第37話『初回治療、金色の騎士は剣を置く』
アリア・グランフィールの初回治療当日。
白銀聖騎士団の支援室は、朝から妙に静かだった。
静かすぎる、というほどではない。
ミラはいつも通り早口だし、エルザはいつも通り記録板を抱えているし、リーネはいつも通り全員の顔色を確認している。
けれど、誰も無駄に騒がなかった。
予定板には、はっきりと書かれている。
『アリア・グランフィール/初回治療/最大三分/左手接触のみ/胸部直接接触なし/治療後最低二日完全休養』
その文字を見て、レオンは深く息を吐いた。
「今日か」
ぽつりと呟くと、ミラが横から言った。
「今日よ」
「ミラ、顔が怖い」
「怖くもなるわよ。あの金髪きらきら、絶対強がるから」
「今日は痛みを隠さないって約束してる」
「約束してても、癖は出るの。だから見張る」
ミラは真剣だった。
いつもの対抗心もある。
けれど、それ以上に心配している。
アリアが剣を置く日。
それは、ミラにとっても他人事ではないのだろう。
リーネが治療用の椅子を確認しながら言った。
「今日は楽になった時が一番危険です」
「痛い時じゃなくて?」
レオンが聞く。
「はい。痛みが減ると、人は次を求めやすくなります。アリア様は特に、ご自身を抑えるのが上手な方ですから、抑えきれなくなった瞬間に反動が出るかもしれません」
エルザが続ける。
「本日の中断条件を再確認します。痛み増加、呼吸異常、発熱、魔力暴走反応、本人申告、レオンさん判断、団長判断、リーネ判断、私の記録上の危険判定。いずれかで即時中断」
「ミラ判断は?」
ミラが手を挙げる。
エルザは少し考えた。
「ミラ判断は、団長またはリーネへ即時申告」
「何で私だけ間接!」
「感情反応が強いためです」
「否定できないのが腹立つ!」
セリアは治療計画書を閉じた。
「ミラ。お前は今日、アリア殿の表情を見る役だ」
「表情?」
「ああ。痛みを隠す時、本人が気づく前に顔へ出ることがある。お前なら分かるだろう」
ミラは一瞬黙った。
それから、短く頷いた。
「分かります」
「なら頼む」
「はい」
それだけで、ミラの背筋が伸びた。
レオンは自分の手を見た。
今日、アリアの左手に触れる。
たった三分。
でも、その三分で彼女はきっと楽になる。
そして、怖くなる。
もっと欲しくなるかもしれない。
剣を思い出すかもしれない。
胸の奥の痛みがほどけた瞬間、逆に剣を握りたくなるかもしれない。
「レオン」
セリアの声。
「何だ?」
「今日は三分だ」
「分かってる」
「三分前でも、危険なら止める」
「分かってる」
「本人が続けたいと言っても止める」
「分かってる」
「本当に?」
レオンはセリアを見る。
「ああ。本当に分かってる」
セリアはしばらくレオンの目を見ていた。
そして、静かに頷いた。
「ならいい」
その時、扉が叩かれた。
「団長。近衛騎士団より、アリア・グランフィール様が到着されました」
支援室の空気が、すっと引き締まった。
◇
アリアは、剣を帯びていなかった。
白銀聖騎士団の玄関に現れた彼女を見て、最初にそれに気づいたのはミラだった。
腰に剣がない。
いつも白い制服の横にあった金の柄も、細い鞘もない。
今日のアリアは、近衛の白い上着ではなく、治療用に用意された淡い青の服を着ていた。
髪はいつも通りきれいに結われている。
背筋も伸びている。
立ち姿も美しい。
それでも、腰の剣がないだけで、どこか頼りなく見えた。
いや、頼りないのではない。
剣がない自分を、彼女自身がまだ探しているのだ。
アリアは微笑んだ。
「ごきげんよう。今日は、少し身軽ですわ」
ミラはすぐに言い返さなかった。
アリアの笑みの奥に、緊張が見えたからだ。
「……寒くない?」
ミラが聞いた。
からかいではない声。
アリアは少し目を丸くしたあと、小さく笑った。
「寒いですわ」
「正直でよろしい」
「あなたにそう言われる日が来るとは思いませんでした」
「私もよ」
アリアは胸元に手を当てた。
今日は剣がない代わりに、二通の手紙を持っていた。
クラウディアとノエルからの手紙。
大切に折り畳まれ、胸元の内ポケットに入っている。
「剣は?」
セリアが尋ねる。
「近衛武具庫へ預けました。ガレス副長立ち会いのもと、封印済みです」
「痛みは?」
「現在、四ですわ」
即答だった。
ミラが目を細める。
「本当?」
「本当です。三と言いたいところですが、四です」
「よし」
ミラは頷いた。
エルザがすぐに記録する。
「本人、痛み四を自己申告。過少申告なし」
「記録の人、今日は厳しそうですわね」
「いつも厳正です」
「頼もしいですわ」
アリアはそう言って笑ったが、その手は少し震えていた。
レオンはそれに気づいた。
剣がない。
痛みは四。
怖さもある。
それでも彼女はここへ来た。
「アリアさん」
「はい」
「今日、治療を受けたいですか」
玄関で聞くことではないかもしれない。
けれど、レオンはここで確認したかった。
アリアは一瞬だけ目を伏せた。
それから、まっすぐ答えた。
「受けたいです」
「怖くても?」
「怖くても」
「途中でやめたくなったら、言ってください」
「はい」
「もっと欲しくなっても、言ってください」
アリアは少しだけ苦笑した。
「そこも言うのですわね」
「大事なので」
「……はい。言います」
セリアが頷く。
「では、医務室へ」
◇
治療室には、剣がなかった。
当然といえば当然だ。
それでも、アリアは部屋に入った瞬間、無意識に周囲を見た。
剣を置く場所を探したのかもしれない。
そして、自分が剣を持っていないことを思い出す。
腰へ手が伸びかけた。
途中で止まる。
ミラがすぐに言った。
「一回目」
「数えますの?」
「数える。怒りはしないけど、数える」
「厳しいですわね」
「ライバルだから」
アリアは少しだけ笑った。
その笑みで、ほんの少し空気がほぐれた。
リーネが治療前確認を始める。
「アリア様。本日は初回治療です。治療は左手接触のみ。胸部への直接接触はありません。治療時間は最大三分。痛み、呼吸異常、発熱、魔力暴走反応、不安増大、本人申告、支援室判断のいずれかで即時中断します」
「承知しています」
「治療後、最低二日間の完全休養。王宮防衛任務、待機任務、儀礼出席、剣術訓練、魔力結界展開は禁止です」
「……承知しています」
今の返事は少しだけ遅れた。
エルザが記録する。
「完全休養条件への反応遅延あり」
「そこまで記録しますの?」
「重要です」
ミラが横から言う。
「嫌なら嫌って言っていいのよ」
アリアは息を吐いた。
「嫌ですわ」
「よし」
「でも、受け入れます」
「それもよし」
ミラの返事は短い。
だが、その短さにアリアは少し安心したようだった。
セリアが正式に問う。
「アリア・グランフィール。本人の意思を確認する。本日の初回治療を受けるか」
アリアは椅子に座ったまま、背筋を伸ばした。
「受けます」
「条件を自分の意思で受け入れるか」
「受け入れます」
「確認した」
レオンはアリアの前に座った。
触れるのは左手。
治療時間は三分。
ただ、それだけ。
なのに、空気が重い。
アリアが左手を差し出す。
白い手袋は外されている。
剣を握る手。
王宮を守ってきた手。
痛みを隠してきた手。
「触れます」
レオンが言う。
アリアは静かに頷いた。
「はい」
レオンは、その手に触れた。
◇
最初の反応は、前回の診断よりも速かった。
アリアの魔力回路は、レオンの魔力を覚えていた。
白金色の流れ。
鋭く、整っていて、剣の刃のような魔力。
けれど、胸部中央で裂けている。
そこから左腕へ向かう流れが乱れ、剣を振るたびに痛みを生んでいた。
レオンは魔力を細く通す。
左手から。
左腕へ。
肩の手前で止める。
胸の傷へ直接向かわない。
周囲を温めるだけ。
アリアの指がぴくりと動いた。
「痛みは?」
リーネが聞く。
「ありません。温かいです」
アリアの声は落ち着いている。
しかし、その落ち着きは少し作られている。
ミラがすぐに言った。
「声、硬い」
アリアが目を開ける。
「分かりますの?」
「分かるわよ。今、平気なふりした」
「……少し、驚いただけですわ」
「何に?」
「痛みの周りが、ほどける感じに」
アリアは自分の胸元を見る。
もちろん、触れているわけではない。
けれど、魔力の温度は胸の奥の傷の輪郭へ届いている。
「痛みが消えたわけではありません。でも、痛みが塊ではなくなりました」
エルザが記録する。
「三十秒。痛み輪郭化の自覚あり。痛み数値は?」
「四から……三」
アリアは言ってから、すぐにミラを見る。
「今のは本当ですわ」
「顔見る限り、本当っぽい」
「ありがとうございます」
「そこで礼言わないで。調子狂う」
リーネが微笑みながら、呼吸を確認する。
「呼吸安定。魔力反応も今のところ良好です」
レオンは魔力を強めない。
楽になり始めた。
だからこそ、強めない。
アリアの手が、レオンの指をほんの少しだけ握り返した。
無意識だろう。
温かさを追いかける反応。
レオンはすぐに気づいた。
「アリアさん」
「はい」
「今、もう少し欲しいと思いましたか」
アリアの表情が揺れた。
答えが出るまで、少し時間がかかった。
だが、彼女は逃げなかった。
「……思いました」
ミラが小さく頷く。
「言えた」
アリアは苦笑する。
「言わされましたわ」
「でも言えた」
「ええ。もっと欲しいです」
その言葉が、治療室に落ちた。
正直な言葉だった。
「痛みが少し引くだけで、こんなに楽になるなんて思いませんでした。もっと流してもらえれば、胸の奥がもっと軽くなるのではと……思ってしまいます」
レオンは頷いた。
「言ってくれてありがとうございます」
「怒りませんの?」
「怒りません」
「欲張りですのに」
「欲しいと思うのは普通です。でも、今日は三分です」
アリアは目を閉じた。
「……はい」
エルザが時間を告げる。
「一分四十秒」
まだ半分少し。
レオンは流れをさらに浅くした。
アリアの魔力が、胸の奥へ向かおうとしている。
治りたいという意思。
剣を取り戻したいという願い。
痛みから解放されたいという欲求。
それらが一つになって、レオンの魔力を引こうとしている。
危うい。
クラウディアの「槍に触れたい」と同じ。
ノエルの「次も読まなきゃ」と同じ。
進みたい気持ちが、本人を急かす。
「アリア」
ミラが呼んだ。
「はい」
「剣は今、武具庫」
「はい」
「逃げない」
アリアの目が揺れる。
「……はい」
「痛みが減っても、今日剣は持たない」
「はい」
「二日休む」
「はい」
「言うの嫌そう」
「嫌ですもの」
「それでよし」
ミラはきっぱり言った。
「嫌って言えてるなら、まだ大丈夫」
アリアの口元が少しだけ緩んだ。
「あなた、本当に不思議な励まし方をしますわね」
「褒めてる?」
「褒めています」
「ならよし」
エルザが告げる。
「二分二十秒。魔力反応、安定。ただし本人欲求反応上昇」
セリアがレオンを見る。
レオンは頷いた。
もう止める準備をする。
最大三分。
ただし、三分ぴったりまで進める必要はない。
今日の目的は、深く治すことではない。
初回治療を安全に終えることだ。
「アリアさん」
レオンは静かに言った。
「そろそろ終わります」
アリアの手がわずかに強くなる。
その反応に、彼女自身が気づいた。
すぐに力を抜く。
「……すみません」
「謝らなくていいです」
「終わりたくないと、少し思いました」
「はい」
「でも、終わります」
アリアは自分で言った。
「今日は、ここまでですわ」
ノエルの言葉が、少し形を変えてそこにあった。
ミラが目を見開く。
リーネが静かに微笑む。
エルザが記録する。
セリアが短く頷く。
「二分四十五秒」
レオンは魔力を引いた。
ゆっくりと。
急に温度を奪わないように。
左手から手を離すと、アリアはその手を胸元に寄せた。
そして、深く息を吸った。
「……軽い」
小さな声。
「胸が、少し軽いですわ」
痛みが完全に消えたわけではない。
けれど、呼吸の深さが違う。
アリアは目を閉じたまま、もう一度息を吸った。
今度は、少し震えていた。
「息が、入りやすい」
ミラが唇を噛む。
「よかったじゃない」
「ええ」
アリアは目を開けた。
そこには涙が浮かんでいた。
「よかったですわ。……だから、怖いです」
その言葉に、レオンは胸が痛くなった。
楽になったから怖い。
もっと欲しいから怖い。
剣がないから怖い。
それでも、彼女は言えた。
「怖いって言えたなら、大丈夫です」
レオンが言うと、アリアは涙をこぼしながら笑った。
「本当に、ずるいことをおっしゃいますわね」
「よく言われます」
「でしょうね」
◇
治療後の確認は、いつもより慎重に行われた。
痛みは四から三へ。
一時的に二に近い感覚もあったが、治療終了後は三で安定。
呼吸は改善。
発熱なし。
魔力暴走反応なし。
ただし、治療継続欲求は明確にあり。
エルザが記録を読み上げる。
「初回治療は安全に終了。治療時間二分四十五秒。本人による『もっと欲しい』『終わりたくない』『怖い』の言語化あり。治療後完全休養へ移行」
「全部記録しますのね」
アリアが少し疲れた顔で言う。
「重要です」
「ええ。もう分かってきましたわ」
リーネが温かい布を差し出す。
「少し休んでから移動しましょう。すぐ立つと、魔力の流れが変わってふらつく可能性があります」
「承知しました」
アリアは素直に受け取った。
その素直さに、ミラがじっと見る。
「何ですの?」
「いや、本当に今日は素直だなって」
「疲れましたので、強がる余裕が少ないのですわ」
「それを言えるならよし」
「あなた、今日はずっと採点係ですわね」
「ライバルだから」
「便利ですわね、その言葉」
アリアは笑った。
笑って、少しだけ顔をしかめる。
胸の奥にまだ違和感があるのだろう。
ミラはすぐ気づいた。
「痛い?」
「三です」
「本当?」
「本当です。今、顔をしかめたのは痛みではなく……軽さに慣れないだけです」
エルザが記録する。
「軽さへの違和感あり」
セリアが立ち上がった。
「近衛宿舎東翼静養室へ移動する。リーネ、エルザ、同行。ミラは一刻後に短時間訪問。レオンはここで休め」
「俺は行かないのか?」
レオンが聞くと、セリアは即答した。
「行かない」
「でも」
「お前が行くと、アリア殿が治療の温度を思い出しやすい。今日は距離を置く」
アリアが苦笑した。
「否定できませんわ」
「本人も認めてる」
ミラが言う。
レオンは少しだけ戸惑ったが、すぐ頷いた。
「分かった」
これも、止めることの一つだ。
治療後の距離。
温度を追いかけないための時間。
アリアは椅子から立ち上がる前に、レオンへ向き直った。
「レオン様」
「はい」
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ、言ってくれてありがとうございました」
「何を?」
「もっと欲しいって。怖いって。終わりたくないって」
アリアは少し目を伏せた。
「……恥ずかしいですわね」
「でも、大事でした」
「ええ。そうなのでしょうね」
アリアは静かに頭を下げた。
「では、二日間、剣なしで休んでまいります」
ミラがすぐ言う。
「隠れて動いたら怒るから」
「存じていますわ」
アリアは少しだけ笑った。
「それが、少し安心です」
ミラは真っ赤になった。
「だから、そういうこと急に言わない!」
◇
アリアが近衛宿舎へ移動した後、治療室には静けさが残った。
レオンは椅子に座ったまま、自分の手を見ていた。
たった二分四十五秒。
魔力消耗は大きくない。
でも、妙に疲れている。
アリアの手が、温度を追いかけた瞬間。
もっと欲しいと言った声。
怖いと言いながら涙をこぼした顔。
全部が、手のひらに残っているようだった。
「レオン」
セリアが隣に来た。
「何だ?」
「よく止めた」
「三分前に?」
「ああ」
「もう少しできた気もする」
「できただろうな」
セリアは否定しなかった。
「だが、やらなかった。それでいい」
「アリアさん、楽になってた」
「だから危なかった」
「うん」
レオンは深く息を吐いた。
「止めるの、やっぱり難しいな」
「難しい。だが、お前は止めた」
「みんなが見てたから」
「それでいい」
セリアは静かに言った。
「一人で止める必要はない」
その言葉で、少しだけ肩の力が抜けた。
◇
近衛宿舎東翼静養室。
アリアは、窓際の椅子に座っていた。
剣はない。
腰は寒い。
でも、胸の奥は少し軽い。
その不釣り合いな感覚に、彼女は戸惑っていた。
リーネが体温と呼吸を確認し、エルザが記録する。
ガレス副長も一度訪れた。
「痛みは」
「三です」
「本当か」
「本当ですわ」
ガレスはしばらくアリアを見て、頷いた。
「なら休め」
「はい」
「動くな」
「はい」
「剣も見るな」
「それは少し厳しくありません?」
「見るな」
「……はい」
ガレスが去ったあと、アリアは少し笑った。
「皆様、今日は私に厳しいですわね」
リーネが微笑む。
「大切だからです」
「それを言われると、返しに困りますわ」
やがて、一刻ほどしてミラが来た。
手には小さな紙袋。
「差し入れ」
「まあ。毒では?」
「何でよ!」
「冗談ですわ」
中身は、蜂蜜入りの焼き菓子だった。
「甘いもの、嫌いじゃないでしょ」
「ええ。好きですわ」
「なら食べなさい。動くなって言われて暇でしょ」
アリアは菓子を一つ受け取り、小さくかじった。
甘さが口の中に広がる。
胸の奥の軽さとは違う、普通の温かさ。
「美味しいですわ」
「でしょ」
「ミラが作ったの?」
「違う。厨房」
「そこは嘘でも作ったと言えばよいのに」
「嘘ついてどうするのよ」
アリアは笑った。
笑って、ふと目を伏せる。
「ミラ」
「何?」
「剣がないのに、まだ私は私ですわね」
ミラは少し驚いた顔をした。
それから、当然のように言う。
「そうよ」
「即答ですのね」
「だって、さっきから腹立つくらいアリアだもん」
「また腹立つ」
「褒めてる」
「分かってきましたわ」
アリアはもう一口、菓子を食べた。
剣のない二日間。
まだ始まったばかりだ。
でも、最初の一刻は越えた。
◇
その夜、白銀聖騎士団の支援室には、アリアの経過報告が届いた。
痛み三。
発熱なし。
呼吸安定。
剣への接触欲求あり。
ただし本人申告済み。
ミラ短時間訪問により緊張緩和。
エルザが予定板へ追記する。
『初回治療終了/休養一日目開始/剣なしでも本人性維持確認』
「最後の表現、すごいな」
レオンが言うと、エルザは真面目に答えた。
「本人の発言に基づきます」
セリアが小さく頷いた。
「いい記録だ」
ミラが遅れて戻ってきた。
「アリア、ちゃんと休んでた」
「どうだった?」
レオンが聞くと、ミラは少しだけ笑った。
「剣がなくても、腹立つくらいアリアだった」
「それ、本人にも言ったのか」
「言った」
「怒られなかった?」
「褒め言葉だって分かってきたみたい」
リーネが微笑む。
「よい関係ですね」
「ライバルです!」
ミラが慌てて言う。
しかし、以前ほど強く否定していない。
支援室に、柔らかな笑いが広がった。
◇
夜。
レオンは自室で、今日の報告書を読み返していた。
アリア初回治療。
二分四十五秒。
痛み四から三。
呼吸改善。
もっと欲しい、終わりたくない、怖い、と本人が言えた。
最後に、セリアの追記がある。
『楽になることが、次を急がせる。だから今日は止めた』
レオンはその一文を見つめた。
本当に、その通りだった。
壁の向こうから声がする。
「まだ起きているのか」
「起きてる」
「寝ろ」
「今日は疲れた」
「分かっている。だから寝ろ」
「セリアも疲れただろ」
「疲れた」
「正直だ」
「お前の影響だ」
レオンは少し笑った。
「アリアさん、無事でよかった」
「ああ」
「でも、明日も大事だな」
「治療翌日が一番油断しやすい。少し楽になったから動きたくなる」
「ミラが怒りに行きそう」
「行くだろう」
「止める?」
「必要なら止める。だが、少しは任せる」
「信頼してるんだな」
「ミラは、アリア殿を見る役として適任だ」
レオンは報告書を閉じた。
「今日は、俺も止まれたかな」
「止まれた」
セリアは即答した。
「本当に?」
「本当に」
いつもとは逆だった。
そのことが少しおかしくて、レオンは笑った。
「ありがとう」
「受け取っておく」
少し沈黙。
それからセリアが言った。
「レオン」
「何だ?」
「今日はよくやった」
胸の奥に、静かな温度が広がった。
魔力ではない。
言葉の温度。
「……受け取る」
「ああ」
「おやすみ、セリア」
「おやすみ、レオン」
灯りを落とす。
アリアの初回治療は終わった。
でも、本当の治療はまだ続いている。
剣のない二日間。
楽になった胸の奥。
もっと欲しいという気持ち。
それらを抱えながら、アリアは休む。
そして支援室は、明日も彼女が歩幅を崩さないように見守るのだ。




