第20話『近衛騎士アリア、正式に順番待ちへ並ぶ』
特別魔力支援室ができてから、白銀聖騎士団の詰所には見慣れない封書が増えた。
神殿からの白い封筒。
王宮からの金縁の書状。
貴族家からのやたら厚い封書。
冒険者ギルドからの事務連絡。
そして今日、机の上に置かれているのは、王宮近衛騎士団からの正式申請書だった。
「……紙が立派すぎる」
レオンは、長机の上の申請書を見て呟いた。
近衛騎士団の紋章が押された白い紙は、触るのをためらうほど上質だった。
紙の端には銀の飾り線。
封蝋も丁寧に剥がされている。
中身は簡潔だった。
『王宮防衛任務に従事する近衛騎士団員の魔力回路損傷について、白銀聖騎士団付特別魔力供給士レオン・アルヴァス殿による事前診断を申請する』
対象者名。
アリア・グランフィール。
「本人から、正式に来たわね」
ミラが腕を組んで、むすっとした顔をしている。
その顔は不機嫌というより、妙な対抗心が混じっていた。
「何か嫌そうだな」
レオンが言うと、ミラは即座に反応した。
「嫌じゃないわよ。ただ、あの金髪きらきら近衛騎士が、きっちり手順を守って申請してきたのがちょっと悔しいだけ」
「それは、いいことなんじゃないか?」
「いいことだから悔しいの!」
「難しい感情だな」
リーネが微笑みながら申請書を確認している。
「アリア様らしいですね。挑発はしますが、筋は通す方ですから」
「リーネ、あの人の肩持つの?」
「持っていませんよ。ただ、事実を言っただけです」
「むう……」
ミラは納得しきれない顔で椅子に沈んだ。
エルザは、添付された診療記録に目を通していた。
「損傷箇所は胸部中央から左腕側。剣術系魔力回路と防御結界系の重複部分に裂傷があります」
「剣を振る時に痛むのか?」
レオンが尋ねると、エルザは頷いた。
「おそらく。特に踏み込みから切り返しに移る瞬間、魔力が一気に胸部を通るはずです。そこで痛みが出る可能性が高い」
ミラが小さく舌打ちした。
「だからこの前、少し踏み込み浅かったんだ」
「気づいていたのか」
「気づくわよ。あいつ、腹立つくらい綺麗に動くから。いつもと違うと目立つの」
「仲いいな」
「よくない!」
ミラはすぐに叫んだ。
「ライバル! ただのライバル!」
「はいはい」
レオンが軽く流すと、ミラはさらに赤くなった。
「今の返事、雑!」
セリアは申請書を最後まで読み、静かに机へ置いた。
「内容に不備はない。本人同意あり。診療記録も十分。近衛騎士団長の承認もついている」
「じゃあ、受けるのか?」
「あくまで事前診断だ。治療ではない」
セリアはレオンを見る。
「そして、アリア殿はおそらくお前と直接話す気だ」
「だろうな」
「握手は許可しない」
「いきなりそこ?」
「重要だ」
セリアは真顔だった。
ミラが勢いよく頷く。
「そう! 絶対あの人、優雅な顔で手を出してくるから!」
「挨拶で握手は普通では?」
リーネが言うと、ミラは身を乗り出した。
「普通じゃないの! レオンの場合は光るの! 魔力流れるの! あの人、絶対分かっててやる!」
エルザが淡々と補足する。
「前回の王宮会議で、アリア様との握手時に白金色の魔力反応が発生しています。無意識供給の可能性があるため、接触制限は妥当です」
「ほら!」
ミラが勝ち誇る。
レオンは自分の手を見た。
「俺の手、どんどん扱いが厳重になってるな」
「お前自身のためだ」
セリアが言った。
「手を差し出されたからといって、無意識に応じるな。誰かに触れる時は、必ず目的と同意を確認する」
「分かってる」
「本当に?」
「本当に」
「ならいい」
セリアは頷いた。
ただ、少しだけ目が鋭い。
たぶん、アリアのことをかなり警戒している。
ミラの対抗心とは違う。
セリアの場合は、レオンを守るための警戒だ。
……そう分かっているのに、少しだけ胸が温かくなるのは、たぶんもう仕方ない。
「何だ」
セリアが気づいた。
「いや、今日も守られてるなと思って」
「当然だ」
「即答だな」
「当然だからな」
セリアは真顔で返した。
ミラが机に額をつける。
「朝から強い……」
「何がだ」
「団長とレオンの無自覚会話が」
「無自覚ではない」
セリアが少しむきになる。
「自覚あるんですか?」
リーネがにこやかに尋ねた。
セリアは言葉に詰まった。
エルザが記録板を開く。
「記録。団長、自覚の有無について回答不能」
「消せ」
「支援室の心理安全管理に必要です」
「不要だ」
会議室に笑いが広がった。
外から見れば、王国最重要級の聖魔力源を守るための会議。
中身は、いつもの白銀聖騎士団だった。
◇
アリア・グランフィールが白銀聖騎士団の詰所へ到着したのは、午後の二刻だった。
近衛騎士団の馬車は、外から見ても品があった。
白い車体に金の紋章。
派手すぎず、しかし確実に高価だと分かる造り。
馬車から降りたアリアは、今日も完璧だった。
金髪はきれいに結い上げられ、近衛騎士団の白い制服には皺一つない。
腰には細身の剣。
背筋は真っすぐ。
微笑みは優雅。
ただ、レオンは気づいた。
彼女は馬車を降りる時、ほんの一瞬だけ胸元に手を当てた。
痛みを抑えるように。
それはすぐに消えたが、見間違いではなかった。
「ごきげんよう、白銀聖騎士団の皆様」
アリアは詰所の玄関前で優雅に一礼した。
「本日は正式な手順に従い、診断をお願いに参りましたわ」
ミラが腕を組む。
「ちゃんと手順守ってきたのは評価する」
「まあ、ありがとうございます。白銀の突撃小動物に褒められるとは光栄ですわ」
「誰が小動物よ!」
「元気そうで何よりです」
「この人、絶対わざと!」
アリアは楽しそうに笑っている。
セリアが一歩前に出た。
「アリア殿。今日は事前診断だ。治療ではない。接触も、こちらの許可なしには認めない」
「承知しております」
アリアは素直に頷いた。
「握手も控えますわ」
ミラが目を細める。
「本当に?」
「ええ。本当ですわ」
「その顔、ちょっと残念そう」
「正直に言えば、少しだけ」
「やっぱり!」
アリアは微笑む。
「前回の魔力反応は、非常に印象的でしたもの」
「そういう言い方やめなさい!」
「魔力の話ですわ」
「みんなそれ言う!」
このやり取りに、玄関近くにいた団員たちが小さく笑っていた。
アリアは白銀聖騎士団の空気に、思ったより自然に入ってくる。
それがミラには余計に気に入らないらしい。
レオンは軽く頭を下げた。
「今日はよろしくお願いします、アリアさん」
「こちらこそ、レオン様」
アリアはレオンを見た。
その碧眼は、冗談の奥に本物の期待を隠している。
「今日は手を出しませんから、ご安心を」
「それを言われると逆に警戒します」
「あら、信頼が足りませんわね」
「前回、勝手に魔力反応が出たので」
「勝手ではありませんわ。相性が良かっただけです」
「アリア」
セリアの声が低くなる。
「冗談ですわ」
「半分は本気だろう」
「三割です」
「多い」
ミラが即座に言う。
「団長、アリアの扱い分かってきましたね」
「必要に迫られてな」
アリアは愉快そうに笑ったが、その笑みは長く続かなかった。
詰所の中へ入る時、彼女の足がほんのわずかに止まったからだ。
レオンには分かった。
胸の奥の魔力が、歩く衝撃で揺れたのだ。
痛みを表情に出さないようにしている。
「アリアさん」
「何でしょう」
「無理して歩いてませんか」
アリアの微笑みが、一瞬だけ固まった。
ミラがはっとする。
「レオン、分かるの?」
「少し。魔力が揺れてる」
アリアは小さく息を吐いた。
「……本当に、厄介な方ですわね」
「厄介?」
「隠しているものを、さらりと見つけるんですもの」
アリアは微笑み直した。
だが、先ほどより少し素の顔に近かった。
「ええ、少し痛みます。でも歩けますわ」
「診断前に悪化させても困ります」
リーネがすぐに言った。
「診断室まで歩く距離を短くしましょう。ミラさん、予備の椅子を」
「分かった」
ミラは反射的に動いた。
文句を言うより先に、身体が動いていた。
それを見たアリアが少し目を細める。
「優しいですのね」
「うるさい。診断前に倒れられたら面倒なだけ」
「はいはい」
「はいは一回!」
ミラの言葉に、アリアが笑った。
その笑いは、少しだけ弱かった。
◇
事前診断は、白銀聖騎士団の医務室で行われることになった。
王立治癒院ではない。
近衛騎士団側から「白銀聖騎士団の管理下で構わない」と申請があったためだ。
このあたりもアリアらしい。
挑発はするが、手順を壊さない。
医務室には、レオン、セリア、リーネ、ミラ、エルザ。
そして対象者のアリア。
近衛側の付き添いは、診断室の外で待機することになった。
「では、始める前に確認します」
リーネが記録板を手に、落ち着いた声で言った。
「本日は事前診断です。治療ではありません。接触は必要最低限。最初は魔力結晶による外部測定。直接接触は、本人同意と白銀聖騎士団側の判断があった場合のみ」
「承知しています」
アリアは椅子に座り、背筋を伸ばした。
「本人の意思確認をします。アリア様、本日の診断を受けますか」
「受けます」
「無理に受けさせられているわけではありませんか」
「ありません。私自身の意思です」
その返事は明確だった。
レオンは、アリアの顔を見た。
強い。
美しい。
でも、どこかで痛みを隠している。
アリアは視線に気づき、少し笑った。
「レオン様。あまりじっと見られると、診断前に心拍が上がりますわ」
「すみません」
「謝られると、こちらが悪いみたいです」
「どう返せば正解なんですか」
「そうですわね。『診断に必要なので』とおっしゃればよろしいかと」
ミラが即座に叫ぶ。
「その言い方、絶対からかってる!」
「半分ほど」
「多い!」
セリアが低く言う。
「アリア殿。診断前だ。余計な挑発は控えろ」
「はい、団長様」
「返事が軽い」
「失礼しました」
アリアは軽く頭を下げる。
だが、顔にはまだ笑みがある。
エルザが測定結晶を並べた。
「まずは非接触で魔力反応を見ます。胸部中央の損傷反応が強い場合、直接接触は行いません」
「はい」
アリアは右手を胸元に当て、静かに目を閉じた。
エルザが測定杖を起動する。
結晶が淡い白金色に光る。
次の瞬間、その光の一部が鋭く乱れた。
まるで薄い布が裂けるように、中央から左側へ走る亀裂。
レオンは思わず眉を寄せた。
「……深いな」
アリアが目を開ける。
「分かりますの?」
「胸の奥から左腕にかけて、魔力が引っかかってる」
「さすがですわね」
アリアは笑おうとした。
だが、その笑みが少し歪む。
リーネがすぐに言った。
「痛みますか?」
「少し」
「少しでは分かりません」
「……剣を振った後の鈍痛に似ています」
ミラが表情を変えた。
「アリア、あんた、それで訓練続けてたの?」
「近衛騎士ですもの」
「答えになってない!」
「あなたも白銀騎士なら分かるでしょう?」
「分かるから怒ってるのよ!」
ミラの声には本気の苛立ちがあった。
アリアは少し驚いたように瞬きする。
そして、ふっと笑った。
「そういうところは、本当に真っ直ぐですわね」
「茶化さないで」
「茶化していません」
アリアの声が少しだけ静かになる。
「心配されることに慣れていないだけですわ」
その言葉で、医務室が少し静かになった。
アリアは近衛の若手筆頭。
侯爵令嬢。
完璧な剣。
優雅な立ち居振る舞い。
きっと、心配されるより、期待されることの方が多かったのだろう。
レオンは、クラウディアやノエルのことを思い出した。
役割。
期待。
それに応えられるうちは、誇りになる。
でも、傷ついた時には鎖になる。
「アリアさん」
レオンは静かに言った。
「今日、無理に強がらなくていいです」
アリアは目を細める。
「その言葉、少しずるいですわね」
「ずるい?」
「強がっていることを前提にしていますもの」
「違いますか?」
アリアは少し黙った。
それから、肩の力を抜く。
「……違いませんわ」
ミラが目を丸くした。
「アリアが認めた」
「珍しいことのように言わないでくださる?」
「珍しいじゃない」
「否定はしません」
「すると思ったのに!」
少し笑いが起きた。
その笑いで、アリアの魔力の揺れがわずかに落ち着いた。
エルザが結晶を見ながら言う。
「精神緊張の低下に伴い、損傷部周辺の反応も安定しました。直接接触診断は可能。ただし時間は短く」
セリアがレオンを見る。
「どうする」
「本人がいいなら、手から少しだけ診ます。胸には触れない」
「妥当だ」
リーネが頷く。
「手首から左腕側の流れを見るだけにしましょう」
セリアはアリアに向き直った。
「アリア殿。接触診断を行うか」
「行います」
「部位は左手。時間は二分以内。痛みが増せば即時中断」
「承知しました」
「握手ではない。診断だ」
ミラが強調した。
アリアは笑った。
「分かっていますわ。ミラ様は本当に心配性ですわね」
「心配じゃない。監視」
「では、監視ありがとうございます」
「もう!」
ミラが赤くなる。
レオンは椅子を少し引き、アリアの前に座った。
「触れます」
「はい」
アリアの左手が差し出される。
白い手袋は外されていた。
指先は細く、剣を握る者の硬さもある。
レオンはその手にそっと触れた。
瞬間。
前回の王宮での握手より、はっきりと魔力の流れが見えた。
白金色の鋭い魔力。
剣のように整っている。
だが、胸の奥に走る損傷が、左腕へ流れる魔力を乱している。
「……痛み、ありますか?」
「今はありません。ただ、温かいです」
アリアの声が少しだけ低くなった。
いつもの余裕ある調子ではない。
レオンは魔力を流さないように注意しながら、相手の流れを読む。
だが、触れているだけでわずかに反応する。
聖魔力源の魔力が、アリアの損傷部へ向かおうとしている。
危ない。
まだ診断だけだ。
レオンは意識して魔力を抑えた。
セリアがすぐに気づく。
「レオン」
「大丈夫。流れそうになっただけ」
アリアの指がわずかに動いた。
「流れていないのに、分かりますわ」
「何が?」
「あなたの魔力が、こちらへ来ようとしているのが」
アリアは目を伏せる。
「不思議ですわね。痛みを隠していた場所に、扉の外から誰かがノックしているみたい」
その表現に、リーネが少しだけ目を細めた。
「損傷部への共鳴反応ですね」
エルザが記録する。
「接触のみで反応あり。治療適性は高い可能性。ただし、胸部中央損傷のため初回治療は慎重に行う必要あり」
ミラがそわそわしている。
「ねえ、もう手離してもよくない?」
「まだ一分です」
エルザが言う。
「一分も握ってる!」
「診断です」
「分かってるけど!」
アリアが微笑む。
「嫉妬ですの?」
「違う!」
「では監視?」
「そう!」
「では、しっかり見ていてくださいませ」
「言われなくても見てる!」
ミラの声が少し大きくなる。
レオンは苦笑しそうになったが、集中を切らさないようにした。
アリアの手は温かくなり始めている。
だが、これ以上は駄目だ。
「二分」
エルザが告げる。
レオンはすぐに手を離した。
アリアの指が一瞬、名残惜しそうに動いたように見えた。
しかし彼女はすぐに手を引き、優雅に微笑む。
「ありがとうございます。診断だけでも、ずいぶん楽になった気がしますわ」
「本格的な治療は、記録を確認してからです」
セリアが釘を刺す。
「承知しております」
アリアは素直に頷いた。
「ただ、正直に言えば……これは欲しくなりますわね」
医務室が静かになる。
アリアはレオンを見た。
その目には冗談ではない色があった。
「クラウディア様が『もう少し』と言った気持ちが、分かりました。たった二分、手に触れただけで、奥の痛みが少し揺らいだ。もっと流してもらえれば、もっと楽になるかもしれない。そう思ってしまいます」
ミラが黙った。
リーネも、エルザも、セリアも。
アリアは自分の手を見つめる。
「だから、順番待ちという仕組みは必要ですわ。欲しがる側は、思ったより簡単に欲張ります」
その言葉は、重かった。
アリアは自分の中に生まれた欲を、ちゃんと見ている。
だからこそ、レオンは少し安心した。
「アリアさんは、治療を受けたいですか」
「受けたいですわ」
即答だった。
彼女は顔を上げる。
「でも、今すぐではなくていい。白銀聖騎士団の順番に従います。クラウディア様、ノエル様、その他の重症者。私より優先すべき方がいるなら、待ちます」
ミラがぽつりと言った。
「……あんた、ちゃんとしてるじゃない」
「失礼ですわね。私は最初からちゃんとしています」
「普段の言動が損してるのよ」
「あなたにだけは言われたくありませんわ」
「何でよ!」
いつもの応酬が戻った。
けれど、さっきまでとは少し違う。
ミラの中で、アリアへの見方が少し変わったのだろう。
セリアは診断記録を確認し、言った。
「近衛騎士団の申請は受理する。治療可否は支援室で審議。優先順位は重症度、本人同意、緊急性を総合して決定する」
「感謝いたします」
アリアは深く頭を下げた。
「それと、セリア団長」
「何だ」
「近衛騎士団として、レオン様の護衛協力を正式に申し出ます」
空気が変わった。
セリアの目が細くなる。
「条件は?」
「見返りは、情報共有と支援室への正式参加枠。もちろん、白銀聖騎士団の指揮権を侵害するつもりはありません」
「近衛が支援室に関わると?」
「王宮内からの圧力に対抗するには、近衛内部の情報も必要ですわ」
アリアの声は真剣だった。
「今日、診断を受けて分かりました。レオン様の力は、人を狂わせかねない。善意でも、欲でも、焦りでも。なら、守る側は多い方がいい」
ミラは何も言わなかった。
リーネが静かにセリアを見る。
エルザは記録板を止め、判断を待っている。
セリアは少し考えた。
「正式参加ではなく、連絡役から始める」
「妥当ですわ」
「情報共有は文書で。口約束はしない」
「もちろん」
「レオンへの直接接触は禁止継続」
「……残念ですが、承知しました」
「残念がるな」
アリアは微笑んだ。
セリアはため息をつきながらも、少しだけ警戒を緩めたようだった。
「では、支援室の近衛連絡役として、アリア・グランフィールを仮登録する」
「ありがとうございます」
アリアは優雅に礼をした。
その横でミラが小さく呟く。
「また面倒な人が増えた」
「聞こえていますわ」
「聞こえるように言ったの」
「ならば、よろしくお願いしますわね、白銀の突撃小動物」
「だから小動物じゃない!」
医務室に笑いが広がった。
◇
アリアが帰ったあと、レオンは医務室の椅子に座って深く息を吐いた。
「疲れた……」
「今日は魔力をほとんど使っていないはずだ」
エルザが言う。
「精神的にだよ」
「理解しました。アリア様対応による精神負荷は高めです」
「記録に残すのか」
「重要です」
ミラが椅子に座り、腕を組む。
「あの人、やっぱり腹立つけど……まあ、悪い人じゃないのよね」
「素直じゃないな」
「うるさい」
「でも、支援室に味方が増えるのはいいことだ」
「それは分かってる」
ミラは少しだけ視線を落とした。
「分かってるけど、レオンの周りにどんどん女の人が増えるの、何か落ち着かない」
言ってから、自分で固まった。
リーネが「あら」と小さく笑う。
エルザが記録板を持ち上げる。
セリアの目がわずかに動く。
レオンは一瞬、どう返せばいいか分からなかった。
「えっと……」
「今のなし!」
ミラが顔を真っ赤にして立ち上がる。
「なしだから! 警護上の話! 警護上、落ち着かないって意味!」
「そ、そうか」
「そう!」
ミラは勢いよく部屋を出ていこうとして、扉の前で振り返った。
「でも、頼られるのは嫌じゃないから!」
そう叫んで、今度こそ出ていった。
医務室に沈黙が残る。
リーネが口元を押さえて笑っている。
「ミラさん、可愛いですね」
エルザが淡々と記録する。
「ミラ、自己感情の言語化に失敗。ただし本音漏出の可能性あり」
「本人がいないところで記録するな」
セリアが言った。
「では本人の前で確認しますか」
「やめてやれ」
レオンは額を押さえた。
「俺、何か悪いことしたか?」
「していない」
セリアが答える。
「ただ、お前の周囲が少しずつ騒がしくなっているだけだ」
「かなり騒がしくないか?」
「これからもっとだ」
「嫌な予告だな」
セリアはレオンの前に立った。
「だから、支援室が必要になる」
「アリアも味方に?」
「仮だ」
「厳しいな」
「簡単に信用はしない。だが、使える力は使う」
「団長っぽい」
「団長だからな」
レオンは笑った。
その笑いを見て、セリアの表情も少し和らぐ。
「レオン」
「何だ?」
「今日、アリア殿の手を離す時、迷わなかったな」
「時間だったから」
「そうか」
「セリアが見てたし」
セリアが固まった。
リーネがにこりと笑う。
エルザが無言で記録板を構える。
「……それは、どういう意味だ」
セリアの声が少しだけ揺れた。
「いや、セリアが止めてくれると思うと、こっちも止まりやすいというか」
「そうか」
「うん」
「……そうか」
同じ言葉を二度繰り返して、セリアは視線を逸らした。
耳が赤い。
リーネが小さく言う。
「団長、本日一番の反応ですね」
「リーネ」
「はい、黙ります」
エルザが淡々と告げる。
「記録済みです」
「消せ」
「医療心理記録です」
「便利に使うな」
医務室に、また笑いが戻った。
◇
その夜、近衛騎士団の宿舎。
アリアは自室で手袋を外し、自分の左手を見つめていた。
たった二分。
診断だけ。
それなのに、胸の奥の鈍い痛みが少し軽い。
剣を振るときに常にまとわりついていた重さが、薄皮一枚分だけ剥がれたような感覚。
「これが、聖魔力源……」
アリアは小さく呟いた。
欲しくなる。
あの温かさを、もう一度。
もっと深く。
もっと長く。
そう思ってしまう。
だからこそ、白銀聖騎士団の手順は正しい。
欲しいと思う者ほど、自分では止まれない。
「厄介ですわね、本当に」
アリアは笑った。
その笑みは、いつもの余裕あるものではない。
少しだけ悔しそうで、少しだけ嬉しそうだった。
机の上には、支援室連絡役の仮登録書。
白銀聖騎士団と近衛騎士団。
本来なら距離のある二つの騎士団が、レオンを中心に少しずつ繋がり始めている。
「ミラ様は、また怒るでしょうね」
そう呟くと、自然に笑みがこぼれた。
痛みはまだある。
でも、少しだけ前を向ける。
そのことが、アリアには悔しいほど嬉しかった。
◇
同じ夜、白銀聖騎士団詰所。
レオンは自室で、今日の診断記録を読んでいた。
アリア・グランフィール。
胸部中央から左腕にかけての剣術系魔力回路損傷。
接触診断による共鳴反応あり。
治療適性は高い可能性。
ただし本人の欲求反応も確認。段階治療必須。
最後に、セリアの追記がある。
『アリア殿は味方になり得る。ただし、レオンへの接触制限は継続』
レオンは思わず笑った。
「そこは絶対なんだな」
壁の向こうから、すぐに声がした。
「何がだ」
「起きてたのか」
「お前が独り言を言う程度には近い」
「壁、薄くないか?」
「警護上必要な距離だ」
「また必要」
「必要だ」
レオンは笑いながら、報告書を閉じた。
「今日はアリアさんの申請、受けてよかったのか?」
「よかった」
セリアは即答した。
「近衛内の情報が得られるのは大きい。アリア殿本人も、少なくとも手順を守る意思がある」
「ミラは複雑そうだった」
「ミラは素直ではないだけだ」
「セリアは?」
少し沈黙。
「……私も、複雑ではある」
「アリアさんが支援室に入ること?」
「それもある」
「他には?」
壁の向こうで、セリアが言葉を選んでいる気配がした。
「お前を必要とする者が増えることだ」
「不安?」
「不安だ」
今日も、セリアは正直だった。
「だが、必要とされること自体を否定するつもりはない。お前の力で救われる者がいるなら、それは大切なことだ」
「うん」
「だからこそ、守る仕組みを増やす。味方を増やす。お前が壊れないように」
「ありがとう」
「礼はいらない」
「言いたかったから」
「……そうか」
壁の向こうで、少しだけ沈黙が落ちる。
レオンは灯りを落としながら言った。
「おやすみ、セリア」
「ああ。おやすみ、レオン」
近衛騎士アリアが、正式に順番待ちへ並んだ。
神殿のノエルは、まだ治療を望んでいない。
公爵令嬢クラウディアは、少しずつ指先を取り戻している。
そしてアリアは、自分の痛みを認めた。
聖魔力源を求める人は増えていく。
そのたびに、レオンの周りは騒がしくなる。
けれど今はまだ、その騒がしさが少しだけ心強かった。




