第5話 名前を書く前に
七月に入って最初の月曜日、二年三組の教室に、海が半分だけ運び込まれた。
「澄、そこ押さえて。裏のテープがくっつく」
平井菜々は机二つにまたがる大きな紙を広げ、澄に端を託した。紙には、水色と青緑色の絵の具で空と海が塗られている。もっとも今は裏返しで、澄に見えるのは画用紙の白と、四隅を補強した茶色いテープばかりだった。
「ここでいい?」
「もうちょっと右。あ、違う、澄の右じゃなくて私の右」
「同じ向きに立ってから言ってくれると助かるかな」
「ごもっとも」
菜々は紙を持ったまま机の向こうへ回り、澄と並んだ。短い前髪の下に汗がにじんでいる。昼休みの教室は窓を開けても暑く、扇風機が首を振るたび、紙の角がふわりと持ち上がった。
美術部の夏展示が、来週から始まるのだという。放課後の美術室だけでは作業が終わらず、菜々は作品を保護するための台紙を休み時間に直していた。今までスマホでしか見せてもらえなかった絵は、思ったより大きい。
「もうできあがったの?」
「絵の具は昨日で終わり。あとはどこに出すかと、作品札。あと、この裏をちゃんとする。剥がれたら泣く」
「それは、たしかに困るね」
「澄、今日の放課後、少し時間ある?」
澄は指先で紙を押さえたまま考えた。録りたい音がある日なら、その時間を取っておきたい。今日はまだ行き先を決めていなかったけれど、たまには学校の外を歩きたい気持ちもある。
「絵、表から見られるなら行きたい。写真だと青がちょっと違って見えるし」
「見られる。というか、それを見てほしい。褒めなくていいから、遠くからどう見えるか教えて」
「うん。それなら」
「じゃあ決まり。四時半くらいまでは付き合って」
「……四時半までは、最初から決まってた?」
「いま決めた」
澄は笑って、最後のテープを押さえた。菜々は満足そうに紙を巻き始めたが、途中で巻く向きを間違え、絵の表が外側に出そうになる。二人で慌ててほどいていると、廊下側から声がした。
「平井さん、それ、丸めたまま置くの?」
野崎灯が、机の端を見ていた。購買の紙袋を片手に、もう片方にはノートを持っている。黒髪はいつもどおり耳の下で結ばれ、首筋の短い毛が汗で少し浮いていた。
「午後の授業中だけ。美術室に運ぶまではね」と菜々が答える。
「端、折れてるよ」
「えっ、どこ」
「雨宮さんの手の下」
澄が指を上げると、たしかに紙の隅が数ミリほど折れていた。慌てて伸ばそうとする澄の手を、菜々が止める。
「いい、いい。そこは台紙だから。強く擦るほうがまずい」
「ごめん、気づかなかった」
「野崎さん、見つけるの早いね。美術部に入る?」
「入りません。今のは普通に見えたから」
「即答だ」
菜々は笑い、巻き終えた紙をひもで結んだ。灯はその作業を見届けてから、澄へ顔を向けた。
「雨宮さん。土曜日のミシン、まだ聞ける?」
「あ、うん。録音は残してあるよ」
「今、四十秒くらいなら時間ある」
澄は鞄から小型の黒いレコーダーを出した。赤い印の薄れた録音ボタンの脇を避け、再生するファイルを選ぶ。六月最後の土曜の分はまだ数字だけの名前だった。休日のうちに整理するつもりが、菜々の絵の写真を見たり、宿題を片づけたりしている間に日曜が終わってしまった。
「ちょっとだけ小さい音で流すね」
三人は机のまわりに寄った。周囲では弁当箱の蓋を閉める音や、午後の小テストの範囲を尋ねる声がしている。再生ボタンを押すと、その中に、から、たたた、という乾いた響きが混じった。
足踏み板が上下する。車輪が回る。針の音が速くなり、少し緩んで、また揃う。
灯は手にした紙袋を机に置き、レコーダーへ顔を近づけた。音が途中で変わるところで、指先が一度、机の縁を叩く。最後の音が消えると、灯はすぐに顔を上げた。
「速くなってるとき、足はどうしてた?」
「踏むのも速くしてた。ずっと同じ速さではなかったよ」
「じゃあ、途中の間は止めたの?」
「少し緩めてたと思う。布の端を見ながら、踏み方を変えてた」
「なるほど」
灯はもう一度、机の縁を指で叩いた。今度はさっきよりゆっくり二回。その指を見て、菜々が首を傾ける。
「二人とも、これのどこを見てるの? 録音なのに」
「私はミシンの動きを思い出してる」と澄が言う。
「私は踏む速さ」と灯が続けた。
「答えが別々だった」
菜々は巻いた紙を抱え直して、笑った。
「私には昔のミシンって感じだったけど、踏んでる人がいると思うと面白いね。それより澄、さっきの最初の音、机の角に当たってるみたいだった」
「机じゃなくて、踏み板の戻る音かも。私もそこが好き」
「じゃ、私が海ばっかり見てても、澄が別のとこ気にするのと同じか」
「……たぶん、そうかな」
灯が笑いをこらえるように唇を結んだ。
「雨宮さん、いつも最後だけ曖昧になるね」
「急にまとめられると、自信がなくて」
「まとめなくてよくない?」
「……それは、そうかも」
灯は腕時計を見た。まだ昼休みは少し残っているが、午後に提出するプリントがあるらしく、ノートを持ち直した。
「聞けてよかった。あれ、踏む人が調整してるんだね」
「うん。お店の人、縫い目もすごく揃ってたよ」
「そっちは録れないね」と灯が言う。
「うん。音しか残してないから」
灯は紙袋を拾い、「じゃあ、また」と自分の席へ戻っていった。菜々はその背中を見てから、澄のレコーダーを見る。
「最近、野崎さんともそういう話するんだね」
「あ、うん。少し」
「澄の音に興味ある人、私以外にもいたんだ」
「菜々、今まで興味あったっけ」
「ひどい。試しに録った校庭の砂利、前に聞いたじゃん」
「『最後まで聞くと眠くなる』って言ってた」
「覚えてたか」
菜々は悪びれずに笑い、作品を抱え直した。
「でも今日の海は、眠くならないほうがいいな。放課後、よろしく」
*
美術室は、西日の差す窓際だけが明るかった。
放課後、澄が入ると、机の上には水を張ったバケツや乾きかけの筆が並んでいた。奥では別の部員が作品札に文字を書き、入口の近くには、展示場所を示す簡単な見取り図が貼られている。廊下に出す展示なので、学校が決めた通行幅を空けたうえで、部員たちがどの絵をどこに掛けるか相談しているらしい。
菜々は窓際の机を二つ寄せ、昼休みに巻いた紙をゆっくり広げた。
「じゃーん。実物の青です」
澄はすぐには返事をしなかった。
紙の上半分以上を占める空は、よく晴れた夏の水色ではなかった。白を混ぜた青が何度も重なり、雲の下は少し紫に沈んでいる。その下に細い水平線があり、海には先月菜々が選んだ緑寄りの青が使われていた。手前の水面だけが、薄く光っている。
スマホの画面では平らな一枚に見えたのに、実物には絵の具を重ねた場所と水で薄く流した場所があった。澄は紙から二歩下がった。
「……空、広いね」
「そうなんだよねえ」
菜々の返事には、少し引っかかる響きがあった。
「私、本当は空を広く描きたかったんだけど。部の子に、これ海の絵ってわかるかなって聞いたら、遠くからだと山か川かもしれないって」
「近くで見ると、波があるよ」
「近くまで来てもらわないとわからないの、展示だとどうなのかなって。水平線、もう少し上に直そうか迷ってる」
菜々は鉛筆を持ち、海の上あたりに当ててみせた。線をその位置へ移すと、空が狭くなる。澄が好きだと思った紫がかった雲の部分も、いくらか消えることになる。
「澄は、どう思う?」
すぐに「今のままでいい」と言いたくなった。菜々がここまで頑張ったことも知っているし、絵も気に入った。それに、これ以上作業が増えたら大変だろう。
けれど菜々は、鉛筆を置かずに待っていた。
澄は紙をもう一度見た。海は確かに細い。入口から通りすがりに見た人が、同じように海だと気づくとは限らない。
「……海だって、すぐにはわからない人もいると思う」
「だよね」
「でも私は、上の雲が広いほうが好き。そこを狭くすると、違う絵になりそうで」
菜々は鉛筆を浮かせたまま、澄の顔を見た。
「どんなふうに違う?」
「晴れた日に海を見に行った絵じゃなくて……風が強くて、空ばっかり見てた日の絵に見える。私には」
菜々が黙った。澄は言い過ぎたかと思い、口を開きかける。
「それ」
菜々は鉛筆を机に置いた。
「小学生のとき、海へ行った日のこと思い出して描いたんだ。すっごい曇ってて、海の写真を撮りに行ったのに、母さんの写真は空ばっかりで」
「……そうだったんだ」
「帰りの電車で晴れたの。最悪でしょ」
菜々は笑い、もう一度絵を見た。
「だから、空を狭くするのは違う気がしてた。でも『海』って言い切って出すと、わかりにくいかなって」
「題名で、海って教えるのは?」
「それも考えた。でも題名で答え合わせするのは、なんか悔しい」
澄には、その悔しさが少しだけわかった。録音した音に名前をつけるとき、あまり説明しすぎると、聞く前から音の形が決まってしまう気がすることがある。ただ、菜々の絵は菜々のものだ。そのたとえを口にしても、答えにはならない。
「……私、近くで見たときの、この海の色が好き」と澄は言った。「でも、最初に遠くから見たときは、空がすごいなと思った。両方、ほんとだよ」
菜々は絵の端を軽く押さえ、しばらく考えていた。
「よし。水平線は動かさない」
「いいの?」
「いま決めた。でも、見え方は場所で違うかもしれないから、展示場所を見に行こう」
話の切り替えが早くて、澄は少し笑った。菜々は紙を保護用の台紙へ戻し、見取り図を持ち上げている。もう次にやることを考えていた。
展示予定の一階廊下には、まだ何も掛かっていなかった。壁沿いに細長い掲示板が並び、片方の端には大きな窓がある。部員たちが仮置きした紙片には作品の番号だけが書かれ、来週にはここに色が増えるのだろう。
「この窓の近くなら明るいけど、夕方は反射があるんだよね」と菜々が言った。
「反対側は?」
「通る人は少ない。でもそれじゃ展示の意味がないって先輩が言ってて」
澄は廊下を一度歩いてみた。教室から帰ってくる生徒の声、階段を下りる靴音、開いている窓から聞こえる運動部の掛け声。端に立つと窓が明るすぎて、壁の紙片の文字は読みにくい。少し戻ると、廊下は暗くなるが、壁そのものは見やすかった。
「菜々、真ん中から一枚ずらしたところ、空いてる?」
「どこ?」
「窓側じゃないほうの、二番目。廊下の真ん中から見ると、光が斜めに当たるところ」
菜々はそこまで歩き、澄と並んで壁を見た。
「そこ、今のところ空いてる。でも通路の外側には出せないから、額は薄いのじゃないと」
「この前見せてくれた台紙なら、薄いと思う。……私はここで見たいな」
「澄が?」
「うん。空の暗いところが、ここならちゃんと見えそうだから」
菜々は口元を少し緩めた。
「それ、いい理由。部の人にも聞いてみる」
「私も、来週見に来ていい?」
「もちろん。夏展示なんだから、見に来てもらわないと困る」
「じゃあ、始まったら私、ここで見る」
「……展示の場所が変わっても怒らないでね」
「それは、怒らないよ」
二人は掲示板の位置をメモして美術室に戻った。菜々は先輩に展示場所の相談をしに行き、澄には作品札用の厚紙を数える仕事を残した。数え終えた厚紙が一枚余ったので、澄が報告すると、菜々は「予備があると安心」と言って大事そうにしまった。
四時を過ぎ、美術室の窓から入る光が少しずつ赤くなった。
「澄、付き合ってくれてありがと。あと、海が細いって言ってくれてよかった」
「それ、言ったときはちょっと心配した」
「私も一瞬むっとした。でも、聞いたの私だし」
菜々は筆洗いの水を交換しながら、笑った。
「褒められたいときは、そう言うから。そのときはよろしく」
「そのときは、ちゃんと褒めるところを探すね」
「探さなくてもあるって言ってよ」
菜々が笑って肩をぶつけてきたので、澄も笑った。
*
帰り際、澄は下駄箱の前で灯と会った。
灯は学校指定の鞄を肩に掛け、片手でスマホを確かめていた。制服のリボンはきちんと結ばれていたが、半袖の裾が少しだけ外へ出ている。澄に気づくと、画面を伏せて顔を上げた。
「雨宮さん。平井さんと一緒じゃないの?」
「菜々はまだ美術室。片づけが残ってて。私は先に帰るところ」
「そっか」
灯はスマホをしまい、下駄箱の上に置いていた折り畳み傘を鞄へ入れた。外は晴れているのに、空の端には夕立が来そうな雲がかかっている。
「今日のミシン、ありがとう。最初のところ、思ってた音と違った」
「どう違ったの?」
「ずっと同じ速さかと思った。ああいうふうに途中で動かせるんだね」
「うん。お店の人、布を見ながら踏み方を変えてた」
灯は何か言いかけて、唇を結んだ。
「……野崎さん?」
「私、今週、集会所に行く」
澄は少し驚いた。六月の土曜日以来、灯とは篠笛の話をしていない。菜々が近くにいた昼休みにも、灯は自分の用事を口にしなかった。
「練習?」
「ううん。秋祭りのほう。出たい人向けの案内が出てたから、条件を聞きに行く。夏の間に、一度はほかの人と合わせる日があるんだって」
「……そっか。野崎さん、そこまで決めたんだね」
「決めたのは、聞きに行くことだけ。吹けるかはまだ別」
灯は腕時計を見た。約束の時間を気にしているような動きだった。
「人前で吹くなら、いつかは下手なところも見られるんだよね。でも、秋になって急に混ぜてくださいって言うのも無理だし」
「うん」
「だから、条件だけ先に知りたい。無理なら無理って言われるだろうし」
澄は灯の鞄に目をやった。あの細長い布袋は見えない。学校では話さないでほしいと言われていたので、澄も声を落とした。
「……行くの、怖くない?」
「怖いよ」
あまりに即答だったので、澄は目を上げた。灯は柔らかな眉を寄せたまま、靴箱の縁を指で軽く叩いている。
「まだ全然、安定して鳴らないし。でも、行かないと向こうが何を求めてるかもわかんないから」
「そっか」
澄は、何か言えることを探した。応援してる、と言えばいいのかもしれない。でも灯はまだ、できるかどうかさえ確かめていない。知らないまま上手くいくと決めつけるのは違う気がした。
「聞いてきたら、教えてもらってもいい?」
澄は自分でも少し意外なほど、はっきりそう尋ねた。
「練習を見せてほしいんじゃなくて、どんなふうに参加するのか気になるから。野崎さんが話してもいいところだけでいいけど」
灯は一度だけ目を見開き、それから腕時計を見た。
「……わかった。話せるところは話す。でも、雨宮さんを連れてくわけじゃないからね」
「うん。それはわかってる」
「ならいい」
灯は鞄を掛け直し、昇降口のほうへ歩き出した。澄も少し遅れて外へ出る。校門のところで灯が右へ、澄が駅前へ曲がることになった。
「じゃ、また明日」と灯が言う。
「また明日。……野崎さん、行ってらっしゃい」
灯は二、三歩進んでから振り返った。
「学校から帰るだけなのに?」
「あ、そうだよね。ごめん、つい」
「まあ、ちょっと出かけるし。行ってきます」
灯は小さく手を上げ、先に歩いていった。澄は見送ってから自分の道へ向かった。
美術室に残った菜々の絵と、灯がこれから聞きに行く祭りの条件。どちらも澄には最後までわからない。でも今日は、知りたいことを二人にそれぞれ聞けた。
駅前へ下りる坂には、夕方の買い物客が増えていた。小さな子が母親の手を引き、角の八百屋では店先の籠を重ねる音がする。背中のほうで籠が一つ転がりかけ、店の人が「あぶない」と笑った。澄もつられて振り向いたが、すぐに足を戻して駅前へ下った。
*
翌日の昼休み、灯が澄の席まで来た。
菜々は美術室で作品札の文字を決めると言って先に出ていて、澄は机の上で小さなパンの袋を畳んでいた。灯は隣の空いた机に片手を置き、いつものように身体ごとこちらを向ける。
「昨日、聞いてきた」
「……うん。どうだった?」
「夏の合わせ練習に一回出て、秋に吹くかどうかはそこから相談するって。人数の都合もあるから、出たいだけじゃ決まらない」
「そうなんだ」
「初めての人も来ていいって。ただ、楽器を持って来るように言われた」
最後の一文を言うとき、灯は少しだけ顔をしかめた。
「見学だけじゃないんだ」と澄が言う。
「そう。見られる。たぶん、何も鳴らない日もあるのに」
澄は袋を畳む手を止めた。灯の指が机の縁を二度、同じくらいの間を空けて叩く。少し前、渡り廊下でクリップを鳴らしていたときと似た動きだった。
「で、名前は書いてきた」と灯が続けた。
「えっ」
「参加希望のほう。昨日、受付の人に渡してきた。夏の練習の日程ももらった」
「……そっか」
澄は灯を見た。
いつもと同じ結び目の黒髪、いつもと同じ制服。けれど今朝から何度も教室の前を通っていた灯は、昨日までとはひとつ違う用事を持っている。あの集会所で出なかった一音の続きを、ほかの人のいる場所へ持っていこうとしている。
「雨宮さん」と灯が言った。
「うん?」
「いま、『きっと大丈夫』って言おうとしてない?」
澄は思わず笑ってしまった。
「……ちょっとだけ、考えた」
「言わなくていい。どうなるかは、まだわかんないし」
「うん。じゃあ、代わりにひとつ聞いていい?」
「何?」
「次の練習の日まで、学校では普通に話しかけていい?」
灯は一瞬、意味がわからないように目を瞬かせた。
「普通にって?」
「パンとか、宿題とか。そういう話」
「なんで笛を申し込んだら、普通の話まで変わるの?」
「……変わらないか」
「変わらないよ」
灯は呆れたように言ったあと、少し笑った。
「あと、篠笛のことはまだ学校では内緒。今みたいに小さい声ならいいけど、ほかの子には言わないで」
「うん。約束したから」
「それでよし」
灯は机から手を離した。教室の前で誰かが次の授業のプリントを配り始めている。
「私、購買行ってくる。今日はちゃんと一個だけ買う」
「……二個でもいいと思うけど」
「今日は一個で足りる」
灯はそう言って廊下へ出ていった。澄はようやく袋を畳み終え、鞄へしまった。
スマホには、菜々から短いメッセージが届いていた。
『作品札の題名決めた。あとで見せる。変って言わないでね』
澄はしばらく画面を見て、それから返信した。
『先に見せて。変かどうかは、それから決める』
送信すると、すぐに『厳しい!』という返事が来た。続いて、笑っている顔の絵文字がひとつ。
澄はスマホをしまい、五時間目の教科書を出した。菜々がつけた題名を想像しかけたところへ、予鈴が鳴る。
ほとんど同時に購買から戻ってきた灯が、紙袋を一度だけ澄のほうへ掲げた。透けて見えるパンは、たしかに一個だった。澄が指を一本立てると、灯も真顔で一本立て返す。澄は笑いを飲み込みながら、教科書を開いた。




