第二話 乾くまでの色
話しているうちに、窓の明るいところが、テーブルの脚まで移ってきた。
紗季は菓子を半分に割った。
「先生は、怒ってますか」
修一はしばらく考えた。
「寂しかった」
言うと、紗季は菓子を皿代わりの紙に置いた。
「連絡がなくなった時、何かあったのかと思った。
いや、分かっていたところもある。でも、聞くのが怖かった」
修一は自分の右手を撫でた。
「一度、仕事を全部なくしたことがある。
この町へ戻る時には、家のものも、随分置いてきた。
身軽になったつもりだったけど、夜になると、置いてきたものばかり増えるんだ」
談話室の外で、本を運ぶ台車が止まった。
また動き出し、車輪の音が遠ざかった。
「ここで仕事をしている間は、まだ誰かが来る。
君が来た日は、帰ってからも、次に見せるものを考えられた」
「木目の見本」
「うん」
「すごく沢山ありましたね」
修一は笑った。
「そんなに違いも分からなかっただろう」
「分かりましたよ。乾く前に触って怒られたの、覚えてます」
「色は乾くと変わるから」
「指紋も残るから」
二人は少し笑った。
「好きだったんだと思う。君のことが」
紗季の指が止まった。
「今も、そうだな」
修一は続けた。
「だから、誰と暮らしているかを聞いて、平気ではなかった。
若ければ、何か言ったかもしれない。
でも、君のこれからに、勢いだけで口を出せる歳でもない」
紗季は膝の上へ手を下ろした。
「私、先生が考えていたこと、ちゃんと分かってなかったです」
「私も、君のことが分かってなかった」
彼女は小さく頷いた。
「一緒にいる人との暮らしは、大切にしたいです」
「うん」
「でも、ここで過ごした時間も、なくなっていいとは思ってないです」
修一は頷いた。
その二つを、同じ場所で聞いた。
「最後に一度、と思ってた」
「今日が?」
「電話をした時はね」
紗季の目が、修一の顔から、魔法瓶へ移った。
「でも、君が店を探してくれた。
右手のことまで覚えていて。
あれで、嬉しくなったんだ」
「寒いと痛いって、よく言ってましたから」
「そんなによく言ったか」
「言いました。暖房の前の椅子、いつも先生のだったし」
修一は、劇場の古いストーブを思い出した。
灯油を入れてくれたのが誰だったかも、思い出した。
紗季が目元を指で押さえた。
「ごめんなさい」
「謝ってもらおうと思ったんじゃないよ」
しばらくして、彼女は頷いた。
修一は魔法瓶を持った。
「まだ、温かいと思う」
紗季はコップを差し出した。




