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BLUE_LIGHT~海賊アリス~  作者: 葉山
Episode1.雪の女王
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09.心の氷を溶かして


 始めは、ほんの些細な変化だと思っていた。

 それが、これほどまで物語をゆがみ、捻じ曲げることになるだろうことなんて、きっと誰にも予測なんかできなかったに決まっている。

 そうでなければ、自分がこうも罪悪感に苛まれることなどなかったのだから。


『今回も同じように、あの子が来るはずだったのよ。来るはずだったの、この寂しい老人のもとに』


 彼女がそう訴えに来たのは、いつのことだっただろうか。


『……それなのに、何時まで経っても誰も訪れない。誰も来ないの。おかしいわ、こんなこと、物語の中ではなかったのよ』


 これが決められた物語をなぞっていただけだとは。

 この国に生まれた理由が、物語を始め、終わらせるためだったとは。

 そんなはずないと思いたいのに、思えない。


『ねぇ、あなたはこの国を統治する女王。だから、あなたが雪の女王。雪の女王は、鏡の欠片を持った住人を凍らせたでしょう? その時に、カイという男の子を保護しなかったかしら?』


 なぜなら、彼女の言葉は全て確認であったから。

 雪の女王が取るべき行動は、物語のあらすじに沿って決められているとでも言うかのように。

 そうでなければいけないと、責められているようで。


「わらわが間違っていたと、そう言いたいのかえ?」


 呟かれた言葉は、しん、と静まり返る氷の広場に溶けて消えた。

 自分がもっと早くに異変に気付き、その場でカイを保護していれば。


 そうすれば、カイを探してゲルダがこの忌まわしい鏡の欠片を浄化してくれていた?

 そうすれば、もっと早くに、この国は解放された……?


 どれももしもの話。

 本来あるべき姿だった未来かもしれないし、そうでないかもしれない。

 仮定の話をしても、現実は無情に過ぎていくだけ。

 その中で、最悪な被害を回避できるような選択を行い、歪んだ物語を崩壊終了を起こさないように気を配るだけ。

 ただ、それだけなのだ。


『放っておいてくれよっ! 気持ち悪いと言うだけなら、見なければいい! 視界に映そうと、そこに存在していると気づかないままでいろよっ!』


 ただの力なき少年だったカイが、時間の経過により、強い自浄作用を引き起こしたために忌むべき存在と認識され、純朴だった性格を自ら歪めてしまったことも。


『あの人たちが、カイちゃんもこの国も救ってくれるって。だからね、女王様。わたしあの人たちと一緒に頑張るわ』


 ゲルダが【娘】をただの道具としてしか扱わない海賊に身をゆだね、その生命を危険に晒していたことも。


「……わらわは、間違ってはいない」


 最悪な結果を回避するために、手は打ってきた。

 周りにどう思われようと、今できる最善の状態になるようにしてきたではないか。

 何も、間違った選択はしていない。

 ……間違った選択はしていないと、思いたいのに。


『狂ってるわ……』


 あの、【娘】。

 アリスの偽者と認められた【主人公】。

 彼女はこの物語が、雪の女王が狂っているとまで言い出した。

 物語が歪んでいれば、登場人物ですら狂っているだろう。

 そんなの当然だ。

 だが、当然を当然と思わないらしい。

 彼女は物語の結末を、本来あるべき姿に戻そうとしているらしい。

 らしい、というのはそう行動しているようだ、と報告を受けているだけにすぎない。

 ただの仮定。ただの予想。

 ゲルダを永久の眠りにつかせた今、鏡の力を打破するものなどいない。

 カイを帰ろうと迎えに来るものなどいない。

 この国の民たちが、元の穏やかな気性に戻るわけでもない。

 最善な結果を求めすぎて、国民の気持ちを慮ることもできない女王の結末も……、変えることなどできないだろう。

 だからこそ、だからこそ、だ。


「……これで良い」


 変化など求めない。

 あるべき結末に近づかせようなどと、そんなこと認めない。

 歪んだ物語は、歪んだまま結末を迎えればいい。

 正しい結末など、決められたあらすじなど、今更必要ないのだ。

 緩やかな崩壊を望むだけ。

 無理矢理歪みを戻そうとしても、はじけて、壊れてしまう。

 だからこそ、守る。

 野蛮な海賊の手によって、これ以上崩壊を進めないためにも。


「これで、良いのだ」


 自分が間違っていなかったと、思い込みたいがためにも。






* * * * *






 カイちゃん。わたしの大好きな、カイちゃん。

 お願いよ、どうかわたしの声を聞いて。

 どうかわたしの存在を認めて。

 どうかわたしのことに気付いて。


『そうじゃないと、ダメなのよ』


 そこで苦しそうに息をしているカイちゃん。

 変化を望み始めたカイちゃん。

 それでもまた、囚われそうになっている、カイちゃん。


『そうじゃないと、みんな、報われないの』


 ねぇ、カイちゃん。わたしの大好きなカイちゃん。

 あなたはもう、わたしの知る小さなカイちゃんではないけれど、でも、わたしが見守り続けてきた大切なカイちゃんだから。

 だからね、カイちゃん。

 この物語を終わらせるために、崩壊させないために、あなたはわたしを受け入れて欲しいの。


『カイちゃん、お願いよ』


 どうかわたしに気付いて。

 その声も、カイちゃんに聞こえはしないけれど。

 【娘】ではないカイちゃんに、聞こえることはないけれど。


『カイちゃんのためなら、なんでもするから』


 それはゲルダの言葉があったからじゃない。

 あの子が動き出したからじゃない。

 わたしが、他でもないわたしが、ずっとあなたの傍にいたから。

 あなたの苦しみも、諦めも、全部全部見てたから。

 だから、あなたの胸に芽生えた感情も、分かったから。


『だからお願いよ、カイちゃん』


 どうか、わたしを見て。

 わたしを認めて。

 わたしのことに気付いて。

 わたしはずっと、あなたのそばにいるのだから。


「……っ、はぁ」


 苦しそうにまゆを寄せて息をするカイちゃんの長い髪をそっと撫でて、ふわりと、その場をあとにした。

 鳥かごの中のカイちゃんに声が届かないのなら、鳥かごの外から、わたしの声を伝えられる子を呼んでこないと。

 あの子は偽者だから、全部の声は聞こえてないけれど。

 あの子は偽者だから、力の使い方を分かっていないけれど。

 それでも、今、唯一、わたしの声が聞こえる子。

 わたしの姿を見ることができる子。

 偽者だからこそ、物語に詳しい子。

 それなら、この物語の結末が分かるわたしが、彼女の手伝いをしてあげよう。

 そうすればきっと、あの子はカイちゃんへ声を届けてくれる。

 あの子にゲルダの役は与えられないけれど。

 それでも、この物語を崩壊させることはないだろうから。


 『カイちゃん、もう、待たなくてもいいんだよ』


 だからね、カイちゃんを動かすために、手伝ってね。

 あなたは偽者でも、【娘】なのだから。

 物語は違っても【主人公】なのだから。


『今、偽者アリスにページを進めてもらうから』


 さぁ、おしまいを見に行こう?






* * * * *






 オーロラのカーテンがゆらゆらと静かに波打っている。キラキラと歩く毎に舞い上がるスノーパウダーが、オーロラの光を反射させて目に眩しいほどの白い光で辺りは溢れている。つるりと滑る透明な床を踏みしめて、わたしたちは進む。

 氷の宮殿。氷のお城。雪の女王のいる、この場所を。【神子の玩具】があるだろう、この場所を。


「なんだか幻みたいで、こっちでいいのか不安になってきますね」

「移ろいゆく形ないものは、不確定さを強調する。だからこそ、変化することに不安を覚えさせられるのでしょう」


 繋がれた両手が、なんだか命綱みたい。

 そんなことをぼんやりと思いながら、彼らの間をわたしは歩いていた。

 ゆるいウェーブがかかった長いはちみつ色の髪を束ねて、クリーム色のロングコートを羽織った帽子屋さん。栗色のサラサラの髪にスノーパウダーをふりかけながら、頬を赤く上気させたヤマネくん。

 どこか浮世離れしたように感じるのは、わたしが光を反射させることのない、黒と濃蒼を身につけているからなのかな。一人だけ違うって、感じるからなのかな。

 どうしてか、白いクロスにこぼされたシミのようで、気になって仕方なかった。


「変化は悪いことばかりじゃないと分かっていても、やっぱり怖いという気持ちが拭いきれないのと、同じなのかもしれないですね」


 ねぇ、アリス。

 そう振られて、ハッと我に返った。


「え、あ。そう、かもしれないね」


 どうでもいいことばかりに気を取られてる。

 こんなことじゃダメだ。わたしは【神子の玩具】をどうやって手にれるかを考えなくちゃいけないのに。

 情けない、と思いながら深く息を着くと、船長が吐き出す煙のように、白い息が口から溢れ出た。


「……疲れましたか?」

「いえ、それは大丈夫です」

「あぁ、言い方を変えましょう。気を負いすぎてはいませんか?」


 そんな帽子屋さんは、わたしなんかに気をかけすぎです。

 そう言うこともできなくて、苦笑をもらしながらも大丈夫です、と返した。


 それよりも、だ。

 雪の女王の白に来たのなら、そこからはわたしの出番。

 【神子の玩具】を見つけて手に入れるのは、わたしの仕事だ。

 たとえ偽者だとしても、【主人公】なのだから。

 考えて、物語の中に散りばめられた物語の鍵を拾い上げないと。

 だからこそ、気になった。


「帽子屋さん、いくつか聞いてもいいですか?」

「えぇ、私に答えられることでしたら」

「……帽子屋さんは、ホーンに他に何を頼んだんですか?」


 小舟を用意させるためだけに、ホーンを呼んだとは思えない。

 もし仮にそうだとしたら、ホーンはわたしたちと共に来ていると思う。

 誰よりも、狂った人を元に戻したいと願っていたから。自分でなんとかしたいと思うような人だったから。


「ほんの少し、協力を頼んだだけですよ」

「マッド、言葉遊びをされるとわからないです」

「言葉遊びではなく、事実です。彼女は私たちよりもこの国のことに詳しい。だからこそ、ジャックをつけて協力をさせた。……自分たちの手で何かをしたと言う事実が残らなければ、余計な罪を擦り付けられてしまうかもしれませんから」


 余計な罪? とヤマネくんは小さく首をかしげていた。

 ジャックさんを一緒に行動させたのが意図的にってことに驚いたけれど、なんとなく、帽子屋さんが言いたいことはわかる。

 余所者のわたしたちが、長年どうすることもできなかった歪みを、あっさりと元に戻したら。わたしがこの国の住民だったら、疑うかもしれない。自作自演だったんじゃないか、って。

 だからこそ、この国にいた人がなんとかしたんだよという事実を残さないといけないと思ったのだろう。

 たとえそれが、山賊だったとしても。


「具体的に、どのようなことを?」

「簡単なことです。ジャックに【神子の玩具】の影響を受けているか判断させ、彼女たちにこの城へ該当者を運ばせる。ただそれだけですよ」

「え。ちょっと待ってください! そうしたら、この場所、今敵で溢れているってことになりますよねっ!?」

「えぇ、それが何か?」


 あぁ、なるほど。と納得しかけたけど、そうだよね。ヤマネくんの言うとおりだよね。

 自ら敵を集めてどうするんですかっ!?

 と言いたいところだけど、帽子屋さんにも何か策があってのことなんだよね、きっと。


「仮に【神子の玩具】が『悪魔の鏡の欠片』だとしたら、一欠片としてこの国に残すわけにはいかないでしょう?」


 そりゃそうですけど、と困りながらも同意するヤマネくん。

 策とかそんなことよりも、もっと単純でわかりやすい理由だったけど。でも、それをさらりと言えてしまうのは、帽子屋さんにはどんな敵が来ようと対応して、さばききれる自信があるからなのかな。

 わたしは戦力外だから、同意しかねるだけだったけど。


「あの、帽子屋さん。『悪魔の鏡の欠片』が【神子の玩具】だったら、それはちょっと問題になるんですけれど」

「あぁ、やはり貴女も同じことに気付きましたか」

「えっ? えっと、どういうこと?」


 ひゅう、と駆け抜けた冷たい風に、小さな白いため息は流されていった。

 ぶるりと寒さに体が震える。きゅっと縮こまって、戸惑うヤマネくんにどう伝えようかな、と考えながら口を開いた。


「ヤマネくんは、どうやってゲルダがカイの欠片を取り除いたか、知ってる」

「おしまいの部分だよね? そこなら先に読んだから知ってるよ、涙が氷を溶かしたんだよね」

「そう、ゲルダの温かな涙に、瞳と心臓に刺さった欠片は溶けて消えた。もしくは溶けて押し流されて出てきたのどっちか、かな」


 これが、問題点。

 ヤマネくんは気づけたかな?


「私たちは、クイーンの命令で【神子の玩具】を手に入れなくてはいけないのですよ。さぁ、これでもうお分かりでしょう?」

「あっ、そっか。消えられたら困りますもんね!」


 欠片の取り除き方はわかるけれど、あるべき姿のまま取り出す方法は分からない。

 船長はわたしたちに【神子の玩具】を手に入れて来いと言った。

 だから、取り除いちゃいけない。

 これが、今の問題点。


『あなたたちは、【神子の玩具】を手に入れたいの?』

「えっ?」


 後ろから急に掛けられた声に、思わず歩みを止めた。

 ぐん、と繋いでいた両手を引かれて、踏みしめた足がつるりと床を滑る。

 って、ちょ、わっ!?


「っ、アリス!」

「危なっ!?」


 両手を繋いだまま、真ん中のわたしが滑り転ぶとどうなるか。

 それは必然的につないだ両手を引っ張って、防止屋さんとヤマネくんを巻き込んでしまうというわけで。


「い、たたた……」

「っあ、ごめんなさいっ!」

「二人共、お怪我はありませんか?」


 痛いくらいに底冷えした床に手をついて、三人で転んだ状態。

 それでも相手のことを気遣える帽子屋さんに、大丈夫とごめんなさいをもう一度伝えて、つるりとする床に四苦八苦しながらも体勢を整える。

 膝をついてバランスをとったのはいいけれど、タイツがじわりと湿ってきた感覚がした。


『だいじょうぶ?』


 声の方を振り返ると、ぼんやりとした輪郭の彼女が、心配そうな様子でそこにいた。

 ぼんやりとした姿の女の子。

 この天井を彩っているオーロラのようにはっきりとした姿をもたない子。


 わたしに分かるのは、その子が女の子だということ。

 この雪の女王の城に詳しいということ。

 カイが大好きだということ。

 カイには姿が見えていなかったということ。


 これくらいかな。何者なのかと聞いた答えは、まだ答えてもらってない。


「アリス、どうかした?」


 すぐに立ち上がってヤマネくんが、手を差し伸べてくれながら小さく首を傾げていた。

 ……もしかして、ヤマネくんたちにも見えてない?


「えっと、ヤマネくん。あの子、見える?」

「えっ? あの子って、誰かいるの?」


 不思議そうにわたしが見つめている方向を振り返っていたけど、見えてないみたい。

 帽子屋さんは視線を向けただけで、首を横に振られた。

 ……もしかしなくても、わたしにしか見えてない?


『その人たちに見えるわけないじゃない。わたしの声だって、きっと届いてないよ』


 ふふっ、と笑い声をこぼして、その子はふわりと跳んだ。

 てい、と帽子屋さんの羽根つき帽を払い落とそうとした手は、すり抜けていたけど。ほらね? とまったくその様子に気づいていない帽子屋さんの前で、胸を張られた。


『今この国で、わたしの姿が見えて、声が聞こえるのはあなただけだもん。あ、でもわたし、幽霊じゃないよ?』

「……え。でも前にかもしれないって」

『だって、その時はどっちでもよかったもの。誰にも見られなくて、誰にも声が届かない。ほら、幽霊みたいなものだったでしょ?』


 そういう問題じゃないと思うんだけど……。

 でも、幽霊じゃないってハッキリしただけまだいいかな、うん。

 ただ、“その時は”ってことは、“今は”違うってことだよね?


「ねえ、アリス。そこに誰かいるの?」


 静かに考え込みかけた時、ヤマネくんの訝しげな声にハッとした。

 そうだった、ヤマネくんと帽子屋さんには、彼女の存在が分からないんだった。


「あ、えっと」

「“何か”がいるのですね。それも、貴女と会話ができるようなものが」


 そっと帽子屋さんが軽く腕を浮かせた。ヤマネくんはいつでも短剣が抜けるように、柄に手を掛けている。

 は、早く答えなくちゃとは思うけど、何とか誰とか言われても、わたしもよく分からないんだけど……。


『うん、ちょうどいいじゃない。わたしが“何”か、当ててみてよ』

「えっ」

『貴女ならもう分かるでしょ? そうじゃなくても、ヒントはいっぱいあったからね。そろそろわからないと、期待はずれになっちゃうかも?』

「期待はずれって……」


 そんな無茶ぶりされてもって感じだけど。

 楽しそうに放たれる言葉とその内容に、もしかしたらって思うものはある。思い返してみれば思い当たるものはたくさんあるもの。

 でも、本当に?

 もし違かったら? 外れていたら?

 わたしの勘違いだったら?

 別に外したら何かが起こるというわけじゃないけれど、でも、それすらも分からないと思われるのが嫌だったのかもしれない。

 ようやく【不思議の国】号の役に立てるような役目を果たせるようになったからこそ、失望されるのが怖いのかもしれない。

 ……こんなに臆病だったかな、わたし。


『ねぇ、偽者アリスさん。わからないの?』

「あ、え。や、あの……」


 分からないわけじゃない。

 答えられないわけじゃない。

 それでも、そんなこともわからないのかと見られるのが嫌で。

 そんなことも答えられないのに、【神子の玩具】を見つけられるのかと思われるのが嫌で。

 口が動かなかった。喉から声が出なかった。

 意味のない言葉ばかりがこぼれて、体がこわばる。


「大丈夫」


 ぎゅっと、同じくらいの大きさの手が、握りしめてくれる。


「大丈夫だよ、アリス。落ち着いて」


 どうして大丈夫だって言えるの?

 何もわかってないくせに。

 どうしてわたしが答えられないかわからないくせに。


「落ち着いて、アリス」


 ぎゅうと握られる手。そのぬくもりに、どうしてだろう。

 否定的な言葉も、思いも、ゆっくりと下がっていく気がした。

 怖々と、ヤマネくんを見た。

 エメラルド色の瞳と視線がぶつかると、緩く微笑まれた。


「何度でも言うよ。困ったら、いつでも僕を頼ってって」


 ね? と促されて、気付いたらうん、と答えていた。

 強く握り締められた手を軽く握り返して、ゆっくりと息を吸った。冷たい空気が胸に満たされると、頭もすっと冷静になったような気分になる。

 大丈夫だ。

 気休めじゃなくて、もう、大丈夫。

 それでも緊張は解けないけれど、ぼんやりと輪郭をかたどっている女の子の方を改めて向いた。震える唇をゆっくりと開く。


「あなたは、『雪の女王』の【証】ね?」


 たぶん、きっと、間違ってはいないと思うけれど。

 何かを答えられるまでの間が、妙に長く感じる。

 ドキドキと心臓が早鐘をうって、痛くなってきた。

 だんだん自信がなくなって、下がりそうになる顔を必死であげて、早く早くと念じながら答えを待った。


『……うん、そう。大正解! 私は【証】よ、偽者アリスさん!』


 無邪気に喜ぶ彼女の声に、思わず大きく安堵の息をついた。

 うん、本当に間違ってなくてよかった。

 わたしにしか姿と声が聞こえなかったこと。

 アリスの【証】が、帽子屋さんに聞いたような反応を起こしてから、彼女の姿が見えるようになったこと。

 この二つが分かってからなんとなくそうかなーとは思ってたけど、【証】が姿をとるなんて思えなかったから、自信がなかった。それだったら、わたしが今持っているこの【証】だって、姿を見せてくれてもいいのにって思うんだけどね。

 深く肩の力を抜いたら、ぽんぽんとヤマネくんが背中を叩いてくれた。まだ終わってはいないけど、ありがとうヤマネくん。


「【証】、ですか……。それにしては、モノが見当たりませんね」

『【証】の媒介にしているモノは、ここにはないわよ? 雪の女王が、海賊に盗られるのを嫌がって氷漬けにしちゃったもの』

「……雪の女王が氷漬けにしたらしいです」

「ふむ、それは面倒ですね」


 帽子屋さん、盗る気満々なんですね。

 真面目な顔で悩まれたから、とりあえず苦笑だけしておいた。


『ねぇ、あなたは気付いているかな? この物語が、また動き始めたこと』

「動き始めた?」


 どういう、ことだろう。

 これは『雪の女王』の物語で、今は止まっていたということ?


『そうよ。おしまいに向けて、物語が進み始めたの。物語が崩壊を起こしてしまったから、雪の女王が無理やり凍結したのにね』


 不思議だと思わない? どうして、今、物語が動き始めたか。

 そう彼女は続けたけど、ちょっと待って。それ以上にわからないことが多すぎる。

 物語が崩壊しているのはわかる。ゲルダがいないし、カイだって成長している。

 あるべき物語の本筋から、大きく外れすぎている。

 でも、その物語が動き始めた?


「帽子屋さん、ヤマネくん」

「どうなさいましたか」

「アリス、何を言われたの?」

「この物語は、今まで、止まっていたって」


 止まっていたものが、動き出したら?

 無理矢理にも止めていたものが、動き出したら?


『崩壊している物語が進んだら、おしまいはどうなると思う?』

「崩壊している物語のおしまいは……」


 その先を口にするのが怖くて、言葉が途切れた。

 傍で小さく、息を呑む音が聞こえた。


「……それ、は」


 帽子屋さんの硬い声が聞こえる。

 いつもの耳に心地いい声のはずなのに、かすれて、どこか苦しそうな声。

 思わず手を伸ばして、ぎゅっと袖を引いた。


『【主人公】も【娘】もいない物語はね、繰り返すための術を失って、おしまいからはじまりに繋げられなくなるの』


 びくりと震えた帽子屋さんは、肩をこわばらせてそっと顔をそらした。

 まるで、その先は聞きたくないとでも言うかのように。

 彼らには聞こえない声で、彼女は続けた。


『本当の“物語の終焉”をむかえてしまうのよ』


 物語の終焉。

 帽子屋さんの反応だと、それを知っているようだけど、さすがに今は聞けない。震える唇から漏れた白い息と同じくらい、帽子屋さんの顔色も白かったから。

 ヤマネくんが心配そうに帽子屋さんの様子を伺っていたけど、帽子屋さんは何も言わなかった。


「……物語が動いたのは、わたしのせいだよね?」


 偽者でも、【証】を持っている存在。【娘】であり【主人公】であるアリスの偽物が、物語に影響を及ぼしたから、だよね?

 どう影響を及ぼしたかは、分からないけど。


『うん。物語が進むための代役【主人公】を見つけたからだと思うよ。だから、山賊の娘だってやけに協力的だったでしょう?』

「……ホーンたちが協力的だったのは、物語の力だったって言いたいの?」

『本人たちの意志や感情だって、そこにあると思うわよ? でも、少なからず関与したとは思うわ。だからカイちゃんも……、協力しようと思ったのよ、きっと。そうじゃないと人嫌いのカイちゃんが、協力なんてしようとも思わなかったと思うもの!』


 と妙に力説されたけど。

 でも、物語が動き始めたことに変わりはない。

 たとえ本物のゲルダがいなくても、偽物の【主人公】に当てはまるわたしが、物語を動かしてしまった。ゲルダではなくても、【主人公】がいれば物語は進む。

 帽子屋さんだって言ってたじゃないか。


『アリスがいなければ、話が崩壊してしまいますから』


 【主人公】が、アリスがいなければ物語は崩壊してしまう。この『雪の女王』だって同じ。


「……わたしが、ゲルダの代役をやればいいの?」

「アリス?」


 【証】の言葉を伝えなかったから、ヤマネくんが戸惑っている声が聞こえた。ゆっくりと、帽子屋さんが大きく、深く息を吐いている。


『そうよ。あなたは【主人公】なのでしょう? アリスの偽者をやっているなら、ゲルダの代役だってやれるはず。ねぇ、できるでしょう?』


 できない、とは言いたくない。

 でも、できるとも言い切れない。

 出来る自信なんか、どこにもない。


「アリス」


 やらないと、『雪の女王』の物語は、本当に終わってしまう。

 【神子の玩具】だって、手に入れられなくなる。


「アリス。貴女は、どうしますか?」


 そしたら、船長命令だって、こなせないことになる。


「わたしは……」


 ……それは、嫌だ。


「ゲルダの、代役をします」


 わたしは【不思議の国】号の、偽者アリス。

 【娘】でも【主人公】でもないけれど、“声”を聞くことができる。他の“声”を聞けることができる人に、まだ出会ったことがない。

 今ここでは、わたしにしかできない役目。

 それなら、できないと言うよりも前に、やるしかない。


『そう言ってくれると思ったわ! よろしくね、代役ゲルダちゃん!』

「えぇと、アリス。僕にも分かるように説明してくれる?」


 くるりとわたしを軸にして回る【証】とは対照的に、困惑した表情のままのヤマネくん。

 帽子屋さんは、わたしがこぼした言葉からなんとなく、現状を把握しているような気がする。だからか、少し考え込むかのように瞳を伏せている。


「今、『雪の女王』の物語は、崩壊を迎えようとしていたままの状態で動き始めているの」

「うん。それはさっき言ってたよね」

「崩壊を回避するために、物語が動き出すきっかけとなった【主人公】が、結末を導かなくちゃいけない。その役割を、本物の【主人公】の代わりに、わたしがやることにしたの」


 と言ったところかな?


「アリスが【娘】で【主人公】だからこそ、ゲルダの代役ができるからってことだよね?」

「それもある、かな」

「えーと、物語の崩壊を防がないと、【神子の玩具】が手に入らないんだ?」


 それは……。


『物語が崩壊しても、【神子の玩具】の存在が消えるわけじゃないわよ』


 答えに戸惑っていると、【証】がそっと教えてくれた。

 でもそれは伝えちゃいけないモノなんだと思う。

 忘れちゃいけない。

 どれだけ頼りになろうと。

 どれだけわたしにとって優しい存在であろうと。

 彼らは海賊なのだから。

 親切心や同情心から、慈善業は行わない。


「……物語の筋道をたどった方が、より確実に【神子の玩具】を手に入れられると思うわ」

『あぁ、そう言えば、あなたたち【神子の玩具】が欲しいんだったのよね。忘れてたわ』


 ……さっきから、本当に彼女の言葉がわたしにしか聞こえてなくてよかったって思う。

 心の中で呆れ返っていると、はっと帽子屋さんが顔を上げた。


「アリス、物語の引継ぎはどこからでしょうか?」


 声の大きさは抑えているけれど、それでも鋭い声。

 真剣な顔に、ヤマネくんも何か気づいたようで、辺りを警戒し始めた。


『あなたたちもゲルダも、このお城にたどり着いた。場面は最後の部分よ』

「っ、カイの元にいきます! 物語は今、雪の女王の城へとたどり着いたところです!」

「急ぎましょう。私たちの存在に気付かれたようです」


 遠くで、ガシャンガシャンと金属が擦れる音が聞こえた気がした。


『こっちよ!』


 わたしたちは時々滑りながらも、大慌てで進み始めた。今度は【証】の後を追いながら。正しい物語の道筋に戻すかのように。

 また、お城の兵士に追われるのはこりごりだ! とは思ったけれど。


『そうだ、代役ゲルダちゃん』


 ヤマネくんと並ぶように走って、後ろには帽子屋さん。一番前をふよふよと浮きながら導いてくれている【証】が、移動速度はそのままで、くるりと振り返った。

 何度か転びそうになっている身としては、その余裕、少し分けてもらいたいくらいなんだけども。


『この物語を、無事に崩壊以外の終わらせ方をしてくれたら、【神子の玩具】について教えてあげる』

「……約束よ?」

『ふふっ、秘密の約束ね! わかったわ!』


 楽しそうに笑う【証】。

 ギリギリまで答えを出せないわたしだけど。

 導いてくれる存在がいる。

 護ってくれる存在もいる。

 それなら、わたしは【主人公】らしく前に進むだけ。

 進め、アリス。


 ……ううん。今は、ゲルダ。


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