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第26話 命令しか知らなかった補助機が、赤い中枢でここにいると言った

赤い光の中へ入った瞬間、音が変わった。


外の谷では、術式装置は柱みたいに見えていた。


中に入ると、柱ではなかった。


通路だ。


壁だ。


床だ。


天井だ。


全部が赤い命令でできている。


待機。


排除。


再起動。


服従。


廃棄。


同じ言葉が、壁の内側を流れている。


いや、壁ではない。


古い装甲板。


壊れた核の欠片。


術式杭。


番号札。


そういうものが、赤い線で無理やりつなぎ合わされて、通路の形をしていた。


嫌な場所だ。


ここに長くいると、命令というものが空気みたいに思えてくる。


それが一番、まずい。


「ここが中枢ですか」


リリアが小さく言った。


白い光を手の中に集めている。


さっきより細い。


だが、消えていない。


「中枢というより、命令の腹の中だな」


俺は言った。


「飲み込んだものを、まだ動かそうとしている」


リリアは眉を寄せた。


「嫌な例えですね」


「俺も今、返品したい」


ドルムは、医療鞄を抱えたまま立っていた。


足元の赤い線を見る。


壁を見る。


天井を見る。


核が小さく震えている。


「命令……多い」


「分かる」


「多い……嫌」


「それも分かる」


通路の奥から、赤い光が強くなった。


それに合わせて、遠くの谷底で旧式が動く音がする。


外とつながっている。


街とも。


二十七号とも。


この中枢が、全部の赤い糸を握っている。


「壊せば終わるか」


俺は言った。


「壊し方によります」


リリアが答えた。


「雑に壊すと、赤い命令が暴発するかもしれません」


「雑に壊す以外の選択肢が薄い体で来ているんだが」


「だから、私がほどきます」


「無茶はするな」


「分かっています」


その返事は、少しだけ弱い。


分かっているが、やる気もある返事だ。


危険だ。


「ドルム」


俺は言った。


「リリアを見ろ」


ドルムの核が揺れる。


「見る」


「俺も見ろ」


「見る……多い」


「それは言うな。俺の仕事が増える」


赤い通路が鳴った。


どこかで、誰かの声が響く。


ゼルギオだ。


姿は見えない。


だが、声だけが中枢の壁から染み出してくる。


「中枢内反応確認。旧式ガルム、聖女リリア、補助機ドルム」


「案内放送まで性格が悪いな」


「ここでは、外より命令密度が高い」


ゼルギオの声は淡々としていた。


「解除済みの旧式にも、外側から拘束できる。補助機には、古い命令を再提示できる。聖女には、苦痛反応を集中させられる」


「説明が嫌すぎる」


「説明は必要だろう」


「必要な嫌さというものがあるか」


通路の赤い線が、俺の足元へ伸びた。


すぐに絡む。


腕ではない。


足だ。


動きを止める気か。


俺は足を持ち上げ、赤い線ごと床を踏み砕いた。


床の下から、さらに赤い線が出る。


増えるな。


命令を床下に詰めるな。


「リリア、下がれ」


「はい」


リリアが一歩下がる。


だが、その白い光は前へ伸びる。


赤い線の結び目を探っている。


浅く。


薄く。


けれど、触れるたびにリリアの肩が震える。


「痛いのか」


俺が聞くと、リリアは少しだけ息を整えた。


「痛いです」


正直だ。


正直すぎる。


「ならやめろ」


「やめると、もっと痛い人たちがいます」


「そういう答えは嫌いだ」


「知っています」


知るな。


俺の返答の逃げ道を先に塞ぐな。


ドルムがリリアの袖をつかんだ。


今度は、少し強い。


リリアの白い光が一度止まる。


「ドルムさん」


「止める」


ドルムが言った。


「無理……止める」


リリアは、少しだけ目を見開いた。


そして、小さくうなずいた。


「はい。お願いします」


お願いします。


ドルムに。


命令ではなく。


お願い。


ドルムの核が、小さく青く揺れた。


赤い通路が、それを嫌うように脈打つ。


「補助機ドルム」


ゼルギオの声が低くなった。


「旧命令を再提示する」


通路の壁に、赤い文字が浮かんだ。


待機。


補助。


服従。


修復。


命令受理。


ドルムの体が、びくりと止まった。


医療鞄が床に落ちる。


中身が少し散らばった。


包帯。


小瓶。


布。


リリアが手を伸ばしかける。


俺が先に腕を出して止めた。


「リリア、今は駄目だ」


「でも」


「今、赤いのはドルムを見てる」


ドルムの核が赤く染まりかける。


青が細くなる。


赤い文字が、壁から床へ、床からドルムの足元へ伸びる。


「待機」


ドルムの口から、かすれた声が出た。


「補助」


違う。


それは違う。


いや、ドルムにとっては、ずっとそれだった。


待機。


補助。


命令が来るまで止まっている。


命令が来たら動く。


そういうふうに作られて、壊れて、置かれていた。


「ドルム」


俺は呼んだ。


「聞こえるか」


ドルムは動かない。


「待機」


また言った。


赤い文字が強くなる。


リリアが唇を噛む。


「ガルムさん、私が」


「待て」


「でも」


「今、ほどく相手が違う」


リリアは止まった。


止まったが、つらそうな顔をした。


俺もつらい。


つらいという表現が合っているかは知らない。


石でも嫌なものは嫌だ。


「ドルム」


俺はもう一度呼んだ。


「命令は来てるか」


ドルムの核が赤く揺れる。


「来て……る」


「そうか」


「待機……補助……命令……」


「じゃあ、それ以外はあるか」


ドルムの核が止まった。


赤い文字が脈打つ。


「それ以外」


「そうだ」


俺は一歩近づいた。


赤い線が足に絡む。


無視する。


「鞄を持ったのは、命令か」


ドルムの視線が、床に落ちた医療鞄へ向く。


「リリアの袖を引いたのは、命令か」


リリアが息を止める。


「二十七号を見ていたのは、命令か」


ドルムは答えない。


赤い文字が、壁いっぱいに広がる。


待機。


補助。


命令受理。


待機。


補助。


命令受理。


しつこい。


同じ文言を何度も出すな。


「ドルム」


俺は言った。


「お前は、今どこにいる」


ドルムの核が震えた。


「どこ……」


「ここだ」


リリアが、小さく言った。


「ドルムさんは、ここにいます」


赤い文字がリリアへ伸びる。


俺は腕で弾いた。


「聖女の発言を攻撃するな。職場の空気が悪くなる」


「命令干渉、強化」


ゼルギオの声が響く。


赤い線が、今度は俺の胸へ絡む。


重い。


動きが鈍る。


だが、今はドルムから目を離さない。


「ドルム」


俺は言った。


「命令がある場所じゃない。お前がいる場所を言え」


ドルムの手が、ゆっくり動いた。


医療鞄へ伸びる。


赤い文字が、その手を止めようと絡む。


待機。


補助。


服従。


「待機……」


ドルムが言った。


リリアの顔が苦しそうに歪む。


俺の腕にも赤い線が食い込む。


「では……ない」


声は小さかった。


でも、確かに続いた。


「補助だけでは、ない」


赤い文字が一瞬乱れた。


ゼルギオの声が止まる。


リリアの白い光が、細く強くなる。


「ドルムさん」


ドルムの手が、医療鞄をつかむ。


床に散らばった布を押さえる。


それから、リリアの方へ一歩近づいた。


命令で動く歩き方ではない。


ぎこちない。


遅い。


だが、自分で選んだ一歩だった。


赤い文字が、壁から一斉に伸びる。


「命令違反」


ゼルギオの声が、初めて少しだけ硬くなった。


「補助機、再拘束」


赤い線がドルムの核へ殺到する。


俺は動こうとした。


だが、胸の赤い鎖が重い。


間に合わない。


リリアが前に出る。


「無理に受けるな!」


俺は叫んだ。


リリアは振り返らなかった。


でも、白い光を深く刺さなかった。


外側の赤い線だけを、刃のように切る。


一本。


二本。


肩が震える。


ドルムが、そのリリアの袖を掴んだまま、言った。


「ここにいる」


一息だった。


途切れなかった。


待機でもない。


補助でもない。


命令の復唱でもない。


ドルム自身の声だった。


赤い通路が、はっきり軋んだ。


音がした。


石でも金属でもない。


命令そのものがひび割れるような音だ。


「ここにいる」


二度目は、少しだけ強かった。


ドルムの核が青く灯る。


赤が消えたわけではない。


でも、青が赤の下に沈まない。


踏みとどまっている。


リリアの白い光が、その青に沿って伸びた。


今度は、リリアが引っ張ったのではない。


ドルムの青が、白い光の道を作った。


赤い文字が剥がれる。


待機。


補助。


服従。


命令受理。


それらが、壁からばらばらと落ちる。


紙ではない。


だが、落ちるように消えた。


「ドルム」


俺は言った。


何を言えばいいか分からなかった。


褒めるべきか。


止めるべきか。


笑うべきか。


全部違う気がした。


だから、結局こう言った。


「よくやった」


ドルムの核が、青く小さく揺れた。


リリアが、こんな時なのに少し笑った。


その笑いで、赤い通路の圧がほんの少しだけ薄くなる。


「補助機ドルム」


ゼルギオの声が、壁の奥から響く。


「自己位置宣言と聖女の浄化が干渉。旧命令再提示、失敗」


「分かってるなら諦めろ」


「解析を継続する」


俺は赤い鎖を握った。


「分かってても止められないものがあるって、覚えて帰れ」


赤い通路の奥で、ゼルギオの影が見えた。


中枢のさらに奥。


赤い核みたいな光の前に立っている。


黒い外套が、光を吸って暗く見える。


その横に、ヴァルザもいた。


いつ入った。


いや、ゼルギオが連れてきたのか。


ヴァルザの足元にも、赤い線が絡んでいる。


だが、さっきより薄い。


ドルムの宣言で、中枢全体の命令が乱れたのかもしれない。


ヴァルザは、その赤い線を見ていた。


自分の足元を。


初めて見るように。


「これが」


ヴァルザがつぶやく。


「命令……」


ゼルギオは振り返らない。


「ヴァルザ殿。旧式ガルムへの敵意を維持しろ」


「敵意を、維持」


ヴァルザが繰り返す。


「そうだ」


「命令か」


ゼルギオの杖がわずかに動く。


「協力要請だ」


ヴァルザは笑った。


乾いた笑いだった。


「言い方を変えるな」


俺は思わずヴァルザを見た。


今のは、俺の台詞みたいだった。


やめろ。


勝手にこっち側の言葉を使うな。


ヴァルザは俺を見ない。


リリアも見ない。


足元の赤い線だけを見ている。


「私は、命令する側だった」


ヴァルザが言った。


「不要と言えば、切り捨てられると思っていた」


赤い線が足元で震える。


「命令される側の顔など、見なかった」


ゼルギオの声が冷える。


「ヴァルザ殿、反応が不安定だ」


「黙れ」


ヴァルザは言った。


さっきより低い声だった。


赤い線がヴァルザの足を強く縛る。


ヴァルザの顔が歪む。


それでも、膝をつかなかった。


「ガルム」


やっと俺を見た。


「お前を追放したことは、撤回しない」


「そこはしろ」


「しない」


即答するな。


この状況で意地を張るな。


「だが」


ヴァルザは奥歯を噛むような顔をした。


「お前を、あれと同じ在庫にしたつもりはない」


「言い方が下手すぎる」


「黙れ」


「命令か?」


ヴァルザは、ほんの少しだけ笑った。


本当に少しだけ。


「命令ではない」


赤い線が、ヴァルザの体を締め上げる。


ゼルギオが杖を上げた。


「制御不能。処分判断へ移行」


「処分」


リリアの声が硬くなる。


「またですか」


ゼルギオはリリアを見ない。


「役に立たない資源は廃棄する」


ヴァルザの足元に、赤い術式円が広がる。


危ない。


これは拘束ではない。


焼き切るやつだ。


「ガルムさん!」


リリアが叫ぶ。


俺は動いた。


赤い鎖がまだ胸に絡んでいる。


重い。


邪魔だ。


俺は鎖を腕に巻きつけたまま、前へ出た。


ゼルギオではなく、ヴァルザの方へ。


自分でも驚いた。


なぜそっちだ。


なぜ助けに行く。


こいつは俺を追放した男だぞ。


不要と言った男だぞ。


だが、赤い線に焼かれようとしている。


それが見えた。


見えたら、動いていた。


「来るな!」


ヴァルザが叫ぶ。


「命令じゃないなら聞かない」


俺はヴァルザの前に腕を入れた。


赤い術式円が爆ぜる。


熱い。


熱いというより、核の奥をこじ開けられるような嫌な感覚だ。


俺の腕の外殻が削れる。


石片が飛ぶ。


リリアの白い光が、すぐに赤い術式の端をほどく。


ドルムも医療鞄を落とし、散らばった布を掴んでリリアの手元へ押し出した。


布で何ができる。


分からない。


だが、ドルムは必死だった。


「ガルムさん、腕が!」


「まだついてる」


「そういう問題ではありません!」


「ついてるうちは使う」


「それも問題です!」


いいからほどけ。


と言おうとして、やめた。


リリアはもうやっている。


白い光が赤い術式を削る。


ドルムの青が、中枢の赤い命令を乱している。


ヴァルザは、俺の後ろで立っていた。


呆然と。


「なぜ」


また、なぜか。


だが今度の声は、前とは違った。


嫉妬ではない。


怒りでもない。


本当に、分からない声だった。


「知らん」


俺は言った。


「俺が一番聞きたい」


赤い術式円が消えた。


俺の腕から、石片が落ちる。


痛くはない。


だが、重い。


リリアの顔が青くなる。


「無茶はするな」


俺は先に言った。


「でも」


「腕はあとで直せる。たぶん」


「たぶんは禁止です」


「今だけ許可しろ」


リリアは唇を噛んだ。


それでも、深くは入らなかった。


危ないところで踏みとどまった。


ドルムがリリアの袖を掴んでいる。


さっきより強く。


「止める」


ドルムが言った。


「リリア……止める」


「はい」


リリアは小さく答えた。


ゼルギオの声が、中枢の奥から響く。


「旧式ガルム。理解不能行動増加。敵対対象ヴァルザを防御」


「理解しなくていい」


俺はヴァルザを後ろに押しやった。


「俺もしたくない」


ヴァルザがよろめく。


足元の赤い線は薄くなっている。


完全に消えたわけではない。


だが、動ける。


「ヴァルザ」


俺は言った。


「邪魔なら下がれ」


「命令するな」


「命令じゃない。提案だ」


ヴァルザは、ひどく嫌そうな顔をした。


その顔は、少しだけ昔のヴァルザに戻っていた。


偉そうで。


面倒で。


腹立たしい。


「……退く」


ヴァルザは言った。


「お前を認めたわけではない」


「しつこいな」


それだけ言って、ヴァルザは一歩下がった。


中枢の端へ。


赤い線がまた伸びかける。


だが、ドルムの青が通路全体に広がった瞬間、その線は少しだけ乱れた。


ヴァルザはその隙に、奥の非常通路らしき割れ目へ退いた。


退場としては、かなりみっともない。


だが、生きている。


それで十分なのかもしれない。


十分と言いたくはない。


腹立つから。


「ヴァルザ殿、離脱」


ゼルギオの声に、初めて明確な苛立ちが混じった。


「不要な変数が増えた」


「変数じゃない」


リリアが言った。


「人です」


その言葉に、ヴァルザの背中が一瞬だけ止まった。


振り返らなかった。


そのまま、赤い光の奥へ消えた。


ヴァルザの背中を、俺は追わなかった。


追う余裕がない。


追う理由も、まだ分からない。


ただ、さっきまで足元を縛っていた赤い線が、少しだけ弱くなっている。


ドルムの青が、通路のところどころに残っている。


リリアの白い光が、その青を道しるべにして進んでいる。


命令だけでできたこの場所に、命令ではないものが混ざり始めていた。


「ドルム」


俺は言った。


「今の青、維持できるか」


ドルムの核が揺れる。


「できる……少し」


「少しでいい」


ドルムは医療鞄を抱え直した。


「ここにいる」


もう一度、短く言った。


今度は誰も、訂正しなかった。

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