133 花舞ノ章 三十六
蓮華と天狗が渡し船で川を渡り、瑞奈に追いついたのは陽が天辺を過ぎたころだった。
「瑞奈様!大丈夫でしたかぁ!?」
蓮華が瑞奈に駆け寄ってくる。
「はい・・・何とか。でも、もう駄目です」
「急に空を飛んでいなくなっちゃったので、心配しました」
当の白い子狐は瑞奈の胸に抱かれてすやすやと眠っている。
「はい。この子、本当に何者なのでしょう?」
「それがな、瑞奈・・・・。ここの最後の最後に小さく書かれていたのじゃが」
天狗が例の巻物、鈴鳴峠なんちゃらを開いてみせる。
―――今橋宿には未だに贄を白狐に差し出す習慣が残っている。その月の一番に、馬屋前の小橋を通った若い娘はこの贄となり白狐に精気を吸われるので注意されたし。
「・・・・・・・・・」
―――そうか、街道の近道の小さな橋があったのに、誰も通らないで大きな橋を遠回りしていた違和感。わたしがあの巻物を受け取るために蓮華殿より前に出て、知らず知らずに橋を渡ってしまった。
でも・・・。
「こんな大事なことなら、もっと大きく書いてよっ!!」
べりっ!!
「ひえぇっ!なんということを・・・!大切な巻物がっ!」
情けない声を出す天狗。
「もう参河を過ぎたからいりません!次のはもらっておいてあげたでしょっ!」
天狗に言いながら、瑞奈は子狐を見下ろす。すやすやと気持ちよさそうに、瑞奈の腕の中で眠っている。
・・・・あなた、精気を吸うの?かわいいのに・・・・。
「で、この子が瑞奈様の精気を吸ったために記憶が混乱した?」
蓮華がいうと、天狗は頷く。
「うむ。そもそも神獣は人自体を食べるわけではない。白狐と言うのは荼枳尼天の使いでな」
「荼枳尼天?」
「荼枳尼天とは五穀豊穣を叶える神様じゃ。それが昔、天竺では人を喰う神様として祀られておった。その名残で贄を差し出すようになったのじゃろう。生きたままの贄を差し出すのは、その精気を喰わせるため、といったところじゃろうな」
「でもわたし、食べられずに懐かれてしまったのはなぜなのでしょう?」
「・・・わからん。助平なんじゃろ、この子狐」
かぶっ!
「ぬあっ!?じゃから、鼻に噛みつくなっ!痛い気がするんじゃっ!」
「ふーっ!!」
「瑞奈様、この子狐、連れていくなら名が必要ですね」
蓮華が天狗の鼻から子狐を引きはがしながら言う。
「そうですね・・・・・・。では、白餅と言うのは?」
・・・・・・・。
え?
蓮華と天狗は固まっている。
当の子狐もちょっと嫌そう。
「い、いや、冗談です。もっとちゃんと考えていますよ!」
「そ、そうですよね・・・・」
・・・・・・気まずい沈黙。
「で、では白玉と言うのは・・・?」
「しら、たま?」
「い、いえ、これも冗談です」
「で、では・・・握り飯?」
・・・・・・。
「ち、違う・・・豆腐丸?」
・・・・・・。
「あ、あの・・・えっと・・・・丸大根?」
・・・・・・。
・・・どうしよう!?わたし、名付けの感性が壊滅的なの!?
「では、狐白丸というのはどうですか?」
苦笑いしながら蓮華が控えめに言う。
「あ、いいですね!」
・・・さすが蓮華殿!ほっとした・・・。
「そうじゃな、狐白丸か!」
かぶっ!
「じゃから、何で鼻に噛みつくんじゃっ!?」
「ふーっ!!」
「こら、狐白丸!そんなもの食べたらお腹壊しますよ!」
瑞奈が天狗の鼻から狐白丸を引きはがす。
すると、狐白丸は瑞奈の頬をぺろぺろと舐める。
「本当に狐白丸は瑞奈様のことが好きなんですねぇ」
蓮華が感心しながら言う。
「・・・本当に、どうしてなのでしょうね?」
「殿、本当にこっちでよいのですかっ!?」
自分の背丈ほどもある葦をかき分け、ぬかるむ沼地を進む。
「この”遠州濱辺遊覧紀行初見案内書”によればこっちで間違いないのじゃ!」
「ですが、これはどう見ても道ではありませんよっ!!」
「街道沿いにあるくと、荒井浜に関所があるのじゃ!遠回りでも遠州湖を北に回るべしと書かれておる!」
「・・・本当に信じてよいものですか、それっ!?どうせ落ちているものを拾ったのでしょう?」
「何を言う、元康!この馬鹿者が!この霞惟正、落ちているものを拾ったりせんわい!」
「この前は、旨ければ土でも食う、とおっしゃっていたではないですか!」
「やかましい!黙ってついて参れ!」
もう、あたりに人里は見えない。道とは言えない沼地を歩き出して半日が過ぎていた。
「殿、そろそろ日が傾きますよ!さっき、老婆に言われたでしょう?そろそろ野営できるところを探しましょうよ!」
数刻前。
「これ、あんたたち、これから稲輪湖へ行くのかい?」
元康の”善行を積めば武勲を越える!”という助言通りに、惟正は水汲みに川原に来ていた老婆の桶を代わりに運んでいた。
「そうじゃ。わしらは世のため人のためになる善行を積みながら東を目指しておる。媼も遠慮なく、仏の霞惟正の名を広めるがよい」
「そんなことはどうでもいいんだがねぇ。この先の稲輪湖は気をつけんしゃいな。夜は絶対に近づいてはいかんよ」
「どうでもよくはないのじゃが・・・。それは何故じゃ?」
「鵺が出るからのう」
「ぬえ?」
元康が聞く。
「その前に、元康。なぜわしばっかりが重たいものを運んだり、老婆をおぶったりしておるのじゃ?お前も手伝っても良かろう?」
「御老婆、鵺とは何でしょうか?」
「おい、わしの話をきけぃ!」
「鵺っちゅうのはなぁ、猿という者もおるし、虎という者もおる。大蛇という者もおるし、鳥のように空を飛ぶという者もおる。結局見たものはおらん」
「見た者はいないのに、居るのはわかるのですか?」
「夜になると、鳴くんじゃ。それはそれは恐ろしい声でなぁ」
惟正と元康が顔を見合わせる。
「姿を見たことないっちゅうのは、鵺に見つかったらお終いじゃからな、生きて帰ったものがおらんのじゃ」
「・・・・・・・」
「鵺は葦の葉を食べるんじゃ。しかも、陽にあたる上の片葉だけ。葦の葉が片方だけのところには鵺がおる。気をつけなされよ」
「・・・って、言っていたではありませんかっ!!」
「そうは言うても、どちらへ進めばよいかわしにもわからん!」
「わかっていて歩いていたのではないのですかっ!?」
「こんな葦の葉だらけで先が見えない沼地ばかりではわかるわけなかろう!」
惟正は腰の刀を抜き、葦の穂を斬り倒しながら進む。
「ちょ、ちょっと待ってください!?この葦、下の片方しか葉がありませんよっ!」
「だからなんじゃ!?葦の都合じゃろう!?」
「そんなわけないでしょう!さっきの老婆が言っていたではないですか!鵺は葦の葉を片方だけ食べるって!」
「葦を食べるなら人は喰わんじゃろう?恐れるな!」
「そんなこと言っても、相手は猿だか虎だかの物の怪ですよ!」
「なるほど!ではわしがその物の怪を退治して見せよう!そうなれば、地道に老婆を助けなくても瑞奈殿が納得してくれるに違いない!」
「殿が物の怪に勝てるわけないじゃないですか!」
「何を言う!?わしだって正統なる霞家の血を引く・・・・」
惟正が言いかけた時だった。
ぐぅおおおおおおおおおおおん・・・・・・・・。
それは、獣とは違う鳴き声。まるで人の声のようで、だが言葉ではない。
「・・・まさか?」
元康は縮み上がる。
「・・・・・・・・・・」
「殿、逃げましょう!」
「・・・・・・・・・・」
「殿?」
「元康・・・・・今、そこに大蛇がおった」
「はい?」
「大蛇じゃ。それも、とてつもなく大きかった・・・・・」
辺りはすでに薄暗く、背の高い葦のせいで視界が狭い。
「どこに・・・ですか?」
「あそこの葦の上から、月と同じ大きさの大蛇の顔が見えた・・・・。こっちを見ておった」




