109 花舞ノ章 十二
その夜。
明日の峠越えを思い、早めに床に就いた。
・・・瑞奈、ごめんなさい・・・・。
・・・誰?
・・・・・・瑞奈・・・・・・・・・。
母様・・・・・。
・・・・・・・・瑞奈、会いたい・・・・・・・・。
「はっ!?」
瑞奈は目を開く。まだ辺りは暗い。
隣で蓮華が寝息をたてている。
夢だった。
とても綺麗な女性の夢。
わたし、何で泣いてるのだろう?
・・・わたし、夢で「母様」って言った。
そうか、母様の夢だ。会ったことのない、母様・・・。
「おい、そろそろ起きて仕度せよ」
天狗の声で二人は目を覚ました。
着替えて仕度を済ませて外へ出る。東の空がうっすらと白くなりかけている。
「ふわぁ・・・・。おはようございます」
蓮華が目をこすりながら伸びをする。
「おはようございます。蓮華殿、よく休めましたか?今日は蓮華殿にかかっておりますので」
瑞奈が言うと、蓮華は「頑張ります!」と両手で拳を握った。
「では、行こうか!」
「はい!」
天狗の一言で、二人は馬に跨った。
最初はなだらかな登り道だった。
狭い道の両脇には鬱蒼とした木々が茂り、曲がりくねりの道が続く。
思っていたよりも早く、馬に乗って進むことが難しくなった。
「はぁ、はぁ、思っていたよりつらいですね・・・」
瑞奈が息を切らせる。
「お日様がてっぺんに登るまでに一番高いところまで登らんとな!」
天狗は平気そうだ。
「いざとなったら、わたしが紫雲で運んであげますから!」
蓮華も平気そうだ。
そうなれば、瑞奈もへこたれてはいられない。杖をつきながら、必死に上を目指す。
「ひいぃいん、ひぃいいん・・・」
御体車を引いている馬が、口に泡を吹き始めた。
「蓮華、そろそろ馬が限界じゃ。御体に乗って、御体車を担いで進もう。馬はここで放していく」
「はい。では・・・」
蓮華は紫雲に乗り込むと、御霊石を握る。
紫雲が先ほどまで乗っていた御体車を今度は紫雲が背負うと、縄で体に縛り付けた。
「お待たせしました!参りましょう!!」
「元康、おまえがもたもたしておるから、またあのお方に逃げられてしまったではないか!」
「何を言いますか、殿!この先の鈴鳴峠、仕度なしでは越えることのできない、東海道で一・二を争う難所でありますぞ!」
瑞奈たち一行が鈴鳴峠に苦戦していたころ、惟正と元康はまだ石和宿にいた。
近くにあった古寺の軒下を借り、夜を明かしたのである。
「まったく、いつまでもぐうすかぴぃと寝ておるからじゃっ!」
「殿が真夜中まであのお方を探せ!などとおっしゃったのではありませんかっ!!」
文句を言いながらも、荷物を纏める元康。
「はい、では参りましょう、鈴鳴越え!」
「よし、急ぐぞ!!」
と、二人が早足で歩きだした。
「待ちなさい!!」
寺の門から出ようとしたその矢先、鋭い声で呼び止められた。
「・・・?」
惟正が振り向くと、寺の山門の脇、ぼろぼろに破れた袈裟を着た、汚らしい坊主が琵琶を持って座り込んでいた。
「今、鈴鳴を越えるとおっしゃいましたか?やめなされ。鈴鳴峠の天気は変わりやすい。今日はこの先、鈴鳴は雨が降る」
「雨が降るじゃと!?」
惟正は空を見上げる。雲一つない青空だ。
「殿、殿!この坊主、目が見えないのですよ。だからこの空がわからないのでしょう・・・」
こそこそと元康が囁く。
その僧侶はずっと目を閉じている。こちらを見ている風でもない。
「ご僧侶、忠告はありがたいが、わしは愛しいお方がおるのでな。どうしても先へ進まねばならん!さらばじゃ!」
そう言って歩き出す。元康も続く。
「待ていっ!!」
「ひっ!?」
突然僧侶が大きい声を出したので、惟正は跳び上がる。
「鈴鳴で雨が降ると、人を喰う鬼が出る。命が惜しいのならば、近づかぬことだ・・・」
顔を見合わせる惟正と元康。
「鬼とは?」
そう言って惟正が僧侶を見た時、そこにはもう僧侶の姿はなかった。
「・・・消えた!?」
「き、気味が悪いですね、殿・・・」
元康が惟正の袖を掴む。
「や、やっぱり今日はやめましょうよ・・・」
「な、何を言う!あのお方が鈴鳴を越えようとしているのなら、わしが行かずしてどうする!?」
「ですけど・・・・」
「さらにさらに、鬼が出るなら、余計に好都合ではないか!」
「どういうことですか?」
「いいか、まず・・・・・
一つ、雨が降り出す
↓
二つ、美しきお方が心細くなる
↓
三つ、鬼登場!「きゃー!」
↓
四つ、襲われる美しきお方!「助けて!惟正殿!!」
↓
五つ、颯爽と惟正登場!「鬼め!そのお方を放せ!!」
↓
六つ、「必殺!惟正炎月斬!」「うがー、やられた!」
↓
七つ、「まあ、惟正様!愛しいお方!」「ふっ、惚れ過ぎにはご留意されよ・・・」
↓
八つ、二人は結ばれたのでした。めでたしめでたし。
と、言うわけじゃ!」
「・・・・・・子供か、あんた」
鈴鳴峠の頂に近づくにつれ、雲行きが怪しくなってきた。
先ほどまで青空が広がっていたが、少しずつ曇り始め、空気がひんやりと肌寒くなってきた。
「蓮華!無理はするな!霊力が切れたところで野盗にでも出くわしたらことじゃ!時折休みながら進むようにな!」
天狗がそう言うが、内心ではこの天気が崩れる前に峠を越えたいに違いない。先ほどから少し早足になってきている。
体力のある天狗や蓮華と違って、瑞奈は息も絶え絶え、何とか後ろについていくのがやっとだった。
「はぁ、はぁ・・・・。まだ先は長いのですか?」
「そうじゃな・・・。今、六合目と言ったところか」
眼前に続くうねうねとした山道を見上げて天狗が言う。
「ひぃー、まだまだですね!」
そう言いながら必死で足を前に進める。
時折旅人たちを見かけるが、皆一様に下を向いて足早にすれ違っていく。
急いでいるのか、それとも戦御体が怖いのか・・・。
「ひっ!?」
またすれ違う旅人が紫雲を見て悲鳴をあげた。後者だな。
「ともかく、頑張ってついて行かないと・・・」
そう自分に言い聞かせて顔を上げる。
その時、甘い香の香りがした。
あれ?
紫雲の紫紺の大きな体・・・あんなに遠かったっけ?
前に、進んでいるよね、わたし・・・。
おかしいな、どんどん離れていく。
「待って!!天狗殿、蓮華殿、待って!!」
声をかける。
聞こえているはずなのに?
離れていく。
「待ってっ!!待ってぇっ!!」
手を伸ばす。どんどん遠くなる。
ぽつぽつ。
伸ばした手に、雨が当たる。
「いけない、こんなところで雨に降られたら、地面がぬかるんで御体の足では崖を登れなくなってしまう!待って!!待って!!」
必死に叫ぶ。
だけど、遠くなっていく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
視界に靄がかかってくる。
少しづつ、意識が消えていく。
「待って・・・・!待って・・・・・!」
声になっているのだろうか?
それもわからなくなって、ふっと意識が消えた。




