蔦屋の試食
「それは申し訳ないことでした」
すっと頭を下げる初老の男性。それに対して同じように敬忠は頭を下げる。
「いや、私の始末が悪かったようだ。事前にもっと調べてから行くべきであった」
目の前の人物は蔦屋重三郎。江戸でも有数の版元である。敬忠のもう一つの顔―――戯作者『笈川月町』の本を数多く手掛けている人物でもあった。そして、『極喰無尽』の存在を教えてくれた人物。
「新川屋さんがそんな怪しいことに手を染めているとは、思いもよりませんでしたので...」
紙問屋の新川屋が直接敬忠を『極喰無尽』に紹介してくれた。講中ではなかなかの顔役らしかった。
「いや、新川屋は多分何も知らないのではなかろうか。最後に挨拶をした『副統領』恵美押延なる人物。これが何か私に含むところがあるのではと思っている」
そう言いながら茶をすすめる敬忠。ここは彼の邸宅。つもり話や相談もあり、足労ではあったが蔦屋を籠を遣わして、この家に迎えていた。
「柳橋様に以前、お聞かせいただきました”令和”なる世界の関係でございましょうか」
無言で頷く敬忠。正直そのくらいしか狙われる所以が考えつかない。あの”全席フルコース”の内容を思い出すとそれは確信へと変わった。
「なるほど......しかし”令和”の世は物騒でございますな。食べ物に絡んで人を殺そうというのも......よっぽど殺伐とした世なのでしょうな」
「確かに、毎日のように殺人事件があった。警視庁の......こちらで言う奉行所の役人の数も東京、いや江戸だけで4万人ほどはおったかな」
ほお、と驚く蔦屋。無理もない。この江戸においては奉行所の役人は南北両方合わせても数百人程度である。もっともその下に岡っ引きという情報に長けた者のネットワークがあればこその話ではあるが。
「まあ、南町同心の本宮佐之丞殿に一切おまかせした。そのうち仔細は明らかになるでしょう」
「本宮殿.....ああ、諸色掛の。あの方なればお若いとはいえ町方の世情にも通じておられる。先代からの腕利きの岡っ引きも、数多くお連れのようですし」
話が一段落する。時間はちょうど昼の九つを回ったあたりである。
「さて、もう一つの本題であるが」
話を切り出す敬忠。
「ぜひ、本日は蔦屋殿に昼餉を振る舞いたい。よろしいだろうか」
「それはそれは......願ったりかなったり。柳橋様のご相伴にあずかれるのでしたら」
「膳は”ラーメン”だ」
無言で何度も蔦屋は頷く。
「先日、瞬と水戸に行ってきた。水戸の義公が作ったというその”ラーメン”を求めて。そしてそれを再現した。今日はそれを更に”令和”の味に近づけたもの、それをぜひ蔦屋殿に試食してもらいたい。仔細がわかっている人物にしかお願いできないという事情もあるが、この時代に生きている人間の感想を聞かせてほしいのだ」
蔦屋は敬忠の横を見る。普段はそこに控えている瞬の姿が見えないことに合点がいく。多分それを今作っているのだろう。
そっと、蔦屋は頭を垂れる。
「よろしくお願いいたします。私などの味覚でよろしければ。楽しませていただきます」
初めての”オリジナル”の”ラーメン”が瞬の手によって運ばれようとしていた―――




