第2話 破滅の予言 灰色の逃走路
ノックの先、扉の向こう側にいたのは、銀色の重厚な鎧を纏った、王国の魔導徴兵官だった。
「アストラ・リベリオン。……いや、『星の魔女』と呼ぶべきか、貴様を魔法使いとして接収する」
差し出されたのは、王家の紋章を模した黒い封筒。
徴兵令――実質的な「国家資産への接収令状」だ。
さっき星石に視たはずの『吉』の光が、脳内でパリンと音を立てて砕け散った。
なぜ?未来視には、こんな予兆なんて微塵もなかったのに。
「……身支度の、時間をください」
「人間としての最後の時間だ……、同情はするがこれも私の任務だ、……悪く思うなよ」
私は震える手で令状を受け取り、一度だけ扉を閉めた。
徴兵官が外で見張る中、私は部屋の隅へ転がり込み、再び石を掴む。
さっきのような気休めの占いじゃない。
代償を払ってでも、この『現在』を覆す未来を手繰り寄せなければならない。
……星よ、見せて。私が、この村が助かる未来を――!
魔力を限界まで流し込む。
脳を灼くような衝撃と共に、二つの最悪な未来が私の網膜に焼き付いた。
一つ目の未来。私が徴兵を拒み、村のみんなが私を庇って戦う未来。
――結果は、村の全滅。焼き払われる家々と、見慣れた笑顔たちが血の海に沈む光景。
二つ目の未来。大人しく徴兵に応じ、王都へ連行される未来。
――結果は、廃人。戦場で未来視を過剰に搾り取られ、数年と経たずに全ての感覚を失った私は、物言わぬ『予言機』として地下牢の掃き溜めに捨てられていた。
……そんなの……嫌だ……。
歯の根が合わないほど震えながら、私は三つ目の、たった一つの細い光を掴んだ。
それは、村の人たちが気づく前に、今この瞬間、着の身着のままで裏の森へ逃走する未来。
――――頭がくらくらする、未来視の代償。遠くを見ようとすればするほど、五感を失う感覚に陥る。
私は窓を蹴り破り、愛した家を、耕した畑を振り返ることなく駆け出した。
「逃がすな! 森を包囲しろ!」
背後から騎士たちの怒号と、笛の音が聞こえる。
私は躊躇することなく森の深淵へと足を踏み入れていた。
逃げながら、私は絶え間なく『未来視』を発動させ続けた。
……右、三秒後に火球が来る……! 正面、五秒後に落とし穴の罠!
左側に進路を変えて、落とし穴を跳躍してかわす。
一秒先の未来を視るたびに、私の世界から一つずつ、色が、音が、消えていく。
最初に消えたのは『嗅覚』と『味覚』だった。
森の土の匂いも、自分の口内に広がる血の味も、もう分からない。
……三秒後、左から騎士がくる……!進路を右に!
次に、足の裏から『触覚』が抜け落ちた。
地面を踏みしめている感覚がなくなり、まるで真空の宇宙を漂っているような、あるいは底なし沼に沈み続けているような、強烈な吐き気が襲いかかる。
「ハァッ…、ハァ…」
茂みに隠れ、息を殺して追っ手をやり過ごす。
息を整えた私は、未来視を起動した。
刹那――背後から迫る騎士の剣が、私の足を狙っている未来が視えた。
「っ、重くっ!」
振り返りざま、私は重力を爆発させた。
騎士の体が、見えない巨人の足で踏みつけられたように地面へ激突し、骨の砕ける音が静かな森に響く。
未来を視ながら森を駆ける。
――――左方向、森を抜けれる!待ち伏せもない!
だが、安堵は続かなかった。
森を抜けた荒野の先。
私の未来視には『誰もいない』はずだったその場所に、三人の聖騎士が音もなく立ち塞がっていたのだ。
「な、ぜ……!?」
掠れた声が、自分の耳にも届かない。
右耳の『聴覚』が、すでに死んでいることに気づいた。
未来視に引っかからなかった伏兵。
まるで、私の『星』の力が、何者かに書き換えられているかのように。
騎士たちが剣を抜き、容赦なく襲いかかってくる。
私は残された刹那の時間、無数の可能性の糸を必死に手繰り寄せた。
右へ避ける未来――足をきられる。
左へ飛ぶ未来――魔力弾で左手を貫かれる。
魔法で攻撃する未来――その不思議な鎧によって魔法が反射される。
行き止まり。行き止まり。行き止まり。
どの未来も、暗黒の結末しか示していない。
「……あ、あぁ……」
視界も、急速に『灰色』に染まっていく。
絶望に心が折れかけたその瞬間。
無数の黒い糸の中に、たった一本だけ、細く光る糸が見えた。
それは――自らの肉体を弾丸のように吹き飛ばし、崖の下にある国の境界へ飛び込む、無茶な未来。
どうせ助からないなら……!
私は自分自身に、規格外の重力反発をかけた。
爆発的な衝撃が、私の細い体を空へと投げ出す。
騎士たちの剣が私の黒いローブを切り裂き、鮮血が夜空に舞った。
凄まじい速度で落下しながら、私は最後の力を振り絞って重力緩和を展開する。
――――ドォォォォォォンッ!!
激しい土煙を上げて、私の体は地面に叩きつけられた。
「……、……っ」
声を出そうとしても、もう何も聞こえない。
視界も、ほとんどが真っ暗だ。
辛うじて機能している左目の端に映るのは、色彩を失った、冷たい灰色のノイズに覆われた世界。
……ああ……終わる。私の、世界が……。
泥にまみれ、身動き一つとれない。
意識がブラックホールに飲み込まれようとしたその時。
灰色の視界の向こうから、何かがこちらへ向かって駆けてくるのが見えた。
パタパタと、一生懸命に地面を蹴る足音。
それは、不格好なほど大きなフリルがついたエプロンドレスを翻し、リボンを揺らした、小柄な少女のシルエットだった。
『――! ――!!』
少女が何かを叫びながら、私のそばに膝をつく。
声は、もう何も聞こえない。
けれど、彼女が伸ばしてきたその小さな手が、私の頬に触れた瞬間。
冷たくなりかけていた心に、これまでの人生で一度も感じたことがないような、圧倒的な「温度」が流れ込んできた。




