↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
10/20

第10話 公爵令嬢、時給を要求する

 戦いの翌朝、万物堂はひどい状態だった。

 裏口は外れ、窓枠にはひびが入り、床には雷で焼けた跡が残っている。

 客席の椅子も二脚倒れ、壁の一部は住民を守るため盾の形へ変形したままだった。

「申し訳ありません」

 エレノアは店内を見回した。

「私が来なければ、こんなことには」

「壊れた物が直るなら、問題は小さい」

 バルドは外れた扉を持ち上げ、枠へ戻した。

 手を添える。淡い光が走り、裂けた木材と金具が元の位置へつながった。

「建物は直る。椅子も直る。怪我人も出なかった」

 床へ触れると、焦げた板がゆっくり色を取り戻す。

「なら、十分だ」

 エレノアは何も言えなかった。

 バルドは本当に気にしていないらしい。

 その横では、ミケが倒れた椅子の上へ座り、作業を見ている。

 ライはカウンターの下。

 昨日の治療で雷の暴走は止まった。

 毛並みも少し落ち着き、呼吸も以前より深い。

 それでも人間に触られることは、まだ許していない。

 バルドの指へ額を押しつけたのも、あの一度だけだった。

「こちらも直す」

 バルドが作業台の端へ手を伸ばした。

「待ってください!」

 エレノアは思わず声を上げた。

 そこには、昨日使っていた帳簿と予約帳がある。

 魔法攻撃の余波で、表紙の一部が焦げていた。

「中を確認してからです」

「読めない部分は直せる」

「文字の欠損は記憶から復元できません」

「紙の構造を読めば」

「数字が一つでも違えば、会計が崩れます!」

 エレノアは帳簿を抱えた。

 焦げた端を慎重に開く。

 幸い、中の文字までは焼けていない。

 予約帳も、数件の名前と納期が読める。

「無事です」

 胸を撫で下ろす。

「よかったな」

「よかったな、ではありません」

「何がだ」

「この店で最も再生できない物が、暖炉の横へ置かれていました」

 バルドは帳簿と暖炉を見比べた。

「火からは離れている」

「昨日は店内で雷と魔法が飛び交ったのです」

「普段は飛び交わない」

「今後も飛び交わない保証がありますか」

 ミケが尾を動かす。

 ライの耳元で、小さな電光が弾けた。

 エレノアは二匹を指した。

「ありますか」

「ないな」

 バルドは素直に認めた。

「帳簿用の耐火箱を作ろう」

「最初からそうしてください」

     ◇

 店の修繕が終わると、エレノアはバルドを客席へ座らせた。

 自分は向かいへ座る。

 机の上には、父の家紋が刻まれた首飾りと、研究施設から持ち出した小さな金属片を置いた。

「改めて、お話しします」

「聞いている部分もある」

「正式にお伝えしておきたいのです」

 エレノアは背筋を伸ばした。

「私は、エレノア・アルヴェイン。アルヴェイン公爵家の長女です」

「うん」

「もう少し驚いていただいてもよいのですが」

「昨日、街中へ知られた」

「そうでした」

 公爵令嬢であることは、もはや隠しようがない。

 エレノアは咳払いし、話を続けた。

「父は、魔獣の軍事利用へ反対したことで、ヴァレント侯爵に謀反の罪を着せられました」

 アルヴェイン家は、代々魔獣との共存政策を担ってきた。

 危険な魔獣をただ討伐するのではなく、生息地を分け、被害を防ぎ、必要なら人間側が退く。

 ヴァレント侯爵は、その方針を弱腰だと批判していた。

 魔獣を管理し、兵器として国家へ提供すれば、周辺国への抑止力になる。

 それが侯爵の主張だった。

「父が反対した直後、屋敷から禁制品と軍への密書が見つかりました」

「偽物か」

「はい。筆跡も印章も精巧でした。ですが、父はそのような文書を作っていません」

「証明できる者は?」

「父の側近たちは拘束されました。屋敷の使用人も散らされています」

 エレノア自身は、公爵家の保護という名目で侯爵の管理下へ置かれた。

 やがて、研究施設へ移送されることになった。

「私の血に、魔獣の魔力へ干渉する性質があると考えられているからです」

 実際にどこまで効果があるかは分からない。ただ、ライの制御実験へ使われる予定だった。その途中で施設内の檻を見つけ、ライを連れ出した。

「私がしたことは、侯爵家から見れば窃盗と逃亡です」

「ライを物として考えればな」

「侯爵は、そう考えています」

 エレノアは金属片を机へ押し出した。

 ライの檻に取り付けられていた識別板。

 施設番号十二。

 魔力出力。

 実験回数。

 生き物ではなく、道具として記録された数字が刻まれている。

「これだけでは、父の無実を証明できません」

「だが、侯爵が何をしていたかを示す手掛かりにはなる」

「はい」

「なら、なくさない方がいい」

 バルドは金属片を耐火箱へ入れた。

「事情が片づくまで、二階を使えばいい」

 エレノアは顔を上げた。

「それだけですか」

「何がだ」

「公爵令嬢を匿うことになります」

「もう匿っている」

「侯爵との争いも続きます」

「昨日も争った」

「迷惑ではありませんか」

 バルドは少し考えた。

「客席で剣を抜かれるのは迷惑だな」

「私が聞いているのは、そういうことでは」

「分かっている」

 バルドは淡々と続けた。

「君とライがいること自体は、迷惑ではない」

 その言葉に、胸の奥が緩みかける。

 だが、エレノアはすぐに首を横へ振った。

「保護されるだけではいられません」

「部屋代が必要か」

「そうではありません」

 エレノアは新しい帳簿を机へ置いた。

「この店は、このままでは一か月以内に閉店します」

 バルドの表情が、初めて明確に変わった。

「客は増えている」

「増えています」

「昨日も満席だった」

「売上が多いことと、利益が出ることは別です」

 エレノアは帳簿を開く。

「修理代が安すぎます。軽食も原価とほぼ同額です。さらに、開店祝いとして受け取った銀貨を通常売上へ含めています」

「金は増えている」

「食材も減っています」

「買えばいい」

「その金額を計算していません」

 バルドは黙った。

「これまで、店にいくら使いましたか」

「建物は譲られた」

「机、椅子、食材、薪、食器、紙、炭、税金」

「税金?」

「店舗営業税です」

「払っていない」

 エレノアは目を閉じた。

「役所へ届け出は?」

「建物を受け取ったときに紙へ名前を書いた」

「それは所有権の移転です」

「違うのか」

「違います」

 この店を放置して去ることはできない。

 侯爵以前に、会計と行政手続きが万物堂を滅ぼす。

「私が管理します」

 エレノアは用意していた紙を並べた。

「正式な料金表。仕入れ計画。修理依頼の受付と納期。営業時間。店員の勤務時間。猫との接触規則も整理します」

「規則はもうある」

「入口の板だけでは足りません。初めての客へ説明する人間も必要です」

「君がやるのか」

「はい」

「事情が片づくまで休んでもいい」

「何もしない方が落ち着きません」

 エレノアは一枚目の紙を示した。

「それに、私はこの店へ必要です」

 言い切ってから、少し恥ずかしくなる。だが、事実だった。

「あなたは修繕と料理へ集中してください。会計と接客は私が担当します」

「分かった」

 バルドは簡単に答えた。

「では頼む」

「まだ条件があります」

「条件?」

「働く以上、賃金をいただきます」

 バルドが瞬きをする。

「部屋と食事では駄目なのか」

「それは生活費の現物支給です。賃金とは別です」

「公爵令嬢が、給料を必要とするのか」

「現在の私は、所持金が銀貨三枚と銅貨十一枚しかありません」

「俺より多いかもしれない」

「店主がそれでは困ります」

 エレノアは紙へ金額を書く。

「当面は時給で結構です」

「時給?」

「働いた時間に応じて賃金を受け取ります」

「貴族も時給で働くのか」

「今日から働きます」

 バルドは金額を見た。

「高くないか」

「接客、会計、仕入れ管理、帳簿、行政手続きを兼任します」

「安いな」

「どちらなのですか」

「今の説明を聞いたら安いと思った」

 エレノアは少し笑った。

「では、雇用成立です」

「よろしく頼む」

 二人は握手をした。

 カウンターの下で、ライがその手を見ていた。

     ◇

 新しい制服は、マルタが用意した。

 紺色のエプロンドレス。

 高価な飾りはない。袖をまくりやすく、裾も動きやすい長さになっている。

「似合うじゃないか」

 マルタが言う。

「公爵家の使用人が着る物より簡素ですが、仕事には向いています」

「そこで公爵家と比べるから緊張するんだよ」

 開店すると、最初の客は鍛冶職人だった。

 エレノアは入口で頭を下げる。

「本日は万物堂へお越しいただき、誠にありがとうございます。修繕、軽食、猫との同席のうち、いずれをご希望でしょうか」

 鍛冶職人は扉の前で固まった。

「……槌の柄を直してもらいに来た」

「承りました。お預かりした品物は、店主が状態を精査した上で修繕工程を決定し、予定納期および料金を」

「普通に話してくれ」

「普通に?」

「昨日までみたいに」

 エレノアは困ってバルドを見る。

「槌を預かって、直る日と値段を伝えればいい」

「それでは説明不足では」

「長いと客が疲れる」

 鍛冶職人が強く頷く。

 エレノアは言い直した。

「槌をお預かりします。状態を確認して、値段と受取日をお伝えします」

「それでいい」

「短すぎる気がします」

「店員らしくなったよ」

 マルタが笑う。

 昼までに客は八人来た。

 エレノアは注文を記録し、修理品へ番号札を付け、料理を運んだ。

 最初は一人へ何度も頭を下げ、煮込みを出すだけで長い説明をした。

 だが、次第に客の表情を見る余裕が出てきた。

「熱いので、お気をつけください」

「今日はそれだけかい」

「それだけです」

「成長したねえ」

 肉屋が笑う。

「接客初日です」

「公爵令嬢に飯を運んでもらうとは思わなかった」

 エレノアの身体が一瞬固くなる。だが、肉屋に悪意はなかった。

「現在は万物堂の店員です」

「給料は出るのか」

「時給制です」

 客席から笑いが起きる。

「公爵令嬢が時給で働くのか」

「労働には対価が必要です」

 エレノアは真顔で答えた。

 その日のうちに、街では新しい噂が広まった。

 万物堂には災厄級魔獣がいる。公爵令嬢もいる。しかも時給で働いている。

 どれが一番珍しいのかは、意見が分かれた。

 ライはカウンターの下を定位置にした。

 客からは見えにくく、エレノアとバルドの姿は確認できる。

 ミケが近くへ来ると、身体を丸めて眠る。

 子どもが覗こうとすれば、エレノアが止めた。

「ライはまだ、人に見られ続けることも苦手です」

「いつ触れる?」

「ライが決めます」

 その答えを、今は迷わず言えた。

     ◇

 閉店後。

 エレノアは帳簿を締めた。

 売上。仕入れ。修理品の預かり件数。今日の賃金。

 すべて記録されている。

「今日は黒字です」

「昨日も金は増えた」

「今日は正しく黒字です」

「違いがよく分からない」

「これから覚えてください」

 バルドは苦笑し、椅子へ座った。

 ミケがすぐ膝へ乗る。ライはエレノアの足元で身体を丸めた。

 まだ触れさせてはくれない。だが、近くで眠ることは選んでいる。

「バルドさん」

「何だ」

「私は、ここにいてもよいのでしょうか」

 口にしてから、自分でも意外だった。

 雇用契約を結び、部屋も借りている。それでも、確認せずにはいられなかった。

 公爵令嬢でも、逃亡者でも、保護対象でもなく。一人の人間として。

 バルドは少し考えた。

「俺が決めることじゃない」

 エレノアは顔を上げる。

「君がいたいなら、いればいい」

「店主の許可は必要では?」

「店員としては、必要だな」

「では?」

「いてくれると助かる」

 簡単な言葉だった。それだけで十分だった。

「承知しました」

 エレノアは帳簿へ新しい項目を書き加える。

 店員。エレノア・アルヴェイン。

 勤務開始日、本日。

 足元で、ライが寝返りを打つ。

 前脚の先が、エレノアの靴へ触れた。

     ◇

 王都。

 ヴァレント侯爵邸の執務室で、セドリック・ヴァレントは私兵の報告を聞いていた。

「雷帝種は奪還できず、公爵令嬢も万物堂へ残ったと」

「申し訳ありません」

 指揮官は膝をついている。

「黒炎の皇獣に加え、店そのものが強力な防御術式を備えていました」

「術式ではない」

 侯爵は報告書を机へ置いた。

「店主は誰だ」

「バルド・グレインです。元銀剣の黎明所属の」

 侯爵の指が止まった。

「《不壊》のバルドか」

 銀剣の黎明は、侯爵が主要スポンサーを務めている。

 若く、華があり、王都で人気の高いS級パーティ。

 バルドを外す計画にも、侯爵は関与していた。

 老いた補助職は宣伝にならない。その判断に間違いはないはずだった。

「辺境で修理屋を始めたと聞いていたが」

「災厄級魔獣を二体、保護しています」

「二体ではない」

 侯爵は窓の外へ目を向けた。

「まだ、二体だ」

 机の上には、別の報告書が置かれていた。

 北部山岳地帯。白銀の毛。霧の中を移動する猫型魔獣。

 幻術と短距離転移を使い、捕獲例はない。

 白銀幻猫。

 希少な魔力核を持つ魔獣だった。

 侯爵は新しい依頼書を取り出す。

 宛先は、銀剣の黎明。

 依頼内容。白銀幻猫の捕獲。生死は問わない。

 ただし、最後の一文だけは自ら書き加えた。

 魔力核を損傷させないこと。

「レオンへ送れ」

 使用人が依頼書を受け取る。

「白銀幻猫を、必ず王都へ運ばせろ」

 侯爵は報告書に記された万物堂の名を指でなぞった。

 バルドが魔獣を集めているのなら、利用する方法はいくらでもある。

 そして、銀剣の黎明が白銀幻猫を追えば、いずれ両者は再び交わる。

 侯爵は薄く笑った。

「役に立たない老人を捨てたつもりだったが」

 誰に聞かせるでもなく呟く。

「どうやら、捨てた場所が悪かったらしい」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。