08.足跡を辿り向かう先
最後に魔法で移動したのは、ジャックさんとお城から脱出したとき。
……カイは、無事かな。
そんなことを思いながら、ゆっくりと閉じていたまぶたを押し上げた。
光が収まった先に広がっていたのは、さらさらとした雪を乗せた針葉樹に囲まれた森の中。雪かきがされた後に立ったからか、緩くなった地面にちょっと不安を覚える。
「ここは……?」
「ここから、城に向かって行きます」
この、森の中から?
ううん、違う。さらさらと近くで水が流れる音がする。
「と、言う事は。川を使っていくんですね」
「そう、その通りだよ!」
わたしと同じことを思ったヤマネくんの言葉に、応える声。ちなみにこれは、帽子屋さんじゃない。
振り返った先にいたのは、どこか得意げに微笑むホーンだった。
「ホーン!? どうしてここに?」
「私がお願いをしたのですよ。あぁ、逃げ出さずにきちんと役割を果たしてくださってなによりです」
「当たり前だろっ!? あれだけ脅しといて、よく言……」
噛み付くように怒鳴るホーンの言葉が途中で途切れた。……て言うか、やっぱり帽子屋さん脅してたんだ。
ハッとした表情で振り返った帽子屋さんがわたしの腕を引いたと同時に、ホーンが拳を固めた。
え? な、何? 意味が分からないんだけど。
「おじょーーーーーーさああああああああんんんんんっ!!」
……分からなかったのも、一瞬で理解できる雄叫び。うん、もう何が起こるのかも大体分かる。
「黙りなジャックっ!」
「ぐはっ!?」
予想にたがわず、ホーンの鋭い一撃がジャックさんに決まる。ジャックさんは雪の中に顔面ダイブさせられてたけど……まぁいっか。
「まったく、油断も隙もないね。この節操なし男が!」
「私どもの代わりに制裁をして頂き、感謝いたしますよ」
「ふん、こいつにこんなのは当然だろうっ?」
ホーンも帽子屋さんも、散々な言いようじゃない?
フォローしようかどうしようか悩んでいたけど、同じように困っていたヤマネくんと目が合って、苦笑し合った。
どうすることもできないよね、こればっかしは。
「ジャックは置いといて。あっちに小船を用意して置いたよ。さっき確認したけど、川に氷は張ってなかったから行けると思う」
「ヤマネ」
「了解です」
帽子屋さんの呼びかけだけで、ヤマネくんはホーンがあっちと指差した方へと駆けていった。川の様子か、船の様子を見に行くのかな?
「あとこれは、さっき【トナカイの角】を使って知った情報だ。ユキもよく聞きな」
いきなり名前呼ばれてビックリしたけど、ええと、新しい情報?
「雪の女王の城から、男が帰ってきたらしい」
「兵士、とかじゃなくて?」
「あぁ、兵士の格好はしてなかった。こう言うのも変な感じだけどね。そいつは至って普通、まともだったって話だよ」
ホーンの言葉に、思わず帽子屋さんと顔を見合わせた。
それって“悪魔の鏡の欠片”が取れたってこと?
「それは……貴重な情報ですね」
「あぁ、望みがないわけじゃないってことだしね」
これは、わたしたちにとっても貴重な情報だってことと同時に、ホーンにとっても重要なことだよね。ホーンのお父さんに刺さった欠片も取れるかもしれない。元に戻るかもしれないってことだし。
どこかさっぱりしたような顔で、ホーンはにっと笑ってわたしの頭をちょっと乱暴に撫でてきた。
「わっ、ちょっとホーン!?」
「本当の本当に、何とかなるって気がしてきたよ」
「……違うよ、ホーン」
「ん?」
そうじゃない。それだと、ちょっと違う。
正しくはこう。
「何とかするの、他でもない、わたしたちが」
わたしの頭に手を置いたまま、きょとんと目を丸くしたホーンだったけど、すぐに破顔した。
「そうだね! あたいたちが何とかしなくちゃならないんだ!」
「まぁ、あちらのことは私たちにお任せください。貴女には昨日お頼みした、もう一つのことを」
「分かってる。あんたが何考えてんのかは知らないけど、そっちは任せな!」
だから、あんたたちはあんたたちで頑張ってきな。
そう続けたホーンに、しっかりと頷いてみせる。大丈夫、一人ではあれだけ不安だったけど、今は平気。
この国の人を元に戻すこと。それから、【神子の玩具】を手に入れること。そのどっちもやりとげられる気がしてきた。
「さて、行きましょうか。アリス」
「えぇ」
「ちょ、ちょっと待てって帽子屋! 俺様も一緒にい」
「行かせられるとでも思ってるのかい? あんたみたいな節操なしとユキを一緒にいさせられるわけないだろうっ!? あんたはこっちだよっ!」
「え、ちょ、ホーン!? 痛っ、痛ぇって髪ひっぱんな! あだだだだはげるはげる!」
「アリス、あちらを気にする必要はありませんよ。なにやら、楽しそうですし」
「あ、あはは……」
一番楽しそうなのは帽子屋さんみたいだけれども。そんなキラキラした満面の笑みで言うようなことじゃないと思う。
でもね。わたしの勘違いかもしれないけど、ジャックさんを引っ張って行ったホーンの耳が遠目から見ても赤かった。
なんやかんや言って、ホーンが一番ジャックさんと一緒にいたかったんじゃないかなって。勝手にそんなことを思って、小さく笑った。
ホーンたちと別れて、人一人がやっと通れるような細い除雪道を進んだ。水気を多く含んだ地面が、一歩進むごとに泥しぶきを跳ね上げる。……タイツに跡残らないといいな。
なだらかな傾斜がついたそこを歩いていると、上からパラパラとパウダースノーが降りかかってくる。針葉樹の上に積もった雪が風に流されてきたのかな、なんてそんなことを思った。
両側に不規則に立ち並ぶ杉の木が、吹き付ける冷たい風を防いでくれているのかな。海上にいたときよりは、そんなに寒いとは感じない。
「マッド、こっちです!」
前を歩いている帽子屋さんが、黒の羽根付き帽を深く被りなおしながら、ヤマネくんの声がした方へと顔を向けた。
そのまま足早に行くのかなって思ったけど……さすがは帽子屋さん。
「ここから先は更に足場が悪いので、お手を」
そっと、手を差し伸べてくれた。
どこぞの誰かさんだったら。そんな気遣いなんかしてくれないだろうけど。やっぱり帽子屋さんは違うね、なんて。
川辺に近付く程地面は更にぬかるみを増しているから、素直に帽子屋さんの手を借りることにした。
「ありがとう、ございます」
「当然のことですよ。本当ならば、歩かせるべきではないような場所なのですけれども……貴女はそれを望みませんでしょう?」
「そりゃまぁ、それは遠慮したいですね……」
歩けるんだから、歩きたい。自分の足が動くのだから、たとえ道が悪くても自分で歩きたい。
ぬかるむ地面に歩みが遅くなっているのは、確かに申し訳ないとは思うけど……。でも、そんなところまで考慮してもらえるのは、嬉しいな。
もしもこれで抱きかかえられたりしたら……困るだろうな。他でもないわたしが、猛烈に困ってテンパるに違いない。
「アリス、気を付けてね。川の水は冷たいから」
あれ確かオール、だったかな?
【不思議の国】号に備え付けられているような小舟に乗って、オールを握っているヤマネくんが心配そうに声を掛けてきてくれた。
「落ちましたか」
「……マッド、あえて言わなくてもいいじゃないですか」
苦笑しながらさらりと言った帽子屋さんに、拗ねるように唇を尖らせたヤマネくん。
……本当だ。黒服だからよく見ないと分からないけど、ヤマネくんの片足だけちょっと色が濃い。
濡れたままだと、吹き付ける風が寒さを強く感じさせるのに。きっと寒いの我慢しているんだろうな。風邪ひかないといいけど。
「ヤマネくん、大丈夫? 濡れたままだと寒いでしょ?」
「大丈夫! あ、ほらアリスはこっちに座って」
大丈夫って言われたから、これ以上は特に言わないけど……。
人懐っこい笑顔を浮かべるヤマネくんの方に行くために、不安定な舟に乗り込んでソロソロと移動をした。ボート遊びをするような小さな舟だから、少し重心を動かすだけで左右に揺れる。
しかも、わたしがちゃんと座る前に帽子屋さんが舳先の方に乗り込んでくるものだから、すごく揺れて、怖いんだけど……!
思わず両手を広げて、舟の両端を掴んだくらいにぐらぐらと浮き沈みしている。
二人は慣れているからか平然としているけど、怖いからね。ひっくり返らないか不安になって。言葉にして言いはしないけど。
「参りましょう」
帽子屋さんの一声で、ヤマネくんがゆっくりとオールを漕いで、静かに舟は進み始めた。
【不思議の国】号での航海中みたいに、ザァァ―…と言う波の音じゃなくて、サラサラと静かに流れる水の音。その流れに逆らって、川を上っていく。
「本来でしたら、川は下らなくてはならないのですけどね」
ぽつりと呟かれた声に、顔をあげた。
「ゲルダの通った道を辿るつもり、ですよね?」
「えぇ。正確には、ゲルダが通った道の近道を使うつもりです」
「近道?」
そんなものあったっけ?
後ろで小さく呟くヤマネくんの声と、同じことを思った。
どういうことだろう? 帽子屋さんのことだから、考えがあってのことなんだろうとは思うけど。
疑問符を浮かべるわたしたちの目の前で、帽子屋さんは小さく手を振った。軽く手首を捻るだけに見えたけど、それは魔法を使うときのそれと同じだったみたいで、帽子屋さんの手には赤い薔薇が一輪握られていた。
「ゲルダはカイを探すために、まず川辺へとやってきます」
そしてそれをそっと、川の流れに乗せて流した。
「『この赤いくつをあげるわ。そのかわり、カイちゃんをかえしてね』でしたっけ」
「えぇ。私が今流したのは靴ではありませんが、その代わりです」
これが、代償。
そう続けた帽子屋さんの手に、赤い薔薇は戻って来なかった。原作とは違い、川に意思があるわけじゃないから、当然だって言えば当然だけど。
これがきっかけで、ゲルダはカイを探しに行くことになったのがわたしの知っているお話。……それがあの結果に繋がったのなら、あまりにも、報われなさ過ぎるけれど。
「一種の儀式のようなものなのでしょうね。私たちは、それが戻ろうと戻らなかろうと、手に入れるだけですが」
「クイーンの命令ですしね!」
「えぇ、クイーンの命令は絶対。そうでなくては、明日は自分の足に頭を蹴られてしまうかもしれませんね」
くすくすと笑う帽子屋さんとヤマネくんだけど……スミマセン、それ全く笑えません。
いや、本当に【神子の玩具】を手に入れるつもりだから、首を刎ねられることなんかないようにするけど。
「話を戻します。私たちはゲルダの足取りを辿ると先ほど言いました。では、ゲルダの乗った小舟はまずどこに辿り着いたでしょう?」
「ゲルダはまず……」
川に溺れてしまったんだ、と言われていたカイを探しに小舟に乗ったゲルダはまずどこに辿り着いたか。
記憶を頼りに思い出してみると……
「魔女の花園」
「正解です、さすがは【不思議の国】号のアリスですね」
「……帽子屋さん、楽しんでません?」
「いいえ、貴女の博識さに頼もしさを感じているだけですよ」
正解だからいいけど。なんか、試されたような気がするのはわたしの気のせいなのかな。
ただ黙って帽子屋さんを見つめてみる。帽子屋さんは薄く微笑みながら川上を見ていて、ちっともこっちなんか見てくれない。
会話がない小舟の上、ヤマネくんの舟を漕ぐ音がやけに大きく聞こえた。
「魔女の元に行って……それから?」
「おや、未だ読み終わっていませんでしたか?」
「スミマセン、間に合いませんでした」
振り返ると、しゅんと眉をハの字に下げたヤマネくん。
そっか、読み途中だって昨日言っていたもんね。
「魔女の花園から、おしゃべり好きな花園へ。そこを出ておしゃべりカラスの助言を頼りに、そっくり王女さまのお城へ行くの」
「そう、本来ならばそうあるはず」
「……と言うことは、道筋から外れるんですか?」
「えぇ、魔女の元で一年という時間を無駄になんか出来ませんからね。それこそ、時計の針を止められたままになってしまう」
……よくよく考えてみれば、『雪の女王』の話に『不思議の国のアリス』の登場人物が加わるんだから、変なこれって物凄い変なお話になるんじゃない?
『雪の女王』の話を思い出そうとすると、帽子屋さんが『不思議の国のアリス』を引っ張ってくる。なんだかごちゃごちゃしているように感じるのはわたしだけ?
「ではマッド、どうするのですか?」
「同じ魔術を扱う者ですから、少しばかり利用しようかと」
本当に、帽子屋さんは何を考えているんだろう?
わたしとヤマネくんにはちっとも分からなくて、互いに顔を見合わせて首を傾げた。
「……アリス」
「はい?」
軽く手首を捻って、再び薔薇を一輪現した。なんだか手品みたいとか思って見ていると、帽子屋さんは何かが気に食わないみたいで、軽く眉をひそめていた。
「何か?」
「似合いませんね」
だから、何が?
よく分からないんですけど。そう続けようとしたわたしの目の前で、手にしていた赤い薔薇を軽く振る。
さっと振られた瞬間、さっきまで赤かった花弁が、淡いピンク色へと色を変えた。
「貴女には、こちらの方が似合いますね」
「え?」
そっと、髪に飾られる。
「蒼が似合う貴女には、蒼い薔薇を捧げたいところですが、そればかりは作り出せないので代わりにこちらを」
「え、いや、なんで」
「保険のようなものですよ。……忘れられないように」
それはまるで、帽子屋さんたちには伝えなかったけど、雪の女王の口付けでわたしが忘れていた事を指しているように思えて。
わたしは思わず、胸元の【証】を握り締めた。
大丈夫だよ、だって、思い出したもの。寒さだって思い出せたんだから、忘れている事なんかないはず。全部、思い出したはずなんだ。
はずなんだけど……どうして、こんなに不安になるんだろう。
思い出した感じがしないんだろう。
わたしにはまだ、忘れている事があるの?
【証】は、何も答えてくれない。
「大丈夫ですよ、貴女は一人ではありません」
帽子屋さんの優しい言葉に、【証】ごと厚い服をぎゅっと握った。
「私どもは貴女の助けになりましょう。例えどんなときでも、貴女が我らのアリスである限り、何を忘れたとしても思い出させます」
「……あの」
「貴女が言葉にせずとも、分かりますよ。私とて、魔術を扱う者です」
帽子屋さんには、知られているの?
わたしが、何かを忘れていたことを。
それなら、わたしが今もまだ何かを忘れているのかも、そんなことでも分かるの?
「解決策は、あの城に全てあります。ですから、今は前を向きなさい、アリス」
不安に思うことがあるでしょうが、貴女はいつだって、どんなときだって、前を向いてなくてはなりません。
……帽子屋さんに言われなくても、自分でそう気付いたのに。
だめだな、こんなことですぐ不安定になるなんて。不安になんかなってる場合じゃないのが分かってるなら、せめて前だけでも見てなくちゃ、何も分からないままだ。
「はい」
ゆっくりと顔をあげた。真っ直ぐに帽子屋さんを見上げる。
視線がぶつかると、帽子屋さんは薄っすらと笑って、満足そうに頷いた。
「私たちはあの城で【神子の玩具】を探します。城では貴女の指示に従いましょう。【娘】にしか、【神子の玩具】の行方は分かりません」
「見つけます。だから、力を貸してください」
「もちろんですとも、我らのアリス」
【証】が答えてくれるかは分からないけれど、それだけを当てにはしない。
だってわたしには考える頭がある。一人では上手くいかないことだらけだったけど、帽子屋さんと言う策士がいる。
わたしが冷静に考えられるように、落ち着かせてくれるヤマネくんがいる。
だから大丈夫、もう失敗はしない。同じことは繰り返さない。
「あの、マッド……」
船尾にいるヤマネくんが、恐々とでも言うように声をかけてきた。
「どうしました?」
「前方に……、あの、見間違いじゃなければ、花が……」
その一言で、きりりと背筋が伸びた。
こんな寒い気候の中で、花なんか咲くはずない。それでも花が咲いているというなら、そこは……
「魔女の花園に、到着したみたいですね」
白く染められた雪景色の中、咲き誇る春のような花園。
白と深緑のコントラストの中、鮮やかな花々が咲き誇り、なんでか異様な光景を見ているような心地に陥らせる。
ドライフラワーでも、アイスフラワーでもない生花。それが頬や指先を赤くしたわたしたちの目の前で咲いていることが不思議でならない。
「どうしてこんなに寒い中、花が……」
「あの場だけ切り取っているのですよ、春を。なんと言ったって、彼女は魔女ですからね」
信じられないとでも言いたいようなヤマネくんの呟きに、帽子屋さんは冷静に返していた。
魔女……ね。魔女のところでは何があったっけな。
なんとなくそんなことを思って、ふと考えてみるけど、詳しくは思い出せない。
「マッド、舟が勝手に……!」
「好都合です、呼ばれましょう。ヤマネ、気をつけるように」
「りょ、了解です!」
ヤマネくんが、さりげなく短剣を抜いて構えた。オールを漕ぐ手を止めても、舟は勝手に川をさかのぼって花園の方へと向かっていくのは、魔女が引き寄せているからかもしれない。
岸辺に近づくに連れて、花園の隣に赤い実をつけた果物畑や、少し変わった赤や青の窓のついた小さな家が見えてきた。
あれが、魔女の住む家なのかな。様々な原色で塗られたそれは、この花畑の中だから溶け込んでいるように見えるけど、街中にあったらあれは間違いなく“怪しい家”だと思う。
「……そんなに、警戒する必要はないと思いますけど」
原作を信じるなら、彼女は悪い魔女じゃない。
……まぁ、原作を信じすぎるのはよくないって分かってるから、強くは言えないけれど。
「えぇ、彼女は魔法が使えないこと以外は、ただの寂しい老婦人ですからね」
「帽子屋さん、その言い方もどうかと」
「ゲルダを話し相手にしようと、目的を忘れる魔法を掛けた相手ですよ? そのくらい言っても問題はないでしょう」
あえてそれ以上は言わないけれど。
それにしても、何かあったはずなんだけどな。この魔女の元で。
アンデルセンの『雪の女王』を読んだのがずっと前だから、細かいところはあんまり覚えてないだけ……だといいんだけど。
「誰か、出てきます」
ヤマネくんの抑えた声に、カラフルな家の方へ目を向けた。
大きな日除け帽子を被った、ふっくらとした体格のおばあさんが、杖をつきながらゆっくりと出てきたところだった。
あの人が、魔女?
「おやまぁ、こんなところにお客さまなんて珍しいこと」
目を凝らしてこちらを見たおばあさんは、ゆっくりと歩み寄ってくる。
ヤマネくんがぐっと姿勢を低くして、陸へと飛び移った。そしてそのまま駆け出そうとしたのだけど……
「そんな危ないもの、人に向けてはダメじゃない」
「っ!?」
すっと、杖を横に振られただけで、ヤマネくんの手から短剣が叩き落とされた。
触れてもいないのに、そもそもヤマネくんとの距離が結構開いているのに、なんで!? ……なんて愚問だった。きっと魔法なんだよね、なんてたって魔女だし。
「そちらの二人もいらっしゃいな。久々のお客さまで嬉しいわ。どうぞお茶でも飲んでいってちょうだい」
「……お言葉に甘えさせて頂きましょうか」
ゆっくりと羽根付き帽を被りなおしながら、帽子屋さんは静かにそう言った。
帽子屋さんがそう言うなら、それに従うけど……。でも、これでどうやってお城まで行くの?
「ヤマネ武器を拾って、収めてから続いて下さい。お手をどうぞ」
「えっ、あ、どうも」
そんな疑問でさえ口に出来ないまま、帽子屋さんの手を借りて不安定な舟から陸へとあがった。
舟から降りるたび思うけど、本当に揺れない地面ほどありがたいものってないよね、うん。
「ところで、どのようなお茶を出して頂けるのでしょうか?」
「トププティーよ、今朝摘み立てのリーチェで作ったパイもつけてあげましょうね」
「トププティーですか。紅茶ではないですが、それはそれで美味しいものですからね、楽しみにしましょう」
「あら? 紅茶の方が良かったかしら?」
「ふふ、下手な紅茶を出されるよりは、ご婦人お手製のトププティーにリーチェのパイを頂いた方が、数倍美味しいはずです」
「褒め言葉として、受け取っておくわ」
ヤマネくんがわたしの傍に来るなり、帽子屋さんはおばあさんの傍へと移動してそんなことを話し始めていた。
あの、帽子屋さん。確かに帽子屋さんは紅茶には目がないって言ってたけど、ここでもそれって……。
「マッドのああいうところ見ると、なんでイカレ帽子屋って言われるのかなんだか分かる気がするよ」
ヤマネくんの小さな溜め息を聞くと、これはいつものことみたいなんてそんなことを思った。
紅茶狂いのイカレ帽子屋。
それがまさか、『雪の女王』の物語関連の場所で改めて知ることになるなんて、微塵にも思わなかったけど。
* * * * *
「ホーン、こっちだ」
「あいよ、今行く。ジズ、オルガを任せたよ」
「おう、気をつけろよホーン」
トナカイの背中から飛び降りたホーンは、呼ばれた方へと静かに駆け出した。地面に降り積もった雪をぎゅっと踏みしめ、さりげなく隠しナイフに手を掛けながら。
「アグム、人数は?」
「十八だな、グウェンたちの集団だろ、あれは」
「グウェンねぇ……簀巻きにされて置き去りにされた恨みがあるからね。少しくらい痛い目にあったって文句は言われないはずだろう?」
そっとアグムと呼ばれた男の隣で身を屈めると、ホーンは中の様子を伺った。
山小屋のようなねぐらを覗けば、そこにはゆっくりと酒を傾けるむさくるしい男達の姿が見える。その中の一人に目を留めると、ホーンは軽く拳を鳴らした。
「ほどほどにしてやれよ。あいつらだって狂ってるわけだし」
「いーや、あいつら狂ってなんかねぇなー…」
「うぉっ!? いたのかよ」
いつの間にか傍にいたジャックにぎょっとしながら身を引いたアグムだったが、それを更に押しのけて、ホーンが身を乗り出してきたものだからたまらない。冷たい雪に背中を押し付けられた上に、ホーンが容赦なく押しつぶしてくる。
「ホーン、てめっ、重」
「そりゃどういうことなんだい? 狂ってないって? あいつらが!?」
「あと、背中冷て」
「魔力を感じな……いや、奥の二人は微力だけどあるな。あとは全員正気だ」
「おいこら、無視してんじゃ」
「それが魔術師としての感覚なんだろう? 分かった。レギクスに仲間集めるように言ってくる」
「ぐふっ!?」
ホーンに容赦なく腹を踏みつけられ、華麗に存在を無視され続けていたアグムは、無情にも潰された。更に腹が立つことに、それをジャックに同情するように見られてしまった。
畜生、と呟くアグムに向かって、ジャックは一言ご愁傷様、とだけ呟いていた。
「つか、ジャック。お前なんだってここにいるんだよ?」
「決まってんだろ。帽子屋に“お願い”されたからだ」
「は?」
真顔でそんなことを言われ、アグムはおおいに反応に困った。
「俺様だって、好きで野郎ばっかしかいない場所にいるわけじゃねーよ。むしろ即行でこんなとこから帰りたい、超帰りたい」
「はぁ?」
「本当は【不思議の国】号にいたいなんて贅沢は言わねぇから、せめて女の子がたくさんいる場所に行きたい! 帽子屋やおじょーさんと一緒にいられてもいい!」
「お前、本気で帰れ」
前々から思っていたのだが、何故こんなふざけた奴がこんなにも【トナカイの角】に関わってくるのだろうか。 ホーンが気に入っていると言うのは分かる。だが、それだけにしても関わりすぎだろう。
こいつがいるよりは、絶対仲間の誰かがいた方がまだやりやすいだろ。
そんなことを心の中で思われてるとは露知らず、ジャックは物憂げに溜め息をついていた。
「こら、お前らしゃんとしな。到着次第ほうふ……突撃だよ」
「ホーン、お前今明らかに報復って言おうとしただろ」
「あたいにとっては報復だから、別にいいんだよ!」
このジャックの存在もだが、今回のホーンもよく分からない。
一体何故こんなにもヤル気になっているのか。ひとまず指示通りに動いてはいるものの、その目的がさっぱり分からない。
「なぁ、ホーン。お前何がしたいんだ?」
「親父たちを正気つかせる。狂ってる奴らを元に戻すんだ」
「んなこと言ったって、どうやって?」
雪の女王の城に突撃掛けた方が、まだ効果的だと思うぜ?
そう続けてみたものの、ホーンは静かに首を横に振った。
「それをやるのはあたいたちじゃない。あたいたちは、狂ってる奴らを一人残らず城に送ることしかできない」
「俺らが城に送る? それで、何になるんだ?つか、俺らがやらないんなら誰がやるんだよ」
「決まってんだろ? 俺様の愛すべき【不思議の国】号がだ」
深い笑みを浮かべたジャックに、ますます疑問が深まった気がしてならないアグムは、困ったようにホーンに助けを求めた。だが、ホーンもどこか自信が溢れたような笑みを浮かべているだけで、何も言わない。
「あたいだって、言われただけでそれが何になるのかは知らないけどね。でも、あいつらに任せるのが、一番いいんだってそんな気がしてる」
だから、分からなくてもあたいを信じてくれるかい?
そう真っ直ぐ向けてくる瞳が、お頭のそれとダブって見えて、アグムはじっとホーンの瞳を見つめ返していた。 信頼できるもの、できないものはわかる。
今のホーンのそれは、黙って見ていろと静かに手下の結果を信じて待っているお頭の瞳と同じだ。
「まぁ、お頭が戻ってくるならいいけどよ」
ぶっきらぼうに答えたにも関わらず、ホーンはその答えに満足そうに微笑んだ。
* * * * *
原色カラーの家の中は、なんと言うか、不思議な空間だった。
家具とか、小さな家の造りは至って普通。むしろ、小さな椅子やテーブルに敷かれたクロスやカバーが可愛い。 小物の棚は小物で綺麗に整頓されてるし、窓際には乾燥させている途中の花が吊られている。
不思議な空間だと思わせたのは、やっぱり窓かな。
ステンドグラスみたいに赤や青、緑と言った色を組み合わせてある色付きの窓ガラスは、そこから射し込む日の光の色を変えてみせる。
射し込む光が色とりどりに輝いて……これでキラキラと輝いていたらまるで万華鏡の中にいるみたいに思えるくらい。
「このトププティーは、早摘みのものですか?」
「えぇ、そうよ。貴方なら分かるでしょうけれど、少し温度を弄って、いつでも早摘みが飲めるようにしているの」
「それは贅沢ですね、羨ましい」
「ふふふ、年寄りの数少ない楽しみですからね。ほら、貴方もたんとお食べなさい。お代わりはいかが?」
「あ、ありがとうございます。お願いします、このパイとっても美味しいです!」
「嬉しいわ、たくさん食べてちょうだい」
そんな中、どうして帽子屋さんやヤマネくんは、こんなにも穏やかに和んでいるんだろう。あの、本題忘れてないよね?
確かに、このトププティーは美味しいし、パイだって美味しいけど。
何か考えがあってのことだろうから、もう少し黙って見てようかな。このトププティーが飲み終わるくらいまで。
「つまり、茶葉は全て自家製のものを使って作っていると?」
「えぇ、そうよ。お茶だけじゃなくて、木の実や野菜、お花なんかも育てているわ」
トププティーは、琥珀色の甘いお茶。蜂蜜とかそんなものも入れてないのに、ほんのりと甘くて美味しい。
ここは春の気候で寒くもないし暑くもないから、すぐに体は温まる。ほぅ、と一息つきながらお茶を頂いている と、ふとおばあさんがこっちを見て首を傾げていた。
「あら、その薔薇の花飾り……」
「え?」
「恋人さんにでも貰ったのかしら?」
「っ、げほっ! けほっけほっ!」
突然の発言に驚いて、変なとこ入った……!
「だ、大丈夫?」
「だ、いじょ……けほっ」
ヤマネくんが背中をさすってくれるけど、本当にビックリした。まだむせてる。
いや、いきなり恋人から貰ったとか、そんなこと飲んでる最中に言われたらむせるよね普通。もらったのは、帽子屋さんにだけど。
「そんなに驚くようなことでもないでしょうに。ふふふ、落ち着いて?」
「確かに、そんなに動揺することではないと思いますが……それはさておき」
かちゃり、と帽子屋さんがカップをソーサーに置いた。
「本題に入らせていただきましょう」
「本題?」
「えぇ、我々は貴女の移動用魔法陣を頼りにここに参りました」
不思議そうに微笑むおばあさんが、一瞬表情を強張らせたように見えた。
て言うか、移動用魔法陣って?
「貴女が望むように、貴女が招待したお茶会にもよばれました。これ以上貴女に割く時間はありません」
「年寄りに、また一人で過ごせというのかしら? 薄情ね」
「我々は海賊ですからね。薄情と言われても仕方がないでしょう」
「……海賊。と言うことは、彼女は【娘】ね」
向けられる細められた視線。探るようなそれから逃れたかったけど、逃げ場なんかない。
そっと服の上から【証】を握りしめた。
「雪の女王の城に行きたいのね。でも、あそこには何もないわ」
「貴女は【娘】ではないでしょう? それなのに何故そのようなことを言えるのです?」
「あそこにあるのは、哀れな物語の結末。想いがすれ違ったままの物語の【主人公】が眠るだけ。行っても無駄足になるだけよ」
それは、ゲルダのことを言っているの……?
それとも、カイのことを言っているの……?
貴女は、何を知っているの?
「およし、この国の結末は誰にも変えられない。変えられるのは、【主人公】だけ」
「それなら大丈夫。わたしは【主人公】でもあるもの」
偽者だけど。そんな言葉は、心の中だけに留めておいて。
【証】は何も答えてくれないけれど、それでも、わたしの手元にあるってことは、まだわたしをアリスの代わりに求めていると、そう信じてもいいってことでしょう?
真っ直ぐその細い目を見ていると、おばあさんはやがて深く肩を落として、そのしわだらけの指を真っ直ぐ伸ばした。
「隣の部屋に、前に使っていた城への陣が書いてあるわ」
「座標位置に変化は?」
「ないわ。ただ、城の陣が消されていたら使えないでしょうけれど」
「十分です。お借りしますよ」
ごちそうさまでした、と席を立つわたしたちのことを見てくれないおばあさんを残して、わたしたちは彼女が指差した方へと向かった。
続き部屋はさらに小ぢんまりとしていて、ものは一つも置いてなかった。
部屋の真ん中に大きな魔方陣が一つ。それ以外は何もない。
「しかし、保険として渡しておいて正解でした」
「え? やっぱり忘れかけていたんですか」
ぽつりと帽子屋さんがそんなことを言ったから、帽子屋さんにも忘れる魔法が掛けられたのかって、ぎょっとした。
真面目な顔して頷くから……、え? やっぱりそうなの?
「えぇ、ついトププティーに夢中になりすぎました」
「……それは、魔法とかじゃなくて?」
「魔術よりも恐ろしいですね、世間話は」
そんなにしみじみと言うようなことじゃないと思うんですが。
薔薇の保険の掛け方が違うと思うんだけど……とりあえずそれで本題が思い出せたのなら良かった、のかな?
「ところで、移動用魔方陣って何ですか?」
一番後ろにいるヤマネくんの言葉に、そう言えばなんて思う。
わたしもそれ聞きたい。魔方陣って、魔法と違うの?
「この魔方陣のことを言います。私どもが使う移動魔術よりも精密なもの、と考えて頂ければ間違ってはいません」
「座標がどうのこうの、って言うのはそれに関係しているんですよね?」
「ふふ、この際ですから少し魔術について教えましょうか」
こちらへどうぞ、と魔方陣を囲むようにして部屋の奥へ誘われた。
白い何かで床に書かれた魔方陣は、やっぱりわたしには読めそうにない字で書かれているけれど。
「魔方陣は、普段我々が魔術を使うときにも利用しています。見えないようにして、ですが」
「陣が見えると、何をするか相手に知られちゃうから、ですよね?」
「えぇ、その通りです。この一番外側の文字列に魔力を糧にすると言う命題。その内側に使用する属性や対象物」
ここと、ここが今回のそれになります。
と指を差して教えてくれるけど……まぁ分からないよね。
「基本陣に情報を書き加えることで、陣は完成します。後は魔力を込めて陣を切れば発動です」
す、と腕を振る。
「あ、帽子屋さんのそれって、切る動作だったんですね」
「私の場合は切る、と言うよりは振り払うに近い形ですけれども」
「でも、マッド。それじゃあわざわざこうして魔方陣を書く必要はないですよね?」
「えぇ、本来でしたら直接書くなんてことはしません」
そりゃ、何を誰にどうするかの情報が丸わかりの魔法陣を張っておくなんて無用心なこと、普通はしないよね。
それじゃ、陣を書いておくメリットって?
「何度も利用する陣は、書くのが面倒なんですよ。ですから直接書いておくんです」
「それだけ、ですか?」
「他には……直接見える形で書いた方が、間違いがありません。見えない陣に書くのは、いわば目隠しで字を書いているようなものですから」
分かりやすいたとえに、それなら確かに見える場所に書いたほうがいいかも、なんて納得してしまった。
帽子屋さんが脱いでいた上着を羽織ながら、陣をゆっくりと確認している。ここでは上着を脱いでいても十分暖かいからいいんだけど、魔方陣で移動した後は外だもんね。寒いに決まってる。
「座標位置からは……さすがに何処に出るか分かりませんが、城の方角に間違いないですね」
そんな帽子屋さんの呟きを聞き流しながら、小さく目を閉じた。ファー付きのコートの上から、そっと【証】を握りしめる。
それは大丈夫だって、自分を安心させるための行為だったんだけど……。
―…まだ、忘れてもいい時じゃない。
「え?」
誰かの声が聞こえた。
はっと顔を上げると、ヤマネくんの後ろでおばあさんが腕を振りかざしていた。
「っ、ヤマネくん!」
「え?」
きょとんと目を見開くヤマネくんは、全然気づいてないみたいで。わたしの声だけじゃ止められなくて! 動けなくて!
目を大きく見開いた視界の端で、何かが動いたような気がした。
「何を、されるおつもりでしたか?」
「あっ、あぁぁっ!」
カラン、とおばあさんの手から何かが落ちる。
帽子屋さんがおばあさんの手首を掴みとめていた。
「乱暴はよしておくれ! あぁ、痛い! 痛い!」
「ヤマネ、今度からは後ろにもしっかり気を配っておくように」
「す、みません……!」
状況を分かっていないヤマネくんが、大きな目を瞬かせながらゆっくりと後ずさっていた。よかった、何事もなくて。
「何をなさるおつもりでしたか?」
「ほんのちょっと、もう少しだけ長くいて欲しかっただけなのよ。悪気はなかったの。傷付けるつもりもなかったのよ! だから、離してちょうだい! 痛い、痛いわ!」
「あの、帽子屋さん。離してあげた方が……」
「貴女がそうおっしゃるのでしたら、そうしましょうか。こちらは借りる身。仕置きは、これで勘弁して差し上げましょう」
やんわりと帽子屋さんはおばあさんの手を放して、そのまま床に落ちていた金色の何かを拾った。
それを没収することが、仕置き? それもどうかと思うけれど、ヤマネくんに何かあったらって考えると、おばあさんに同情もできない。
「行きましょう。時間を食いすぎました」
そっと、わたしとヤマネくんを魔方陣の上に立たせて、帽子屋さんはわたしたちの肩を後ろからそっと抱いた。
ぼんやりと床の魔方陣が輝きだす。
「また一人。また一人でここにいなくちゃいけないなんて! 寂しい、寂しいわ!」
床で手首を押さえて嘆くおばあさんの姿が、光にかき消される。
それでも、あのおばあさんの姿がやけに痛ましく感じて、そっと、顔を伏せた。
光が消える。
何回目の移動になるんだろう。ちゃんとした回数は覚えてないけど、ここにくるまでたくさんの移動をしたように感じる。
ゆっくりと目を開けた。
「わぁ……!」
「これは、さすがと言うべきですかね」
ヤマネくんの感嘆に、帽子屋さんの賞賛。
思わずぽかんと口を開いたままその光景に魅入ってしまう。そんな場所。
「ここは……広間?」
わたしがいた場所とは、全然違う。
魔法で飛んだ場所が雪の女王の城の中に違いないから、ここもお城の中なはず。
でも、違う。わたしがいたのはもっと、現実味があるような場所。鳥かごなんてものがあったけど、でも部屋の中も、廊下だって、意匠を凝らしてあったけれど、ちゃんと建物の中だってそう思える場所だった。
「まるで、外みたいですね」
吹き付ける冷たい風に腕をさするヤマネくんは、せわしなくきょろきょろと辺りを見ていた。
「【神子の間】のように、何もありませんね」
白い息を吐き出しながら、帽子屋さんはそう結論付けていた。
透明な氷の床張りに、白く、厚く塗られた雪の壁。続き扉がある場所には、風の流れが冷気を巻き上げて、渦を巻くように留まっている。
明かりなんか一つもない。
あるのは、強く、大きなオーロラ。天井付近からどこまでも繋がっているようなそれが、がらんとした広間を淡い色にいくつも色を変えた光で強く照らし出している。
「そっけなくて、淋しい場所みたいですね……」
「えぇ。全くです」
ぽつりと、わたしたちだけがこの広間に残されたように錯覚をしてしまいそうになる。誰もいなくて、ずっとずっと、このがらんとした空間に、三人だけしかいない。
ヤマネくんの言うとおり、なんだか淋しくて。一人にならないようにそっとヤマネくんの隣に移動した。
「一人じゃないよ」
分かってる、とでも言ってくれるかのように冷たくなった指先で手を握ってくれる。
「アリスは一人じゃない。ボクが一緒にいる」
「うん。ヤマネくんも、帽子屋さんも、わたしも、一人じゃない」
空いているもう片方の手を、帽子屋さんにさし伸ばした。
薄っすらと笑った帽子屋さんは、ダンスを申し込むみたいに軽くお辞儀しながら手をとってくれる。
さすが帽子屋さん、様になりますね。手をとられているだけなのに、なんだか照れてしまうのですが。
「参りましょうか、我らがアリス。【神子の玩具】を探しに」
「それから、この国を元に戻すためにも、だよね?」
【不思議の国】号の偽者アリスとして。
【娘】と【主人公】の力を持つものとして。
一人ではできなかったことを今度こそ成し遂げるために、わたしたちは互いに手をとって、がらんとした広間を歩き出した。
「大丈夫」
二人の手を握っていれば、大丈夫。
ゲルダの足跡を辿ってここまできても、ゲルダと同じ結末を辿るつもりはないもの。
同じ結末を迎えないように、わたしはここにいる。
この『雪の女王』の結末を変えるために。
右手と左手に頼もしい人たちがついているんだから、さぁ。
新たな結末を生み出しに行こう。




