弾正と対馬守
勘定奉行水野対馬守清忠の屋敷は江戸城のすぐ東、大名小路の奥まったところにあった。旗本ととはいえ五千石を扶持される大身、大名並みの権勢を誇っていた。
その門に降り立つ敬忠。月代もきちんとして、裃も親藩年寄本役時代のきちんとしたものであった。
廊下を進む敬忠。広い庭は昔とさして変わらない。奥の間に通され、しばし主を待つ。正座して平伏しながらその時を待つ敬忠。
どのくらいたったであろうか。奥の襖より人が入ってくる気配がした。火鉢がパチパチと良い音を立てる。
「これは、柳橋弾正殿。久しいことだ」
てをすり合わせながら、そう挨拶をする人物。豪華な羽織を背にかけ、あぐらをかいて敬忠の目の前に座り込む人物――この屋敷の主にして時の勘定奉行、水野対馬守清忠その人であった。
年の頃は見た目、敬忠とはさほど異ならない。しかしその精悍な眼は太平の世の旗本には似つかわしくないものであった。
「このように寒いと――いかがかな、一献?」
酒を勧める対馬守。普段はあまり付き合わない敬忠が杯をおしいだいて、受ける。
「弾正殿におかれては、藩の年寄本役を引退されたのこと。そのような方が、はて私などに何の御用がお有りかな」
対馬守はもったいぶったように、そう盃を口に運びながらつぶやく。無言の敬忠。
少しの間の後、大きな声で対馬守は人払いを命じた。
部屋の隅に控えていた小者がそそくさと部屋を立ち去る。
「久しぶりだな、恭之信」
先程までのかたぐるしい口調とは異なり、酒混じりの息でそう呼びかける。
無言のままの敬忠。
恭之信、それは敬忠の仮名であった。
「対馬守様」
指を横にふる対馬守。
「つれないねぇ......二人っきりだ。名前を呼んでほしいね」
「......源次郎どの」
「おうよ」
返事をして勢いよく盃をあおる対馬守。
「ご無沙汰じゃねぇか。昔は毎日会ってたのになぁ」
無言の敬忠。若き頃を思い浮かべる。まだ十代半ばすぎ、元服したばかりで昌平黌に通って日々のことを。
昌平黌は幕府の直轄教育機関である。親藩の家老の跡取りである敬忠も入学を許され、学問に勤しんでいた。
そんな中、型破りな同級生だったのがこの水野対馬守でる。当時は原次郎と呼ばれていた。一言で言えば、昔風のばさら、旗本奴というところであろうか。はすに構え、年長の言うこともあまり聞かない。
放校の憂き目に合わなかったのはその有り余る文武の才と、一説には公方様直々のお目かけがあったとも、噂になっていた。
そんな対馬守と敬忠が出会ったのは、ある神社の境内であった。季節は今と同じ、初冬、まだ雪が降る少し手前だったことを記憶している。
それは今より十年ほど前に時間は遡る――




