第11話『王国のために、君を貸してほしい』
朝の白銀聖騎士団詰所は、いつもより少し騒がしかった。
訓練場からは剣の打ち合う音が響き、厨房からは焼きたてのパンの匂いが流れ、廊下では見習い騎士たちが書類を抱えて走っている。
その中で、レオン・アルヴァスは会議室の中央に立たされていた。
理由は、よく分からない。
いや、分かってはいる。
分かってはいるのだが、納得できるかは別だった。
「……これ、本当に必要か?」
レオンがそう言うと、ミラが腰に手を当てて言った。
「必要に決まってるでしょ。王国特別保護対象で、白銀聖騎士団付特別魔力供給士なんだから」
「肩書きが長すぎる」
「じゃあ、聖魔力源さん」
「そっちはそっちで落ち着かない」
「わがままね」
「肩書きの問題でわがまま扱いされるのか」
レオンの前には、騎士団付きの仕立て係が二人。
年配の女性と、若い女性。
どちらも手に採寸紐を持っている。
そして、部屋の隅にはセリア、リーネ、ミラ、エルザがそろっていた。
逃げ場はない。
「外部対応用の服は必要です」
リーネが穏やかに言う。
「王宮や神殿に行く機会が増えるなら、冒険者時代の服のままでは相手に軽んじられてしまいますから」
「軽んじられるのには慣れてる」
「慣れなくていいです」
リーネの声が、少しだけ強くなった。
その一言で、レオンは黙る。
リーネは普段柔らかい。
だが、こういうところで一歩も引かない。
「レオンさんは、もう白銀聖騎士団の一員です。身なりを整えるのは、虚飾ではなく防具です」
「防具?」
「はい。言葉と服と立場は、王宮では鎧になります」
セリアが頷いた。
「その通りだ。剣で斬ってくる相手ばかりなら楽だが、王宮や貴族は違う。服装の粗を見つけ、出自を笑い、言葉尻を掴んでくる」
「怖いな」
「怖い場所だ」
セリアは当たり前のように言った。
「だから備える」
「……分かった」
レオンは諦めて両腕を広げた。
仕立て係の女性たちが手際よく採寸を始める。
肩幅、腕の長さ、胸囲、腰回り。
冒険者時代には、服は動ければいいものだった。
採寸など、ほとんどしたことがない。
「背筋を伸ばしてくださいませ」
「あ、はい」
「肩に力が入りすぎていますね」
「すみません」
「緊張しなくて大丈夫ですよ。取って食べたりはしませんから」
年配の仕立て係がくすりと笑う。
その言葉に、ミラが即座に反応した。
「取って食べる人がいたら私が槍で追い払うから」
「採寸相手に槍を向けるな」
「念のためよ」
「何の念だ」
若い仕立て係が、レオンの腰回りを測ろうと近づいた。
採寸紐が腰に回る。
思ったより距離が近い。
レオンが微妙に固まると、ミラが「うわ」と声を上げた。
「ちょっと、近くない?」
「採寸ですので」
若い仕立て係は平然としている。
「腰回りを測るには、この距離になります」
「分かってるけど!」
「ミラさん、医療行為ではありませんが、採寸行為です」
リーネが真顔で言った。
「それ、便利な言葉として使おうとしてません?」
「いいえ」
「絶対使おうとしてる」
エルザが淡々と記録板に書く。
「記録。ミラ、採寸時にも警戒反応。保護意識が上昇」
「記録しないで!」
「重要です」
「何に!?」
「レオンさん争奪傾向の分析に」
「争奪じゃない!」
会議室が少し笑いに包まれる。
セリアだけは、腕を組んだままじっと採寸を見ていた。
視線が鋭い。
レオンは気になって声をかける。
「セリア?」
「何だ」
「そんなに睨まなくても」
「睨んでいない。確認している」
「何を?」
「採寸が適切かどうかだ」
仕立て係の女性たちが微妙な顔をした。
レオンは小さく言う。
「たぶん、専門の人だから大丈夫だと思うぞ」
「分かっている」
「なら」
「分かっているが、念のためだ」
ミラがにやっとする。
「団長、過保護」
「警備上必要な確認だ」
「採寸にも警備がいるんですか?」
「レオンは外部から狙われる可能性がある」
「仕立て係さんは内部の人です」
「内部でも油断は禁物だ」
セリアは大真面目だった。
仕立て係の年配女性が、にこにこしながら言う。
「団長様、ご安心ください。採寸以外のことはいたしませんので」
「当然だ」
「ただ、レオン様は腰の位置が綺麗ですね。仕立て映えします」
「腰!?」
ミラがまた叫ぶ。
レオンは頭を抱えた。
「もう服なしでよくないか?」
「駄目です」
リーネ、ミラ、エルザ、セリアがほぼ同時に言った。
「声がそろうの怖いな」
「大切なことですから」
リーネが笑顔で返す。
セリアは少しだけ目を逸らした。
「……似合うものを着た方がいい」
「え?」
「お前が軽んじられないために」
「今、少し別の理由も入ってなかった?」
「入っていない」
セリアは即答した。
だが、耳が赤かった。
ミラが当然のように見逃さない。
「団長、レオンの新しい服、ちょっと楽しみにしてるでしょ」
「ミラ」
「はい、訓練追加ですね。でもこれは言う価値ありました」
「なぜ満足げなんだ」
レオンは笑った。
最近、セリアが自分のことでこうやって反応するたび、胸の奥が少し温かくなる。
それが何なのかは、まだはっきり言葉にできない。
ただ、悪いものではないと思った。
◇
採寸が終わる頃には、会議室の外が騒がしくなっていた。
扉の向こうで、見習い騎士が慌てた声を出している。
「団長、失礼します!」
「入れ」
セリアが声をかけると、若い騎士が一礼して入ってきた。
手には封書。
しかも、かなり上等な紙だ。
白銀聖騎士団の事務文書とは違う。
縁に金の飾りがあり、封蝋には見覚えのない紋章が押されている。
セリアの表情がすぐ変わった。
「どこからだ」
「エルンスト公爵家より、正式な使者が参りました」
会議室の空気が硬くなる。
ミラが露骨に嫌そうな顔をした。
「公爵家……早いわね」
リーネも微笑みを消していた。
エルザが記録板を閉じる。
「昨日の今日で動くとは、情報が相当早いです」
「王宮から漏れたか、魔導院経由か、貴族街の噂か」
セリアは封書を受け取った。
封を切り、素早く目を通す。
読み進めるほど、眉間の皺が深くなった。
「……面倒な相手だ」
レオンは小声で聞いた。
「エルンスト公爵家って?」
答えたのはリーネだった。
「王国有数の大貴族です。王家に近く、軍部にも神殿にも影響力を持っています」
「それだけで面倒そうだな」
「実際、面倒です」
ミラがはっきり言った。
「あの家、言葉は上品だけど圧が強いのよ。『王国のため』とか『貴族の責務』とか言いながら、結局自分たちの都合を通すのが上手い」
昨日、セリアが言っていた言葉が頭をよぎる。
王国のため。
民のため。
美しい言葉ほど、人を縛ることがある。
「封書には何て?」
レオンが尋ねると、セリアは封書を机に置いた。
「エルンスト公爵家の令嬢、クラウディア・エルンストが魔力回路の重度損傷により療養中。ついては、王国特別保護対象レオン・アルヴァス殿に、聖魔力源としての力を貸してほしい、とのことだ」
「貸してほしい、か」
「言葉は丁寧だ」
セリアの声は硬い。
「だが、実質的には招待ではなく要請に近い」
エルザが封書を覗き込み、淡々と補足する。
「文中に『王国の未来を担う令嬢』『聖魔力源の公益性』『白銀聖騎士団の理解を期待する』とあります。圧力表現が三つ」
「数えるのか」
「重要です」
ミラが舌打ちした。
「ほら来た。絶対こうなると思った」
「令嬢は本当に苦しんでるのか?」
レオンが聞くと、三人の視線がこちらへ向いた。
セリアは少しだけ目を細める。
「そこを気にするのか」
「だって、魔力回路の重度損傷なんだろ。嘘なら論外だけど、本当なら放っておくのも……」
「優しいですね」
リーネが静かに言った。
「でも、そこが一番危ないところでもあります」
「分かってる」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんでは困る」
セリアがいつもの言葉を言った。
ただ、今日は少しだけ声が低い。
「レオン。苦しんでいる者を助けたいという気持ちは否定しない。むしろ、お前の美点だと思う」
「美点……」
「茶化すな」
「茶化してない。急に褒められて驚いただけだ」
セリアは少しだけ頬を赤くしたが、すぐに表情を戻した。
「だが、その気持ちを利用する者がいる。公爵家ほどの相手なら、令嬢の病を盾にしてくる可能性もある」
「盾、か」
「助けないのか、と問われれば断りづらい。王国のためと言われれば、なおさらだ」
レオンは黙った。
言われていることは分かる。
自分の魔力で助かるかもしれない人がいる。
そう考えた瞬間、どうしても気になってしまう。
だが、相手がそれを利用してくる可能性もある。
善意と利用は、簡単に混ざる。
「団長」
リーネが静かに言った。
「一度、令嬢の診療記録だけでも取り寄せてはいかがでしょうか。実際の状態を確認せずに判断するのは危険です」
「そうだな」
エルザも頷く。
「こちらから条件を提示すべきです。第一に、レオンさん本人の同意。第二に、白銀聖騎士団の立会い。第三に、事前の魔力診断記録提出。第四に、強制的な接触禁止」
「強制的な接触禁止って、そんな項目が必要なのか?」
レオンが聞くと、ミラが真顔で答えた。
「必要よ。貴族って、平気で『握手くらいよろしいでしょう?』って来るから」
「握手も管理対象になったからな……」
「実際、アリアとの握手で魔力流れたでしょ」
「まあ」
「だから駄目。今後レオンの手は許可制」
「俺の手、俺のものじゃなかったっけ」
「あなたの手だから守ってるんでしょ」
ミラの声が、思ったより真剣だった。
レオンは少し驚いて彼女を見る。
ミラはすぐに赤くなった。
「な、何よ」
「いや、ありがとう」
「だからそういう素直な返しやめてよ!」
ミラが顔を逸らす。
リーネが微笑み、エルザが記録しようとして、ミラに睨まれて手を止めた。
セリアは封書をもう一度見てから、静かに言った。
「使者を会議室へ通せ。ただし、レオンへの直接接触は禁止。話は私が聞く」
「俺も同席する」
レオンが言うと、セリアは少しだけ眉を寄せた。
「危険だ」
「自分のことだろ。相手が何を求めているのか、直接聞きたい」
「……」
「一人で答えたりはしない。ちゃんとセリアを見る」
セリアは一瞬、言葉を止めた。
それから、小さく息を吐く。
「分かった。ただし、私の隣にいろ」
「また近いな」
「必要だ」
「はいはい、必要必要」
ミラが言った瞬間、セリアの視線が飛ぶ。
「ミラ」
「王宮帰りからずっと思ってたんですけど、団長、必要って言えば何でも通ると思ってません?」
「事実必要なことしか言っていない」
「団長の中ではそうなんでしょうね!」
リーネが小さく笑う。
レオンもつられて笑った。
だが、笑いながらも胸の奥には重さがあった。
ついに来た。
貴族家からの直接要請。
これがきっと、始まりだ。
◇
エルンスト公爵家の使者は、いかにも貴族家の人間らしい男だった。
年齢は四十前後。
灰色の髪を綺麗に撫でつけ、黒い礼服に銀の飾り紐。
腰は低い。
言葉も丁寧。
だが、部屋に入ってきた瞬間、空気が少しだけ重くなった。
「白銀聖騎士団長セリア・ヴァルフレア様。突然の訪問にもかかわらず、お時間を賜り感謝いたします」
男は深く礼をした。
「エルンスト公爵家家令、バルナードと申します」
「用件は封書で読んだ」
セリアは短く言った。
「こちらが、白銀聖騎士団付特別魔力供給士レオン・アルヴァスだ」
男の視線が、レオンへ向いた。
その目に、一瞬だけ鋭い光が宿る。
値踏み。
レオンはそう感じた。
だが、すぐに男は柔和な笑みに戻る。
「あなたがレオン様ですか。お噂はかねがね」
「噂になるほどのことは、まだしていないと思います」
「ご謙遜を。白銀聖騎士団を救い、王宮から特別保護対象に指定されたお方。もはや王国の希望と言っても過言ではございません」
言葉が大きい。
レオンは返事を迷い、セリアを見た。
セリアは小さく頷く。
それでいい、という合図だ。
「希望と言われても困ります。俺は、できることをしているだけなので」
「その“できること”が、多くの者を救うのです」
バルナードは微笑む。
丁寧だ。
丁寧すぎる。
ミラが小さく腕を組んだ。
リーネは穏やかな顔で観察している。
エルザは記録板を開いた。
「クラウディア令嬢の状態を聞こう」
セリアが本題に入る。
バルナードは表情を曇らせた。
「お嬢様は、二年前の北方魔獣討伐において魔力回路に傷を負われました。聖槍術の名手でしたが、現在は魔力を練るだけで激痛が走り、歩行にも支障が出る日がございます」
「診療記録は?」
「こちらに」
バルナードは書類の束を差し出した。
エルザが受け取り、リーネと共に内容を確認する。
数分後、リーネの顔が曇った。
「……これは、かなり深いですね」
エルザも頷く。
「右胸部から右腕、槍術系魔力回路に広範囲の損傷。ミラの右肩損傷と似ていますが、範囲が数倍」
ミラの表情が変わった。
「槍術系……」
「はい」
バルナードは静かに続ける。
「お嬢様は、かつて王国でも指折りの聖槍使いと呼ばれました。しかし今は、槍を握ることさえできません」
会議室が静かになる。
レオンは、無意識にミラを見た。
ミラは唇を結んでいる。
同じ槍使いとして、思うところがあるのだろう。
「レオン様」
バルナードは、そこでレオンへ向き直った。
「どうか、お嬢様をお救いください」
深い礼。
言葉だけ聞けば、誠実な願いだった。
だが、次の一言で空気が変わる。
「これはエルンスト公爵家だけの願いではございません。王国の未来のためでもあります」
セリアの目が細くなった。
ミラの肩がわずかに動く。
リーネの微笑みが消える。
エルザの筆が止まる。
来た。
美しい言葉。
王国の未来。
レオンは静かに息を吸った。
「王国の未来、ですか」
「はい。クラウディアお嬢様は、将来、王国聖槍隊の中核を担うはずのお方でした。その才能を失わせておくのは、王国にとって大きな損失です」
「それは、そうかもしれません」
「ならば――」
「でも」
レオンは遮った。
バルナードの目がわずかに細くなる。
「俺は、王国の損得だけで魔力を渡したいわけじゃありません」
会議室が静まり返る。
セリアが隣で、ほんの少しだけこちらを見た。
レオンは続ける。
「その人が本当に苦しんでいて、俺の力で少しでも楽になるなら、助けたいとは思います。でも、王国のためとか、公爵家のためとか、そういう理由で俺を動かそうとされると困ります」
「……なるほど」
バルナードは笑みを崩さない。
「では、あくまでお嬢様個人を救うためなら、考えていただけると?」
「条件次第です」
今度はセリアが口を開いた。
「レオン本人の同意。白銀聖騎士団の立会い。事前診断の共有。治療場所は原則として当騎士団詰所、または中立の医療施設。エルンスト公爵邸への単独訪問は認めない」
バルナードの眉が、ほんの少し動いた。
「お嬢様は体調上、移動が難しい状態でして」
「ならば中立施設を用意する」
「公爵家の治療室であれば、最上の設備がございます」
「公爵家の中では、こちらの管理が届かない」
「我が家を疑われるのですか?」
「当然だ」
セリアの返答は速かった。
バルナードの笑みが、一瞬だけ薄くなる。
ミラが小さく「団長、強い」と呟いた。
セリアは続ける。
「レオンは王国特別保護対象だ。本人の意思なき身柄移送、魔力供給強制、単独検査は王宮通達で禁じられている。公爵家であろうと例外ではない」
「もちろん、強制などいたしません」
「ならば条件を飲めるはずだ」
強い。
レオンは隣のセリアを見た。
王宮でもそうだったが、こういう時のセリアはまったく揺れない。
不器用で、照れやすくて、部下にからかわれることも多い。
だが、守ると決めた時の彼女は本当に強い。
バルナードは数秒沈黙した後、静かに頭を下げた。
「承知いたしました。公爵閣下へ持ち帰り、改めて調整いたします」
「そうしてくれ」
「ただ、一つだけ」
「何だ」
バルナードはレオンを見た。
「クラウディアお嬢様は、長く苦しんでおられます。どうか、それだけはご理解ください」
その声には、先ほどまでの圧とは違う響きがあった。
家令としての計算ではない。
本当に令嬢を案じているようにも聞こえた。
レオンは静かに頷く。
「分かりました。診療記録は、ちゃんと見ます」
「ありがとうございます」
バルナードは深く礼をし、退室した。
扉が閉まった瞬間、ミラが大きく息を吐いた。
「疲れる!」
「まだ話しただけだぞ」
「だから疲れるのよ! ああいう人、剣を抜かないのにずっと斬りかかってくる感じがする」
リーネが頷いた。
「言葉で圧をかけるのが上手い方でしたね」
エルザも記録板を見ながら言った。
「公爵家側の目的は、令嬢治療七割、レオンさん確保可能性の探り三割と推測します」
「三割もあるのか」
「少なく見積もって、です」
セリアは封書と診療記録を机に置いた。
「レオン」
「何だ?」
「よく言った」
「え?」
「王国の損得では動かない、と」
セリアはまっすぐこちらを見ていた。
「大事なことだ。お前が自分で線を引いた」
「……そうか」
「ああ」
その言葉に、レオンは少しだけほっとした。
正直、怖かった。
公爵家の使者に、あんなふうに言ってよかったのか。
断りすぎたのではないか。
助けたい気持ちは本当なのに、冷たく聞こえなかったか。
そんな迷いがあった。
だが、セリアが認めてくれるなら、少しだけ大丈夫だと思えた。
「でも、診療記録は見たい」
「分かっている」
セリアは頷く。
「助ける可能性を捨てるわけではない。ただし、こちらの条件で行う」
「それなら」
「そして、事前にお前の魔力状態をもっと把握する必要がある」
エルザがすぐに記録板を開く。
「同意します。公爵令嬢の損傷はミラの数倍規模です。レオンさんの負荷確認、限界値測定、複数名立会いでの安全手順が必要です」
ミラが少し緊張した顔で言った。
「槍術系の損傷なら、私も立ち会う。痛みとか、流れ方とか、分かるかもしれないし」
「頼む」
レオンが言うと、ミラは少し照れくさそうに頷いた。
「うん」
リーネも続ける。
「私は治癒記録を見ます。レオンさんだけに負担をかけない方法を考えましょう」
「ありがとう」
「はい」
そしてセリアが、最後に言った。
「私は、お前のそばにいる」
会議室が一瞬静かになる。
ミラが口を開きかけたが、今回は何も言わなかった。
レオンも、茶化さなかった。
「頼りにしてる」
「ああ」
セリアの表情は、真剣だった。
◇
その夜、訓練棟では予定外の魔力検査が行われた。
公爵令嬢の治療を受けるかどうかはまだ決まっていない。
だが、もし受けるなら準備が必要だ。
まずは、同じ槍術系損傷を持っていたミラで、より深い魔力循環の確認をすることになった。
「……何で私、また最初なのよ」
ミラは訓練場の椅子に座りながら不満そうに言った。
「槍術系の比較対象として最適だからです」
エルザが淡々と答える。
「分かってるけど」
「嫌なら別の団員にする」
レオンが言うと、ミラはすぐ首を振った。
「嫌とは言ってない」
「じゃあ?」
「……ちょっと緊張してるだけ」
その声は小さかった。
いつもの強気なミラにしては珍しい。
レオンは彼女の前に膝をつき、視線を合わせた。
「痛かったらすぐ言ってくれ」
「分かってる」
「無理するなよ」
「それ、私がいつも団長に言ってるやつだ」
「じゃあ言われる側の気持ちも分かるな」
「むう」
ミラは少しだけ唇を尖らせた。
それから、右手を差し出す。
「……お願い」
「ああ」
レオンはその手を取った。
温かな魔力が繋がる。
ミラの右肩から胸の奥へ、金色の細い流れが走る。
以前よりずっと良くなっている。
だが、奥にはまだ古傷が残っていた。
「今日は少し深く見る。肩に触れていいか?」
「……うん」
ミラの声が少しだけ小さくなる。
レオンは右肩へ手を添えた。
訓練着越しに、彼女の身体がわずかに震える。
「痛い?」
「違う」
「怖い?」
「……少し」
正直な答えだった。
レオンは魔力を弱める。
「やめるか?」
「やめない」
「ミラ」
「やめない。だって、あの公爵令嬢も槍を握れないんでしょ」
ミラは視線を落としたまま言った。
「槍を握れないのは、きついよ。私、昨日ちょっと戻っただけで泣きそうになったもん。もし何年も握れないなら……たぶん、すごく苦しい」
レオンは黙った。
ミラは続ける。
「だから、助けられるなら助けたい。でも、レオンが連れていかれるのは嫌」
「連れていかれないよ」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんじゃ困る」
ミラが、セリアの口癖を真似した。
二人は少し笑った。
その笑いで、ミラの魔力が少し緩む。
「本当に、連れていかれない」
レオンは改めて言った。
「俺はここにいる」
「……ならいい」
ミラは赤くなって顔を逸らした。
「あと、今の団長に聞かれてたら絶対からかわれる」
「聞こえている」
少し離れた場所から、セリアの声がした。
ミラが飛び上がる。
「団長!?」
「立会人だからな」
「忘れてた!」
「ひどいな」
セリアは少しだけ笑っていた。
リーネも、エルザも、穏やかな顔で見守っている。
レオンは魔力を流しながら思った。
自分は、こういう場所にいたかったのかもしれない。
誰かが弱音を言えて。
誰かがそれを笑い飛ばして。
でも、本当に危ない時は全員で支える。
そんな場所に。
◇
検査が終わる頃には、夜も深くなっていた。
ミラの魔力回路はさらに安定し、槍術系損傷に対する対処法も少し見えてきた。
ただし、エルザの結論は慎重だった。
「公爵令嬢の損傷規模を考えると、一度での回復は危険です。段階治療が必要です」
「段階治療?」
レオンが聞く。
「はい。一回ごとに短時間。魔力循環は浅く開始。反応を見ながら少しずつ深くする。最低でも三回以上の治療計画が必要です」
リーネも頷く。
「その場合、公爵家側に焦らせないことが大切ですね。一度で治してほしいと言われても、断る必要があります」
「断れるかな」
レオンが言うと、セリアが即答した。
「断る」
「力強いな」
「必要なことだ」
「また必要」
「今回は本当に必要だ」
ミラが肩を回しながら笑う。
「団長の必要、今日は正しい」
「いつも正しい」
「はいはい」
いつもの軽口。
それが、ひどくありがたかった。
訓練棟を出る時、セリアがレオンの隣に並んだ。
「今日は疲れただろう」
「まあ、少し」
「部屋まで送る」
「隣だろ」
「それでも送る」
「過保護だな」
「自覚はある」
即答だった。
レオンは少し驚く。
セリアは前を向いたまま続けた。
「だが、やめるつもりはない」
「そうか」
「ああ」
廊下は静かだった。
夜の詰所は、昼間の騒がしさが嘘のように落ち着いている。
壁の魔石灯が淡く光り、二人の影を並べて伸ばしていた。
「レオン」
「何だ?」
「公爵令嬢のこと、助けたいか」
レオンは少し考えた。
「助けられるなら」
「そう言うと思った」
「駄目か?」
「駄目ではない」
セリアは足を止めた。
レオンも止まる。
「ただ、忘れるな。助ける相手が増えるほど、お前を欲しがる者も増える」
「ああ」
「それでも助けたいなら、私は止めない」
「意外だな」
「止めれば、お前はきっと苦しむ」
セリアの声は静かだった。
「誰かを見捨てたと思って、自分を責める。そういう顔をするのは、見たくない」
レオンは言葉を失った。
セリアは、自分以上に自分のことを見ているのかもしれない。
「だから条件を整える。守れる形にする。お前が自分を削りすぎないように、私が止める」
「……本当に、頼もしいな」
「団長だからな」
「それだけ?」
レオンがそう聞くと、セリアは少しだけ黙った。
そして、小さく言った。
「それだけでは、ない」
前にも聞いた言葉だった。
けれど今夜の声は、少しだけ近かった。
レオンの胸が、静かに鳴る。
その時、廊下の角からミラの声がした。
「はい! そこ! 夜の廊下で二人の世界作らない!」
レオンとセリアは同時に振り返った。
ミラが腕を組んで立っている。
後ろにはリーネとエルザ。
「何でいるんだ」
レオンが聞くと、ミラは胸を張った。
「見回り」
リーネが微笑む。
「兼、心配です」
エルザが淡々と言う。
「兼、記録です」
「最後はいらない」
セリアが低く言った。
ミラはにやにやしていた。
「団長、部屋まで送るだけなのに、立ち止まって見つめ合う必要ありました?」
「見つめ合っていない」
「じゃあ何してたんですか?」
「重要な話だ」
「距離近かったですよ」
「廊下が狭い」
「広いです」
「……警備上必要だ」
「出た、必要!」
夜の廊下に笑いが響く。
レオンも笑った。
笑いながら、思う。
公爵家。
令嬢の重い傷。
王国のためという言葉。
これからまた、面倒なことになる。
きっと簡単には済まない。
それでも、この騒がしい仲間たちがいるなら、向き合える気がした。
◇
その頃。
王都貴族街、エルンスト公爵邸。
家令バルナードは、主である公爵へ報告を終えた。
重厚な執務室。
壁には代々の当主の肖像画。
大きな机の向こうで、エルンスト公爵は静かに目を細める。
「白銀聖騎士団は、条件を出したか」
「はい。レオン殿本人の同意、騎士団立会い、中立施設での治療などを求めております」
「当然だな。セリア・ヴァルフレアならそうする」
公爵は怒らなかった。
むしろ、少し楽しそうにも見えた。
「レオン・アルヴァスはどうだった」
「若いですが、芯があります。王国の損得では動かない、と」
「ほう」
公爵の口元がわずかに上がる。
「ならば、損得ではなく情で動かす方がよいか」
「閣下」
「冗談だ」
そう言ったが、声は冗談に聞こえなかった。
部屋の奥、薄いカーテンの向こうから咳が聞こえた。
弱い、苦しげな咳。
公爵の表情が一瞬だけ変わる。
父親の顔だった。
「クラウディアの時間は長くない。槍を握れぬまま、あの子の心は削れている」
「はい」
「聖魔力源が本物なら、何としても会わせる」
「白銀聖騎士団を敵に回すおつもりですか」
「敵には回さぬ」
公爵は静かに言った。
「だが、王国の宝を一騎士団だけに預けるつもりもない」
窓の外に、夜の貴族街が広がっている。
公爵は机の上の報告書に視線を落とした。
そこには、レオン・アルヴァスの名が記されている。
「役立たずと追放された青年、か」
公爵は薄く笑った。
「人の価値とは、見る者の目でいくらでも変わるものだな」
その呟きは、静かな部屋に溶けた。
王国のため。
令嬢のため。
騎士団のため。
そして、レオン自身の意思のため。
いくつもの思惑が、少しずつ同じ場所へ集まり始めていた。




