127 花舞ノ章 三十
川で濡れた衣装を乾かし、御体車を森の草むらに隠し終える頃には、すっかり矢萩の宿は夕陽に赤く染まっていた。
「・・・うう。面倒ごとの匂いしかしないのですが・・・」
「瑞奈様、まだ言ってる」
蓮華は髪飾りなどしてお洒落をしている。可愛らしいのはいいのだが、浮かれていいわけもない。
「あの国府・・・小幡康佑と言いましたっけ?気をつけなさいね、蓮華殿」
「そうなのですか?いい人そうでしたけど」
「ああいう輩は、善意で悪行をするのです。厄介ですから、よく覚えておきなさいね」
「?」
明らかにピンとこない顔で小首をかしげる蓮華。
もらった地図通りに歩くと、すぐに国府の屋敷が見えてきた。
門の前に、あの強面の家臣ふたりが左右に立っている。
そこを若い娘たちがやや怯えながら、門をくぐっていく。
「若いおなごばかりじゃのう・・・」
「だから、言ってるでしょう・・・碌な奴じゃないって」
瑞奈は天狗にむすっとしながら言う。
「まあ、まあ。あそこに爺さんもおる」
天狗の指さした先に、屋敷の角から門を窺っている、杖をついた白髪の爺さんがいた。
「おい、翁。どうしたのじゃ?」
天狗が後ろから声をかける。
ゆっくりと翁が振り向く。
「・・・・・・・ひいいいいいいいいいっ!!!」
「ど、どうしたっ!?」
慌てる天狗。
「どう見ても天狗殿に驚いたのでしょっ!!」
「お、落ち着いてさいっ!!」
瑞奈と蓮華で、倒れそうになる翁を支える。
「・・・・はあ、驚いた・・・・」
「ごめんなさいね、お爺さん。でも、こんなところで何をしていたのですか?」
蓮華が翁の背をさすりながら言う。
「・・・・・・・ああ、愛らしい娘さん。わしと共に暮らそう」
「は?」
「娘がおらんと、わしひとりでは生きていけん。なので、娘さん」
そう言って蓮華の手を握る。
「祝言を挙げよう」
ごん!
「・・・・わしの名は五郎田と言います」
頭に大きなこぶを作った翁が言う。
「で、なぜ国府殿の屋敷を・・・娘さんが中にいるのですか?」
瑞奈が聞くと、五郎田は頷いた。
「はい。あの国府殿は見た目よろしいせいか、おなごにめっぽう手が早くて。この辺りでは噂になっておるのですが、娘たちはやはり優しくされると心奪われてしまうらしく・・・」
「で、娘さんもあの国府殿に心奪われてしまった、と」
「そうですじゃ。ですが、あの門番がいたのでは中に入れんので・・・」
「仕方なく外で見ておった、と」
天狗が言う。
「はい・・・・・」
寂しそうに頷く。
「天狗様、このお爺さん、娘さんを取られてしまって、さらに頭にこぶまで・・・かわいそうです。娘さんを取り返しましょう」
・・・後半は蓮華のせいだけど。
「でも、あんなに年頃の娘さんばかりじゃと、どれがこの爺さんの娘さんかわからぬからのう・・・・」
「娘様方、よくお集まりいただいた!今宵は娘様方に感謝の意を込める宴です!どうぞ遠慮なく、酒も料理も召し上がりくだされ!」
康佑は上座から、集まった娘たちを見渡す。ざっと、十一人。
よりをかけて集めた娘たちは皆、上物揃い!
今日、渡しで会った、りんと言う娘も。
それに、何と言ってもあの、男装の娘!凛々しく美しい!流れる黒髪、化粧などしなくてもよいほどの白い肌、整った目鼻立ちに、紅を引いたような赤い唇!どれをとっても美しい。
そしてその連れのあどけない少女。あの娘も捨てがたい。きっと、これから磨けばいいおなごになることは間違いない。
だが、その横の、呼んでもいないのについてきた天狗と天狗。・・・うっとおしい。
・・・・ん?
男装の娘、あどけない少女、天狗、天狗・・・・・・。
天狗、天狗?
「なぜ、天狗が増えているっ!?」
思わず大声で叫ぶ康佑。
天狗が二人、横並びで座っている。
手前の天狗はしっかり酒を飲んでいるし、奥の天狗は料理の鯛にむしゃぶりついている。
・・・わたしはまだ酒は飲んでいないのだが?おかしいぞ、おかしいぞっ!?
康佑は傍に控えていた能見を手招きして呼ぶ。
「能見、どういうことだ?わたしには天狗が二人に見えるが?」
「はい、国府殿。わしにも二人に見えます」
「なぜ、呼んでもいない天狗が二人おるのか、と聞いておるのだ!」
「ですが、あの娘たちが天狗を二人連れてきて、両方入れないなら帰る、と申したので」
「ぐぬぅ・・・・・・・」
「天狗様、あまり飲み過ぎないでくださいよ!」
蓮華が隣の天狗に言う。
「何を言う。只酒じゃ。飲まにゃ損じゃ」
「何かあったら困るでしょ!?」
「ふん、この天狗、若い頃から蟒蛇として有名じゃったのじゃからな!」
・・・天狗の面は普段から赤いが、なぜか今はさらに赤く見える。
「・・・もう、頼りにならない!」
「それにしても、ここは若い娘ばかりで極楽じゃのう!天狗殿!」
隣の天狗に言うと、鯛にかぶりついていた手を留めて、そちらの天狗も頷く。
「まったくですじゃ!鯛も旨いし、皆、別嬪さんばかり!こうなりゃ誰でもええかのう!!」
・・・こいつ!
天狗二人は肩を組んで鼻の下を伸ばしている。・・・ように見える。
「もう!瑞奈様、天狗様があてにならないので、わたしたち、しっかりしましょうね!」
と反対側の瑞奈を見ると・・・・・。
顔が、真っ赤!!
いつもは白肌の瑞奈の頬が赤く染まり、半目を開いて、唇に笑みを湛えている。
・・・・・何これ!?こんな艶っぽい瑞奈様、見たことない。
「蓮華殿・・・」
「は、はい?」
瑞奈の息から酒の匂い・・・。
「瑞奈様、どれだけ飲んだのですかっ?」
「・・・これだけですよ?」
小さな御猪口を指さす。・・・これ一杯だけ!?
「お、お酒に弱いのですね?」
「そんなこと・・・言わないで・・・蓮華殿っ・・・・」
指先でそっと蓮華の頬に触れてくる。
・・・うわぁ・・・・これは男の人ならたまらないだろうな・・・。
そう思いながらも、蓮華もたまらない。
「ちょ、ちょっと瑞奈様!しっかり!!」
「うふっ!かわいい・・・」
ちょっと上目遣いの笑顔で蓮華を見上げる。赤く染まった頬が蓮華の顔のそばに近づいてくる。
蓮華の頬に、瑞奈の暖かさがほんのりと漂ってくる。
少し、着物の裾がはだけて足の先があらわに・・・・。
・・・ひぃーーーーーっ!!
・・・だめだこれはっ!女のわたしでもたまらないっ!!
鼓動が早くなって止まらない。なぜこの人はこんなに色っぽいのっ!?
「蓮華殿・・・」
「は、はいっ!?」
「・・・・・・舞って、いいかしら?」
「え?」
瑞奈はすっと立ち上がると、上座の康佑の前に立った。
「ど、どうした?」
康佑はそう言いながらも、瑞奈の振る舞いに目を奪われている。
「わたし、白拍子、瑞奈王と申します・・・。殿に、舞を捧じて差し上げますわ・・・」
そう言うと、懐から扇子を出す。
片手を振ってぱっと扇を開くと、まっすぐ前に差し出す。
ゆっくりと両腕を広げ、足を運ぶ。
けだるげに細められた瞳。
紅潮した頬。
怪しげに微笑む艶やかな唇。
乱れた着物の襟から、白い肩がのぞく・・・・。
まさに妖艶。
その場にいた誰もがその舞に釘付けになった。
男女を問わず瑞奈の姿に見惚れ、心を奪われた。
康佑はもちろん、近くに控えていた家臣の能見、桑谷も食い入るように見つめる。
その場に集まった女たちも頬を赤らめて、瑞奈の美貌に憧憬と羨望の眼差しを向ける。
「瑞奈様・・・・」
瑞奈の舞は何度か見ている蓮華でさえも、その艶やかな姿に目を奪われた。
・・・美しい。
その姿は地上に舞い降りた木花咲耶姫命か、岩戸の前で華やかに舞う天鈿女命か・・・。
そしてゆっくりと、滑らかに康佑の前に立ち、扇子を差し出す。
赤らめた顔を近づけると、妖艶な笑みを浮かべた。
康佑は完全に飲み込まれ、口を半分開いたまま瑞奈を見上げていた。
瑞奈はゆっくりと扇子を閉じて、その扇子で康佑の額をぺしり、と叩いた。
そしてそのままゆっくりと後ろへ倒れ・・・。
すぅ・・・・すぅ・・・・。
寝息をたて始めた。
・・・幸せそうな寝顔。
「こ、これはいかん!このお方は向こうの部屋で介抱いたしましょう!」
急に我に返ったように康佑が立ち上がり、瑞奈を抱えて部屋を出て行った。
・・・・・・え?
あまりの早業に気づくのが遅れた。
「瑞奈様が危ない!!」
蓮華が叫ぶ。
「天狗様、瑞奈様を連れ戻しましょう!!」
「あ、ああ。そうじゃった!!」
そう言って二人は立ち上がる・・・・・・。
あれ?
足が動かない・・・?
他の女たちも次々と倒れている。
・・・これが・・・・。
五郎田天狗もいびきをかいている。
隣の天狗も立ち上がれないようだ。がしゃん!と料理の乗った膳の上に倒れ込む。
蓮華の足からふっと力が抜けていく。
・・・・いけない!瑞奈様を・・・助けなくちゃ・・・・。
蓮華の意識は暗闇に飲まれていった。




