第9話『美少女騎士団、俺の取り合いを始める』
王宮から迎えの馬車が来たのは、朝食の香草スープがまだ温かい時間だった。
白銀聖騎士団の詰所前に停まった馬車は、冒険者ギルドで見るような荷馬車とはまるで違う。磨かれた黒い車体に、金の王家紋章。車輪には揺れを抑える魔法陣が刻まれ、御者台には王宮近衛の制服を着た兵が座っている。
いかにも「逃げ道はありません」と言っているような立派さだった。
「……豪華すぎて逆に落ち着かないな」
レオンが呟くと、隣に立っていたミラが鼻を鳴らした。
「王宮ってそういう場所よ。綺麗な顔で圧をかけてくるの」
「ミラ、経験あるのか?」
「白銀聖騎士団に入る時、叙任式で一回だけ行った。廊下が長い。椅子が硬い。お菓子が小さい」
「最後だけ妙に具体的だな」
「あの小ささは許せないわよ。騎士を呼んでおいて、指先くらいの焼き菓子一個って何?」
ミラは本気で不満そうだった。
リーネがくすりと笑う。
「宮廷菓子は見た目を楽しむものですから」
「食べ物はお腹に入ってこそでしょ」
「ミラさんらしいですね」
いつものやり取り。
それだけで、レオンの肩から少し力が抜けた。
だが、セリアだけは笑っていなかった。
白銀の正装鎧を身につけ、腰には儀礼用ではなく実戦用の剣。王宮へ向かうというのに、彼女は少しも隙を見せない。
「レオン」
「何だ?」
「王宮に入ったら、私の横を離れるな」
「分かった」
「誰かに声を掛けられても、勝手に返答しなくていい。まず私を見る」
「昨日も聞いた」
「もう一度言っている」
「心配性だな」
「心配している」
あまりに真っすぐ言われて、レオンは少し返事に困った。
ミラが横からにやっとする。
「団長、朝から距離近めですね」
「警護対象への確認だ」
「はいはい、警護警護」
「ミラ」
「訓練追加は帰ってからでお願いします。王宮で筋肉痛は嫌なので」
「開き直り方を覚えたな」
セリアは小さくため息をついた。
そこでエルザが、記録板を抱えたまま淡々と言う。
「本日の王宮同行者は、団長、ミラ、リーネ、私。レオンさんを中心とした防護陣形は、前方に団長、右にミラ、左にリーネ、後方に私が推奨です」
「俺、完全に護送される人みたいだな」
「実際、秘宝級スキル保持者ですから」
「その言葉、まだ慣れない」
「慣れてください」
「簡単に言う」
「団長も昨日そう言っていました」
レオンがセリアを見ると、セリアは少しだけ目を逸らした。
「……必要なことだ」
「便利だな、必要って言葉」
「最近、お前も言うようになったぞ」
「白銀聖騎士団に染まってきたのかもしれない」
その言葉に、団員たちが少し笑った。
セリアの口元も、ほんのわずかに緩んだ。
それを見たミラがまた何か言いかけたが、リーネがそっと肩を押さえる。
「今は出発前ですから」
「分かってるってば」
そう言いながら、ミラは小声で付け足した。
「でも、団長の顔、ちょっと嬉しそうだった」
「聞こえているぞ」
「聞こえるように言ってます」
いつもの調子。
だが、馬車に乗り込んだ瞬間、その空気は少し変わった。
王宮へ向かう道。
石畳を進む車輪の音。
窓の外には、朝の王都。
そして馬車の中では、なぜかレオンを挟んでセリアとミラが座ることになった。
「……配置、おかしくないか?」
レオンが言うと、ミラが即座に答える。
「おかしくない。右側から何かあったら私が防ぐ」
セリアも反対側で頷く。
「左側は私が見る」
「リーネさんとエルザは?」
「向かい側で魔力状態と外部反応の確認です」
リーネがにこりと笑う。
向かい側のエルザは、すでに記録板に何かを書いていた。
「記録。レオンさんを中心に左右を団長とミラが固める形。心理的圧迫はやや高め」
「記録しなくていい」
「重要です。レオンさんの精神疲労管理のために」
「なら、この配置を改善してくれ」
「防護効率が高いため却下です」
全員、味方のはずなのに逃げ道がない。
レオンは小さく息を吐いた。
その時、馬車が少し揺れた。
隣のセリアの肩が、わずかにレオンの腕へ触れる。
ほとんど偶然の接触。
だが、魔力が軽く反応した。
「……っ」
セリアが小さく息を呑む。
ミラの目が細くなった。
「団長?」
「何もない」
「今の早かったですね」
「何もないからだ」
「レオンは?」
「いや、魔力が少し流れただけだ」
「だけ?」
ミラがじとっと見てくる。
レオンは困った。
「本当に少しだ。セリアの聖痕がまだ反応しやすいんだと思う」
「つまり、団長はレオンに触れると反応しやすいってこと?」
「言い方」
「事実でしょ」
「事実でも言い方があるって、何度も言ってるだろ」
ミラがむっと頬を膨らませる。
「レオン、最近私への突っ込みが自然になってきた」
「それは悪いことなのか?」
「悪くないけど、ちょっと悔しい」
リーネが向かい側で笑った。
「仲良くなりましたね」
「なってません!」
「なったと思うぞ」
レオンが言うと、ミラは耳まで赤くなった。
「そ、そういうことをさらっと言わないでよ!」
「仲間って意味だろ」
「分かってる! 分かってるけど!」
エルザが淡々と書き込む。
「記録。ミラ、レオンさんから仲間認定され照れる」
「エルザ! その記録消しなさい!」
「拒否します。貴重な成長記録です」
「成長って何よ!」
騒がしい。
王宮へ向かっているとは思えないくらい、騒がしい。
だが、その騒がしさに救われているのも事実だった。
セリアも、少しだけ表情を緩めていた。
しかし王宮の外門が見えた瞬間、彼女の空気が変わる。
「着くぞ」
その一言で、全員が表情を引き締めた。
◇
王宮は、近くで見ると威圧感の塊だった。
白い石壁。
高い尖塔。
門の左右に並ぶ近衛騎士。
磨かれた廊下には、踏みしめるのをためらうほど艶がある。
レオンは元冒険者として、こういう場所にはまるで縁がなかった。
高価な絨毯の上を歩くたびに、靴底の汚れが気になる。
「緊張しているのか?」
隣のセリアが小声で聞いてきた。
「少し」
「なら、私だけを見ていろ」
「それはそれで緊張する」
「なぜだ」
「分からないならいい」
セリアは少し不思議そうな顔をした。
ミラが後ろで小さく呻く。
「団長、本当に無自覚なんだから……」
リーネが微笑み、エルザが何かを書こうとしてセリアに睨まれた。
案内されたのは、王宮の南翼にある会議室だった。
玉座の間ではない。
だが、壁には王家の紋章があり、窓の外には広い庭園が見える。
十分すぎるほど格式高い部屋だ。
中にはすでに数人が待っていた。
王宮文官。
王立魔導院のイザベラ。
神殿関係者らしき白衣の女性。
そして、近衛騎士団の制服を着た金髪の女騎士。
その女騎士を見た瞬間、ミラが小さく舌打ちした。
「うわ、アリアだ」
金髪の女騎士がこちらを見る。
鋭い碧眼。
美しい顔立ち。
だが、その表情には自信がありすぎるほどあった。
「白銀聖騎士団のミラ・フォルテ。相変わらず礼儀が独特ですわね」
「聞こえるように言ったから」
「でしょうね」
二人の間に火花が散る。
レオンは小声でリーネに聞いた。
「知り合い?」
「アリア・グランフィール様です。王宮近衛騎士団の若手筆頭で、侯爵家のご令嬢でもあります」
「強そうだな」
「強いですよ。そして少し、負けず嫌いです」
「ミラと相性悪そうだ」
「とても」
リーネはにこにこしていた。
その笑顔が逆に怖い。
アリアはミラから視線を外し、レオンを見た。
その目が、はっきりと興味を帯びる。
「あなたが、噂のレオン・アルヴァス様ですの?」
「はい。レオンです」
「思っていたより普通ですわね」
「よく言われます」
「その返し、嫌いではありませんわ」
アリアは優雅に微笑んだ。
ミラが横から割り込む。
「何よ。いきなり品定め?」
「王宮近衛として、秘宝級スキル保持者の人物確認は当然ですわ」
「秘宝って呼び方やめなさいよ。レオンは物じゃないんだから」
その言葉に、レオンは少し驚いた。
ミラは顔を赤くして、ぷいっとそっぽを向く。
「……何よ」
「いや、ありがとう」
「別に。事実でしょ」
アリアはその様子を見て、意味ありげに目を細めた。
「なるほど。白銀聖騎士団は、ずいぶんと彼を囲い込んでいるようですわね」
「囲い込んでいない」
セリアが静かに言った。
「彼は自分の意思で白銀聖騎士団と契約した」
「ええ、伺っておりますわ。ですが王国の秘宝級スキルを、一騎士団のみが独占するのはいかがなものかと」
部屋の空気が冷えた。
セリアの目が細くなる。
「独占ではない。本人の意思を尊重している」
「本人の意思が王国全体の利益と一致するとは限りませんわ」
アリアは微笑んだままだ。
だが、その言葉には棘がある。
会議室の奥にいた文官が咳払いした。
「本日は、その点も含めて確認を行うための場です。まずは変異黒牙狼討伐における報告を」
形式上の議事が始まった。
セリアが討伐の流れを説明し、エルザが記録を補足する。
リーネが負傷者の治療状況を報告し、ミラが現場での被害範囲を述べる。
レオンは必要な時だけ、自分の魔力譲渡について話した。
だが、途中から明らかに議題は変わっていった。
「つまり、レオン殿の魔力により、セリア団長の聖痕損傷が改善したと?」
文官が聞く。
「その通りです」
エルザが答える。
「ミラ・フォルテ殿の右肩、リーネ・クラウディア殿の回復魔力核、エルザ殿自身の感覚遮断状態にも改善が見られた、と」
「はい」
「では、他の聖属性保持者にも効果が期待できる可能性がある」
その言葉に、アリアが口元を上げた。
「実は近衛騎士団にも、魔力回路に損傷を抱えた者がいますの」
セリアがわずかに眉を動かす。
「何が言いたい」
「簡単なことですわ。レオン様の魔力供給を、近衛騎士団にも試させていただきたいのです」
「断る」
セリアの返答は即答だった。
アリアの笑みが少し固まる。
「まだ条件も申し上げておりませんが?」
「条件の問題ではない。レオンは昨日、白銀聖騎士団との契約を結んだばかりだ。能力の全容も分からない。本人の負担も未知数。この段階で外部提供など認められない」
「外部とは随分な言い方ですわね。同じ王国の騎士団ですのに」
「所属が違う」
「それなら、王宮命令があれば?」
アリアの声が少し低くなった。
レオンは背筋に冷たいものを感じた。
綺麗な言葉で縛る。
昨日セリアが言っていた通りだった。
王国のため。
近衛のため。
必要だから。
そう言われれば、断りにくい。
だが。
「俺から言ってもいいですか」
レオンは口を開いた。
全員の視線が集まる。
セリアが少しだけこちらを見る。
その目は、止めていない。
むしろ、任せると言っているようだった。
「俺の魔力が誰かの役に立つなら、それ自体は嫌じゃありません」
アリアの表情が少し和らぐ。
だが、レオンは続けた。
「でも、今の俺は自分の力のことをほとんど知りません。昨日まで外れスキルだと思っていたくらいです。だから、誰にどれだけ渡せるかも、どういう負担があるかも分からない」
会議室は静かだった。
「それに、今は白銀聖騎士団の皆を優先したい」
ミラが息を呑む。
リーネは微笑みを深める。
エルザは記録板を止めた。
セリアは表情を変えなかったが、指先がわずかに動いた。
「彼女たちは、俺を役立たずじゃないと言ってくれました。俺を道具じゃなく、人として扱ってくれました。だから今は、俺を必要としてくれた場所を先に支えたい」
言い切った。
自分でも少し驚くほど、言葉は自然に出た。
アリアは黙ってレオンを見ていた。
そして、ふっと笑う。
「なるほど。思っていたより、ずっと頑固ですのね」
「よく言われるようになりました」
「嫌いではありませんわ」
アリアは椅子から立ち上がる。
そして、レオンの前まで来た。
セリアが一歩動く。
ミラも反応する。
だがアリアは敵意のない仕草で、右手を差し出した。
「では、今日は強要しません。ですが、近衛騎士団もいずれ正式に協力を申し込みます。その時は、私個人としても改めてお願いしますわ」
「個人として?」
「ええ。私も聖属性持ちですの」
アリアは軽く胸元に手を当てた。
「そして、半年前の災害で魔力回路に傷を負っています」
ミラが小さく息を呑んだ。
「アリア、あんた……」
「隠すほどのことではありませんわ。近衛は白銀ほど戦場に出ませんが、王宮防衛で無傷ではありませんでした」
アリアはもう一度、レオンを見る。
「ですから、あなたの力には興味があります。研究対象としてではなく、一人の騎士として」
その言葉は、先ほどまでより真っすぐだった。
レオンは少し考えた後、その手を取った。
握手。
ただの挨拶のつもりだった。
だが、触れた瞬間。
淡い白金の光が、二人の手元に宿った。
「……っ」
アリアの表情が変わる。
強気だった瞳が、一瞬だけ揺れた。
「これは……」
レオンも感じていた。
アリアの魔力回路にも傷がある。
セリアほど深くはない。
だが、細い亀裂のような損傷が胸の奥に走っている。
「アリアさん、無理してるだろ」
思わず言うと、アリアの指がぴくりと震えた。
「初対面の殿方に、いきなり身体の心配をされるとは思いませんでしたわ」
「魔力の話だ」
「分かっています。分かっていますけれど……」
アリアの頬が、ほんの少し赤くなる。
ミラが大声を上げた。
「あー! レオン、何普通に手握ってるのよ!」
「握手だろ」
「光ってる! 完全に魔力流れてる!」
セリアの声が低くなる。
「レオン」
「あ、悪い」
レオンは慌てて手を離した。
アリアは離れた手を見つめ、しばらく黙っていた。
そして、小さく息を吐く。
「……確かに、これは欲しがる者が出ますわね」
その声音には、先ほどまでの余裕がなかった。
リーネが静かに言う。
「分かっていただけましたか?」
「ええ。これは、ただの回復ではありませんわ。身体の奥に、火が戻るような感覚です」
ミラがむっとする。
「変な言い方しないでよ」
「変な意味ではありませんわ」
「みんなそう言うのよ!」
アリアは少し笑った。
「白銀聖騎士団が彼を手放したがらない理由も、よく分かりました」
「手放すとか言うな」
セリアが言った。
「レオンは物ではない」
「ええ。ですが、守らなければ奪われる方ですわ」
その言葉に、部屋が静かになる。
アリアは真面目な顔で続けた。
「王宮には、善意だけの者はいません。私も含めて。皆、それぞれ守るものがあり、欲しいものがある。レオン様、あなたはこれから、あちこちから手を伸ばされますわ」
「脅してるのか?」
「忠告です」
アリアは視線をセリアへ向ける。
「セリア団長。彼を守るなら、白銀聖騎士団だけでは足りないかもしれませんわよ」
「足りなければ、足す」
「何を?」
「味方をだ」
セリアは迷いなく答えた。
アリアは一瞬驚き、それから笑った。
「相変わらず真っすぐですわね」
「遠回りが嫌いなだけだ」
「その真っすぐさで、秘宝級スキル持ちの青年を隣室に置いているのですから、王宮中で噂になりますわよ」
セリアの顔が赤くなった。
「なぜそれを知っている」
「王宮の情報網を甘く見ないでくださいませ」
ミラが叫ぶ。
「もう噂になってるの!?」
「ええ。『白銀聖騎士団長、謎の青年を自室の隣に囲う』と」
「最悪の切り取り方!」
レオンは頭を抱えた。
セリアは耳まで赤くなっているが、必死に威厳を保っている。
「警備上必要な措置だ」
「ええ。そういうことにしておきますわ」
「そういうことではない。本当にそうだ」
「はいはい」
「アリア!」
王宮会議室に、妙な空気が流れた。
緊張していたはずなのに、いつの間にか騎士団同士の言い合いになっている。
レオンは少しだけ笑ってしまった。
それに気づいたセリアが睨む。
「笑うな」
「悪い。でも、ちょっと安心した」
「この状況でか?」
「ああ。王宮にも、ちゃんと人間がいるんだなと思って」
アリアが目を丸くした。
それから、楽しそうに笑う。
「面白い方ですわね、レオン様」
「普通だと思うけど」
「普通の方は、王宮会議室でそんなことを言いませんわ」
「そうなのか」
「そうですわ」
ミラがじとっとアリアを見る。
「ちょっと。レオンを気に入りすぎじゃない?」
「あら、いけません?」
「いけないっていうか……白銀聖騎士団の専属だから」
「分かっていますわ。ですが、近衛騎士団として交流を深める余地はありますでしょう?」
「ない!」
「ミラが決めることではありませんわ」
「ある!」
「どちらですの?」
「うるさい!」
ミラが完全に混乱していた。
リーネがレオンの近くに寄って、小声で言う。
「これは大変ですね」
「何が?」
「レオンさんの魔力を必要とする人が、増えそうです」
「それは……まあ、困ってる人がいるなら」
「そういうところです」
リーネは少し困ったように笑った。
「優しさは、時々人を引き寄せすぎますから」
エルザが横から言う。
「保護規定の強化を提案します」
「また?」
「はい。特に握手による無意識魔力供給を制限すべきです」
「握手も駄目なのか」
「今の事例を見る限り、危険です」
セリアが即座に頷く。
「同意する。今後、レオンとの握手は許可制にする」
「握手許可制って何だよ」
「必要な措置だ」
「また必要か」
ミラが不満そうに言う。
「じゃあ私たちは許可済みよね?」
「なぜだ」
「同じ騎士団だから」
リーネが穏やかに付け加える。
「治療と検査のためですし」
エルザも頷く。
「記録上、既存対象者は継続観察が必要です」
セリアは少し考えた。
「……白銀聖騎士団員は、医療上必要な範囲で許可する」
「団長は?」
ミラがにやりと聞く。
「私は治療継続対象だ」
「優先枠ですね」
「必要な治療だ」
もはやお決まりの言葉だった。
その時、会議室の奥にいた神殿関係者の女性が、控えめに手を挙げた。
「あの……神殿からも一つ、よろしいでしょうか」
全員の視線が向く。
白衣の女性は、柔らかな茶髪を揺らし、少し困ったように微笑んだ。
「私は神殿治癒院のシスティナと申します。実は、神殿にも聖女候補の少女たちが数名、魔力枯渇で療養中でして……」
ミラが顔を引きつらせた。
「また増えた」
システィナは申し訳なさそうに続ける。
「もちろん、今すぐにとは申しません。ただ、将来的にレオン様の魔力をお借りできる可能性があるか、相談だけでも」
セリアの眉間に皺が寄る。
アリアが楽しそうに笑う。
「大人気ですわね、聖魔力源様」
「茶化すな」
セリアが鋭く言う。
だが、その表情には焦りもあった。
王宮近衛。
神殿。
魔導院。
予想していたとはいえ、外部からの要請は一気に来た。
レオンは静かに息を吐く。
そして、自分から口を開いた。
「今すぐ誰にでも魔力を渡す、という約束はできません」
システィナは真剣に頷く。
「はい」
「でも、困っている人がいるなら、いつか力になれるかもしれない。だから相談自体を拒むつもりはありません」
セリアがこちらを見る。
責める目ではない。
心配する目だ。
レオンは続けた。
「ただし、俺が一人で判断するのは危ないと思っています。だから、白銀聖騎士団を通してください。俺の負担も、相手の状態も、ちゃんと確認してからにしたい」
リーネが嬉しそうに微笑んだ。
エルザは静かに頷く。
ミラは腕を組んで得意げに言う。
「つまり、受付はうちってことね」
「そういう言い方でいいのか分からないけど」
「いいのよ。白銀聖騎士団レオン窓口」
「変な窓口を作るな」
アリアが口元を押さえて笑う。
「では、近衛騎士団も正式な手続きを踏むとしましょう。もっとも、個人的には先ほどの握手だけでも十分に価値がありましたけれど」
「アリア」
セリアの声が低くなる。
「冗談ですわ」
「半分は本気だろう」
「三割ほど」
「十分多い」
ミラがアリアを睨む。
「次に勝手に握手したら、私が間に入るから」
「では、あなたごと握手しますわ」
「何でそうなるのよ!」
「あなたも魔力回路が改善したのでしょう? 少し興味があります」
「興味の向け方がおかしい!」
会議室に、また妙な笑いが起きた。
王宮の場なのに。
正式な会議なのに。
レオンの周りだけ、白銀聖騎士団の訓練棟みたいになっている。
そしてその中心で、セリアが小さくため息をついた。
「……レオン」
「何だ?」
「やはり、お前を守るには忙しくなりそうだ」
「そうだな」
「だが、悪くない判断だった」
「俺の?」
「ああ。自分だけで抱えず、騎士団を通すと言ったことだ」
「昨日、言われたからな。一人で抱えるなって」
セリアは一瞬だけ黙った。
そして、少しだけ柔らかい声で言う。
「よく覚えていたな」
「大事なことは覚えてる」
その瞬間、ミラが小さく呻いた。
「また自然にそういうことを……」
リーネは楽しそうに微笑む。
エルザは迷わず記録板に書いた。
「団長、照れ反応あり」
「エルザ」
「事実です」
「消せ」
「写しはまだです」
「作るな」
アリアが面白そうに二人を見比べる。
「白銀聖騎士団長がここまで表情豊かになるとは。レオン様、本当に興味深い方ですわ」
「これ以上興味を持つな」
セリアが即答した。
それがあまりに速かったので、部屋の空気が一瞬止まる。
アリアがにやりと笑った。
「まあ」
「違う」
「まだ何も言っておりませんわ」
「言う前に否定した」
「心当たりが?」
「ない」
ミラがぽつりと呟いた。
「団長、私たちの時と同じ流れになってる」
リーネが頷く。
「成長していますね」
「どの方向にだ」
レオンはもう笑うしかなかった。
◇
王宮での会議は、最終的にこうまとまった。
レオンの能力は、現段階では白銀聖騎士団の管理下ではなく、あくまで本人意思に基づく契約能力として扱う。
外部からの魔力供給要請は、白銀聖騎士団を通じて申請。
王立魔導院は研究協力を求めるが、検査には本人の同意と騎士団立会いが必要。
近衛騎士団と神殿治癒院については、後日改めて正式協議。
つまり、問題は先送りになった。
だが、最悪の形で囲い込まれることは避けられた。
帰りの馬車に乗る頃には、レオンはどっと疲れていた。
「……王宮って、魔獣より疲れるな」
レオンが言うと、ミラが深く頷いた。
「分かる。魔獣は倒せば終わるけど、王宮は倒せないからね」
「倒す前提なのか」
「気持ちの問題よ」
リーネが香草茶の小瓶を差し出してくれる。
「お疲れさまでした。よく頑張りましたね」
「子ども扱いされてないか?」
「少しだけ」
「少し?」
「かなり」
リーネは悪びれずに笑った。
エルザは記録板を確認している。
「本日の結果。王宮、近衛、神殿からの潜在的要請を確認。レオンさんの精神疲労、高。団長の警戒心、最高値更新。ミラの嫉妬反応、頻発」
「嫉妬じゃない!」
ミラが即座に叫ぶ。
「じゃあ何だ?」
レオンが聞くと、ミラは言葉に詰まった。
「そ、それは……仲間を守るための警戒!」
「なるほど」
「納得しないで! 何か違う気がするから!」
セリアは窓の外を見ていた。
レオンはその横顔に気づく。
「セリア」
「何だ」
「疲れたか?」
「少しな」
「魔力、乱れてる」
「……分かるのか」
「近いから」
言った瞬間、ミラがまた顔を上げる。
「レオン、今の言い方」
「魔力の話だ」
「便利に使うようになってきたわね!」
レオンは苦笑しながら、セリアへ手を差し出した。
「少し整えるか?」
セリアは周囲を見た。
馬車の中。
ミラ、リーネ、エルザがいる。
全員が見ている。
だが、セリアは迷った末に手を重ねた。
「……頼む」
その声は小さかった。
魔力が繋がる。
白銀の流れが、少しずつ落ち着いていく。
セリアの肩から力が抜けた。
ミラがじとっと見る。
「団長、結局レオンの治療枠はいつでも発動するんですね」
「緊急時だ」
「今、緊急でした?」
「王宮帰りは緊急に含む」
「範囲広い!」
リーネが微笑む。
「でも、セリア団長の顔色がよくなりました」
エルザも頷く。
「共鳴率安定。やはり団長との接触は最優先治療項目です」
「エルザ、その言い方を王宮でしないでくれ」
「善処します」
「不安だな」
セリアは目を伏せたまま、小さく言う。
「レオン」
「何だ?」
「今日の答えは、よかった」
「王宮での?」
「ああ。お前は、お前のままで答えた」
「難しい言い方だな」
「飾らなかったという意味だ」
「そんな器用なことできないだけだ」
「それでいい」
セリアは少しだけ指に力を込めた。
「そのままでいてくれ」
馬車の中が静かになった。
レオンは少し困りながらも、頷いた。
「努力する」
「そこは約束しろ」
「じゃあ、約束する」
セリアの頬が少し赤くなる。
ミラが両手を上げた。
「はい! もう限界! 馬車の中で二人の世界作らない!」
「作っていない」
「作ってる!」
「作ってないよな?」
レオンがリーネを見ると、リーネは優しく微笑んだ。
「少しだけ」
「少し?」
「かなり」
「またか」
エルザが記録板を閉じる。
「結論。白銀聖騎士団内でのレオンさん争奪傾向は、今後強まると予測されます」
「争奪?」
レオンが聞き返す。
ミラが顔を赤くして叫んだ。
「違うから! 取り合いとかじゃないから!」
リーネは笑顔で言う。
「でも、治療枠の順番は大切ですね」
エルザも頷く。
「公平性の確保が必要です」
セリアは真顔で言った。
「私の治療は最優先だ」
「団長、それが争奪っぽいんです!」
馬車の中に笑いが広がった。
レオンはその中心で、少しだけ呆れながらも笑った。
王宮は確かに疲れた。
近衛騎士団も神殿も、これから関わってくるだろう。
自分の力を求める声は、増えていく。
だが、今はまだ、この騒がしい場所に帰れる。
白銀聖騎士団。
自分を役立たずではないと言ってくれた場所。
そしてどうやら、自分の魔力をめぐって、これからもっと騒がしくなりそうな場所。
馬車が詰所へ向かって走る中、レオンは握られたままのセリアの手を見た。
彼女は気づいているのか、いないのか。
手はまだ離されていなかった。
それをミラが見逃すはずもない。
「団長」
「何だ」
「詰所に着く前に、手、離した方がいいですよ」
セリアは自分の手元を見た。
そして、真っ赤になった。
「こ、これは治療だ」
「はいはい、治療治療」
ミラの呆れ声に、リーネの笑い声が重なる。
エルザが最後に淡々と言った。
「記録。団長の治療枠、継続中」
「消せ!」
セリアの声が馬車の中に響いた。
外では王都の人々が、王宮から戻る白銀聖騎士団の馬車を見上げていた。
誰も知らない。
その中で、王国の秘宝級スキルをめぐる小さな争奪戦が、すでに始まっていたことを。




