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『役立たずと追放された「魔力譲渡」スキルの俺、実は美少女騎士団の「聖魔力源」だった件』  作者: 常陸之介寛浩 本能寺から始める信長との天下統一


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第13話『槍を握れない令嬢と、触れる前の約束』

王立治癒院は、王宮の北側に隣接する白い石造りの建物だった。


 神殿ほど荘厳ではない。

 騎士団詰所ほど武骨でもない。

 だが、空気だけは妙に張り詰めていた。


 廊下には薬草と消毒香の匂いが混じり、壁には淡い緑色の治癒魔法陣が刻まれている。

 窓から差し込む朝の光は柔らかいのに、そこを歩く者たちの足取りはどこか慎重だった。


 病を抱えた者。

 怪我を負った者。

 そして、誰かの回復を待つ者。


 そういう場所の空気は、冒険者ギルドとも騎士団とも違う。


 レオンは、思わず息を整えた。


「緊張しているのか?」


 隣を歩くセリアが、小声で聞いてきた。


 今日のセリアは正装鎧ではなく、白銀聖騎士団の外出用軽鎧を身につけている。

 動きやすく、それでいて格式もある装いだ。

 腰の剣だけは、いつもと同じ実戦用だった。


「してる」


 レオンは素直に答えた。


「隠さないんだな」


「隠しても魔力で分かるだろ」


「それもある」


 セリアは少しだけ口元を緩めた。


「だが、正直なのはいいことだ」


「セリアも最近、ずいぶん正直になったよな」


「……今それを言う必要はあるか」


「緊張をほぐそうかと」


「私で遊ぶな」


 声は硬いが、耳が少し赤い。


 その後ろでミラが露骨にため息をついた。


「朝から二人の空気を作らないでよ。ここ治癒院なんだから」


「作ってない」


 レオンとセリアが同時に答えた。


 ミラはぴたりと足を止めた。


「ほら! そういうところ!」


 リーネがくすりと笑う。


「息が合ってきましたね」


「合っていない」


「合ってない」


 また同時だった。


 ミラが両手で顔を覆う。


「もうやだ、この二人」


 エルザは記録板を抱えながら、淡々と歩いている。


「記録。治癒院到着直後、団長とレオンさんの応答同期二回。ミラの突っ込み負荷上昇」


「記録しなくていいってば!」


「心理負荷管理に必要です」


「私の管理なの!?」


 普段通りのやり取り。


 その騒がしさに、レオンは少し救われていた。


 今日の目的は、クラウディア・エルンスト令嬢との初対面。

 そして、事前診断。


 治療ではない。


 まずは本人の同意を確認し、状態を診て、レオンの魔力が安全に流せるかを調べるだけ。


 そう何度も確認してきた。


 それでも、胸の奥は少し重い。


 槍を握れなくなった令嬢。


 その言葉だけで、昨日のミラの顔を思い出す。


 もし自分の魔力で少しでも楽にできるなら。

 そう思う一方で、セリアの言葉も残っていた。


 助けたい気持ちは、利用される。


 善意は、時々いちばん危ない鎖になる。


「レオン」


 セリアがまた声をかけた。


「はい」


「考えすぎるな」


「顔に出てたか?」


「魔力にも出ている」


「便利だな、本当に」


「便利だが、私は心配になる」


 レオンが横を見ると、セリアは前を向いたままだった。


 だが声は、少しだけ柔らかい。


「今日は、治す日ではない。会う日だ。診る日だ。無理をして答えを出す日ではない」


「分かってる」


「本当に?」


「今日は分かってる」


「ならいい」


 その会話を聞いていたミラが、後ろから口を挟む。


「分かってなかったら、私が止めるからね」


「頼りにしてる」


「……っ、だからそういう返しが!」


 ミラはまた赤くなった。


 リーネが楽しそうに笑う。


「ミラさんもだいぶレオンさんに慣れてきましたね」


「慣れてない!」


 エルザがすぐに記録する。


「ミラ、否定速度上昇」


「それは何の記録なのよ!」


 そんなやり取りをしながら、一行は特別診療棟の前に到着した。


 そこに、王立治癒院の医師たちが待っていた。


 白衣姿の壮年男性と、若い女性医師。

 そしてその隣に、昨日会った王立魔導院の研究者、イザベラ・ローエンが立っていた。


 藍色のローブ。

 眼鏡。

 そして、獲物を見つけた研究者の目。


「お待ちしておりました、皆様」


 イザベラは優雅に頭を下げた。


「特にレオン様。今日も大変興味深い……いえ、重要な診断になりそうです」


「今、興味深いって言いかけましたよね」


 ミラが即座に突っ込む。


「事実ですもの」


 イザベラは悪びれない。


「ですが本日は、研究よりも患者本人の安全が優先です。そこはご安心を」


 セリアが一歩前へ出る。


「約束通り、診断前に本人の意思確認を行う」


「もちろんです」


 男性医師が頷いた。


「クラウディア様には、すでに説明しております。ただし、最終的な同意確認はレオン殿と白銀聖騎士団の皆様の前で行いたいとのことです」


「本人が?」


「はい」


 医師は少し表情を曇らせた。


「かなり緊張されています。長く治療を続け、何度も失望を経験しておられますので」


 レオンは黙って頷いた。


 何度も期待して、何度も駄目だった。


 それは、きっと想像以上に怖い。


「行こう」


 セリアが短く言った。


 レオンは静かに息を吸い、扉の前へ進んだ。


    ◇


 特別診療室は、思ったよりも明るい部屋だった。


 白い壁。

 大きな窓。

 淡い緑色の魔法陣が床に描かれ、中央には寝台ではなく、背もたれのある椅子が置かれている。


 そして、その椅子に一人の少女が座っていた。


 クラウディア・エルンスト。


 十八歳。


 長い銀金の髪が、肩から静かに流れている。

 透き通るような肌は白く、唇には少し血の気がない。

 細い身体に薄青の療養服をまとい、右腕には包帯が巻かれていた。


 美しい少女だった。


 だが、最初にレオンが感じたのは美しさではない。


 張り詰めた怖さだった。


 彼女は椅子の横に立てかけられた槍を見ないようにしている。


 しかし、見ないようにしているからこそ、意識がそこへ向いているのが分かった。


 槍。


 かつての自分。

 失ったもの。

 戻りたい場所。


 そういうものが、一本の武器に詰まっているようだった。


 クラウディアの後ろには、家令バルナードと、公爵家付きの侍女が一人。


 どちらも深く頭を下げた。


「白銀聖騎士団長セリア・ヴァルフレア様。レオン・アルヴァス様。本日はお越しいただき、誠にありがとうございます」


 バルナードが丁寧に言う。


 セリアは軽く頷いた。


「今日は事前診断だ。治療を約束する場ではない」


「承知しております」


 バルナードはすぐに答えた。


 だが、その声には焦りが混じっていた。


 レオンは、クラウディアへ視線を向ける。


 彼女もこちらを見ていた。


 怯えと、期待と、疑い。


 その三つが混ざった目だった。


「あなたが……レオン・アルヴァス様ですか」


 声は細かった。


 けれど、貴族令嬢らしい品はある。


「はい。レオンです」


「本当に、聖魔力源なのですか」


 いきなりだった。


 バルナードが慌てる。


「お嬢様」


「いいんです」


 クラウディアは小さく首を振った。


「私は、もう遠回しな言葉を聞き飽きました。効くかもしれない。可能性はある。前例がない。様子を見ましょう。……そういう言葉を、二年間ずっと聞いてきました」


 診療室の空気が静かになる。


 クラウディアはレオンを見たまま続けた。


「あなたは、本当に私を治せるのですか」


 重い問いだった。


 バルナードが息を呑む。

 リーネが表情を曇らせる。

 ミラは唇を結んでいる。


 レオンはすぐには答えなかった。


 軽く「治せます」と言えば、彼女は一瞬だけ救われるかもしれない。

 でも、もし駄目だったら。


 その一瞬の救いは、さらに深い絶望になる。


 だから、レオンは正直に答えた。


「分かりません」


 クラウディアの瞳が揺れた。


 バルナードがわずかに眉を動かす。


 だが、レオンは続けた。


「俺はまだ、自分の力のことを全部知っているわけじゃありません。白銀聖騎士団の人たちには効果がありました。でも、あなたにも同じように効くかは分かりません」


「……そうですか」


 クラウディアの声が少し沈む。


 レオンは一歩だけ近づいた。


 セリアがすぐ隣に動く。


 ミラも反応したが、何も言わない。


「でも」


 レオンは言った。


「勝手に期待させることはしません。勝手に触れることもしません。あなたが嫌なら、診断もしません」


 クラウディアが目を上げる。


「私が……嫌なら?」


「はい」


「公爵家がお願いしても?」


「あなたの身体のことですから」


 その言葉に、診療室がまた静かになった。


 バルナードの表情が一瞬だけ変わる。


 クラウディアは、信じられないものを見るような顔をした。


「私の身体……」


「魔力回路に触れるなら、あなたの同意が一番大事です」


 レオンはゆっくり言った。


「俺は、治せると約束はできません。でも、あなたの意思なしに何かすることもありません」


 クラウディアは、膝の上の左手を握りしめた。


 指先が震えている。


「……皆、父の許可を取りました」


 ぽつりと、彼女は言った。


「医師も、神官も、魔導師も。父と話し、家令と話し、治療方針を決めてから、私に説明しました。私のためだと分かっています。父も、バルナードも、私を助けようとしてくれたんです」


「お嬢様……」


 バルナードが苦しそうに呼ぶ。


 クラウディアは小さく笑った。


「でも、私に聞いてくれた人は、少なかった」


 その声は、静かだった。


 怒りというより、疲れに近い。


 ミラが俯く。


 リーネは胸の前で手を組んだ。


 セリアは何も言わず、レオンの隣に立っている。


「レオン様」


 クラウディアは改めて、レオンを見た。


「診断を受けます。怖いです。期待するのも、もう嫌です。でも……」


 彼女の視線が、横に立てかけられた槍へ向く。


「私は、もう一度だけ、槍を握りたい」


 その言葉で、ミラの表情が変わった。


 レオンの胸にも、静かに何かが落ちた。


 ただ歩けるようになりたいのではない。

 ただ痛みを消したいのでもない。

 彼女は、失った自分にもう一度触れたいのだ。


「分かりました」


 レオンは頷いた。


「まずは診るだけです。痛みが出たらすぐ止めます」


「はい」


「触れる場所は、最初は左手でいいですか? 右側は損傷が深いみたいなので、いきなり触れません」


「……はい」


「セリア、隣にいてくれ」


「当然だ」


 セリアは即答した。


 クラウディアの目が少し動く。


 セリアを見る。


「セリア様は……レオン様を信頼しているのですね」


「している」


 これも即答だった。


 レオンの方が少し驚いた。


 セリアは一切ごまかさなかった。


「彼は、自分の力を誰かに押しつける者ではない。だから信頼している」


「……そうですか」


 クラウディアの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。


「では、私も少しだけ、信じてみます」


    ◇


 診断は慎重に始まった。


 クラウディアは椅子に座ったまま、左手を差し出した。


 その手は細く、冷たかった。


 レオンはすぐには触れない。


「触れます」


「はい」


 許可を確認してから、そっと手を取った。


 瞬間。


 レオンの身体の奥で、魔力が微かに揺れた。


 白銀でも、金でも、緑でもない。


 淡い白金色。


 だが、その流れは途中でひどく乱れていた。


「……っ」


 クラウディアの肩が小さく跳ねる。


「痛いですか?」


「いえ……痛くは、ありません。ただ、手が温かい」


「無理しないでください」


「はい」


 レオンは魔力を流すのではなく、まず相手の魔力を読むことに集中した。


 左手から腕。

 肩。

 胸の中心。


 そこまでは細く弱いが、流れはある。


 問題は右側だった。


 胸の奥から右肩、右腕にかけて、魔力回路が深く裂けている。


 ただ傷があるだけではない。


 傷を守るように、魔力が硬く固まっていた。


 痛みを避けるために、身体が自分で蓋をしたのだ。


 その蓋が、今度は魔力そのものを通さなくしている。


「……ミラの時と似てる。でも、ずっと深い」


 レオンが呟くと、ミラが緊張した顔で近づいた。


「やっぱり槍術系?」


「ああ。右肩から胸にかけて、槍を突き出す時に使う流れが傷ついてる」


 ミラはクラウディアを見た。


 クラウディアもミラを見る。


 初対面の二人。


 片方は騎士団の槍使い。

 片方は槍を握れなくなった公爵令嬢。


 ミラは少し迷った後、言った。


「私も、右肩をやってた」


 クラウディアの目が揺れる。


「あなたも……?」


「うん。レオンに整えてもらうまで、槍に魔力が乗らなかった。平気な顔してたけど、けっこう怖かった」


 ミラにしては、驚くほど素直な声だった。


「だから、怖いなら怖いって言っていいと思う。強がると、あとで余計きついから」


 クラウディアはしばらく黙っていた。


 そして、小さく頷いた。


「……怖いです」


 その一言は、診療室に静かに落ちた。


「槍を見るだけで、痛みを思い出します。でも、見ないと、自分が消えていく気がする」


 ミラは何も茶化さなかった。


「分かる、とは言えないけど」


 ミラは静かに言った。


「でも、少しだけ近いところは分かる」


 クラウディアの目に、少しだけ涙が浮かんだ。


 レオンは魔力を止めないようにしながら、彼女の状態を読む。


 リーネが横で治癒反応を見ている。


「熱は上がっていません。呼吸も安定しています」


 エルザが結晶を確認する。


「レオンさん側の魔力消耗も軽微。ただし、クラウディア様の右側に触れると反応が跳ねる可能性あり」


 イザベラが興味深そうに身を乗り出した。


「やはり槍術系損傷への適応反応が出ていますね。色は白金。聖槍系の魔力と相性が――」


「イザベラ殿」


 セリアが低く言った。


「近い」


「あら、失礼」


 イザベラは半歩下がった。


 ミラがぼそっと言う。


「半歩だけ?」


「距離は記録に必要ですので」


「やっぱりこの人、距離感おかしい」


 その小さなやり取りに、クラウディアがほんの少しだけ笑った。


 弱い笑みだったが、確かに笑った。


「白銀聖騎士団は、にぎやかなのですね」


「かなり」


 レオンが答える。


「最初は驚きました」


「今も驚いてるでしょ」


 ミラが言う。


「まあ、少し」


「否定しなさいよ」


 クラウディアがまた少し笑う。


 その笑顔を見て、バルナードが目を伏せた。


 おそらく、久しぶりに見たのだろう。


 令嬢の、病人ではない顔を。


「クラウディア様」


 レオンは静かに言った。


「右肩に直接触れるのは、今日はまだやめた方がいいです」


 クラウディアの表情が少し固まる。


「……駄目、なのですか」


「駄目ではありません。危ないだけです」


「危ない……」


「いきなり深い傷へ魔力を流すと、痛みが強く出る可能性があります。だから今日は、左手から浅く流れを見るだけにしたい」


 クラウディアは唇を噛んだ。


「では、今日も何も変わらないのですね」


 その声には、失望が滲んだ。


 バルナードが苦しそうに眉を寄せる。


 だが、レオンは首を横に振った。


「何も変わらないわけじゃありません」


「え?」


「今、あなたの魔力は左側から少しだけ動きました。右側の蓋はまだ開けられない。でも、身体全体の魔力は反応しています」


 レオンは彼女の手を握ったまま、ほんの少しだけ魔力を流した。


 押し込まない。

 傷へ向かわない。

 ただ、冷えた魔力の外側を温めるように。


 クラウディアの指先が、わずかに震えた。


「……あ」


「痛いですか?」


「いえ」


 彼女は目を見開いていた。


「右手の指先が……少し、温かい」


 リーネがすぐに確認する。


「血流と魔力反応、わずかに上昇しています」


 エルザが結晶を見る。


「右手末端部に微弱反応。直接接触なしで届いています」


 イザベラの目が輝いた。


「素晴らしい。これなら段階治療が可能かもしれません」


 バルナードが息を呑む。


「お嬢様……」


 クラウディアは、自分の右手を見つめていた。


 包帯の巻かれた手。


 長く冷たかった指先。


 その指が、ほんの少しだけ動いた。


 本当に少し。


 だが、彼女にとっては大きすぎる変化だった。


「動いた……」


 声が震える。


「今、動きました……?」


「動きました」


 リーネが優しく言う。


「でも、まだ無理に動かさないでくださいね」


「はい……はい」


 クラウディアの目から、涙が一筋こぼれた。


「痛くない……右手を動かして、痛くない……」


 それは治癒ではない。


 完治にはほど遠い。


 槍を握れるようになったわけでもない。


 ただ、指先が少し温かくなっただけ。


 それでも、二年間止まっていた時間が一瞬だけ動いた。


 その場の誰も、軽口を言わなかった。


 ミラでさえ黙っていた。


 レオンは静かに手を離す。


 離れる瞬間、クラウディアの指が少しだけ追いかけるように動いた。


 だが彼女は、自分で手を止めた。


「……今日は、ここまでですね」


 クラウディアが言った。


 レオンは少し驚く。


「いいんですか?」


「本当は、もっとと言いたいです」


 彼女は涙を拭いながら、ぎこちなく笑った。


「でも、あなたは最初に約束してくれました。勝手に期待させないと。無理をしないと。だから、私も約束を守ります」


 レオンは黙って頭を下げた。


「ありがとうございます」


「こちらこそ」


 クラウディアは、まだ震える声で言った。


「私の意思を聞いてくださって、ありがとうございます」


    ◇


 診断後の会議は、王立治癒院の別室で行われた。


 結果は明確だった。


 レオンの魔力はクラウディアの損傷に反応した。

 ただし、深部損傷が大きいため、一度での治療は危険。

 段階治療が必要。

 初回は左手経由の浅い魔力循環。

 二回目以降、右肩周辺への接触を検討。


「接触部位については、本人同意を毎回確認すること」


 エルザが読み上げる。


「また、治療時間は初回五分以内。レオンさんの魔力消耗およびクラウディア様の痛覚反応を監視。立会人は白銀聖騎士団二名以上、治癒院医師一名以上」


「かなり厳密ですね」


 バルナードが言う。


 セリアは即座に答えた。


「当然だ」


「もちろん、異論はございません」


 バルナードは深く頭を下げた。


 今日の彼は、昨日より少しだけ柔らかく見えた。


 おそらく、クラウディアの指が動いたのを見たからだ。


「レオン様」


 バルナードは改めてレオンへ向き直った。


「本日は、ありがとうございました」


「まだ診断しただけです」


「それでも、お嬢様があのように笑われたのは久しぶりです」


 バルナードの声は静かだった。


「家令としてではなく、幼い頃からお嬢様を見てきた者として、礼を申し上げます」


 レオンは少し困った。


 こういう礼には、まだ慣れない。


「次も、本人が望むなら」


「はい。必ず本人の意思を確認いたします」


 その言葉は、昨日より信じられる気がした。


 会議が終わり、廊下へ出ると、ミラが大きく息を吐いた。


「疲れた……」


「ミラが一番静かだったな」


 レオンが言うと、ミラは少し顔を赤くした。


「だって、あんなの見たら茶化せないでしょ」


「そうだな」


「クラウディア、ちゃんと槍好きなんだと思う」


「分かるのか?」


「分かる。槍を見る目が、怖がってるのに離れたくなさそうだった」


 ミラは廊下の窓の外を見た。


「治るといいね」


「ああ」


 リーネが静かに微笑む。


「希望はあります。でも、慎重にいきましょう」


 エルザも頷く。


「今日の反応だけで公爵家が焦る可能性があります。次回以降、圧力が強まるかもしれません」


「だろうな」


 セリアが言った。


 その表情はすでに団長のものだ。


「だからこそ、今日の記録と条件を正式文書にする。感情で押し切らせない」


「はい」


 レオンは頷いた。


 助けたい気持ちは強くなった。


 だが同時に、守らなければいけない線もはっきりした。


 クラウディア本人の意思。

 レオン自身の限界。

 そして、白銀聖騎士団の条件。


 どれか一つでも崩せば、きっと危うくなる。


 セリアが隣へ来た。


「レオン」


「何だ?」


「よくやった」


「まだ何も治してない」


「彼女の意思を守った。それだけでも十分だ」


 レオンは返事に詰まった。


 ミラがにやっとする。


「団長、褒め方が優しい」


「ミラ」


「はいはい、ここ治癒院なので訓練追加は帰ってからでお願いします」


 リーネが笑う。


 エルザが記録板を開く。


「記録。診断後、団長のレオンさん評価さらに上昇」


「消せ」


「医療心理記録です」


「便利な言葉を使うな」


 いつもの声が、廊下に戻ってきた。


    ◇


 その頃、診療室に残ったクラウディアは、右手の指を見つめていた。


 まだ痛みはある。

 まだ槍は握れない。

 魔力を練れば、きっとまた胸の奥が軋む。


 でも、指先が温かい。


 それだけで、世界が少し違って見えた。


「お嬢様」


 侍女がそっと声をかける。


「お疲れではありませんか」


「疲れたわ」


 クラウディアは小さく笑った。


「でも、嫌な疲れじゃない」


「はい」


「ねえ、バルナード」


 戻ってきた家令へ、クラウディアは静かに言った。


「あの方に、無理をさせないで」


 バルナードは目を見開いた。


「お嬢様?」


「私は治りたい。槍を握りたい。もう一度、走りたい。でも……レオン様が苦しむなら嫌」


「……承知いたしました」


 バルナードは深く頭を下げた。


 クラウディアは窓の外を見た。


 白銀聖騎士団の一行が、治癒院の門を出ていくところだった。


 その中心にいる黒髪の青年。


 彼の周りには、銀髪の騎士団長、金髪の槍騎士、優しい治癒騎士、無表情な魔導騎士。


 守られている。

 そして、必要とされている。


 クラウディアは、自分の右手をそっと胸元に寄せた。


「……いいな」


 小さな声だった。


 侍女にも、バルナードにも聞こえないほどの。


 羨望。

 寂しさ。

 そして、ほんの少しの希望。


「私も、もう一度……誰かの隣に立てるかしら」


 右手の指先は、まだ温かかった。

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