第8話『団長、俺を守ると言いながら距離が近すぎます』
王立魔導院の使者が帰ったあと、白銀聖騎士団の空気は少しだけ変わった。
騒がしさが消えたわけではない。
ミラは相変わらずよく怒るし、リーネは穏やかな顔で物事を強引に進めるし、エルザは何でも記録したがる。
団員たちも、レオンの魔力適合検査に興味津々だ。
だが、笑い声の底に、薄く張り詰めたものが混じるようになった。
理由は単純だった。
レオン・アルヴァスの能力が、ただの《魔力譲渡》ではないと判明したからだ。
失われた王国の秘宝級スキル。
《聖魔力源》。
その言葉は、思った以上に重かった。
「というわけで」
白銀聖騎士団の会議室で、セリアは真剣な顔で言った。
「本日より、レオンの護衛体制を強化する」
長机の周りには、セリア、ミラ、リーネ、エルザ。
そして当事者であるレオンが座っている。
レオンは少し嫌な予感がしていた。
セリアの顔が、昨日の魔獣討伐前よりも険しい。
こういう時の彼女は、真面目すぎる方向へ突き抜ける。
「護衛体制って、具体的には?」
レオンが聞くと、セリアは待っていたように書類を一枚差し出した。
「まず、外出時は必ず騎士団員二名以上が同行する」
「まあ、それは分かる」
「詰所内でも単独行動は禁止だ」
「詰所内でも?」
「王立魔導院、神殿、貴族家。どこから接触が来るか分からない」
「いや、でも風呂とか寝る時は?」
何気なく聞いた。
本当に何気なく。
しかし、その瞬間、会議室の空気が妙に止まった。
ミラがゆっくりとレオンを見る。
「……レオン」
「何だ?」
「その質問、今ここで必要だった?」
「必要だろ。単独行動禁止って言われたら気になるだろ」
「気になるのは分かるけど、言い方!」
リーネは困ったように微笑み、エルザはすでに記録板を構えている。
セリアは咳払いした。
「風呂については、騎士団詰所内の客用浴室を使え。入り口に警護を置く」
「それはいい」
「寝室については、私の部屋の隣へ移動してもらう」
「……団長室の隣?」
「正確には、団長私室の隣だ」
「それ、距離が近すぎないか?」
「緊急時に即応できる」
セリアは真顔だった。
本当に真面目に言っている顔だ。
だが、内容が内容なので、ミラが両手で顔を覆った。
「団長……」
「何だ」
「守るって言いながら、ちゃっかり自分の近くに置こうとしてません?」
「警備上、最も合理的な配置だ」
「合理的って便利な言葉ですね!」
「実際に合理的だ。私の部屋周辺は結界が厚い。侵入経路も限られる。異常があれば私がすぐ動ける」
「理屈は合ってるのが腹立つ……!」
ミラが悔しそうに唸る。
レオンは書類を見ながら眉を寄せた。
確かに、セリアの言うことは間違っていない。
レオンは戦闘職ではない。
そして、能力が知れれば狙われる可能性がある。
なら騎士団長の近くに置くのは安全だ。
安全なのだが。
「セリア」
「何だ」
「本当に、それだけか?」
セリアの肩がわずかに揺れた。
「それだけとは?」
「警備上の理由だけか?」
「当然だ」
「本当に?」
「……当然だ」
少し間があった。
ミラがすかさず机を叩く。
「今、間がありました!」
「ミラ」
「ありましたよね、リーネ!」
「ええと……」
リーネはにこやかに視線を逸らした。
「医療上も、セリア団長の治療が継続しやすいので、悪い配置ではないかと」
「リーネまで団長側に!」
「事実ですから」
エルザが淡々と続ける。
「補足します。レオンさんと団長の魔力共鳴率は、現時点で騎士団内最高です。団長の聖痕治療を安定させるには、近距離での定期的な魔力循環が望ましい」
「ほら見ろ」
セリアは少しだけ胸を張った。
「医療上も合理的だ」
「団長、そうやって正当化すると余計に怪しく見えます」
「怪しくない」
セリアはきっぱり言ったが、耳が赤かった。
レオンは思わず笑いそうになる。
だが、笑うとまた訓練が増えそうなので堪えた。
「分かった。部屋の移動は受け入れる」
レオンがそう言うと、セリアの表情が少しだけ明るくなった。
本当に少しだけ。
他人なら気づかない程度だ。
しかし、この数日でレオンは分かるようになってきた。
セリアは表情が少ないようで、案外分かりやすい。
「ただし」
レオンは続けた。
「見張りをつけるにしても、俺を完全に閉じ込めるのはやめてくれ」
「閉じ込めるつもりはない」
「ならいい」
「お前の自由は尊重する。ただし、安全確保の範囲内でだ」
「それ、かなり狭そうだな」
「命があるうちは自由もある」
「重い」
「本気で言っている」
セリアの目は真剣だった。
その視線を見て、レオンは茶化すのをやめた。
彼女は本気で心配している。
レオンが秘宝級スキル持ちだと判明したことで、何かが起きる可能性を見ている。
そして、それを絶対に防ごうとしている。
「……分かった。ちゃんと従う」
「助かる」
セリアは静かに頷いた。
そこでミラが小さく呟く。
「夫婦の話し合いみたい」
「ミラ」
「はい、黙ります」
だが、すでに遅かった。
セリアの頬が赤くなり、レオンも視線を逸らした。
エルザが無言で記録板に何かを書き込む。
「エルザ」
セリアが低く呼んだ。
「はい」
「今、何を書いた」
「会議中、ミラの発言により団長とレオンさんの心拍上昇」
「消せ」
「医療記録として重要です」
「消せ」
「写しを作る前なので、今なら可能です」
「作るな!」
会議室に、久しぶりに笑いが起きた。
◇
その日の午後、レオンの部屋の移動が行われた。
といっても、荷物は少ない。
冒険者時代から持っている鞄一つと、着替え数枚。
あとは古びた短剣、魔力回復用の安い小瓶、そして読みかけの魔導基礎書だけだった。
ミラがそれを見て、ぽつりと言った。
「荷物、少なすぎない?」
「追放されたばかりだからな」
「……そっか」
ミラは少し気まずそうな顔をした。
レオンは笑う。
「そんな顔するな。身軽で楽だ」
「そういう問題じゃないでしょ」
「そういう問題でもある」
荷物を運ぶ手伝いに来たリーネが、鞄を見て優しく言った。
「必要なものがあれば、遠慮なく言ってくださいね。寝具や服は騎士団の備品から用意できます」
「そこまで世話になるのは悪い」
「専属職員ですから当然です」
「リーネさん、たまに逃げ道を塞ぐ言い方するよな」
「気のせいです」
にこりと笑う。
やはり逃げ道を塞いでいる。
エルザは部屋の扉付近で周囲の結界を確認していた。
「団長私室との距離、壁一枚。非常時には三秒以内に接触可能」
「接触可能って言い方、もう少し何とかならないか」
「救援可能」
「それで頼む」
「ただし魔力循環が必要な場合、接触可能の方が正確です」
「戻った」
レオンがため息をつくと、隣の扉が開いた。
出てきたのはセリアだった。
私室にいるためか、いつもの鎧ではなく、簡素な白い上着姿だ。
剣帯だけは外していない。
警戒心と生活感が妙に同居している。
普段の凛々しい姿とは少し違って、レオンは一瞬だけ見てしまった。
セリアがそれに気づく。
「何だ」
「いや、鎧じゃない姿は珍しいと思って」
「変か?」
「いや。似合ってる」
言った瞬間、空気が止まった。
ミラが口を開ける。
リーネが「あら」と小さく笑う。
エルザが記録板を構える。
セリアは、一拍遅れて顔を赤くした。
「そ、そういうことを軽々しく言うな」
「褒めただけだぞ」
「褒め方に問題がある」
「そうか?」
「そうだ」
ミラが力強く頷く。
「レオン、今のはかなり自然に刺したわよ」
「刺した?」
「団長の心に」
「物騒な表現だな」
「私の槍より効いてる」
「ミラ!」
セリアの声が裏返る。
レオンは苦笑した。
しかし、セリアはすぐに表情を整え、レオンの部屋へ視線を向けた。
「結界は確認した。窓側に二重、扉に一重。夜間は廊下に警備を置く」
「そこまで厳重なのか」
「まだ足りないくらいだ」
「本当に狙われると思ってるんだな」
セリアは黙った。
それから、低く言う。
「思っている」
短い言葉だった。
だが、それだけで十分だった。
「魔導院のイザベラ殿は、まだ理性的な方だ。だが、王宮や神殿、貴族家が同じとは限らない。価値あるものを見つけた時、人は綺麗な言葉で縛ろうとする」
「経験あるのか?」
「騎士団にもある」
セリアは静かに言った。
「魔獣災害の後、我々は英雄と呼ばれた。だが同時に、各方面から都合よく使われかけた。『王都を守るため』『民を安心させるため』『聖騎士としての務め』。そういう言葉は美しい。だが、限界の者をさらに立たせる口実にもなる」
リーネが少し俯いた。
ミラも黙る。
エルザは記録板を閉じた。
「だから私は、お前に同じことをさせたくない」
セリアの声は、まっすぐだった。
「聖魔力源だから必要なのではない。レオン、お前自身が壊れないように守る。それが私の役目だ」
部屋の中が静かになった。
レオンは、胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
必要とされることは嬉しい。
だが、必要とされすぎることは怖い。
その怖さを、セリアは先に見ていた。
「……ありがとう」
レオンが言うと、セリアはほんの少しだけ目を逸らした。
「礼はいらない」
「いるだろ」
「なら、受け取っておく」
「素直だな」
「私は元々素直だ」
ミラが即座に言う。
「え?」
「ミラ」
「はい黙ります」
いつもの流れで空気が少し緩む。
レオンは新しい部屋に鞄を置いた。
窓から見えるのは、中庭と訓練場。
遠くで団員たちが槍や剣の稽古をしている。
ここが新しい部屋。
そして、隣がセリアの私室。
安全なのは分かる。
分かるのだが。
「……やっぱり近いな」
レオンが呟くと、セリアがすぐに反応した。
「何がだ」
「部屋の距離」
「警備上必要だ」
「それは分かってる」
「なら問題ない」
「いや、夜中に物音とか聞こえそうだなと思って」
セリアが固まった。
ミラが両手で顔を覆った。
「レオン、それ以上言わないで。団長が想像しちゃうから」
「私は想像などしていない!」
「何を想像したんですか?」
エルザが淡々と聞いた。
「していないと言った!」
リーネが楽しそうに笑っている。
レオンは頭をかいた。
「すまん。言い方が悪かった」
「本当に悪かった」
セリアは赤い顔で言った。
「今後、隣室に関する発言には注意しろ」
「規定に入れるか?」
「入れる」
「入れるのか」
エルザが無言で記録板を開いた。
「新規項目。隣室発言規定」
「作らなくていい!」
ミラの声が廊下に響いた。
◇
夕方、レオンはセリアの治療枠に呼ばれた。
場所は医務室ではなく、団長室だった。
理由を聞くと、セリアは当然のように答えた。
「外部からの視線を避けるためだ」
「訓練棟だと団員が集まるからか」
「そうだ」
「それは分かる」
レオンは団長室の椅子に座った。
セリアは机の向こうではなく、隣の椅子に腰かける。
距離が近い。
近いが、今日の議題を考えると何も言いづらい。
隣室発言規定まで作られかけた男としては、慎重になるしかない。
「どうした」
セリアがこちらを見る。
「いや、どこまで言っていいのか考えてた」
「何をだ」
「距離が近いなって」
セリアは少し黙った。
「……治療効率を考えれば、この距離が妥当だ」
「そうか」
「そうだ」
「本当に?」
「今日は疑うな」
耳が赤い。
だが、手は自分から差し出してきた。
レオンはその手を取った。
白銀の魔力が、ゆっくり流れ込んでくる。
昨日より安定している。
だが、奥に硬い緊張がある。
「今日、ずっと張り詰めてたな」
レオンが言うと、セリアは小さく息を吐いた。
「分かるか」
「魔力が硬い」
「便利だな、お前の力は」
「隠し事がしにくいとも言う」
「なら困る」
「困るようなことがあるのか?」
「ある」
意外な即答だった。
レオンが見ると、セリアは視線を手元に落としていた。
「私は団長だ。部下の前では迷えない。怖いとも言えない。お前を守ると言った以上、不安な顔は見せられない」
「でも、不安なのか」
「……不安だ」
その声は小さかった。
団長としてではない。
一人の女性として、ぽつりとこぼれた声だった。
「お前の力は大きすぎる。今日、魔導院の報告を聞いて確信した。いずれ王宮も、神殿も、貴族も動く。彼らは礼儀正しく近づいてくるだろう。報酬も、地位も、名誉も用意するかもしれない」
「俺がそっちへ行くと思ってる?」
「思っていない」
「なら」
「だが、奪われる可能性はある」
セリアの指が、レオンの手を少し強く握った。
「守ると言いながら、守れなかったらどうする。昨日まで私は自分の身体さえ守れずに倒れていた。そんな私が、お前を守れるのかと……考えた」
レオンは少し驚いた。
セリアは強い。
誰よりも。
そう思っていた。
だが、強い人間ほど、自分の弱さを見せる場所がない。
きっと彼女はずっと、一人でこういう不安を抱えてきたのだ。
「セリア」
「何だ」
「俺を守るのは、セリア一人じゃないだろ」
セリアが顔を上げる。
「ミラもいる。リーネさんもいる。エルザもいる。他の団員たちも。俺だって、ただ守られるだけでいるつもりはない」
「お前は戦闘職ではない」
「でも、魔力は渡せる」
「それが狙われる理由だ」
「同時に、皆を支える力でもある」
レオンは静かに言った。
「俺は、無理やり連れていかれるつもりも、誰かの道具になるつもりもない。ここで、自分で選んで魔力を使う」
セリアは黙って聞いていた。
「だから、そんなに一人で背負わなくていい」
「……お前は」
「何だ?」
「時々、妙にまっすぐなことを言う」
「よく言われる」
「誰にだ」
「最近は主にセリアに」
セリアは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。
珍しい、柔らかい笑みだった。
「なら、今後も言う」
「覚悟しておく」
「私も、少しは頼る」
「そうしてくれ」
魔力が少しずつ緩んでいく。
硬く張っていた白銀の流れが、穏やかになる。
セリアの聖痕へ、レオンの魔力が馴染む。
治療としては順調だった。
ただし、二人の手は握られたままだった。
そして距離は近い。
その事実に気づいたのは、扉が控えめに叩かれた時だった。
「団長、入っても大丈夫ですか?」
ミラの声だった。
セリアが反射的に手を離そうとする。
だが、急に離すと魔力が跳ねる。
「待て」
レオンが握り直す。
セリアが固まる。
扉が開く。
ミラ、リーネ、エルザが入ってきた。
そして、三人とも足を止めた。
机の横で隣同士に座り、手を握り合っているレオンとセリア。
沈黙。
ミラがゆっくりと息を吸った。
「……団長」
「違う」
「まだ何も言ってません」
「言う前に否定した」
「つまり心当たりがあるんですね」
「ない」
セリアは必死だった。
リーネはにこにこしている。
「治療中でしたか?」
「そうだ」
「それなら仕方ありませんね」
声は優しい。
だが目が楽しそうだった。
エルザは無表情で記録板を構える。
「記録。団長室での個別治療時、手握り継続時間――」
「記録するな!」
「医療記録です」
「医療以外の何かを含めようとしているだろう!」
「否定は困難です」
「エルザ!」
ミラがにやにやしている。
「で、団長。守るために距離を近くした結果、治療も距離近めなんですね」
「必要な距離だ」
「はいはい、必要必要」
「ミラ、今日の訓練は」
「もう何倍でもどうぞ!」
「なぜ開き直る」
レオンは笑いを堪えきれなかった。
セリアが横目で睨む。
「笑うな」
「悪い。何だか、安心した」
「この状況でか?」
「この状況で」
本当にそうだった。
王宮、神殿、貴族。
外には不穏なものが増えている。
でも、この部屋の中には、いつもの騒がしさがあった。
誰かを傷つける笑いではない。
支え合うための、少し照れくさい笑い。
レオンはそれに救われている。
「それで、何か用があったんじゃないのか?」
レオンが聞くと、ミラは「あ」と声を上げた。
「そうだった。廊下に王宮からの使者が来てる」
空気が一瞬で変わった。
セリアの表情が引き締まる。
「王宮から?」
「うん。正式な封書を持ってきた。王印つき」
リーネが封書を差し出す。
白い封筒には、王国の紋章。
さらに、金色の封蝋。
間違いなく正式文書だ。
セリアは封を切り、素早く目を通した。
読み終えるにつれ、表情が険しくなる。
「何と?」
レオンが聞く。
セリアは静かに封書を机へ置いた。
「明日、王宮へ出頭せよとのことだ」
「俺が?」
「私も同行を求められている。名目は、変異黒牙狼討伐に関する報告と、白銀聖騎士団の戦力回復についての確認」
「本音は?」
エルザが淡々と言った。
「レオンさんの能力確認でしょう」
ミラが舌打ちする。
「早すぎるわよ」
「魔導院から報告が上がったのだろう」
セリアは封書を見つめたまま言った。
リーネが不安げにレオンを見る。
「レオンさん……」
「大丈夫」
レオンはそう言った。
完全に大丈夫なわけではない。
だが、ここで不安な顔をすれば、セリアがまた一人で背負おうとする。
「セリアも来るんだろ?」
「当然だ」
「なら行く」
セリアはレオンを見た。
「簡単に言うな。王宮では何を聞かれるか分からない。場合によっては、騎士団外での魔力供給を求められる可能性もある」
「その時は断る」
「相手は王宮だぞ」
「俺の魔力は俺のものだろ」
レオンは静かに言った。
「誰に渡すかは、自分で決める」
セリアの目が揺れた。
そして、ほんの少しだけ口元を緩める。
「いい答えだ」
「団長として?」
「……個人的にも」
ミラが即座に口を開きかけたが、リーネがそっと肩を押さえた。
「今は茶化さない方がいいですね」
「分かってるわよ」
ミラは小さく頷いた。
エルザも記録板を閉じる。
「明日の王宮同行者を選定しましょう。最低でも護衛二名、記録係一名、治癒担当一名」
「私が行く」
ミラがすぐに言った。
「リーネも行きます」
リーネも頷く。
「私は記録係として必要です」
エルザも当然のように言った。
セリアは三人を見る。
「全員で来る気か」
「当然です」
ミラが胸を張る。
「レオンは白銀聖騎士団の専属魔力供給士なんでしょ? なら、団長だけに任せるわけないじゃない」
リーネも微笑む。
「それに、王宮でレオンさんが無理をさせられそうになったら、医療上の理由で止めます」
エルザが続ける。
「私は記録を残します。言った言わないを防ぐために」
「頼もしいな」
レオンが言うと、ミラがふふんと笑った。
「今さら分かった?」
「前から少しは」
「少し?」
「かなり」
「よし」
ミラは満足げだった。
セリアは三人を見て、少しだけ目を細める。
その表情には、部下への信頼があった。
「では明日、王宮へ向かう。レオン」
「何だ?」
「今夜は早めに休め」
「分かった」
「ただし、何か異常があればすぐ私を呼べ。隣室だ」
「分かった」
「遠慮するな」
「しない」
「本当に?」
「多分」
「多分では困る」
いつものやり取りだった。
その瞬間だけ、張り詰めた空気が少し緩む。
ミラが呆れたように笑う。
「団長、守るって言いながら本当に距離が近いですよね」
セリアは今度こそ、真正面から答えた。
「近くなければ守れないこともある」
ミラが一瞬、言葉を失った。
リーネが微笑む。
エルザが記録板を開きかけ、やめた。
レオンはセリアを見る。
彼女は照れていなかった。
真剣だった。
だからレオンも、真面目に頷いた。
「なら、近くにいてくれ」
今度はセリアが固まった。
ミラが小さく叫ぶ。
「レオン!」
「え、今のも駄目か?」
「駄目というか、強い!」
リーネが口元を押さえて笑い、エルザが結局記録板を開く。
セリアは赤くなりながらも、咳払いした。
「……任せろ」
声は少し震えていた。
けれど、はっきりしていた。
「私は、お前を守る」
◇
その夜。
レオンは新しい部屋の寝台に腰かけ、王宮からの呼び出しについて考えていた。
外は静かだ。
廊下には警備の足音。
壁の向こうには、セリアの部屋。
近すぎると思っていた距離が、今は少しだけ心強い。
机の上には、リーネが置いていった香草茶。
ミラが「寝坊したら蹴るから」と言って投げていった小さな目覚まし魔道具。
エルザが渡してきた「王宮質問想定集」。
そして、セリアが最後に言った言葉。
私は、お前を守る。
レオンは自分の手を見る。
役立たずと呼ばれた手。
今は、誰かを支える手。
「誰に渡すかは、自分で決める、か」
自分で言った言葉を、もう一度確かめる。
王宮に行けば、きっと試される。
地位や名誉をちらつかせられるかもしれない。
王国のためと言われるかもしれない。
だが、レオンはもう知っている。
綺麗な言葉で人を道具にする者がいることを。
そして、道具ではなく人として見てくれる者がいることも。
その時だった。
壁の向こうから、小さな物音がした。
ごくわずかな音。
誰かが立ち上がったような気配。
レオンは迷った末、壁越しに声をかけた。
「セリア?」
少し間があった。
「……聞こえたか」
「少し」
「すまない。起こしたか」
「起きてた」
「そうか」
壁一枚越しの会話。
顔は見えない。
だが、不思議と近い。
「眠れないのか?」
レオンが聞くと、セリアは少し黙った。
「少しな」
「明日のこと?」
「それもある」
「他には?」
「隣にお前がいることに、まだ慣れない」
レオンは思わず黙った。
壁の向こうで、セリアが慌てた気配がした。
「違う。変な意味ではない。警護対象が近くにいる状態に慣れないという意味だ」
「分かってる」
「本当に分かっているか?」
「多分」
「多分では困る」
壁越しに、二人は小さく笑った。
その笑いは、夜の静けさに溶けた。
「レオン」
「何だ?」
「明日、何を言われても、一人で抱えるな」
「分かった」
「困ったら、私を見るだけでいい」
「見るだけ?」
「私が止める」
「頼もしいな」
「団長だからな」
「それだけ?」
少し間が空いた。
そして壁の向こうで、セリアが小さく言った。
「……それだけでは、ないかもしれない」
声は本当に小さかった。
けれど、確かに聞こえた。
レオンは返事に迷った。
茶化す言葉は出てこない。
だから、素直に言った。
「ありがとう、セリア」
「ああ」
それきり、しばらく沈黙が続いた。
けれど、その沈黙は気まずくなかった。
壁一枚越しに誰かがいる。
それだけで、不安は少し軽くなる。
やがてセリアが言った。
「おやすみ、レオン」
「ああ。おやすみ」
その夜、レオンは久しぶりに深く眠った。
翌朝、王宮から迎えの馬車が来る。
そこで待っているのは、王国の中枢。
秘宝級スキル《聖魔力源》を、国がどう扱うのか。
レオンはまだ知らない。
だが一つだけ、決めていた。
自分の魔力を、誰かの都合で使わせたりはしない。
この力を渡す相手は、自分で選ぶ。
そして今、自分が最初に支えたいと思うのは――壁一枚向こうで、眠れない夜を過ごしていた不器用な騎士団長だった。




