100 花舞ノ章 三
来迎院は都の西南端に位置し、古くから霞家に縁のある寺院である。
宗影たち木曽の軍勢はここを拠点として生活している。総勢百名弱の軍勢となっていた。
桐高上皇には奥の間の一室を与え、昼夜問わず見張りを立たせた。
「緋家に交渉するための切り札は、あの童以外ありますまい」
文堅が腕を組み、首をひねりながら言う。
宗影と恒影、文堅はひざを突き合わせて軍議中だった。
童とは、葦野原の戦の時に文成が捕らえてきた緋孝基の息子、緋昭基のことだ。
「だが・・・そもそも、葦野原では緋家の勝ち戦となってしまった。今更こちらの話など聞くだろうか?」
恒影が言うと、文堅も、「たしかにな・・・」と頷く。
「孝基なら自分の子を見捨てても、緋家再興を掲げるだろうな」
宗影が言う。
「宗影殿ならそうしますか?」
恒影が言うと、宗影は目を閉じた。
・・・どうだろう?
狛丸の顔が浮かぶ。まだ歯も生えていない赤子だった。
沢山の命を救うために、自分の子を犠牲にするか。自分の子の命のため、何人もの人の命を失うか。
自分にとって大事なのはどちらか。
「おれなら、そうする」
武士としての当然の判断だ。
「・・・・・・・」
一同は沈黙する。
伊豆からの人質の要求に対して我が子を差し出した宗影と澄玲の気持ちを思うと、胸が詰まる思いだ。ここにいる誰もがそう感じている。
「上皇と話をしてみよう。・・・石は動かなければ、砕くしかない」
「余を攫うとは、緋家に似たりだな、宗影よ」
桐高は背筋を伸ばして座ったまま、目を閉じてそう言った。
「伊豆への令旨を取り消してほしいのです」
宗影は立ったまま、桐高を見下ろして言う。
「言ったであろう?お主ら木曽討伐は取り消さぬと」
「そちらではありません。緋家討伐の令旨です」
桐高は閉じていた目を開くと、宗影を見上げる。
「・・・何が狙いか?」
「話しても信じないでしょう。それに、話す気もありません」
「では、言うことを聞けというのは無理な話だ。それに、緋家討伐は勅旨だ。勅旨を出せるのも取り消せるのも、帝だけ。帝は今、吹原におる。余ではない」
「では、緋家討伐中止の令旨を出していただきたい。おれはどうしても、伊豆霞家と緋家の戦を止めねばならない」
・・・正確に言えば、淡影と墨羽の衝突を避けなければならない。と、心の中で付け加えた。
「・・・ならば、お主が伊豆を止めてみせろ。余は、お主の言うことを聞く気は毛頭ない」
「だが、あなたがわれらの手中にある限り、伊豆はわれらに従う」
「甘いな。やはりお前は甘い・・・。宗近は余の命など、どうでもよいであろうぞ」
そう言うと、それきり桐高は沈黙した。
「いかがでしたか?」
部屋から出てきた宗影に恒影が尋ねる。だが、宗影の表情を見る限り答えはわかっていた。
宗影は首を横に振る。
「昭基には手を出さぬよう、皆に言い含めておいてくれ。そして吹原には和議の申し入れの書状を出す。駄目で構わない。孝基を揺さぶってみよう」
澄玲は、目の前にいる娘が信じられなかった。
どんな彫師でも、人形職人でも、このような美しいいで立ちを作ることはできないように感じた。
清葉よりもいくらか年上だろう。いや、そのように見えるのかもしれない。歳に似合わない艶やかさと佇まい。この娘に漂う気品と溢れる色気は見る者を狂わせる素質がある。
その生まれ持った原石を、これまでの生き方の中でしっかりと磨いてきたのだろう。それは相当な努力だったに違いない。白拍子として生きていくために、人生を捧げてきたのだ。
だがその美しい顔は、ずっと口を閉ざし、床の一点を見つめている。
食べ物にも手を付けない。
「少しでも良いから何か食べないと、体が衰えますよ」
澄玲が言うと、少しだけ顔をあげて、また下げてしまった。
「わたしにはね、あなたくらいの娘が二人いて。あなたを見ていると放っておけない気持ちになります。今はどこでどうしているのかわたしにはわからないけど、いつでもあの子たちのことは心にあります。ちゃんと食べているか、ちゃんと仲良くしているか、ちゃんと笑っているか・・・・。あの子たちは本当に仲が良かったから、今も二人で楽しく暮らしていると思いますが・・・。でも、この世はおなごには生きづらい。子を産んでも失い、自分の手で育てることもできない世の中ですから・・・。会いたいです。あの子たちに・・・」
澄玲はそう言いながら、自分の目に涙が浮かんでいるのに気が付いた。
清葉、墨羽、そして狛丸。皆、手元からいなくなってしまった。
「あら、あなたを元気づけるつもりが・・・・。御免ね」
「ありがとうございます。わたしは・・・・」
それは、小さいけれど鈴の音のような高く響く声だった。
娘は顔をあげて澄玲を見た。
「瑞奈と申します」
そう言って両手を床に着き、頭を下げた。
よほどお腹がすいていたのだろう。あっという間に芋と大根を平らげた。
「まだ召し上がりますか?」
澄玲が聞くと、瑞奈が頭を下げて、「お願いします」と言った。
「さて、瑞奈。聞きたいことがあるのだが・・・」
宗影は澄玲と同席で瑞奈と話すことにした。
澄玲には心を開いてくれているようだからだ。
それにしても、この娘の目をまっすぐ見ると、引き込まれそうになり、言葉に詰まる。
単に顔立ちが美しいことに留まらない。魅了の力、そんなものがあるのなら、この娘はその塊のような力がある。本人は気づいているのだろうか?
「わたしが何故、上皇様のお命を狙ったか、ですね?」
「ああ、そうだ」
「これからわたしがする話は、すべてその胸の内だけに納めていただけるとお約束していただけますか?」
「・・・・話を聞いてから、としか言えぬ」
そう言って宗影は頷く。隣で澄玲も柔らかい顔で頷いた。
瑞奈はゆっくりと大きく、息をして話し始めた。
「わたしの母も、白拍子でした。名を濱王と申します」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「失礼する」
桐高は来迎院に来てからというもの、ずっと写経をしている。
宗影が入ってきても、手を止める様子はなかった。
「こちらへ」
宗影が呼ぶと、瑞奈王が入ってきた。
ちら、と目をやるが、筆を動かす手は止めない。
「いつぞやの白拍子ではないか。何故ここへ?」
「おれが連れて参りました。あの場に置いて行くわけにはいかなかったので」
宗影が答える。
「それで、また舞を見せてくれるのか?」
「いや、この童の話を聞いていただこう」
そこで桐高は手を止める。筆を置き、まっすぐ瑞奈王を見る。
「名は何と言ったか・・・」
瑞奈王は両手と両膝をついて頭を下げる。
「瑞奈と申します」
その声は不思議なくらい澄んでいた。
「瑞奈か。よい、顔をあげよ」
「はい」
本来、皇位にある者の顔を見ることなどない。宴の時も、御簾越しでしか近づけない相手だ。
「して、何の用か?」
「上皇様は、雪御前を覚えておいでですか?」
桐高の指がぴくり、と動く。
「わたしは・・・・」
「待て!」
瑞奈の言葉を桐高が遮る。瑞奈も驚いて言葉を止める。
「宗影よ」
「はい」
「お主、知っていてこの者を余の前に連れてきたのか?」
「はい。当然ながら」
「どういうつもりだ?」
「おれのやるべきは同じ。伊豆と吹原の戦を止めることのみ」
「それにこの者を利用すると!?」
「御意」
「ならぬっ!!」
この時初めて桐高が声を荒げた。
瑞奈王も驚いて桐高を見上げるが、すぐに視線を落とし頭を下げる。
「恐れながら申し上げますが、上皇様。あなたが選ぶ道はございません。われらの思い通りにしていただきたい。そうでなければ、世が乱れます」
「・・・・・」
桐高は顔を歪める。
宗影はわずかに口元を緩め、桐高を見下ろした。
「宗影・・・お主・・・・」
宗影は、まだ墨の乾いていない桐高の書きかけの経を破り捨てると、新しい紙を出して広げた。
「ここに、宗近に宛てた書状をいただこう。緋家討伐はせぬこと、と」




