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江戸に立つ、龍の麺  作者: 八島唯
第2章 江戸にはびこる、美食

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瞬の『包丁』

 ムッとする、暑さ。というよりは熱さが皮膚にじわじわと伝わる。ここは江戸の東、地理的には下総国葛飾郡であり、関東郡代支配下の天領の一部の村であった。江戸の町並みとは異なり、田園風景が広がるのどかな農村であったが、その村の一隅に敬忠と瞬はいた。

 広く天井の高い部屋―――作業場というべきであろうか。赤赤とした炎とその火の粉がその場を支配しているようだった。

「ではよろしく頼む」

 敬忠の言葉に無言で頷く白装束の老人。頭には烏帽子をかぶっていた。袖をたすき掛けにし、手にはこぶりな短刀を携えて。

 ここは御三卿一橋家の庇護を受けている刀鍛冶大和守宗世の刀鍛冶場。古い感じはするものの、奥には神棚が祀られ普通の作業場とは違っていることを感じさせる。

 一橋家は敬忠の主君駿河小島藩松平丹後守信義の実家でもあった。その関係から儀礼の贈物として必要な刀などはこの名工大和守宗世の手による物に頼っていた。その意味で顔が利くことから、数日前に話をつけていた。

『包丁を一本所望したいのだが』

 普段はあまりそちらの方は作らない大和守であったが、なんと言っても敬忠の頼みである。それを快く了承する。ちょうど仕事もなかったことから、最優先でその一振りの制作に取り掛かってくれた。

「しかし、弾正様が包丁とは。いかなる所作にて」

「それは―――これを見てくれるか」

 書付を広げる敬忠。そこには墨で包丁の形が描かれていた。

「変わった形状の―――脇差といいますか短刀といいますか。独特の反りですな。唐剣によく見られる種類の。ぜひこれは目的をお聞かせ願いたい」

「ある、人物が私ののぞみを叶えてくれようとしている。そのためにはこの一振りが必要なのだ。食材に命を与え、そして自分の身を守る―――言うなれば守り刀と思っていただいても良い」

 普段にまして真剣な敬忠の説明。ちょっと驚いた様子の大和守であったが、無言で頷く。

「この刀、名前はなんとしましょうか」

「よろしければ」

 筆を取り出し、紙の上にサラサラと書く敬忠。

『さゔぁいばる』

「これまた変わった名前ですな.....」

「天竺の方の仏教用語で、『生き残り』を意味するものです」

 このサバイバルナイフは瞬の所望によるものであった。この間、お世話になり続きであった瞬になにか報いてあげたいと思っていた敬忠は直接瞬に欲しい物を聞いた。

「遠慮はいらぬ。正当な報酬と思ってなになにと正直に述べてもらえばむしろ嬉しい」

 驚いた様子の瞬。最初はもごもごしていたが、意を決したように敬忠に言上する。

「では、お言葉に甘えて。『包丁』を頂きたく思います」

 紙を広げ傍らの筆で、何やら描き始める。包丁にしては独特のその形が浮かび上がってくる。

「先日、暴漢に出会いましたとき体が先に動いておりました。そして微妙ながら記憶も。ナイフ、いや匕首を構えたとき、”令和”の自分が何となく思い出されたのです。そしてこの『包丁』―――いわゆるサバイバルナイフも」

 驚きを隠せない敬忠。てっきり料理人とばかり思っていた”令和”の瞬がなぜそのような危険なものを。

「私自身もまだよくわかりません。ただそのナイフで料理もよくやっていたようです。特注のナイフで。もしそれで料理をすることができれば記憶が蘇るかもしれません。私の素性を敬忠様に申し上げないことには自分自身気がおさまりません。あわせて料理の作も唸るでしょうし、また敬忠様を守る武器としても―――」

 最後の言葉に首を振る敬忠。しかし、結局瞬の懇願に負け本日に至ったのである。

「なかなかの一振りです」

 最後の磨きを終らせ、刀の柄をサラシに巻いて敬忠に手渡す大和守。それを傍らにいた瞬に手渡す。刀鍛冶の場は女人禁制というわけではない。また瞬は今、武家の娘である。

「ありがとうございます、大事にいたします」

 喜んでいいのか微妙な気はしたが、瞬の心からの感謝にホッとする気持ちの敬忠であった。

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