第八章 廃嫡
侯爵夫人の離縁は、社交界に大きな波紋を広げた。
婚約破棄よりもこちらのほうが驚かれたほどだった。
アーサーは理由を詳細には公表しなかった。
家政運営上の重大な意見の相違。
公式にはそれだけである。
リディアはエレノアと共に侯爵邸を出ることを望んだが、夫人は断った。
「あなたはあなたの人生を考えなさい」
そう告げたという。
侯爵家からは、これまでの保護に見合うだけの支度金が渡された。
リディアは王都の女子教育院で補助教員として働くことを選んだ。
アルフレッドは、彼女に結婚を申し込んだ。
その話をアーサーが知ったのは、リディア本人からではなく息子からだった。
「断られました」
執務室でアルフレッドは言った。
以前の彼なら、悔しさや戸惑いをすぐ顔に出しただろう。
今は俯いたままだった。
「理由は?」
「僕がリディアを愛しているからではないと言われました」
アーサーは何も言わず聞いた。
「僕は、自分を否定しない相手が欲しいだけだと」
窓の外では秋の雨が降っていた。
「そうか」
「父上も、そう思われますか」
アーサーはすぐには答えなかった。
「私が答えることではない」
机から一冊の帳簿を取り出した。
「今日は別の話だ」
アルフレッドは父を見た。
「お前の今後について決める」
その言葉で、息子の姿勢が変わった。
「先日の契約書は読んだな」
「はい」
「何が悪かったか、今なら説明できるか」
アルフレッドはしばらく考えた。
「僕は……セシリアに甘えていました」
アーサーの表情は変わらなかった。
「続けろ」
「彼女なら許してくれると思っていた。リディアが喜ぶなら、セシリアが我慢すればいいと」
「それだけか」
「侯爵家の名前や財産も、自分のものだと思っていたのだと思います」
言葉は以前より近づいていた。
だがアーサーは、もう一つ尋ねた。
「では、当主とは何だ」
アルフレッドは答えに詰まった。
「家を守る者……です」
「どうやって」
「領地を治めて、家臣をまとめて」
「契約は?」
「守ります」
「なぜ」
息子は黙った。
アーサーは待った。
雨音だけが窓の向こうに続いていた。
「信用を失うから」
やがてアルフレッドが言った。
「それだけか」
再び沈黙。
「相手が……こちらを信用して契約するからです」
アーサーは目を細めた。
息子は続けた。
「相手も、自分の何かをこちらへ預けている。だから、こちらの都合で変えてはいけない」
以前なら、そこで十分だと考えたかもしれない。
しかしアーサーは、机の引き出しから別の書類を取り出した。
「これは廃嫡届だ」
アルフレッドの顔が上がった。
「父上」
「お前を嫡男の地位から外す」
「なぜですか」
声が大きくなった。
「今、僕は答えたではありませんか」
「ああ」
「理解し始めています」
「だからだ」
アルフレッドは父を見た。
「理解し始めたばかりの人間へ、侯爵家は渡せない」
「では、僕はどうすれば」
「学べ」
アーサーは言った。
「嫡男でなくなってから学べ」
息子は何も言わなかった。
「お前はこれまで、失敗しても侯爵家があると思っていた。セシリア嬢がいると思っていた。母親が処理してくれると思っていた」
アーサーは書類を息子の前へ置いた。
「一度、何も保証されない場所へ行け」
「追放するのですか」
「領地の南部管理所へ行ってもらう」
小さな管理所だった。
侯爵家の広大な領地の中でも、決して重要とはいえない地域を担当する。
「役職は書記官補佐。特別扱いはしない。給与も同職の者と同じだ」
アルフレッドは書類を見たまま動かなかった。
「戻れるのですか」
父は答えなかった。
「僕が成長したら」
「それを決めるのは私ではない」
アルフレッドが顔を上げた。
「次の当主が、お前を必要だと思えば使うだろう」
「次の当主……」
「弟のエドワードを後継候補として教育する」
十六歳になる次男は、これまで兄が家を継ぐことを前提として、軍務へ進む教育を受けていた。
それを変更する。
アルフレッドは長く黙っていた。
やがて廃嫡届に目を落とした。
「分かりました」
小さな声だった。
アーサーは署名欄に自分の名を書いた。
ペン先が紙の上を進む間、息子は一度も顔を上げなかった。




