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第3話 鳴るまでのあいだ

 日曜日の夜、雨宮澄は金曜日に録った音の名前を二度変えた。


 最初は「自転車屋の金属音」。それでは何の音かわからない気がして、「小さな部品の仕分け」に直した。けれど、部品という言葉だけでは、あの店の油の匂いや、開け放した戸口から入ってきた夕方の風までなくなってしまうようで、結局「駅前自転車屋・部品を分ける」に落ち着いた。


 録音は二十七秒。目当てにしていた空気入れの音は入っていない。


 いつもなら名前をつけたところで満足するのに、その夜は保存したファイルをもう一度再生した。金属が小皿に当たる軽い音を聞きながら、灯にこれを聞かせたら、何と言うだろうと考えてしまった。


 日付が月曜日に変わったところで、澄はレコーダーの電源を切った。


 だから翌朝、二年三組の戸を開けるときには、もう野崎灯のことを考えないつもりだった。


「おはよう、雨宮さん」


 思っていた相手から先に声がして、その決心は戸口で終わった。


 灯は廊下側の自分の席で、通学鞄から教科書を出しているところだった。黒い髪を耳の下でひとつに結び、短い毛が首筋に沿っている。肩に掛けた通学鞄は、週明けらしく少し膨らんでいた。目が合うと、教科書を持ったままこちらを向く。


「あ、おはよう。野崎さん」


 澄は教室に入ってから、もう一度小さく頭を下げた。二回挨拶したようで変だったが、灯は気にした様子もない。


「金曜、空気入れはどうだった?」


「空気入れは、使われなかったの。でも別の音が録れて」


「じゃあ、何もなしじゃなかったんだ」


「うん。日曜日に名前もつけたよ」


 口にしてから、そこまで報告する必要はなかったかもしれないと思った。灯は窓のほうへ目を向け、少し考えるように唇を結んだ。


「名前って、音につけるんだよね」


「一応。あとから探すときにわかりやすいから」


「『自転車屋で空気入れを待ったけど鳴らなかった日』じゃないの?」


「それだと、録ってないものが題名になっちゃうかな」


「長いしね」


 灯はあっさり認めて、教科書を机に置いた。


 澄は自分の席へ向かいながら、胸の奥に小さな温かさが残っているのを感じた。金曜日に教室で音を聞かせたあと、灯がどんなふうに受け取ったのかは、まだよくわからなかった。けれど月曜日になっても、空気入れのことを覚えていた。


 しかも、灯のほうから聞いてきた。


 そのことをもう少し喜びたい気持ちはあったが、澄は鞄を机の横に掛け、一時間目の準備を始めた。金曜日とは違って、灯が登校したかどうかを何度も確かめる必要はない。つい目が行くときはあるけれど、席にいることが、少しずつ朝の景色になってきた。


「澄、おはよ。数学の小テストって今日だっけ」


 隣の列から平井菜々が顔を出した。短めの前髪を指で押さえながら、片手でノートを抱えている。同じクラスになってから昼休みを一緒に過ごすことが多い相手で、質問する前に自分でノートを開くところまでがいつもの動作だった。


「おはよう。たぶん水曜日だよ。先生、先週そう言ってたと思う」


「あ、よかった。昨日プリントだけ見て寝ちゃった」


「大丈夫? 水曜日でも、もうすぐだよ」


「だから今からやる。……って言いながら、月曜の朝はやる気が出ないんだけど」


 菜々はそう言ってノートを閉じ、澄の机の端に置いてあった消しゴムを眺めた。


「それ、まだ使ってるんだ。だいぶ四角くないね」


「まだ消えるから」


「消しゴムに求めるものが少なくていいなあ」


 菜々は笑い、今度こそ自分の席へ戻っていった。


 教室のあちこちで、週末の話と一時間目の話が入り交じっている。窓際では日焼け止めを貸し借りしている子がいて、廊下からは運動部の朝練帰りらしい足音が響いた。湿った上履きの底が床に触れるたび、きゅ、きゅ、と小さく鳴る。


 澄はノートを開いた。月曜日はまだ始まったばかりだった。


     *


 昼休み、菜々は弁当箱の蓋を開ける前にスマホで写真を一枚見せてきた。


 水色の絵の具を何色か並べた写真だった。どれもよく似ているのに、菜々は指先でひとつずつ示しながら、これは海っぽい、こっちはただの青だと説明した。


「美術部で夏の展示に出す絵を描いてるんだけど、空と海が同じ色になっちゃってさ。今日、駅前の文具屋で一本買い足す」


「どの色にするの?」


「それが決まんない。写真で見ると違うし、実物の紙に塗ってみないと。澄、帰り時間ある?」


 澄は箸を持ったまま少し考えた。今日は録りたい場所を特に決めていない。週明けにはいつもノートの整理もあるけれど、それは家でできる。


「うん。文具屋さんなら、少し寄れると思う」


「よし。私が青ばっかり見てたら止めて」


「止めるの?」


「永遠に選べないから」


「……一応、時間は見るね」


 菜々は満足そうにうなずき、卵焼きを口に入れた。澄も弁当を食べながら、さっき見せられた写真を思い出す。同じ青でも少しずつ違う。菜々がその違いを気にしていることは、澄にはなんとなくわかった。


 教室の前のほうでは、灯が別の子と話していた。机を挟んで向かい合い、相手の広げたプリントを見ている。灯は一か所を指さして何か尋ね、相手が答えると、今度は自分のノートを開いていた。


 澄は一度だけ目を向けて、すぐ弁当へ戻った。


 金曜に一緒に風鈴の音を聞いたからといって、灯がいつでもこちらと話すわけではない。そんなことは最初からわかっている。むしろ澄にも、菜々との昼ごはんがあり、放課後には文具屋へ行く約束ができたところだった。


「澄、卵焼き一個残ってるよ」


 菜々に言われて、澄は弁当の隅を見た。


「最後に食べようと思ってたの」


「ほんとに?」


「……半分くらい、ほんと」


「残り半分は?」


「話してたら忘れた」


 菜々が笑ったので、澄も笑った。先週なら心臓が跳ねるような話ばかりしていたのに、今日は卵焼きの順番で笑える。それがありがたかった。


 食べ終わってから、澄は水筒をしまい、鞄を肩に掛けて渡り廊下へ向かった。


 朝の通学路は少し濡れていた。夜明け前に短い雨が降ったらしい。校舎の外側にある古い雨樋なら、まだ水が残っているかもしれない。


 金曜日には乾いていた、あの雨樋だ。


 渡り廊下へ出ると、風は思っていたより涼しかった。校庭では体育の片付けをしている生徒たちが用具を運び、少し離れた木の枝で鳥が鳴いている。屋根の端から伸びる金属の雨樋の下には、いつもの平たい石が置かれていた。


 石の端が、まだ黒く湿っている。


 澄は鞄から小型のレコーダーを取り出した。薄くなった録音ボタンの赤い印を親指で確かめ、雨樋から少し離れた場所に立つ。


 ぽつん。


 水滴が石へ落ちた。


 続いて来るだろうと思って待ったが、なかなか来ない。風が吹き、校庭から誰かを呼ぶ声が届く。澄は録音ボタンを押さず、雨樋の口を見上げた。


 音は待っている間にも変わる。続けて落ちるときより、一滴だけ遅れて来たときのほうが、石の響きがよくわかることがある。


 今日はもう一滴くらい、落ちそうだった。


「またそこにいる」


 澄が振り返ると、灯が渡り廊下の入口に立っていた。片手に購買の小さな紙袋を持ち、もう片方には薄いノートを抱えている。澄と雨樋を見比べてから、歩いてくる。


「この前は、もう乾いてたでしょ」


「うん。今日は少し残ってるみたい」


「録ってるの?」


「まだ。今、一滴落ちたところで」


 灯は雨樋の下に目を向けた。しばらく待ち、それから石を見た。


「次は?」


「……まだ」


「いつ来るの?」


「それは、たぶん雨樋にもわからないと思う」


 灯は少し眉を上げたあと、笑った。


「雨樋に聞いてるわけじゃないよ」


「そうだよね」


 澄は自分でもおかしくなった。灯と話していると、考えたことを順番に整える前に、変なところだけ口から出てしまう。


 灯は腕時計を見た。昼休みはあと十分ほど残っている。購買へ行った帰りらしく、紙袋からは細長いパンの端が覗いていた。


「雨宮さん、何分くらい待つつもり?」


「あと三分くらいかな。五時間目に間に合うように戻るけど」


「三分で落ちなかったら?」


「今日はやめる。……たぶん」


「最後だけ弱い」


 灯はそう言って、雨樋の隣に立った。


 二人で黙って石を見る。


 思いがけず、風の音より靴の擦れる音のほうが大きく感じられた。渡り廊下を何人かの生徒が通り過ぎる。澄は邪魔にならないよう半歩壁側へ寄った。灯もそれにならって位置をずらす。


 一分も経たないうちに、灯の指先が動き始めた。


 薄いノートの上に留まった銀色のクリップを、親指でほんの少し押している。かち、かち、と硬い音が二つ鳴った。間を置いて、また二つ。音量は小さいけれど、間隔はさっきより揃っている。


 澄はつい、そちらを見た。


 灯の視線は石ではなく、自分の指に向いていた。唇を軽く結び、三度目にクリップを押す。今度は二つ目が早すぎたらしく、指を止めた。


「……あ」


 澄の声に、灯が顔を上げた。


「うるさかった?」


「ううん。今の、二回目のほうが音が揃ってたなって」


 灯はノートを見下ろす。


「二回目は揃った。三回目がだめ」


「私、三回目はちゃんと聞いてなかったかも」


「私は押したからわかる」


 きっぱりした返事だった。


 灯はクリップをもう一度押しかけ、廊下の向こうから近づいてくる足音に気づいて手を止めた。別のクラスの生徒が挨拶をすると、いつもどおりの声で返す。通り過ぎてからも、クリップには触れなかった。


 澄は、灯がさっきの音を気にしているように見えたのが少し意外だった。


 雨樋から落ちる一滴を待つことには、ほとんど興味がなさそうだったのに。指先で作ったほんの小さな音の間隔には、自分から何度も挑んでいた。


「野崎さんは、音を揃えるのが好き?」


 尋ねると、灯は一瞬だけノートを抱え直した。


「揃ったら気持ちいいでしょ」


「うん。わかる気がする」


「……本当に?」


「私の場合は、揃ってるのを見つけるほうかもしれないけど」


 灯は少し考え、目線を石へ戻した。


「それは、待ってれば来るの?」


「来ない日もあるよ」


「私は待つより、自分でやり直せるほうがいいな」


 言い終わると、灯は時計を見た。


「でも、今日はここまで。購買に行ったついでに職員室へ寄るつもりだったの、忘れるとこだった」


「えっ、じゃあ急がなきゃ」


「あとで行けるけど、先に行こうと思ってたから」


 灯は紙袋をノートの下に持ち替えた。急いでいるというほどではないが、もう行き先へ身体を向けている。


 澄は口を開きかけた。自転車屋の部品の音なら、今日レコーダーに入っている。今なら、灯に聞いてもらえるかもしれない。さっきのクリップの音をどう聞いたかも、もう少し話したかった。


 けれど灯は職員室へ行くところだったし、自分は雨樋の音を待つつもりでここへ来たのだ。どちらも、途中で変えなくてはいけない用事ではない。


「うん。じゃあ、また教室で」


 灯が一歩踏み出したとき、ぽん、と音がした。


 さっきより大きい水滴が、石の中央へ落ちた音だった。


 二人とも足を止めた。


 澄は雨樋を見て、それからレコーダーの画面を見る。録音は始めていない。


「あ、今の」


「来たね」


 灯の声は少し弾んでいた。


「録れた?」


「ううん。押す前だった」


「惜しい」


 灯は石をもう一度見て、澄へ顔を向けた。


「でも、聞けたじゃん」


「……うん。聞けた」


 澄はレコーダーを鞄へ戻した。もう一滴来るかもしれない。でも待ち続けると、昼休みが終わってしまう。


 灯は歩き出す前、ノートに留まったクリップを指でひとつだけ鳴らした。


 かち。


「こっちは、いつでもできる」


「……でも、さっきみたいに二回揃うとは限らないよね」


 灯が澄を見た。柔らかな眉が少しだけ上がり、次に口元が緩む。


「うん。そこが面倒」


 灯は職員室のほうへ歩いていった。澄は手すりの近くにもう数秒残り、雨樋の口を見上げた。


 水滴は、それきり落ちなかった。


 教室へ戻る途中、澄は自分の指で鞄の持ち手を軽く叩いてみた。二つ、同じ間を空けるつもりが、二回目は少し遅れた。


 なるほど、これは案外難しい。


 そう思うと、笑いそうになった。


     *


 午後の授業が終わるころには、渡り廊下の石もすっかり乾いていた。


 教室では、日直が黒板を消す音と、部活動へ向かう生徒たちが椅子を引く音が混じっていた。澄は板書を写したノートを鞄へ入れ、リボンの結び目を指で直した。


 菜々は先に美術室へ寄って荷物を置いてくるという。駅前の文具屋で落ち合う時間は、下校してから十分後に決めた。澄はスマホに入れた時刻をもう一度見た。


「雨宮さん」


 顔を上げると、灯が机の間に立っていた。


「お昼の、結局録らなかったの?」


「うん。もう少し待てばまた落ちたかもしれないけど、次の授業もあったし」


「そうなんだ」


 灯は澄の鞄へちらりと目を向けた。


「じゃあ、今日の分は空っぽ?」


「まだ録ってないけど、別に毎日録るって決めてるわけじゃないよ」


「あ、そうなの?」


「うん。……雨宮さんなら毎日やってそうって思った?」


 言ってから、自分を名字で呼んでしまったことに気づいた。澄が口を押さえると、灯が笑いをこぼした。


「雨宮さん、自分に聞いてどうするの」


「ごめん。野崎さんなら、って言うつもりだった」


「私は決めてないよ。雨宮さんの録音の予定」


「そうだよね。私も決めてない」


 澄は笑いながら、鞄の口を閉めた。さっきの言い間違いは恥ずかしい。けれど、灯がそれを聞いて笑ったことは、少しうれしかった。


「今日、雨宮さんはどこか寄る?」


「菜々と駅前の文具屋さん。絵の具を見に行くんだって」


「平井さんと?」


「うん」


「じゃ、私とは反対だ」


 灯は腕時計を見た。今日は金曜日より早く帰るらしい。澄の知らない用事があるのか、それとも普通に家へ帰るのか、そこまではわからない。


「野崎さんは、これから?」


「寄るところある。今日は遅くなりたくないから、もう行くね」


「あ、うん。気をつけて」


 灯が肩紐を持ち直したところで、澄はまた言ってしまったと気づいた。


 気をつけて。


 先週の木曜日にも、何度も言いかけた言葉だ。あの看板の下で起きたことが、まだ身体のどこかに残っているのかもしれない。


 灯は一度足を止めた。


「雨宮さんも。買い物、迷子にならないでね」


「……駅前のお店だから、たぶん大丈夫」


「その『たぶん』が気になる」


 灯は笑ったまま教室を出ていった。


 澄はその背中を追わず、ファスナーを最後まで閉めた。自分が見たあの文字を思い出さない日がすぐ来るとは思えない。それでも、見送るたびに何か理由を作って追いかけることはしたくなかった。


 菜々から「美術室を出た」とメッセージが届いた。澄は返信し、席を立った。


 廊下の窓は半分ほど開いている。夕方の風に掲示物の端が揺れ、留めてある画鋲が小さく光っていた。どこかの教室から机を動かす音が聞こえる。週明けの放課後は、終わったというより、それぞれ別の用事へ続いていく時間だった。


     *


 駅前の文具屋には、細い絵の具のチューブが色順に並んでいた。


 菜々は棚の前で腕を組み、青い列を上から下まで何度も眺めている。澄も隣で、値札の文字を読んだ。


「こっちのほうが海っぽいかな」


「うーん……写真で見たのに近いのは、そっちかも」


「でも紙に塗るとまた違うんだよね」


「そうなんだ」


「澄、どっちがいいと思う?」


 二本のチューブを差し出される。片方は少し緑がかっていて、もう片方は空に近い青だった。


 澄は目を近づけた。菜々の描いている絵の全体はまだ見ていない。適当にどちらか選ぶのは簡単だけれど、それでよいかどうかもわからない。


「……私は、こっちの緑っぽいほうが好き。でも、海に使うなら菜々が決めたほうがいいと思う」


「えー、逃げた」


「だって、私、まだその絵を見てないし」


「そこまで言われると、ごもっともだなあ」


 菜々は二本を見比べて、緑の入ったほうをかごへ入れた。


「じゃあ今日はこっちにする。合わなかったら、別のところに使う」


「うん。それなら、無駄にならないかも」


「その言い方、私がまた一本買うの見越してない?」


「……少しだけ」


 菜々は声を立てて笑い、レジへ向かった。会計のあと、買ったチューブを袋から一度出し、蓋がちゃんと閉まっているか確かめる。塗りたい色のことを考えている横顔は、昼休みのときよりずっと真剣だった。


 澄はふと、灯がノートのクリップを押していたときのことを思い出した。


 揃ったと思った音も、次はずれてしまう。それでも、自分でもう一度やってみたくなる。


 菜々は買ったばかりの青を大事そうにしまっている。灯も、あの小さな音を揃えようとしているとき、こんな顔をしていただろうか。


 澄にはまだ、菜々の描いた海がどんな色になるのかわからない。でも、できあがったら見せてもらいたかった。


「澄、何か買う?」


 菜々が袋を持って戻ってきた。


「今日はいいかな。付き合うって言っただけだし」


「じゃあ、外の自販機で何か飲んで帰ろ。私、青ばっかり見て喉乾いた」


「青を見ると喉が渇くの?」


「私の場合はね」


 菜々は真顔でうなずいたあと、自分で笑い出した。


 二人で店を出ると、駅前にはまだ明るさが残っていた。自転車置き場のあたりから、鍵を外す乾いた音が聞こえる。改札へ向かう人の流れには、制服姿も仕事帰りの服も混じっている。


 菜々が自販機の前で飲み物を選んでいる間、澄は鞄の上からレコーダーの形を確かめた。


 今日は、何も録っていない。


 それでも月曜日の音を思い出すと、雨樋の石に落ちた一滴のあとに、かち、とクリップの音が続く。


 


「澄は?」


 菜々が自販機の前で振り向く。


「あ、私はお茶にする」


「温かいのと冷たいの、どっち?」


 澄は並んだボタンを見た。


「……冷たいほう」


「お、今日は早い」


「お茶くらいなら、決められるよ」


 菜々が自分の分を買ったあと、澄も小銭を入れてお茶のボタンを押した。自販機の中で缶が転がり、取り出し口に落ちる。澄はその音につい耳を向けた。


 缶を取り出すと、指先に冷たさが移った。菜々はすでに自分の飲み物を開けていた。


 明日、灯に会ったら、雨樋のことをまた話すだろうか。話さないかもしれない。


 それでも、もしあのクリップの音の続きを聞けたら、今度は三回目が揃うかどうか、少しだけ気になる。


 駅前を吹き抜けた風が、菜々の買い物袋をかさりと鳴らした。澄は冷たい缶を両手で包み、歩き出した菜々の横に並んだ。


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