ナポレオンと『極喰無尽』
ゆっくりと揺れる甲板。その板の床を確かめるように、一人の青年が歩みを進める。
長い黒い髪を後ろでとめ、その服装は明らかにヨーロッパ人のものであった。
甲板の上から見る陸地。大きな山が海から飛び出しているように見えた。それは富士山。この山だけは『令和』とは変わらないな、と彼は一言言葉を漏らす。
『何を見ておられるのか』
後ろから声がかかる。同じく、ヨーロッパ風の装い――それは軍服のようであった。
『何も。大したものではありません』
振り返る男性。顔立ちは明らかに日本人のそれである。しかし、言葉は明らかにフランス語のそれである。流暢で、まるで母国語のような響きすら感じられた。
『 ロプレザンタン・エミ、ナポレオン皇帝陛下は日本人としての君の活動に期待している。我が国はイギリスにインドの植民地戦争に敗北してから、アジアでの活動が極めて低調になっている。皇帝陛下はイギリスやロシア、さらにはオーストリアとの戦いも強いられることになるだろう。その際に、このアジアに植民地を持つことは、いろいろな意味で今後のフランス帝国にとってプラスになることなのだ』
『了解しております。キャピテンヌ・ムルソー。我が『極喰無尽』はこの『日本』を足場として、フランス帝国の栄光に浴さんと、着々と計画を進めているところです』
口にした煙管を加えなおしながら、ムルソーと呼ばれたフランス人は大きくうなずく。
『かの国には、なかなか強力な軍事国家があるらしいが、まだ復活して間もないフランス東インド会社の軍事力で何とかなるものか?』
『トクガワ・ショーグネイトーー幕府はもはや論ずるに足りません。旗本八千騎と申しますが、フランスのような常備軍はなく、また長き平安に慣れ切って、戦人としての心意気を軍人は失っております』
ふふん、とムルソーは鼻で笑う。
『先日、船を失ったそうじゃないか。それはあまりいいニュースではないな』
『あれは』
言葉を切ってエミ、すなわち『恵美押延』は続ける。
『ちょっとした事故です。まあ火遊びの結果といいましょうか』
『それならよいが、まあ大事にしてくれ。西インド周り――大西洋から太平洋を経由した運んだ武器や産品だ。輸送もそうそう楽じゃない』
『しばしお待ちいただければ、それらの武器などをこちらでいくらでも作れるようになります。その折には――幕府など――』
冷たい風が吹く。沖合から離れていることもあり、秋とはいやに寒く感じられた。
『船室へ――私が料理したものが用意されております。お国の料理の味をなつかしめるようにと、思いまして』
『おお!ロプレザンタンの料理は本国のシェフも舌を巻くレベルだからな。ごちそうになろう』
そういいながら二人は、船室の中へと消えていく。
あまりに大きな船。それは戦列船を改造した、長距離の航行も可能な帆船であった。
マストには三色旗が翻る。
この江戸時代にはあまりに不釣り合いなその旗が――




