ。

君、なにか一言云って見給えよ。

薄気味悪い付き纏いの、夏の焼き残したのっぺらぼうが。


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