第10話『役立たずと呼ばれた俺、王国最重要人物になる』
白銀聖騎士団の詰所へ戻ると、門の前に人だかりができていた。
王都の住人。
冒険者。
見習い騎士。
そして、どこから嗅ぎつけたのか、噂好きらしい商人や新聞書きまでいる。
馬車が止まった瞬間、ざわめきが波のように広がった。
「あれが、白銀聖騎士団の馬車だ」
「王宮に呼ばれたって本当か?」
「例の魔力供給士が乗ってるらしいぞ」
「聖騎士団長を回復させた青年だろ?」
「変異黒牙狼を倒した時、団長と手を繋いでたって――」
「最後の噂、広まり方がおかしくないか」
馬車の中で、レオンは低く呟いた。
向かいに座っていたミラが、窓の外をちらっと見てから肩をすくめる。
「おかしいけど、たぶん止まらないわよ。王都の噂って、魔獣より足が速いから」
「迷惑な魔獣だな」
「しかも討伐できない」
「余計にたちが悪い」
レオンがため息をつくと、リーネが香草茶の瓶を片づけながら微笑んだ。
「悪い噂ばかりではありませんよ。皆さん、レオンさんが白銀聖騎士団を救ってくれたことを知り始めています」
「救った、か」
言葉が大きすぎて、まだ自分には馴染まない。
自分は魔力を渡しただけだ。
剣を振ったのはセリアで、槍を走らせたのはミラで、負傷者を守ったのはリーネで、戦場を解析したのはエルザだ。
それでも、外から見れば違うのだろう。
役立たずと追放された青年が、美少女騎士団を蘇らせた。
そういう物語の方が、王都の人々には分かりやすい。
「レオン」
隣のセリアが声をかけてきた。
馬車の中でずっと手を握っていたことに気づいて赤くなっていた彼女は、今はもう団長の顔に戻っている。
「外へ出たら、私の後ろにいろ」
「俺、完全に護衛対象だな」
「そうだ」
「少しくらい否定してくれてもいいんだぞ」
「否定する理由がない」
きっぱりだった。
ミラが横から笑う。
「諦めなさいよ。団長、こういう時は頑固だから」
「こういう時だけか?」
「……だいたいいつも」
「ミラ」
「はい黙ります」
エルザが記録板を閉じながら言った。
「外部視線が多いです。レオンさんの反応を記録される可能性があります。余計な発言は控えめに」
「俺、そんなに失言してるか?」
四人が同時に黙った。
「……え、そんなに?」
リーネが困ったように笑う。
「素直な発言が、時々とても強いだけです」
「強い?」
ミラがうんうんと頷く。
「団長に対して特に強い」
「なぜそこで私を見る」
セリアが低い声で言う。
ミラはすぐ窓の外を見た。
「さあ、何ででしょうねー」
セリアはため息をついたが、否定はしなかった。
その頬がほんの少し赤いことに、レオンは気づかないふりをした。
◇
馬車の扉が開いた。
最初に降りたのはセリアだった。
白銀の鎧が朝の光を受けて輝き、門前のざわめきが一瞬だけ小さくなる。
続いてミラ、リーネ、エルザ。
最後にレオンが降りる。
その瞬間、視線が集まった。
刺さるような興味。
好奇心。
憧れ。
値踏み。
そして少しの警戒。
冒険者ギルドの酒場で浴びた嘲笑とは違う。
だが、気楽な視線でもなかった。
「……落ち着かないな」
レオンが呟くと、セリアがすぐ横へ来た。
「顔を上げろ」
「え?」
「下を向くな。お前は何も恥じることをしていない」
短い言葉だった。
だが、背筋が少し伸びた。
そうだ。
自分は逃げ帰ってきたわけではない。
王宮で、自分の意思を伝えた。
誰に魔力を渡すかは、自分で決めると。
その横で、ミラがわざとらしく大きな声を出した。
「はいはい、道を空けて! この人、うちの専属魔力供給士だから! 勝手に触ったり握手求めたりしたら、私が怒るからね!」
「ミラ、言い方」
レオンが突っ込む。
「だって握手で魔力流れちゃうんでしょ? 危ないじゃない」
「危ないのは分かるけど、俺が貴重品みたいに聞こえる」
「貴重品より貴重よ」
リーネが穏やかに言った。
「でも、物扱いはしません。大切な仲間です」
さらりと言われて、レオンは少し黙った。
仲間。
たったそれだけの言葉が、こんなに胸に残るとは思わなかった。
エルザが横から補足する。
「正確には、王国秘宝級スキル保持者兼、白銀聖騎士団専属魔力供給士兼、現在もっとも精神疲労管理が必要な人物です」
「最後だけ急に現実的だな」
「重要です」
周囲から笑いが漏れた。
門番の騎士たちも、少しだけ表情を緩める。
その時だった。
群衆の後ろから、誰かが声を上げた。
「レオン!」
聞き覚えのある声だった。
レオンは足を止める。
人垣の向こうから現れたのは、フィオナだった。
元《黒狼の牙》の魔導士。
以前なら派手なローブを自慢げに翻していた彼女だが、今日は地味な外套を羽織り、顔色も少し悪い。
ミラが即座に前へ出た。
「何の用?」
「喧嘩をしに来たわけじゃないわ」
フィオナは小さく首を横に振る。
その視線はレオンへ向いていた。
「少しだけ、話せる?」
レオンはセリアを見た。
セリアはフィオナを一瞥してから、静かに言う。
「私たちは近くにいる」
「分かった」
完全に一人にはしない。
その判断に、レオンは素直に感謝した。
フィオナは門の端へ移動し、深く頭を下げた。
「昨日の謝罪だけじゃ足りないと思って」
「謝罪なら受け取った」
「それでも、もう一度言わせて。ごめんなさい」
周囲に人がいる。
元仲間に頭を下げる姿を見られるのは、彼女にとって恥ずかしいはずだった。
それでも、フィオナは頭を下げ続けた。
「私、今日ギルドの講習で初めて支援職の魔力記録を見たの。魔導士の魔力が切れる直前、どれだけ支援が重要か。自分がどれだけ無茶な撃ち方をしていたか。……全部、今さら分かった」
「そうか」
「ガルドは、まだ認めてない。ダインは黙って講習を受けてる。ルークは……たぶん、もう別のパーティーを探すと思う」
「フィオナは?」
「私は、しばらく魔法の撃ち方を一からやり直す」
彼女は苦笑した。
「笑えるでしょ。魔導士として自信があったのに、魔力管理を支援に甘えてたなんて」
「笑わないよ」
「……そういうところ、昔から変わらないわね」
フィオナの目が少し潤んだ。
レオンは、何も言えなかった。
戻りたいとは思わない。
だが、三年間が全部無駄だったとも思いたくない。
あのパーティーで学んだことも、確かにあった。
痛みも含めて。
「レオン」
フィオナは少し迷ってから言った。
「あなたが白銀聖騎士団で大事にされてるのを見て、悔しいと思った」
「……正直だな」
「うん。悔しかった。私たちがちゃんと見ていれば、あなたはまだ隣にいたかもしれないって思った。でも、それ以上に安心した」
「安心?」
「あなたが、役立たずのまま終わらなくてよかった」
その言葉は、思ったより深く刺さった。
複雑だった。
嬉しいような、痛いような。
レオンは少しだけ息を吐く。
「俺も、まだ始まったばかりだよ」
「そうね」
「フィオナも、やり直せるだろ」
「……ありがとう」
フィオナはもう一度頭を下げた。
そして、セリアたちの方を見る。
「セリア団長」
「何だ」
「レオンを、お願いします」
セリアは少しだけ目を細めた。
「言われるまでもない」
即答だった。
フィオナは苦笑する。
「強いですね」
「当然だ。私は白銀聖騎士団長だからな」
そこでミラがぼそっと言う。
「それだけじゃないと思うけど」
「ミラ」
「はい黙ります」
フィオナはそのやり取りを見て、少し寂しそうに、でも穏やかに笑った。
「本当に、いい場所にいるのね」
それだけ言って、彼女は人混みの中へ戻っていった。
レオンはその背中を見送る。
胸の中に残ったものは、もう怒りだけではなかった。
終わった場所。
そして、始まった場所。
その違いが、はっきりしていた。
◇
詰所に入ると、すぐに会議室へ呼ばれた。
王宮から戻ったばかりだというのに、机の上にはすでに新しい書類が積まれている。
白銀聖騎士団の事務官が、少し青い顔で束を持ってきた。
「団長、こちらが王宮からの正式通達です」
「もう来たのか」
「はい。早馬で」
セリアが書類を受け取り、目を通す。
その眉間に皺が寄った。
レオンは嫌な予感がした。
「何て?」
「お前に関する暫定指定だ」
「暫定指定?」
セリアは書類を机に置いた。
リーネ、ミラ、エルザも覗き込む。
そこには、王国印とともに、堅苦しい文言が並んでいた。
レオンは細かい法律文は苦手だ。
黙っていると、エルザが淡々と読み上げた。
「レオン・アルヴァス殿を、王国特別保護対象、ならびに白銀聖騎士団付特別魔力供給士として暫定認定する。本人の同意なき身柄移送、魔力供給強制、単独検査を禁ずる」
「……え」
レオンは目を瞬かせた。
「それ、いい内容なのか?」
「かなりいい内容です」
エルザが頷く。
「少なくとも、勝手に連れて行かれる危険は減ります」
リーネがほっと息を吐いた。
「王宮が、レオンさんの意思を尊重する形にしてくれたんですね」
ミラは腕を組みながら言う。
「でも、特別保護対象って響きがすごいわね。ますます普通じゃなくなった」
「昨日まで普通以下扱いだったのにな」
レオンが苦笑すると、セリアが真剣な顔で首を横に振った。
「普通以下ではない。扱った者が間違っていただけだ」
「……セリアは、そういうことをすぐ言うな」
「事実だ」
「照れるんだけど」
セリアが固まった。
ミラが即座に机を叩く。
「レオン! 今のも強い!」
「そうなのか?」
「そうよ! 団長、ほら、反応止まってる!」
「止まっていない」
セリアは咳払いした。
だが、頬は赤い。
リーネはにこにこしている。
エルザはすでに記録板を構えていた。
「記録。レオンさん、団長の自然褒めに照れ反応。団長、逆照れ反応」
「消せ」
セリアの声が低い。
「医療記録ではありませんが、心理記録として――」
「消せ」
「承知しました」
本当に消したかどうかは怪しい。
セリアは改めて書類を手に取った。
「続きがある」
「まだあるのか」
「王宮、近衛騎士団、神殿治癒院、王立魔導院からの協力要請は、白銀聖騎士団を通じて調整すること。なお、レオン本人の心身負担を最優先で考慮すること」
「おお」
ミラが感心した声を出す。
「思ったよりまとも」
「アリア殿とイザベラ殿が口添えしたのかもしれない」
リーネが言うと、ミラは少し不満そうに眉を寄せた。
「アリアが?」
「近衛騎士団にも事情があるとはいえ、彼女は筋を通す方ですから」
「むう……あいつに借りができたみたいで嫌」
「借りかどうかは分からない」
レオンが言うと、ミラはじろっと見た。
「レオン、アリアの肩を持つの?」
「持ってない」
「じゃあ何?」
「話せば分かる相手かもしれないってだけだ」
「そういうところが危ないのよ……」
ミラは小さくため息をつく。
リーネも穏やかに言った。
「レオンさんは、相手の痛みが見えると放っておけない方ですからね」
「それ、悪いことか?」
「悪くありません。でも、守る側は少し大変です」
リーネの言葉に、セリアが深く頷いた。
「同感だ」
「そこで頷かれると、何か申し訳ないな」
「申し訳なく思う必要はない。ただ、自覚はしろ」
セリアはまっすぐレオンを見た。
「お前は、今や王国最重要人物の一人だ」
会議室が静かになった。
王国最重要人物。
その言葉は、どこか遠い世界のもののようだった。
勇者。
王族。
大貴族。
大魔導師。
聖女。
そういう者たちに使われる言葉だと思っていた。
少なくとも、冒険者パーティーを追放されたばかりの青年に向けられるものではない。
「……俺が?」
「ああ」
セリアの声に迷いはなかった。
「変異黒牙狼討伐、白銀聖騎士団の魔力回路修復、王立魔導院による秘宝級スキル認定。これだけ揃えば、王国が無視できるはずがない」
「重すぎるな」
「重い。だから、支える」
さらりと言った。
レオンは返事に詰まった。
ミラが頬を膨らませる。
「団長だけじゃないですけどね」
「もちろんだ」
セリアは素直に頷いた。
「白銀聖騎士団全体で支える」
リーネが柔らかく続ける。
「それと、支えられるだけではなく、レオンさんにも無理のない範囲で私たちを支えていただきます」
「そこは現実的だな」
「はい。団長の治療枠もありますし」
「リーネ」
セリアが低く呼ぶ。
リーネはにこりと笑った。
「大切な医療予定ですから」
エルザが書類を整理しながら言う。
「今後の予定案です。午前、通常業務と魔力適合検査。午後、団員治療枠。夕方、団長治療枠。夜間、緊急対応のみ」
「私の治療枠を当然のように固定するな」
セリアが言う。
だが、強く否定しない。
ミラがにやにやしている。
「団長、嫌なんですか?」
「嫌ではない」
即答だった。
空気が止まった。
セリア自身も、自分の返答の早さに気づいたらしい。
顔が赤くなる。
「違う。治療が嫌ではないという意味だ」
「誰もまだ何も言ってません」
ミラが勝ち誇った顔をする。
「ミラ」
「はい、訓練追加ですね。分かってます。でも今の勝ちは譲りません」
「何の勝負だ」
レオンは笑ってしまった。
会議室に笑いが広がる。
王国最重要人物。
そう言われた直後なのに、空気はいつも通り騒がしい。
そのことに、レオンは救われていた。
◇
午後になると、正式通達の内容は詰所全体に伝えられた。
団員たちの反応は、思った以上に大きかった。
「レオンさん、王国特別保護対象!?」
「すごい……!」
「じゃあ、勝手に握手したら処罰対象ですか?」
「医療枠はどうなるんですか?」
「順番表、王国法に合わせて作り直し?」
「何で最初に握手と順番表の心配なんだ」
レオンは訓練棟の中央で頭を抱えた。
ミラが呆れながらも胸を張る。
「みんな真剣なのよ。レオンの魔力で楽になった子、多いんだから」
「それは分かるけど」
「あと、ちょっと興味もある」
「そっちが本音か?」
「半分くらい」
「多いな」
リーネが新しい順番表を壁に貼る。
今度は以前より厳密になっていた。
『魔力適合検査・治療予定表』
『接触範囲は医療上必要な場合に限定』
『立会人必須』
『団長治療枠は別紙管理』
「別紙管理?」
レオンが読み上げると、セリアがすぐ反応した。
「リーネ」
「はい?」
「なぜ私だけ別紙だ」
「症状の経過観察が細かいためです」
「本当にそれだけか?」
「はい」
リーネは笑顔だった。
セリアは疑わしそうに見ているが、それ以上追及しなかった。
エルザが別紙を持ってくる。
「団長治療枠は、共鳴率が高いため時間管理を厳密にする必要があります。長すぎると周囲の心理的影響が大きい」
「周囲の心理的影響?」
レオンが聞く。
エルザは淡々と答えた。
「主にミラの突っ込み負荷です」
「私!?」
ミラが叫ぶ。
「確かに大変そうだな」
「納得しないでよ!」
笑いが起きる。
その直後、訓練棟の扉が開いた。
入ってきたのは、白銀聖騎士団の事務官だった。
「団長。冒険者ギルドより正式文書が届いています」
「またか」
セリアが受け取る。
ざっと目を通し、少しだけ眉を上げた。
「レオン」
「今度は何だ?」
「ギルドから、お前への正式謝罪と功績認定だ」
訓練棟が静まる。
セリアは続けた。
「変異黒牙狼討伐支援、および過去の《黒狼の牙》での支援実績について、再評価を行うとある。支援職としての貢献点を遡及して認め、報酬未反映分の補填を検討するそうだ」
「……今さらだな」
レオンは思わず言った。
怒りではない。
ただ、本当に今さらだと思った。
ミラが腕を組む。
「でも、お金はもらいなさいよ。働いた分でしょ」
「急に現実的だな」
「大事でしょ! 服も荷物も少ないんだし!」
リーネも頷く。
「ミラさんの言う通りです。レオンさんは、もう少し身の回りのものを整えた方がいいと思います」
「騎士団で生活するなら、正式な衣服も必要です」
エルザが言う。
「白銀聖騎士団専属職員として、外部対応用の制服を作成すべきです」
「制服?」
レオンが聞き返す。
団員たちの目が、一斉に輝いた。
「制服……」
「レオンさんの専属服……」
「白銀基調ですか?」
「団長と並んだ時に似合う感じがいいのでは」
「それは重要ですね」
「待て。何で急に皆やる気なんだ」
ミラまで真剣な顔になっていた。
「確かに、王宮に行くなら服は大事ね。あのアリアに見下されないようにしないと」
「服で戦うのか?」
「王宮では服も武器よ」
リーネが静かに頷く。
「それは本当です。身なりで扱いが変わる場所ですから」
セリアも少し考えて言った。
「では、騎士団で用意しよう」
「いや、そこまでしてもらうのは」
「必要経費だ」
「また必要」
「実際に必要だ。お前が軽んじられれば、白銀聖騎士団も軽んじられる」
「そう言われると断りづらいな」
セリアは少しだけ口元を緩めた。
「断らなくていい」
その声が妙に優しかったので、レオンはまた返事に困った。
ミラがすかさず叫ぶ。
「はい、団長! 今の声!」
「何だ」
「甘い!」
「甘くない」
「甘いです!」
「魔力循環の影響だ」
「今、循環してないでしょ!」
騎士団員たちが笑う。
レオンも笑った。
笑いながら、胸の奥で思う。
昨日までなら、服を用意されることにも、報酬を補填されることにも、きっと戸惑いしかなかった。
今も戸惑いはある。
けれど、それ以上に、誰かが自分を当然のように扱ってくれることが嬉しかった。
役立たずではなく。
穴埋めでもなく。
ここにいていい人間として。
◇
夕方。
団長室での治療枠は、いつもより少し遅れて始まった。
王宮通達、ギルド文書、制服の話、外部要請の整理。
あれこれ重なって、セリアの魔力は目に見えて硬くなっていた。
レオンが手を取ると、彼女は小さく息を吐いた。
「……今日は疲れたな」
「セリアがそれを言うの、珍しいな」
「お前には隠しづらい」
「魔力に出るから?」
「それもある」
「他には?」
セリアは少し黙った。
「……言いやすい」
レオンは思わず手元を見た。
セリアの指が、少しだけ握り返してくる。
「それは、いいことなのか?」
「たぶん」
「たぶんでは困る、って言わなくていいのか?」
セリアが小さく笑った。
「今日は言わない」
「そうか」
「レオン」
「何だ?」
「王国最重要人物などと言われて、怖くないのか」
レオンは少し考えた。
怖い。
もちろん怖い。
自分の知らないところで価値を決められ、肩書きが増え、周りが勝手に動き始める。
昨日まで見向きもしなかった人たちが、急に手を伸ばしてくる。
それは怖い。
「怖いよ」
レオンは正直に言った。
セリアの目が揺れる。
「でも、前ほどじゃない」
「なぜだ」
「ここにいるから」
言った瞬間、セリアの魔力が大きく揺れた。
「セリア?」
「……今のは、お前が悪い」
「何が?」
「そういうことを、真っ直ぐ言うな」
「本当のことだ」
「なお悪い」
セリアは顔を背けた。
耳が赤い。
レオンは少し笑った。
「でも、本当にそうだ。ここに帰ってこられるなら、多少は怖くても大丈夫だと思える」
セリアはしばらく黙っていた。
やがて、小さく言う。
「なら、ここを守る」
「俺も守るよ」
「お前は守られる側だ」
「支える側でもある」
セリアはレオンを見た。
その瞳は、驚いたようで、少し嬉しそうでもあった。
「そうだな」
「ああ」
「なら、共に守る」
その言葉は、契約書よりずっと重かった。
レオンは頷く。
「共に」
二人の手元に、白銀の光が宿る。
いつもより穏やかで、深い光だった。
その時、扉の外から小さな声がした。
「……リーネ、今入ったら駄目なやつじゃない?」
「そうですね。少し待ちましょう」
「記録したいのですが」
「エルザ、空気読んで」
「読んだ上で記録したいです」
聞こえている。
完全に聞こえている。
セリアの顔が赤くなる。
「……あいつら」
「入れてやるか?」
「少し待て」
「なぜ?」
「今、手を離すと魔力が乱れる」
「本当に?」
「……少しだけ」
レオンは笑った。
セリアも、困ったように笑った。
扉の向こうでミラが叫ぶ。
「団長! 今、絶対いい雰囲気ですよね!」
「ミラ!」
「やっぱり!」
団長室に、いつもの騒がしさが戻ってくる。
王国最重要人物。
そんな肩書きがついたところで、ここでの日常はあまり変わらないのかもしれない。
いや、変わらないでいてほしい。
レオンはそう思った。
◇
その夜、王都では新しい噂が広がっていた。
役立たずと追放された魔力譲渡士が、実は失われた秘宝級スキル《聖魔力源》の持ち主だった。
白銀聖騎士団を蘇らせ、変異黒牙狼討伐を支え、王宮から特別保護対象に指定された。
近衛騎士団も、神殿も、魔導院も、その力に注目している。
だが彼は、王宮の前でこう答えたらしい。
自分の魔力を誰に渡すかは、自分で決める。
その噂を聞いた者たちは、ある者は驚き、ある者は笑い、ある者は目を細めた。
そして当然、面白く思わない者たちもいた。
王都北区。
貴族街の一角。
灯りを落とした屋敷の一室で、一人の男が報告書を読んでいた。
「聖魔力源……本当に存在したのか」
男の指が、紙面に書かれたレオンの名をなぞる。
「白銀聖騎士団が抱えたままにしておくには、惜しい」
窓の外で、夜風が鳴った。
男は薄く笑う。
「王国のため、か。便利な言葉だ」
その呟きは、誰にも聞かれなかった。
同じ頃、白銀聖騎士団の詰所では、レオンが新しい部屋で眠りにつこうとしていた。
隣室にはセリアがいる。
廊下には警備の足音。
机の上には、リーネの香草茶と、ミラの目覚まし魔道具と、エルザの予定表。
そして、王宮から届いた正式通達の写し。
王国特別保護対象。
白銀聖騎士団付特別魔力供給士。
たった数日前まで、そんな肩書きとは無縁だった。
だが今は違う。
役立たずと呼ばれた力は、王国の中枢を動かし始めている。
そして、その力をめぐる物語は、まだ始まったばかりだった。




