表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『役立たずと追放された「魔力譲渡」スキルの俺、実は美少女騎士団の「聖魔力源」だった件』  作者: 常陸之介寛浩 本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/46

第26話『二行目の聖歌と、声にならない声』

 ノエルが二度目に白銀聖騎士団の詰所へ来る朝、面談室には前回と同じ白い札が置かれていた。


『今日はここまで』


 机の端に、見えるけれど目立ちすぎない位置。


 その隣に、エルザが前回から残した緊急用の札も置こうとして、ミラに止められた。


「それ、今日はしまっておきなさい」


「緊急時に有効です」


「分かるけど、『中止』って文字が強すぎるのよ。ノエルが見たら、面談前から戦場みたいになるでしょ」


「では裏返しておきます」


「置くことは置くんだ」


 エルザは無表情で札を裏返した。


 裏面は真っ白だった。


「これで視覚的圧迫は低減されます」


「何か納得しづらいけど、まあいいわ」


 ミラは椅子の位置を確認しながら、ちらりと窓の外を見た。


 今日も門の前に神殿の馬車が来る予定だ。


 ただし、付き添いはシスティナだけ。


 神殿上層部の同席は認めない。


 昨日の王宮協議以降、白銀聖騎士団はそこをかなり強く打ち出していた。


 レオンは面談室の入口付近に立ち、二つの扉を確認する。


 廊下へ出る扉。

 中庭へ出る扉。


 どちらも、すぐ開く。


 ノエルが帰りたいと言った時、誰の前を通らなくても出られるように。


「……ここ、面談室というより避難所みたいになってきたな」


 レオンが呟くと、リーネが花瓶の位置を整えながら微笑んだ。


「それでいいと思います」


「いいのか?」


「はい。安心して逃げられる場所は、安心して少し留まれる場所でもありますから」


「リーネさんらしいな」


「そうでしょうか」


「うん。柔らかいけど、芯がある」


 リーネは一瞬、目を丸くした。


 そして、ほんの少し頬を染めて笑う。


「ありがとうございます」


 ミラがすかさず振り返った。


「出た。朝から自然に褒めるやつ」


「今のもか?」


「今のも!」


 エルザが記録板を開く。


「記録。レオンさんの自然評価発言により、リーネの照れ反応を確認」


「エルザさん?」


 リーネがにこりと笑う。


 エルザは静かに記録板を閉じた。


「削除を検討します」


「検討ではなく?」


「善処します」


「それ、残すやつですね」


 面談室に小さく笑いが広がった。


 セリアは部屋の隅で、窓の外と廊下を確認していた。


 外出用軽鎧ではなく、今日は詰所内の執務服。

 それでも腰には剣がある。


 レオンがそちらを見ると、セリアもすぐ気づいた。


「何だ」


「いや、今日も守りが完璧だなと思って」


「当然だ」


「頼もしい」


 セリアは一瞬だけ黙った。


「……今日は、面談の邪魔をする者が出る可能性がある」


 照れ隠しのように、少し硬い声でそう言った。


 ミラが小声で「今の誤魔化した」と言い、セリアに睨まれて背筋を伸ばす。


 リーネが話を戻した。


「神殿側から、追加の同席希望はありませんでしたか?」


「朝の時点ではない」


 セリアが答える。


「だが、門前で何か言ってくる可能性はある」


「神殿、しつこいわね」


 ミラが眉を寄せる。


「ノエルは今日、二行目を読むかもしれないって言ってるんでしょう? それだけで十分大事なのに」


「神殿にとっては、その二行目が成果になる」


 セリアの声は低かった。


「だからこそ、今日は慎重にする」


 レオンは頷いた。


 ノエルは今日、聖歌集の二行目を読むかもしれない。


 ただ読むだけ。


 声に出すとは言っていない。

 歌うとも言っていない。

 治療もしない。


 けれど、その「かもしれない」は、彼女にとって大きい。


 誰にも急かされず、自分で決めた一歩だからだ。


「レオン」


 セリアが呼んだ。


「何だ?」


「今日も、治そうとするな」


「分かってる」


「歌わせようとするな」


「しない」


「声が出ても、出なくても、評価するな」


「評価?」


「上手い、綺麗、戻った、そういう言葉だ」


 レオンは少し考えた。


 たしかに、ノエルはそういう言葉に傷ついてきた。


 褒め言葉でさえ、期待の形になることがある。


「じゃあ、何て言えばいい?」


 セリアは静かに答えた。


「聞こえたものを、そのまま受け止めればいい。お前ならできる」


「また難しいことを簡単に言う」


「お前がいつもやっていることだ」


「そうかな」


「そうだ」


 セリアは迷いなく言った。


 レオンは少し照れくさくなった。


 ミラがじとっと見る。


「団長まで、最近レオンを直球で褒めるようになってきましたね」


「必要な評価だ」


「便利な言葉」


「事実だ」


 また少し笑いが起きる。


 その時、廊下の向こうから見張りの騎士の声が聞こえた。


「神殿治癒院の馬車が到着しました!」


 面談室の空気が、静かに引き締まった。


    ◇


 ノエルは、前回と同じ控えめな馬車で来た。


 扉が開くと、先にシスティナが降りる。


 その後に、ノエルが聖歌集を抱えて姿を見せた。


 今日の服は、前回と同じ淡い灰色の外出着。

 ただ、首元には小さな白いリボンが結ばれていた。


 ほんの少しだけ、外へ出るために自分で整えたように見える。


 門前で待っていたミラが、ぱっと手を上げた。


「おはよう、ノエル」


「うるさい人、おはよう」


「名前で呼びなさいよ!」


「ミラ、おはよう」


「最初からそう言って!」


 ノエルの口元が少しだけ動いた。


 今日も、まずミラとのやり取りで神殿の空気が薄まる。


 システィナはその様子を見て、ほっとしたように微笑んだ。


 だが、その背後からもう一人、神殿の若い神官が降りようとした瞬間、セリアが前に出た。


「付き添いはシスティナ殿のみのはずだ」


 若い神官は足を止める。


 少し困った顔で頭を下げた。


「私は記録補助として――」


「認めていない」


 セリアの声は静かだったが、冷たかった。


「本日の面談は、ノエル殿本人が選んだ面談だ。神殿側の同席者はシスティナ殿のみ。追加の同席は支援室を通して事前申請が必要だ」


「ですが、神官長より面談の正確な記録を――」


「記録なら、白銀聖騎士団の記録管理者が行う」


 エルザが一歩前に出た。


 無表情。

 記録板を抱えた小柄な姿。


 だが、なぜか圧がある。


「必要な共有は、本人同意範囲内で文書化します。無断同席は不要です」


 若い神官は言葉に詰まった。


 ノエルは、馬車の横で聖歌集をぎゅっと抱いている。


 その指が、わずかに白くなっていた。


 レオンはその変化に気づいた。


 セリアも、たぶん気づいている。


「今日はここまでにするか?」


 レオンはノエルに尋ねた。


 若い神官が驚いた顔をした。


 システィナも一瞬だけ目を見開いた。


 ノエルは、レオンを見る。


「ここまで?」


「嫌なら、帰っていい」


「まだ、門にいるだけなのに?」


「門でも、嫌なら終わりです」


 ノエルはしばらく黙った。


 そして、若い神官をちらりと見た。


「……この人が入らないなら、行く」


「分かった」


 レオンは頷いた。


 セリアは若い神官へ視線を戻す。


「聞いた通りだ。ここで待機、あるいは帰還を」


 若い神官は不満を隠しきれない顔をしたが、システィナが静かに言った。


「あなたは馬車で待っていてください。神官長には、私から説明します」


「……承知しました」


 神官は深く礼をし、馬車の方へ下がった。


 ノエルの指から、少しだけ力が抜ける。


 ミラが小声で言った。


「門前で一戦終わったわね」


「槍を使わなかっただけ偉いです」


 リーネが微笑む。


「使うつもりだったみたいに言わないで」


「少し考えました?」


「……少しだけ」


「正直ですね」


 そのやり取りに、ノエルがほんの少し笑った。


 面談は、門前からすでに始まっていた。


    ◇


 面談室に入ると、ノエルは前回と同じ席に座った。


 出口に近い椅子。


 机の上の白い札を確認する。


『今日はここまで』


 その隣で裏返しに置かれた緊急札にも気づいたらしい。


「それ、何?」


 ノエルが指さす。


 ミラが素早く答えた。


「予備」


「何の?」


「エルザの心配性」


「なるほど」


「納得するの!?」


 エルザは真顔で言った。


「緊急時用です。必要なら使えます」


「今日はここまで、で足りる」


 ノエルはそう言って、緊急札をそっと机の端へ押した。


 エルザは少しだけ頷く。


「本人意思により緊急札は後退」


「記録しなくていい」


 ノエルが即座に言った。


 ミラが吹き出す。


「エルザへの対応、早くなってる!」


「慣れた」


「まだ二回目なのに!」


 ノエルの表情が少しだけ柔らかくなる。


 システィナは部屋の隅に座った。


 今日は、前回よりも一歩引いている。


 見守る位置だ。


 レオンは、前回と同じ斜めの席に座った。


「今日は、二行目を読むかもしれないと聞きました」


「うん」


「読まなくても大丈夫です」


「知ってる」


「なら、よかった」


「……それでも言うんだ」


「確認したかったので」


 ノエルは聖歌集を膝に置き、表紙を撫でた。


「今日は、神殿の門を出る前からちょっと嫌だった」


「なぜ?」


「神官長様が、応援しているって言ったから」


 部屋が少し静かになる。


 ノエルは続けた。


「悪い言葉じゃない。でも、応援って言われると、何かしなきゃいけない気がする」


 リーネが静かに頷く。


「期待と似ているのかもしれませんね」


「うん。たぶん」


「今日ここに来ただけで十分ですよ」


 リーネが言う。


 ノエルは彼女を見る。


「リーネは、それ本気で言うから困る」


「困りますか?」


「少し。泣きそうになるから」


 その言葉で、システィナが先に泣きそうになった。


 ノエルがすぐに振り返る。


「システィナ様が泣かないで」


「はい、我慢しています」


「ずっと我慢してる」


「はい」


 ミラがぼそっと言った。


「システィナ様も白い札いるんじゃない?」


 ノエルが少し笑った。


「システィナ様用の札は『泣かない』?」


「それいいわね」


「よくありません」


 システィナが困ったように言う。


 面談室に小さな笑いが広がった。


 その笑いが落ち着いたところで、ノエルは聖歌集を開いた。


 前回読んだ一行目。


 その下の、二行目。


 彼女の指が、ゆっくりと文字をなぞる。


 誰も急かさない。


 誰も、頑張れと言わない。


 レオンは、ただその手元を見ていた。


 ノエルの唇が少し動く。


 声は、まだ出ていない。


 けれど、息はある。


 文字をなぞる呼吸。


 聖歌になる前の、もっと小さなもの。


 ノエルは一行目を目で追い、二行目へ進んだ。


 途中で指が止まる。


 目が閉じられる。


 肩が少し震える。


 システィナが動きかけたが、リーネがそっと手で止めた。


 ノエルは自分で呼吸を整えた。


 そして、二行目の終わりまで指を動かした。


「……読めた」


 声は小さかった。


 歌ではない。


 ただの呟き。


 でも、確かに声だった。


 本人も驚いたように口元を押さえる。


 部屋の空気が止まった。


 システィナの目から、とうとう涙がこぼれた。


 しかし、声は出さない。


 ミラも黙っている。

 リーネも。

 エルザも、筆を止めたまま。

 セリアも、動かない。


 レオンは、ノエルを見た。


 ノエルは震える声で言う。


「今、声……出た?」


 レオンは少しだけ考えた。


 綺麗だった、とは言わない。

 戻った、とも言わない。

 歌えた、とも言わない。


 ただ、そこにあったものを言う。


「ノエルの声でした」


 ノエルの目が揺れた。


「聖歌じゃなくて?」


「聖歌かどうかは、俺には分かりません。でも、ノエルの声でした」


 彼女は聖歌集を見下ろした。


 唇が震える。


「……私の声」


「はい」


「神殿の声じゃなくて?」


「ノエルの声です」


 ノエルはゆっくり息を吸った。


 そして、白い札に手を伸ばした。


『今日はここまで』


 札を倒す。


「今日は、ここまで」


 レオンはすぐに頷いた。


「はい。ここまでです」


 システィナが何か言いかけて、止めた。


 リーネが優しく頷く。


 ミラが大きく息を吐く。


「よく止めた」


 その声は、いつもよりずっと静かだった。


 ノエルは札を倒したまま、聖歌集を胸に抱いた。


「もっと読めるかもって思った」


「うん」


 ミラが頷く。


「でも、今日はここまで」


「うん」


「偉い?」


 ノエルが聞いた。


 少しだけ、子どものような声だった。


 ミラは真顔で答えた。


「偉い」


 ノエルの目から、涙が落ちた。


「……そっか」


 それだけだった。


 でも、その一言が部屋に静かに広がった。


    ◇


 休憩を挟んだあと、ノエルは帰ることを選んだ。


 いつもなら、もう少し話すかどうか確認するところだが、今日は誰も引き止めなかった。


 声が出た。


 二行目を読めた。


 そして、自分で札を倒した。


 十分すぎるほどの前進だった。


 面談室を出る前、ノエルはレオンの前で立ち止まった。


「レオン」


「はい」


「さっきの、覚えてて」


「さっきの?」


「私の声だったって言ったこと」


「はい。覚えています」


「私、忘れそうになると思うから」


「じゃあ、次に会った時も言います」


 ノエルは少しだけ目を丸くした。


「何回も?」


「必要なら何回でも」


「……ずるい」


「よく言われます」


「うん。ずるい」


 ノエルは少しだけ笑った。


 次にミラを見る。


「ミラ」


「何?」


「偉いって言ってくれて、ありがとう」


 ミラの顔が一気に赤くなった。


「べ、別に。本当のこと言っただけだし」


「ミラもずるい」


「私も!?」


「うん。うるさいけど」


「最後に余計なの足す!」


 ノエルはまた少し笑った。


 システィナが涙をこらえながら頭を下げる。


「本日も、ありがとうございました」


 セリアは短く答えた。


「本人が札を倒した時点で、面談は終了だ。神殿側にもそのように記録する」


「はい」


 エルザが記録板を閉じる。


「面談終了理由。本人の意思による区切り。成功と記録します」


「成功なの?」


 ノエルが聞く。


 エルザは頷いた。


「はい。本人が自分で終わりを選べました」


「……そっか」


 ノエルはもう一度、札を見た。


 倒れたままの白い札。


 それは、逃げた印ではない。


 自分で終わりを選んだ印だった。


    ◇


 門まで見送る途中、問題が起きた。


 待機していた若い神官が、馬車の横でそわそわしていたのだ。


 ノエルが近づいた瞬間、彼は思わず声を出した。


「ノエル様、面談はいかがでしたか。声が出たと聞こえたような――」


 ノエルの足が止まった。


 システィナの表情が硬くなる。


 ミラが前へ出ようとした。


 だが、それより先にセリアが動いた。


「面談内容は、本人同意なく外部へ共有しない」


 短く、鋭い声。


 若い神官は慌てて頭を下げた。


「も、申し訳ございません。ただ、神官長より経過を――」


「正式記録は支援室から神殿治癒院担当者へ送る。門前で本人へ確認することは認めない」


「ですが」


「認めない」


 二度目。


 ノエルは聖歌集を抱えたまま、セリアの背中を見ていた。


 セリアは振り返らずに言う。


「ノエル殿。馬車へ」


「……はい」


 ノエルは小さく頷き、システィナと共に馬車へ向かった。


 若い神官はそれ以上何も言えなかった。


 馬車に乗る直前、ノエルは窓から顔を出した。


「団長」


「何だ」


「短いけど、助かる」


「そうか」


「うん」


 馬車の扉が閉まる。


 ミラが横で小声で言った。


「団長、ノエルにまで頼られてる」


「頼られているなら、応える」


「かっこいいことさらっと言う……」


 レオンは少し笑った。


「セリアらしいな」


「何だ」


「頼もしい」


 セリアはまた少しだけ目を逸らした。


「……戻るぞ」


 ミラがにやりとする。


「団長、照れた」


「ミラ」


「はい、今日はノエルが頑張ったので私は黙ります」


「今言っただろう」


「最後の一回です」


 そんなやり取りをしながら、一行は詰所へ戻った。


    ◇


 面談後の報告書作成は、いつもより慎重に行われた。


 問題は、ノエルの声についてどう記録するかだった。


 エルザが筆を持ったまま、少し考えている。


「『発声あり』と書くと、神殿側が聖歌回復の兆候として扱う可能性があります」


 リーネが頷く。


「ですが、事実として声が出たことは記録する必要があります」


「本人の言葉を中心にしたらどうだ?」


 レオンが言った。


「ノエルは『私の声』って受け止めた。聖歌としてではなく」


 セリアがすぐ頷く。


「それでいい」


 エルザは筆を動かす。


『本人、聖歌集二行目を目で追い、小声で一部発声。発声後、レオンより「ノエル本人の声」と確認。本人は聖歌としての評価ではなく、自身の声として受け止めた。その後、本人意思により白札を倒し、面談終了』


 ミラが覗き込む。


「硬いけど、ちゃんとノエルのこと守ってる感じする」


「記録は盾です」


 エルザが言った。


「今回のような事例では特に」


「エルザ、たまにかっこいいこと言うわね」


「常に言っているつもりです」


「それはどうかな」


 レオンは少し笑いながら、自分の欄に追記した。


『次回も、ノエルが望む範囲で会います。声が出ても、出なくても、急がせません』


 書き終えると、セリアが見た。


「いい」


「短い?」


「必要なことが書いてある」


「ならいいか」


「ああ」


 リーネが微笑む。


「ノエル様が聞いたら、安心すると思います」


 ミラが腕を組む。


「あの子、次は三行目って言うかな」


「言うかもしれないし、言わないかもしれない」


 レオンが答える。


「それでいいんだろ」


「うん」


 ミラは珍しく素直に頷いた。


「それでいい」


    ◇


 その夜、神殿治癒院では、システィナがノエルの部屋を訪れていた。


 ノエルは聖歌集を開いていなかった。


 今日は閉じたまま、膝の上に置いている。


「疲れましたか?」


「疲れた」


「当然です」


「でも、嫌な疲れじゃない」


 ノエルは聖歌集の表紙を撫でた。


「声、出た」


「はい」


「システィナ様は、聖歌だと思った?」


 システィナは少し考えた。


 そして、首を横に振る。


「いいえ。あなたの声だと思いました」


 ノエルは、少しだけ笑った。


「レオンと同じこと言う」


「正しいと思ったので」


「そっか」


 しばらく沈黙。


 それからノエルは、小さく言った。


「次も白銀で会う」


「はい」


「三行目は、まだ分からない」


「分からないままでいいと思います」


「……システィナ様も変になってきた」


「白銀聖騎士団の影響かもしれません」


 ノエルは、今度ははっきり笑った。


 声を出して。


 ほんの小さな笑い声だった。


 システィナは泣かなかった。


 ただ、両手を膝の上で強く握った。


 泣けば、ノエルが困るから。


 でも、その笑い声を忘れないように、胸の奥にしまった。


    ◇


 同じ夜、白銀聖騎士団の詰所。


 レオンは自室で、今日の報告書を読み返していた。


 ノエルの声。


 白い札。


 門前でのセリアの拒絶。


 全部が、静かに文字になっている。


 その最後に、セリアの追記があった。


『声は、本人のものとして守る』


 レオンはその一文を見て、しばらく黙った。


 短い。


 けれど、今日のすべてがそこにあった。


 壁の向こうから声がする。


「まだ起きているのか」


「起きてる」


「寝ろ」


「今日は言われるのを待ってた気がする」


「なら毎日言う」


「もう毎日言ってる」


「なら続ける」


 レオンは笑った。


 少しして、セリアが言った。


「今日は、よく言葉を選んだ」


「ノエルの声のこと?」


「ああ。聖歌と呼ばず、戻ったとも言わず、本人の声だと言った」


「セリアが朝に言ったからな。評価するなって」


「それを覚えて、使えたのはお前だ」


 レオンは返事に少し困った。


「……ありがとう」


「受け取っておく」


 最近、セリアは礼を受け取ってくれるようになった。


 それが少し嬉しい。


「ノエル、次も来るかな」


「来るだろう」


「三行目、読むかな」


「分からない」


「そうだな」


「分からないままでいい」


 セリアの声は穏やかだった。


「彼女が決める」


「ああ」


 レオンは報告書を閉じた。


 今日、ノエルは二行目を読んだ。


 少し声が出た。


 でも、それを聖歌の回復とは呼ばなかった。


 ノエルの声として守った。


 それは、魔力を流す治療ではない。


 けれど、確かに大切な支援だった。


「おやすみ、セリア」


「ああ。おやすみ、レオン」


 灯りを落とす。


 白銀聖騎士団の夜は静かだった。


 だが、静けさの向こうで、また神殿は動くだろう。


 ノエルの声が出た。


 その事実を、きっと誰かは成果にしたがる。


 だからこそ、支援室は記録する。


 ノエルの声は、神殿のものではない。


 聖女候補の成果でもない。


 彼女自身のものだと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ