第24話『三回目の治療、槍に触れるだけでいい』
クラウディア・エルンストの三回目の治療は、最初から空気が違っていた。
場所は、いつもの王立治癒院の中立診療室。
白い壁。
淡い緑色の魔法陣。
窓辺から差し込む柔らかな光。
そこまでは同じだ。
けれど、今日は部屋の中央にある椅子のすぐ横に、一本の槍が置かれていた。
前回までは、壁際に立てかけられていた槍。
クラウディアが怖がりながらも目を逸らせなかった、あの聖槍。
それが今日は、彼女の手が届くか届かないかの場所に置かれている。
レオンは部屋に入った瞬間、それを見て足を止めた。
「……近いですね」
思わずそう言うと、クラウディアは椅子に座ったまま、小さく頷いた。
「私がお願いしました」
声は落ち着いていた。
でも、膝の上の左手は強く握られている。
右手は包帯に包まれたまま。
前回より指先の動きは良くなったが、まだ自由には動かない。
それでも、その手は今日は隠されていなかった。
膝の上に、置かれている。
そこにも、彼女の意思があった。
「触れるつもりですか」
セリアが静かに尋ねた。
クラウディアは槍を見た。
長く、細い沈黙。
そして、首を横に振った。
「今日は、触れません」
バルナードが隣で少し驚いた顔をした。
ミラも目を丸くする。
「え? じゃあ何で近くに?」
クラウディアは少しだけ苦笑した。
「近くにあっても、触れない練習をするためです」
その言葉で、診療室の空気が変わった。
レオンは、彼女をまっすぐ見た。
クラウディアは続ける。
「前回、私は『もう少しだけ』と言いました。約束を破りかけました。ミラ様に止めていただかなければ、きっともっと求めていました」
「まあ、止める気満々だったけどね」
ミラは少し照れくさそうに言った。
クラウディアは微笑んだ。
「はい。だから今日は、槍を近くに置いて、触れないまま終えることを目標にしたいのです」
「……強いわね、あんた」
ミラがぽつりと言った。
その声には、茶化しがなかった。
クラウディアは首を横に振る。
「強くありません。触れたいです。今すぐにでも」
彼女の声は震えていない。
だからこそ、そこにある本音がはっきり伝わった。
「でも、焦れば遠くなると、ようやく分かりました」
リーネが静かに微笑む。
「とても大切な気づきです」
エルザはすでに記録板へ何かを書いていた。
「本日の患者本人目標。槍への非接触維持。治療目標とは別に精神的制御目標として記録します」
「記録されると大げさに感じますね」
クラウディアが困ったように笑う。
「大げさではありません」
エルザは真顔だった。
「治療の成功条件は、可動域改善だけではありません。患者本人が自分の限界を守れることも重要です」
クラウディアは少し目を伏せた。
「ありがとうございます」
イザベラが眼鏡を押し上げ、興味深そうに頷いた。
「素晴らしいですね。肉体的治療と心理的制御を並行して進める。聖魔力源治療の新しい――」
「イザベラ殿」
セリアの声が低くなる。
「研究発表の場ではない」
「分かっています。今のは心の中で言うべきでした」
「口に出ていたぞ」
「失礼しました」
ミラが小声で言う。
「この人、相変わらずだわ」
「聞こえていますよ」
「聞こえるように言ったの」
少しだけ笑いが起きる。
クラウディアも、前より自然に笑っていた。
その笑顔を見るだけで、レオンは胸の奥が少し温かくなる。
治療は進んでいる。
でも、今日はそこにもう一つの目標がある。
槍に触れられるかどうかではない。
槍に触れずにいられるかどうか。
希望を、焦りに変えないための治療だった。
◇
治療前の確認は、いつもより丁寧に行われた。
セリアが文書を読み上げる。
「本日の治療も、左手からの浅い魔力循環を基本とする。前回より反応が安定した場合のみ、右手首付近への間接反応確認を行う。ただし、右肩、右腕上部、胸部付近への直接接触は行わない」
「はい」
クラウディアは頷く。
「治療時間は最大五分。痛み、発熱、呼吸異常、魔力暴走反応が出た場合は即時中断。治療延長は認めない」
「はい」
「そして、本日の追加条件。治療中および治療直後、槍への接触は行わない」
クラウディアの視線が槍へ向いた。
一瞬だけ。
でも、すぐにレオンたちの方へ戻る。
「はい。触れません」
「本人の意思を確認する。本日、治療を受けるか」
「受けます」
「追加条件も、自分の意思で受け入れるか」
「受け入れます」
セリアは頷いた。
「確認した」
ミラが少し身を乗り出す。
「クラウディア」
「はい」
「きつかったら、ちゃんと言いなさいよ。『触れたい』って言うだけなら、別に悪くないから」
「……言ってもいいのですか?」
「言うのはいいの。勝手に触るのが駄目」
ミラらしい、まっすぐな言い方だった。
「言ってくれた方が止めやすいし」
クラウディアは、少し驚いた顔をした。
それから、小さく笑う。
「分かりました。触れたくなったら、言います」
「うん。そしたら止める」
「お願いします」
バルナードがそのやり取りを見て、目を細めていた。
彼はもう口を挟まない。
娘を急かすのではなく、見守ろうとしている。
それもまた、変化だった。
レオンはクラウディアの前に座る。
「始めます。左手に触れます」
「はい」
彼女が左手を差し出す。
前より、手の震えは少ない。
けれど、手のひらは冷たい。
緊張している。
当然だ。
今日は槍が近い。
近すぎる。
レオンはそっと手を包んだ。
触れた瞬間、クラウディアの魔力が静かに反応した。
前回よりも早い。
彼女の身体が、レオンの魔力を覚え始めている。
それは良い兆候でもあり、危うい兆候でもあった。
受け入れやすくなった分、もっと欲しくなりやすい。
「呼吸をゆっくり」
リーネが静かに言う。
クラウディアは頷き、息を整えた。
レオンは魔力を流す。
細く。
浅く。
温めるだけ。
左手から左腕へ。
肩へ。
胸の中心へ。
そして、右側の外周へ。
傷の中心には触れない。
扉を叩くだけ。
開けようとしない。
「右手指先、反応開始」
エルザが告げる。
「前回よりさらに早いです。四指すべてに微弱反応」
クラウディアの右手の指が、わずかに動いた。
人差し指。
中指。
薬指。
小指。
前回より滑らかだ。
痛みは出ていないようだった。
「痛みは?」
リーネが確認する。
「ありません。温かいです」
クラウディアの声が少し震えている。
喜びの震えだ。
同時に、焦りの入口でもある。
ミラがすぐ言った。
「槍じゃなくて指」
「はい」
「今日は指と手首だけ」
「はい」
「槍は逃げない」
「はい」
短い言葉のやり取り。
だが、それがクラウディアを支えていた。
レオンは魔力を少しだけ整える。
右手の指先から、手のひらの入口へ。
まだ手首全体までは届かない。
だが、前回より反応の幅は広い。
「右手掌側に反応」
エルザの声が少しだけ速くなった。
「初めてですね」
イザベラが眼鏡の奥で目を輝かせる。
「これは興味深い。指先だけでなく掌側まで――」
「イザベラ殿」
「はい、静かにします」
セリアに呼ばれる前に、イザベラは自分で口を閉じた。
少し成長している。
レオンは集中を切らさない。
クラウディアの右手が、ほんの少しだけ開く。
包帯の下で、手のひらが緩んだ。
「……手が」
クラウディアが呟く。
「手のひらが、分かります」
「痛みは?」
「ありません」
「呼吸は?」
「大丈夫です」
リーネが頷く。
「状態安定」
エルザが続ける。
「二分四十秒。レオンさんの魔力消耗も正常範囲」
まだ時間はある。
だが、レオンは槍の存在を強く感じていた。
クラウディアの魔力が、少しずつそちらへ意識を向けている。
手のひらが動いた。
なら、握れるかもしれない。
そう考えてしまうのは当然だ。
彼女の右手は、少しずつ開いていた。
槍の柄は、すぐ近くにある。
「クラウディア様」
レオンは静かに言った。
「槍を見ていますね」
クラウディアの肩が揺れた。
正直な反応だった。
「……はい」
「触れたいですか」
部屋が少し緊張する。
クラウディアはしばらく黙っていた。
そして、震える声で言った。
「触れたいです」
ミラがすぐに口を開きかけた。
しかし、レオンは先に頷いた。
「言ってくれてありがとうございます」
クラウディアが驚いたようにレオンを見る。
「今、言えたので大丈夫です。勝手に触れなかった」
ミラがそこで笑った。
「そう。言えたから偉い」
クラウディアの目に涙が浮かぶ。
「触れたいです。とても。今なら、少しだけ握れるかもしれないって……思ってしまいます」
「うん」
ミラが頷く。
「思うよね」
「はい」
「でも今日は触らない」
「はい」
「言ったから、止まれる」
クラウディアは唇を噛んだ。
右手の指が、槍の方向へわずかに動く。
だが、彼女はそれを自分で止めた。
レオンは魔力を強めない。
むしろ少し弱める。
ここで手のひらをさらに動かせば、彼女は耐えられないかもしれない。
治療は進めばいいというものではない。
リーネの言葉が頭をよぎる。
止めるのも治療。
「三分三十秒」
エルザが告げる。
セリアがレオンを見る。
続けるか。
止めるか。
まだ時間はある。
状態も安定している。
だが、精神的にはかなり際どい。
レオンは判断を迷った。
その迷いを、セリアが見逃すはずもなかった。
「レオン」
短い呼びかけ。
その声で、レオンは息を整えた。
クラウディアを見る。
彼女は涙を浮かべながら、必死に槍を見ないようにしている。
ここで続ければ、手のひらはさらに動くかもしれない。
でも、槍へ手を伸ばす衝動も強くなる。
今日は、槍に触れないことが目標だ。
「ここで止めます」
レオンは言った。
クラウディアの目が揺れた。
「まだ、五分では……」
「はい。でも今日は、ここで止めた方がいいです」
バルナードがわずかに前へ出かけた。
だが、クラウディアが先に手を上げた。
左手ではなく、わずかに動く右手の指で。
「……分かりました」
声は震えていた。
「今日は、ここまでです」
レオンは静かに魔力を引いた。
急に切らず、ゆっくりと。
クラウディアの左手から、自分の手を離す。
右手の指は、まだ温かさを残している。
だが、槍には触れていない。
クラウディアはしばらく槍を見ていた。
そして、目を閉じた。
涙がこぼれる。
「触れませんでした」
小さな声。
ミラが大きく頷く。
「触れなかった」
「触れたかったです」
「うん」
「今までで一番、触れたかったです」
「うん」
「でも……触れませんでした」
「偉い」
ミラのその一言で、クラウディアは泣いた。
声を上げず、ただ涙をこぼした。
バルナードも、何も言わなかった。
今日は誰も「もう少し」と言わなかった。
誰も、槍に触れさせようとしなかった。
レオンは自分の手を見た。
魔力は、まだ残っている。
もっと流せた。
でも流さなかった。
それでよかったのだと、今は思えた。
◇
治療後の確認では、クラウディアの右手掌側に初めて明確な反応が出たことが記録された。
指だけではなく、手のひら。
これは大きい。
ただし、精神的な焦燥も前回以上に高かった。
そのため、次回はさらに慎重な方針になった。
「次回は、槍を部屋に置かない方がよいでしょう」
リーネが言った。
クラウディアは槍を見た。
しばらく沈黙し、それから頷いた。
「そうします」
「いいの?」
ミラが聞く。
クラウディアは涙の跡を残したまま、微笑んだ。
「今日、近くにあって触れないことはできました。でも、毎回それをすると疲れてしまいそうです」
「うん。それでいいと思う」
ミラは少し照れくさそうに頷いた。
「戦う時以外は、槍から離れるのも大事だし」
「ミラ様も、離れられますか?」
「私は……まあ、時々」
「時々なのですね」
「そこ突っ込まないで!」
クラウディアが少し笑った。
その笑顔は、涙のあとに咲いた小さな花のようだった。
エルザが記録をまとめる。
「本日の治療結果。右手掌側反応確認。槍への接触衝動あり。本人による非接触維持成功。次回は槍を室外へ」
イザベラが補足する。
「魔力反応としては、次回以降、右手首付近の間接確認に進める可能性があります。ただし、精神的制御が前提ですね」
セリアが頷く。
「次回は最低四日後。状態次第では五日空ける」
バルナードが深く頭を下げる。
「承知いたしました」
今回は、彼も焦らなかった。
クラウディアが父へ言った言葉が、公爵家全体に届いているのかもしれない。
「レオン様」
クラウディアが呼んだ。
「はい」
「今日は、途中で止めてくださってありがとうございました」
「つらかったと思います」
「つらかったです」
彼女は素直に言った。
「でも、止めていただけなければ、きっと私は槍に触れていました。そして、もし痛みが戻ったら……また怖くなっていたと思います」
クラウディアは右手を胸元に寄せる。
「今日は、触れなかったことを覚えて帰ります」
レオンは静かに頷いた。
「それは、すごく大きいと思います」
「……またそういうことを言うのですね」
「え?」
「ミラ様が言っていました。レオン様は、急にまっすぐ言うからずるいと」
ミラが跳ねた。
「クラウディア!?」
「違いましたか?」
「違わないけど、そこで言わなくていいの!」
クラウディアが少し笑う。
診療室に、穏やかな空気が戻った。
◇
帰りの馬車の中で、レオンはいつもより口数が少なかった。
疲れた。
魔力の消耗は大きくない。
でも、判断することに疲れた。
五分まで続けられた。
でも、三分半で止めた。
それが正しかったのか。
理屈では正しいと分かっている。
でも、クラウディアの涙を見たあとでは、胸が少し痛い。
「レオン」
セリアが隣で声をかけた。
「何だ?」
「今日の判断は正しかった」
「まだ何も言ってない」
「顔に出ている」
「またか」
「魔力にも出ている」
「隠せないな」
「隠さなくていい」
その言葉に、レオンは少しだけ肩の力を抜いた。
ミラも向かい側から言う。
「今日は止めて正解。あれ以上やってたら、クラウディア絶対槍に触ってた」
「そう思うか?」
「思う。私なら触ってた」
「正直だな」
「正直に言うくらいには、今日は本気で危なかった」
リーネが頷く。
「治療としては短くなりましたが、結果としては大成功です。手のひらまで反応が出て、なおかつ本人が槍に触れないという目標を守れました」
エルザも記録板を見ながら言った。
「総合評価。治療成果、高。精神制御成果、非常に高。レオンさんの中断判断、適切」
「エルザに適切って言われると、少し安心するな」
「そうですか」
「うん」
「では、今後も適切な時に適切と言います」
「硬いな」
ミラが笑う。
「エルザらしいけど」
セリアは窓の外を見ながら言った。
「進むことだけが前進ではない。今日、クラウディア令嬢は止まることで進んだ」
その言葉は、馬車の揺れの中で静かに響いた。
レオンは、少しだけ笑った。
「それ、今日の報告書に書いてほしい」
「なぜだ」
「いい言葉だから」
セリアはほんの少し黙った。
「……考えておく」
ミラがにやにやする。
「団長、今ちょっと嬉しそう」
「ミラ」
「はい、でも今日も言う価値ありました」
いつものやり取り。
それだけで、レオンの胸の重さが少し軽くなる。
◇
その夜、エルンスト公爵邸。
クラウディアは自室で、槍を見ていた。
だが、今日は近くに置いていない。
部屋の端。
いつもより遠い場所。
それでも、視界には入る。
右手の指は、前より動く。
手のひらにも温かさがある。
触れたい。
今でも触れたい。
でも、今日は触れなかった。
そのことが、自分を少しだけ強くしてくれた気がした。
扉が叩かれる。
「クラウディア」
父の声。
「入ってもいいか」
「はい」
エルンスト公爵が入ってくる。
彼は槍が部屋の端に置かれていることに気づいた。
「今日は、近くに置かぬのか」
「はい。しばらくは、少し離します」
「そうか」
公爵はそれ以上言わなかった。
以前なら、早く握れるようになるといいな、と言っていたかもしれない。
今日は違った。
「お前が決めたなら、それでいい」
クラウディアは驚いて父を見た。
「お父様」
「私は、急ぎすぎていた」
公爵は静かに言った。
「お前のためだと思っていたが、お前が自分で決める余地を奪っていたかもしれない」
「……私も、焦っていました」
「当然だ。槍を失ったのだから」
公爵は娘の右手を見た。
「だが、今日、触れなかったと聞いた」
「はい」
「よく耐えた」
その言葉で、クラウディアの目に涙が浮かんだ。
父に、そう言われたかったのかもしれない。
治ったことではなく。
進んだことでもなく。
耐えたことを。
「ありがとうございます」
公爵は静かに頷いた。
「白銀聖騎士団に、正式に礼を送る」
クラウディアの表情が一瞬だけ硬くなる。
「お父様、過分な贈り物は――」
「分かっている。黄金の鎖は送らん」
公爵は少しだけ苦笑した。
「今度は、言葉だけにする」
クラウディアも小さく笑った。
「それなら、受け取っていただけると思います」
◇
白銀聖騎士団詰所の夜。
レオンは自室で、今日の報告書を読んでいた。
エルザの記録。
『右手掌側反応。槍非接触維持。治療時間三分三十秒で中断。判断適切』
リーネの追記。
『患者本人が「触れたい」と言語化できたことは大きい。欲求を否定せず、行動を止める方針を継続』
ミラの走り書き。
『槍は逃げない。でも置き場所は遠くてもいい』
そして、セリアの追記。
『止まることで進む日もある』
レオンはその一文を見て、思わず笑った。
「本当に書いてくれたんだ」
壁の向こうから、声。
「何をだ」
「セリアの言葉」
「報告書に必要だったからな」
「必要?」
「必要だ」
いつもの言葉。
レオンは笑った。
「今日は、疲れた」
「分かっている」
「クラウディア様の涙を見たら、少し迷った」
「それでも止めた」
「うん」
「なら、それでいい」
セリアの声は静かだった。
「レオン」
「何だ?」
「お前は今日、治療しただけではない。彼女が自分で槍に触れない時間を守った」
「そう言われると、少し救われる」
「なら何度でも言う」
「過保護だな」
「自覚はある」
二人の間に、小さな沈黙が落ちる。
壁一枚越しの、慣れた沈黙。
「セリア」
「何だ?」
「いつも確認してくれて、止めてくれて、ありがとう」
また沈黙。
今度は少し長い。
「……礼を言われることではない」
「言いたかったから」
「そうか」
壁の向こうの声は、少しだけ柔らかかった。
「なら、受け取っておく」
「ああ」
「明日も忙しい。寝ろ」
「はいはい」
「はいは一回でいい」
「はい」
レオンは灯りを落とした。
クラウディアの三回目の治療は、完璧な前進ではなかった。
槍には触れなかった。
治療時間も短くした。
彼女は泣いた。
けれど、右手の手のひらに温度が戻った。
触れたいと言えた。
触れずに終われた。
それはきっと、大きな前進だった。
聖魔力源の力は、今日も誰かを少しだけ救った。
魔力を流すことだけではなく、止めることによって。




