第12話 魔王軍四天王の最強魔法、俺に当たった瞬間なぜか跳ね返る
「ガルムさん、手の傷はどうですか?」
「見た目より精神的に痛い」
「精神的に?」
「今まで何を食らっても無傷だったのに、急に傷がついた。職場の安全神話が崩れた感じだ」
「職場……」
朝の砦。
俺は中庭の石材に座り、リリアに手の傷を見てもらっていた。
傷といっても、細い線が残っているだけだ。
昨日、四天王の刺客が持っていた対オリハルコン用の槍。
あれが俺の装甲を削った。
浅い。
だが、確かに削れた。
つまり、俺は壊れないわけではない。
傷つく。
もしかすると、砕ける。
その事実は、思ったより重かった。
「無理はしないでくださいね」
「もちろんだ。俺は無理をしないゴーレムだ」
「でも、昨日も前に出ました」
「聖女の後ろに隠れるのは絵面が悪い」
「私は、隠れてもいいと言いました」
「言われると余計に隠れづらい」
リリアは困ったように笑った。
その顔を見ると、胸の核が鳴る。
もう故障とは言いづらい。
だが、認めるのも癪だ。
そこへ、アルダが足早にやってきた。
顔色が悪い。
つまり、悪い報告だ。
「ガルム殿」
「殿はもう諦めつつあるが、悪い話なら帰ってくれ」
「魔王軍四天王が動いた」
「帰る」
俺は立ち上がった。
「今すぐ荒野に帰る。探さないでくれ」
「ガルムさん」
リリアが名前を呼ぶ。
俺の足が止まった。
なぜ止まる。
俺の足なのに。
騎士団長は地図を広げた。
「四天王ザリウス。大魔導士だ。魔王軍でも最大級の魔法火力を持つ」
「魔法火力」
「過去には小国の城壁を一撃で消し飛ばしたという記録もある」
「規模がもう、職場の範疇じゃないだろ」
「目標は、おそらくエルド門街とこの砦だ」
中庭が静まり返った。
エルド門街。
俺を守護神様などと呼び始めた街。
避難民がいて、騎士がいて、子どもたちがいる。
俺の木彫り人形まで作った連中がいる。
「なんで街を狙う」
俺は低く言った。
アルダが答える。
「ガルム殿を倒すためだ。あなたは守るものがあると前に出る。なら、守るものごと攻撃する」
「性格が悪い」
「魔王軍四天王だ」
「最悪だな、元職場」
俺は手の傷を見た。
対オリハルコン装備で、すでに傷がつく。
四天王の大魔法。
街を消すほどの魔法。
それを受けたら、どうなる。
知らない。
知りたくもない。
逃げたい。
本気で。
だが、リリアが隣に立っている。
アルダが俺を見ている。
街の方角から、避難民の声が聞こえる。
逃げ道がない。
いや、道はある。
俺が選べないだけだ。
「……あー、もう」
俺は頭をかいた。
石がごり、と鳴る。
「様子見だ。あくまで様子見。四天王を見学するだけだ」
「ありがとうございます」
「礼を言うな。まだ何もしてない」
リリアは静かに微笑んだ。
◇
その日の夕方。
エルド門街の空は、異様な紫に染まっていた。
雲ではない。
魔力だ。
街の人々は城壁の内側に避難し、騎士たちは門の前に並んでいる。
俺は街門の正面に立っていた。
背後には街。
横にはリリア。
前方には荒野。
そして、その向こうに一人の男が立っていた。
黒紫の長衣。
白い髪。
痩せた顔。
底の見えない紫の瞳。
魔王軍四天王、大魔導士ザリウス。
彼の周囲には兵士がいない。
必要ないのだろう。
一人で街を消せるから。
「お前がガルムか」
ザリウスの声は静かだった。
それが逆に怖い。
「人違いです」
「虹色の装甲を持つ旧式ゴーレムが他にいるとは聞いていない」
「このやり取り、そろそろ禁止にしないか?」
ザリウスは薄く笑った。
「ヴァルザから聞いている。口の減らない旧式だと」
「あいつ、俺の良いところを何も報告してないな」
「良いところ?」
「燃費がいい」
「なるほど。それは兵器として優秀だ」
「兵器扱いするな。元無職だ」
ザリウスの視線が、俺の背後へ向いた。
街。
リリア。
騎士たち。
避難民。
「守るものを得た神鉱守護兵か。興味深い」
「興味を持つな。帰れ」
「帰る理由がない」
「俺には逃げる理由が山ほどある」
「なら逃げればいい」
ザリウスは空へ手を掲げた。
紫の魔力が渦を巻く。
空全体が、ひび割れたように光った。
「逃げれば、この街を消す」
リリアが息をのむ。
騎士たちが剣を握り直す。
街の中から、子どもの泣き声が聞こえた。
俺は空を見上げた。
巨大な魔法陣。
街全体を覆うほどの大きさ。
「やめろ」
俺は言った。
「その規模は、さすがに苦情窓口では済まない」
「安心しろ。苦情を言う者も残らん」
「笑えない冗談だな」
「冗談ではない」
ザリウスの手が下がる。
魔法陣から、紫黒の光が降り始めた。
まだ発動前。
だが、圧だけで地面が震える。
騎士団長が叫ぶ。
「全員、結界準備!」
リリアが前に出る。
「私が街を守ります」
「待て」
俺はリリアの前に立った。
「ガルムさん」
「お前の結界で足りるのか」
「……分かりません」
「正直だな」
「でも、やります」
「だろうな」
俺は空を見上げた。
逃げたい。
怖い。
痛いのは嫌だ。
壊れるのも嫌だ。
俺はただの旧式で、石くずで、元門番で、退職金未払いの被害者だ。
街を背負うような器ではない。
守護神なんて呼ばれる筋合いもない。
だが。
背後から、あの男の子の声が聞こえた。
「守護神様……」
やめろ。
その呼び方は重い。
重すぎる。
でも、俺は振り返らなかった。
振り返ったら、たぶん逃げられなくなる。
もう十分、逃げられていないが。
「あー、もう、ったく」
俺は一歩前に出た。
「リリア」
「はい」
「後ろ、頼む」
リリアの目が少しだけ見開かれた。
俺は言ってから慌てて付け足す。
「いや、街の避難誘導とか、結界の補助とか、そういう業務的な意味で」
「はい」
「変な意味に取るなよ」
「はい」
「信じるな」
リリアは笑った。
こんな時に笑うな。
核が鳴る。
だが、その音は不思議と嫌ではなかった。
俺は両足を地面に沈めるように踏ん張った。
足元に虹色の光が広がる。
守護領域。
街門から、城壁へ。
さらに街全体へ。
今までより広い。
重い。
胸の核が軋む。
「広がるな……いや、広がれ。どっちだよ、くそ」
ザリウスが目を細めた。
「街全体を覆うか。見事だ」
「褒めるな。責任が増える」
「だが、足りん」
ザリウスが手を振り下ろした。
「滅べ」
紫黒の光が落ちた。
それは雷でも火球でもなかった。
空そのものが崩れてくるような魔法。
城壁が軋む。
地面が割れる。
リリアの白い結界が街の内側で輝き、俺の虹色の守護領域と重なる。
直後。
大魔法が俺に直撃した。
「ぐっ……!」
初めて、明確に重いと思った。
痛いとは違う。
体の内側から押し潰されるような感覚。
オリハルコン装甲が唸る。
石の外殻が次々に剥がれ落ちる。
足元の地面が砕け、膝まで沈む。
「ガルムさん!」
「来るな!」
俺は叫んだ。
来たら巻き込まれる。
ザリウスの魔法は、俺を通して街ごと潰そうとしている。
守護領域がきしむ。
虹色の光に、ひびが入る。
騎士たちの声。
民の悲鳴。
リリアの祈り。
全部が遠く聞こえた。
「なるほど」
ザリウスの声が降ってくる。
「神鉱でも耐えるのが精一杯か」
「解説するな……!」
「そのまま砕けろ。守るものと共に」
「嫌だ」
俺は歯を食いしばる、という動作ができない。
口がないからだ。
だから、核で踏ん張るしかない。
意味は分からないが、そういう感じだ。
「俺は……」
何を言う。
俺は守護神ではない。
英雄でもない。
正義の味方でもない。
ただの旧式ゴーレムだ。
でも。
この街には、俺を怖がりながらも礼を言った人間がいる。
俺の木彫り人形を作った子どもがいる。
俺を名前で呼ぶリリアがいる。
俺が逃げてもいいと言いながら、戻る場所でいようとする聖女がいる。
なら。
「俺は、ここを」
胸の核が大きく鳴った。
もう故障ではない。
たぶん。
「ここを、今は、退かん!」
言葉にした瞬間、守護領域の光が強くなった。
街全体を覆っていた虹色のひびが、ゆっくり塞がっていく。
リリアの結界が、その内側から白く支える。
紫黒の魔法が、俺の胸の装甲に集中する。
重い。
砕けそうだ。
だが、次の瞬間。
胸のオリハルコンが、今までにないほど強く輝いた。
「……え」
俺は自分の胸を見下ろした。
魔法の光が、沈むのではなく、曲がっている。
俺の胸で。
ぐにゃりと。
来た方向へ。
「まずい」
ザリウスの顔が初めて変わった。
「反射だと?」
「俺も今気づいた!」
紫黒の大魔法が、虹色の光をまとって反転した。
街を消すために落ちてきた魔法が、今度は空へ向かって昇る。
ザリウスが即座に結界を張った。
何層もの黒い魔法障壁。
だが、反射された大魔法はそれを次々に砕いていく。
「馬鹿な……私の最強魔法が!」
「だから撃つなと言っただろ!」
俺は叫んだ。
魔法はザリウスを飲み込んだ。
轟音。
紫と虹色の光が荒野を覆う。
風が街門まで吹き荒れ、騎士たちが盾を構える。
やがて、光が消えた。
荒野には巨大な焦げ跡が残っていた。
ザリウスは膝をついている。
長衣は破れ、片腕が焼け焦げ、顔には信じられないという表情が浮かんでいた。
「ありえん……」
彼は呟いた。
「私の最強魔法が、跳ね返っただと……?」
「俺のせいみたいに言うな」
俺は地面に膝をついた。
膝から崩れたとも言う。
全身が重い。
石の外殻はかなり剥がれた。
オリハルコン装甲にも、細い傷がいくつも走っている。
だが、街は残っている。
リリアも。
騎士たちも。
人々も。
ザリウスは立ち上がろうとした。
だが、できなかった。
反射された自分の魔法で、完全に魔力を削られている。
彼は俺を睨む。
「神鉱守護兵……人間などを守って、何になる」
「知らん」
俺は息を吐くように言った。
「俺も知らん。ただ」
背後からリリアが駆け寄ってくる気配がある。
俺は振り返らない。
格好つけているわけではない。
振り返る体力がない。
「今は、ここが俺の持ち場だ」
ザリウスの目が細くなる。
「持ち場……だと」
「そうだ。だから通すな。守れ。三百年、それしかやってこなかった」
俺は少しだけ笑った気がした。
顔はないが。
「職務経験が活きたな」
ザリウスは何か言おうとして、咳き込んだ。
そこへ、遠くから魔王軍の影が現れる。
ザリウスの配下たちだ。
彼らは倒れた四天王を回収するため、慌てて駆け寄ってくる。
「ザリウス様!」
「撤退だ!」
「早く!」
ザリウスは最後まで俺を睨んでいた。
「ガルム……次は」
「次を作るな」
俺は即座に言った。
「元職場の再訪問が多すぎる」
ザリウスは配下に支えられ、荒野の向こうへ退いていった。
魔王軍四天王の襲撃は、終わった。
◇
静寂が戻った。
街門の前には、膝をついた俺。
その背後には、無傷の街。
しばらく誰も声を出さなかった。
やがて、騎士団長が剣を掲げた。
「街は守られた!」
歓声が爆発した。
城壁の上から。
街の中から。
避難民たちから。
「ガルム殿!」
「守護神様!」
「聖女様の守護神だ!」
「だから神は重いと……」
言い返そうとしたが、声が小さくなった。
疲れた。
かなり疲れた。
リリアが俺の前に膝をついた。
「ガルムさん!」
「大丈夫だ」
「本当ですか?」
「たぶん」
「たぶんですか!」
「仕様が分からん」
リリアは泣きそうな顔で、俺の傷ついた手を取った。
白い光が広がる。
治すというより、包む光。
「ガルムさん、怖かったですか」
「怖かった」
今度はすぐに言えた。
「逃げたかった」
「はい」
「でも、逃げなかった」
「はい」
「……褒めるなよ」
リリアは少し涙目で笑った。
「はい」
「泣くな」
「泣いていません」
「声が泣いてる」
「ガルムさんの真似です」
「似てない」
リリアは笑った。
その笑顔を見て、核が静かに鳴る。
もう故障とは呼ばない。
少なくとも、今だけは。
「リリア」
「はい」
「俺は、ここにいてもいいんだよな」
リリアは、今度もすぐに答えた。
「はい。いてください」
俺は目の光をそらした。
「……責任が重い」
「少しずつで大丈夫です」
「それ、便利すぎるだろ」
リリアは笑った。
街の人々が俺を見ている。
怖がる目は、もうほとんどなかった。
完全に信頼されたわけではないかもしれない。
だが、少なくとも今。
この街の人々は、俺を魔王軍の兵器としてではなく、街を守った存在として見ていた。
逃げ道が、また一つ消えた。
だが、不思議と。
今日はそれが、そこまで嫌ではなかった。
◇
魔王城。
軍務室。
ヴァルザは、四天王ザリウス敗北の報告を聞いていた。
「ザリウス様は重傷。撤退。エルド門街および人間側砦は健在。ガルムは守護領域で街全体を防衛し、ザリウス様の最強魔法を反射したとのことです」
部屋の中は凍りついていた。
誰も口を開けない。
四天王が敗れた。
しかも、ヴァルザが石くずと呼んで捨てた旧式ゴーレムに。
「……馬鹿な」
ヴァルザは呟いた。
その声には、もう怒りよりも恐怖が濃かった。
若い参謀が、静かに言う。
「上層部への報告は避けられません」
「黙れ」
「もう隠せません」
「黙れ……」
「ガルムを追放した判断についても、問われることになります」
ヴァルザは机に手をついた。
視線の先には、古代文献の写し。
神鉱守護兵。
魔法反射。
守護領域。
すべて本物だった。
そして、それを人間側へ渡したのは、自分だ。
ヴァルザの顔から、血の気が引いていく。
窓の外では、魔王城第七城門がまた修理されていた。
かつてガルムが立っていた門が。
今にも泣き出しそうな軋みを上げていた。




