第23話 二十七号を雨宿りさせたら、なぜか俺の待機室が保護区になっていた
雨が降っていた。
細い雨だ。
強くはない。
だが、長い。
石の体に染みるわけではないが、見ているだけで気分が湿る。
こういう雨は、仕事を増やす。
屋根の確認。
荷物の移動。
濡れた床の掃除。
滑った兵士の治療。
そして今は、旧式ゴーレムの保護室の雨漏り確認まで増えた。
「俺の待機室だったはずなんだが」
俺は倉庫の入口で言った。
「今は保護室です」
リリアが当然のように返した。
「変化が早い」
「必要でしたから」
「必要という言葉は、契約書より強いな」
東門脇の石造り倉庫。
俺の専用待機室。
だった場所。
今は二十七号が横たえられ、騎士が交代で見張り、リリアが浄化の記録を取り、ドルムが医療鞄の横に座っている。
俺の休む場所はどこへ行った。
たぶん、雨に流された。
二十七号の核は、昨夜より少し落ち着いていた。
赤はまだ残っている。
青もまだ弱い。
だが、ゼルギオの再接続術式が強く動く様子はない。
倉庫の四隅には、アルダの部下が夜通し用意した術式札が貼られている。
外から伸びる赤い糸を、結界杭が弱めているらしい。
静かというだけで、安全ではない。
その辺りが、非常に腹立たしい。
「ガルム殿」
アルダが、濡れた外套を払ってやってきた。
「倉庫の周囲に追加の結界杭を打った」
「杭という言葉にいい思い出がない」
「今回は味方の杭だ」
「杭側の所属を信用するな。杭は杭だ」
アルダは少しだけ眉を動かした。
慣れてきている。
俺の扱いに慣れるな。
「ゼルギオの術式は、外から再接続する形だった。結界で赤い糸を弾けるはずだ」
「はず、か」
「絶対とは言えない」
「正直なのは美徳だが、安心にはならない」
「すまん」
謝るな。
謝罪はたいてい、次の仕事の前置きだ。
バルグは倉庫の外に立っていた。
雨の中である。
でかい影に雨粒が当たり、ぱらぱらと石の音を立てている。
屋根の下に入れと言ったが、入口が足りなかった。
「バルグ、濡れているぞ」
「問題なし。外殻耐水」
「そういう問題ではない」
「防衛維持」
「短く言えばいいと思うな」
バルグは黙った。
黙ったまま、倉庫の前に立っている。
門よりも頼りになる。
腹立たしい。
通行の邪魔でもある。
かなり腹立たしい。
ドルムは、倉庫の中で二十七号を見ていた。
医療鞄は横にある。
昨日の夜から、ずっとそこに置いている。
誰も命じていない。
誰も持てと言っていない。
それでも、ドルムは医療鞄のそばにいる。
リリアが使うものだと覚えたのかもしれない。
それとも、ただ自分が置いたものだから、そこにいるのかもしれない。
「ドルム」
俺が声をかけると、ドルムの核が小さく揺れた。
「待機……」
「命令待ちじゃない方の待機だな」
ドルムは少し黙った。
「見てる」
俺は返事に困った。
リリアも少し目を見開く。
「見てる、か」
「二十七号……赤……少ない」
「結界杭のおかげか」
「外……弱い」
ドルムの言葉はまだ途切れる。
でも、昨日より少しだけ長い。
命令ではない言葉が、少しずつ増えている。
俺はそれについて深く考えないことにした。
考えると、たぶん顔に出る。
石の顔でも、最近は油断ならない。
「見てるなら、異常があったら言え」
「異常……言う」
「リリアかアルダに言え」
ドルムの核が揺れる。
「ガルム……にも」
「俺を混ぜるな」
リリアが笑った。
やめろ。
いい話みたいにするな。
雨が少し強くなった。
倉庫の屋根を叩く音が増える。
二十七号の核が、小さく青くまたたいた。
赤ではない。
青だ。
俺は見た。
リリアも見た。
ドルムも見た。
全員が見たせいで、見なかったことにできなくなった。
「反応しました」
リリアが小さく言った。
「雨音にか」
「分かりません」
「雨が好きな旧式ゴーレムだったらどうする」
「いいと思います」
「いいのか」
「はい」
リリアは二十七号を見ていた。
「好きなものがあるなら、いいことです」
好きなもの。
旧式ゴーレムに。
そういう発想が自然に出るのが、リリアの怖いところだ。
ゼルギオなら価値と言う。
リリアは好きと言う。
どちらも相手を見ているはずなのに、まったく違う。
「ガルムさん」
「なんだ」
「二十七号さんは、雨を聞いているのかもしれません」
「核に耳はない」
「ガルムさんにも耳はありませんよね」
「ある気分で聞いている」
「なら、二十七号さんもそうかもしれません」
反論しづらい。
俺の身体構造でこちらを詰めるな。
倉庫の外から、子どもの声がした。
「でっかいゴーレム、まだいる!」
「いるな!」
「門よりでかい!」
「門と比べるな」
俺が外を見ると、雨具を着た子どもが二人、騎士に止められていた。
近くの家の子だろう。
手には、小さな籠を持っている。
騎士が困った顔でこちらを見る。
俺を見るな。
俺は旧式ゴーレム相談窓口ではない。
「何だ」
俺が聞くと、子どもの一人が籠を持ち上げた。
「お姉ちゃんが、これ持っていけって」
籠の中には布が入っていた。
古い布。
修繕済みの毛布。
たぶん、人間用だ。
二十七号には小さい。
かなり小さい。
「ゴーレムに毛布はいらん」
俺は言った。
子どもは眉を寄せた。
「でも、雨の日は寒い」
「石は寒くない」
「ガルムは?」
「寒くない」
「じゃあ、さびしい?」
俺は黙った。
質問の角度が急すぎる。
子どもは危険だ。
正面から来るとは限らない。
リリアが近づいて、膝を折った。
「ありがとう。使わせてもらいます」
「リリア」
「はい」
「本気か」
「はい」
リリアは籠から毛布を一枚取り、二十七号の欠けた肩の近くにそっと置いた。
かける、というより添える。
それだけだ。
二十七号の体を温めるわけではない。
石と金属の外殻には、たぶん意味がない。
でも、倉庫の空気が少し変わった。
雨の音の中で、毛布だけがやけに柔らかく見えた。
「意味があるのか」
俺は言った。
リリアは二十七号を見たまま答える。
「分かりません」
「分からないのにやるのか」
「分からないから、やります」
「強いな、その理屈」
子どもたちは倉庫の中をのぞこうとする。
騎士が止める。
止めるのは正しい。
「この子、名前ないの?」
子どもが聞いた。
俺は反射的に答えた。
「ない」
「なんで?」
「俺に聞くな」
「じゃあ、つけるの?」
「つけない」
リリアがこちらを見る。
見るな。
俺は間違っていない。
子どもは二十七号をじっと見た。
「石みたい」
「ゴーレムだからな」
「じゃあ、ロック?」
俺は固まった。
リリアも固まった。
ドルムの核が、小さく揺れた。
バルグの青い光まで、外で少し強くなった気がした。
やめろ。
全員で反応するな。
「安直すぎる」
俺は即答した。
「石だからロック。発想が一直線すぎる。危険だ。そういう名前は、一度口に出すと残る」
「でも、わかりやすいよ」
「わかりやすい名前ほど危ない。呼びやすいからだ」
子どもに言っているのか、自分に言っているのか分からなくなった。
かなり危険だ。
「ガルムはガルムでしょ」
子どもに即答された。
やめろ。
まっすぐ投げるな。
避けづらい。
リリアが口元を押さえている。
笑うな。
いや、少し笑っている。
「ガルムさん」
「言うな」
「何も」
「その顔で何も言うな」
リリアが、子どもたちに毛布の礼を言う。
騎士が二人を家まで送ることになった。
子どもたちは帰り際、倉庫の方へ手を振った。
「ばいばい、ロック!」
「だから決定するな!」
雨の中に声が消える。
倉庫の中は、しばらく静かだった。
静かすぎた。
二十七号の核が、青く一度だけまたたいた。
「……反応したな」
アルダが言った。
「雨だ」
俺は言った。
今度は一度だけだ。
一度で十分だ。
誰もすぐには反論しなかった。
それが腹立たしい。
リリアは、二十七号のそばに置かれた毛布を整えていた。
「ロック」
小さく、そう言った。
俺は振り向いた。
「言うな」
「すみません。響きを確かめただけです」
「確かめるな。残る」
「はい」
その返事は、あまり安心できない。
でも、俺はこれ以上言わなかった。
言うと、その名前候補が倉庫の中にもっと残る気がした。
すでに残っている気もする。
かなりまずい。
ドルムが、二十七号を見ている。
言葉は出さない。
ただ、医療鞄を持つ手が、ほんの少しだけ二十七号の方へ向いた。
聞いていた。
それくらいは分かった。
「ガルムさん」
リリアが言った。
「名前を拒む理由、聞いてもいいですか」
「駄目だ」
「分かりました」
「引くのが早いな」
「今は、聞かない方がよさそうなので」
それは、それで困る。
聞かれないと、答えを用意しなくて済む。
済むはずなのに、胸の奥に残る。
雨音が強くなる。
俺は倉庫の入口から外を見た。
雨の向こうに、砦の灯りがぼんやり滲んでいる。
第七城門の雨も、こんな音だった。
誰かがいた。
名前は知らない。
いつの間にかいなくなった。
知らないままなら、ただ消えた旧式で済む。
名前があったら、たぶん済まなかった。
その辺りの説明は、今日はしない。
説明すると、また名前候補が強くなる。
リリアも、今は聞かなかった。
それでいい。
たぶん。
リリアは毛布から手を離した。
「今日は、雨宿りですね」
「誰の」
「二十七号さんの」
「ゴーレムが雨宿りか」
「ガルムさんも、雨宿りしますよね」
「俺は屋根の下にいるだけだ」
「それを雨宿りと言います」
「定義で追い込むな」
リリアは少しだけ笑った。
今度は、無理に明るくする笑いではなかった。
静かな笑いだった。
「ガルムさんは、二十七号さんが壊れたら困るんですね」
「困る」
俺は即答した。
自分で驚いた。
リリアも少し驚いていた。
俺は慌てて続ける。
「俺の待機室で壊れられると、後処理が大変だからだ」
「はい」
「そこは少し疑え」
リリアはまた少し笑った。
ドルムの核が、青く小さく灯る。
二十七号の核も、それに遅れてかすかに揺れた。
赤ではなく、青寄りに。
雨音が倉庫を包む。
外ではバルグが雨に打たれながら立っている。
子どもが置いていった毛布は、二十七号の肩の近くで濡れずにいる。
休憩室としては、もう完全に失格だった。
だが、雨宿りの場所としては悪くない。
俺は入口に立ったまま、半分開けた扉を少しだけ広げた。
外の雨音が、倉庫の中へ入ってくる。
二十七号の核が、一度だけ青くまたたいた。
「雨だ」
俺は言った。
リリアも、アルダも、ドルムも、誰も反論しなかった。
それが一番、腹立たしかった。




