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江戸に立つ、龍の麺  作者: 八島唯
第六章 江戸湾炎上 

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フェドセーエフの思い出

 ......ピョートル大帝の以後、ロシア帝国は何人もの女帝を迎えた。その最後の女帝がエカチェリーナ二世陛下であった。

 フェドセーエフは異国人を前に滔々と語り始める。本来は記憶の底にでもしまっておきたかったことなのだろうが、関わりのない異国の相手であれば差し支えないと思ったのであろうか。

 ......エカチェリーナ二世陛下。出自はドイツ人にしてまったくツァーリ家の血を受け継いでいないにもかかわらず、最もロシアのツァーリにふさわしい人物であった。少年時代、初めて謁見した日のことを今でも覚えている。その神々しさ、多分死ぬ間際まで忘れることはないであろう......

 フェドセーエフ家はロシアの少貴族の出身だったらしい。そのような家柄のものが宮廷に取り上げられた、ということ自体が女帝の先進性を表現していた。

 ......啓蒙専制君主、一方で独裁的な女帝、いろいろな評価が当時からあったのは知っている。しかしいえることは、陛下は最も素晴らしい君主であったことだ。軍事では領土を広げ、無知蒙昧のロシアの地に啓蒙思想を引き入れられた。一見矛盾するような政策も陛下の存在はそれを融合するような凄さを持っていた。

 足を組み、パイプをふかしながらそう続ける。

 ......そして、ポチョムキン=タヴリーチェスキー公爵。わが元帥。彼の存在が陛下にさらなる栄光を付け加えた。当時二十代のわたしは、彼に従い一戦艦の船長としてクリミア戦役に赴いた。彼の威厳が、勝利をもたらしたと言っても過言ではない。その後、陛下が征服したクリミアに来られた時、ポチョムキン公と共に歩く姿――まさにロシア帝国の威勢を表現したものであった――

 しかし、フェドセーエフは続ける。

 ......程なくして、ポチョムキン公は病に倒れ陛下も同じく――跡を継いだのは、あのプロイセン好みのパーヴェルだ。あやつは陛下の残したものをすべて消し去ってしまった。私の地位も――

 どうやらフェドセーエフはエカチェリーナには厚遇されたものの、その反面パーヴェル一世には冷遇されたらしい。提督を名乗りながら、この辺境の地に甘んじているのもそのせいであろう。

 ......無能なパーヴェルはその能力にふさわしく、五年ほどで横死した。多分暗殺であろうな。あとは聡明でなる、陛下の孫アレクサンドル1世陛下があとを継いだが――私が顧みられることはなかった。以後ずっと私はこの流氷が浮かぶ海にぽつんと船を浮かべている。

 目を閉じ、背を椅子に預けるフェドセーエフ。

 ......目を閉じると思い出す。あの日の出来事を。今はただ早く陛下と公爵のもとに行くことだけが楽しみだ。長々しい話だったが、聞いていただいて恐縮だ。霧が晴れぬうちに帰るが良い。

 手でその意を表現するフェドセーエフ。言葉のわからない敬忠たちも、フェドセーエフの意図するところを察した。

「少しお待ちいただけますでしょうか」

 瞬がロシア語でそう述べる。

「これでお別れというのであればしょうがありません。ただ提督にはお話のお返しをしたく存じます」

 目を開け、瞬をじっと見つめるフェドセーエフ。

 瞬はただそんなフェドセーエフを見つめていた――

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