第11話 四天王の刺客が来たので逃げようとしたら、聖女の後ろに隠れられなかった
「ガルムさん、今日は少し早めに休んでください」
「その言い方は怖い」
「怖いですか?」
「早めに休めと言われる時は、だいたい翌日ひどい仕事が来る」
人間側の砦、その中庭。
俺はいつもの石材の上に座り、リリアに背中を磨かれていた。
元魔王軍第七城門防衛部隊所属、旧式ゴーレム、ガルム。
魔王軍を追放され、聖女リリアに拾われ、中身が伝説のオリハルコンだったことが判明し、最近では人間の街で守護神などと呼ばれ始めている。
重い。
何度考えても重い。
守護神という呼び名は、石の肩に乗せるには重すぎる。
「背中、だいぶ綺麗になりましたね」
「やめろ。背中に高級感が出ると落ち着かない」
「綺麗ですよ」
「褒めるな。核が鳴る」
「今日もですか?」
「最近は常時微振動だ」
リリアはくすりと笑った。
その笑い方をされると、さらに核が鳴る。
不具合の連鎖だ。
俺の目の前には、アルダが立っていた。
顔が険しい。
つまり、仕事の話だ。
「ガルム殿」
「殿で呼ばれると石の背筋が伸びるからやめろ」
「魔王軍に新たな動きがある」
「背筋の話を聞け」
騎士団長は地図を広げる。
「偵察によると、魔王軍四天王の一人が動き出した可能性がある」
「四天王」
俺は固まった。
魔王軍四天王。
魔王直属の最高戦力。
幹部より上。
グラゼルみたいな別働幹部ですらやばかったのに、その上。
もう労災とかいう段階ではない。
災害そのものだ。
「帰る」
「どこへですか?」
リリアが尋ねる。
「荒野」
「危ないですよ」
「ここにいる方が危ない!」
俺は立ち上がろうとした。
だが、リリアが背中を拭いている途中だったので、中途半端な姿勢で止まる。
「ガルムさん、まだ苔が」
「苔より命だ!」
「ゴーレムさんに命は」
「ある気がしてきたんだ最近!」
アルダが咳払いした。
「現時点で四天王本人がこちらへ向かっているわけではない。まずは刺客だ」
「刺客でも嫌だ」
「対オリハルコン装備を持っている可能性が高い」
「もっと嫌だ!」
俺は頭を抱えた。
魔王軍もついに学習したらしい。
魔導砲は反射される。
物理攻撃は折れる。
普通の暗殺者の剣も腹で折れる。
ならば、対オリハルコン装備。
発想としては正しい。
やめてほしい。
「ガルムさん」
リリアが静かに言う。
「無理はしないでください」
「もちろんだ。俺は無理をしない」
「でも、逃げるなら私たちも一緒に逃げます」
「え」
「ガルムさんだけを置いてはいきません」
「逆だ。俺だけが逃げる話をしている」
「それは困ります」
「だろうな!」
俺は石材に座り直した。
逃げ道がない。
いつもそうだ。
逃げようとすると、背後にリリアがいる。
街がある。
砦がある。
子どもたちが作った木彫り人形がある。
責任が物理的に退路を塞いでいる。
「……刺客って、いつ来るんだ」
「早ければ今夜だ」
「早いな!」
俺は空を見上げた。
夕暮れが砦の壁を赤く染めている。
嫌な予感しかしない。
◇
その夜。
砦は厳戒態勢に入っていた。
見張りは倍。
城壁には魔導灯。
リリアの結界が砦全体に薄く張られている。
俺はリリアの部屋の前に座っていた。
見張りである。
契約外労働である。
ただ、最近はこの場所に座るのが少しだけ当然になっている。
非常にまずい。
「慣れるな、俺」
小声でつぶやく。
廊下の向こうから、若い騎士がやってきた。
「ガルム殿、異常ありません」
「殿は異常だ」
「そこはもう諦めてください」
「諦めたら責任が確定する」
若い騎士は苦笑した。
以前は、俺を見るたびに剣に手をかけていた。
今は普通に報告してくる。
それはそれで落ち着かない。
「怖くないのか」
「何がです?」
「俺だ。元魔王軍のゴーレムだぞ」
「怖くない、と言えば嘘になります」
「正直だな」
「ですが、あなたは聖女様を守った。街も守った。ドルムも壊さず止めた」
「全部、結果的にだ」
「結果が大事な時もあります」
そう言って、若い騎士は軽く頭を下げて去っていった。
俺は少し黙る。
「……人間側、距離の詰め方がうまいな」
核に悪い。
その時だった。
廊下の魔導灯が、ふっと消えた。
闇。
次の瞬間、壁の影が伸びた。
いや、違う。
影そのものが、床から立ち上がった。
「来たか」
俺は立ち上がる。
影の中から現れたのは、細身の魔族だった。
顔の半分を黒い仮面で覆い、片手に細い槍を持っている。
槍の穂先は銀白色。
ただの金属ではない。
触れたくない感じがする。
「旧式ゴーレム、ガルム」
「人違いです」
「その虹色の装甲で?」
「最近このやり取りばかりだ」
刺客は槍を構えた。
「私は四天王ザリウス様の配下、影槍のメルガ。神鉱を穿つ槍を授かっている」
「神鉱を穿つ槍」
嫌な単語だ。
ものすごく嫌な単語だ。
「リリア、寝てるか?」
扉の向こうに小声で聞く。
「起きています」
「起きるな」
「もう起きています」
「寝ろ」
「無理です」
メルガの視線が扉へ向く。
「聖女リリアはそこか」
「あ、違う。今のは家具の声だ」
「苦しいな」
「分かってる」
メルガが床を蹴る。
速い。
前の暗殺者より速い。
槍が一直線に扉へ向かう。
俺は反射的に前へ出た。
「あー、もう、ったく!」
槍の穂先が俺の胸に当たった。
その瞬間。
きん、ではなかった。
ぎり、と嫌な音がした。
胸のオリハルコン装甲に、細い白い傷が走る。
オリハルコンに、傷が、入る。
「……傷?」
俺は固まった。
今まで魔導砲も斧も短剣も折れてきた。
俺には傷ひとつつかなかった。
だが今、胸に確かに傷がついている。
浅い。
ほんの少し。
だが、傷だ。
メルガが笑った。
「やはり通るか。対神鉱槍、効果あり」
「やめろ。効果を確認するな。商品レビューか」
リリアの扉が開いた。
「ガルムさん!」
「出るな!」
俺は叫んだ。
「今のはまずい。いつもの俺の腹ガードが信頼できない」
「でも、傷が」
「傷より、お前が狙われる方がまずい!」
言ってから、少し黙った。
今、かなり自然に言ったな。
自分で驚いた。
メルガはその隙を逃さない。
影のように横へ回り、リリアを狙う。
「対象、聖女。排除」
「魔王軍、命令文がいつも同じ!」
俺はリリアの前に滑り込む。
槍が肩をかすめる。
石の外殻が削れ、その下のオリハルコンにも薄い傷が走る。
「ぐっ」
「ガルムさん!」
「痛くはない!」
たぶん。
いや、痛いというより、嫌な感じだ。
核の奥が冷える。
壊れるかもしれないという感覚。
三百年、あまり感じたことのない恐怖。
俺は一歩下がる。
背後にリリア。
下がれない。
「なんで俺の退路は毎回聖女で封鎖されるんだ」
「すみません」
「謝るな。余計に退けない」
メルガが槍を回す。
「なるほど。聖女を狙えば、必ず前に出る」
「分析するな」
「守護兵の性質そのものだ」
「俺はただの元門番だ」
「ならば門の中身を狙えばいい」
メルガが窓を蹴破って外へ飛び出した。
俺は一瞬迷う。
追うべきか。
逃げるべきか。
扉の前で守るべきか。
次の瞬間、外から悲鳴が聞こえた。
街側だ。
砦の外に避難している民の区画。
「……最悪だ」
俺は走り出した。
「本当に最悪だ!」
◇
砦の外、避難民の仮設区画。
夜の闇の中、影がいくつも動いていた。
メルガ一人ではない。
黒い仮面をつけた刺客たちが、数人。
彼らは民を直接殺すためではなく、混乱を起こすために動いている。
テントを切り裂き、火を放ち、悲鳴を上げさせる。
狙いは明らかだ。
俺を引きずり出すこと。
そして、リリアを守る場所から離すこと。
「性格が悪い」
俺は走りながら言った。
「魔王軍、性格が悪い!」
テントの前で、子どもが転んでいた。
この前、俺を守護神様と呼んだ男の子だ。
刺客の一人が、その近くへ迫る。
殺す気はないのかもしれない。
だが、子どもから見れば十分すぎるほど怖い。
「あー、もう!」
俺は刺客と子どもの間に飛び込んだ。
短剣が俺の脇腹に当たる。
これは普通の刃だった。
きん、と折れる。
「お前のは折れるのか!」
俺は思わず叫んだ。
刺客がひるむ。
俺は子どもを背後にかばった。
「逃げろ!」
「守護神様……」
「今は呼び名の訂正をしている暇がない!」
子どもは母親に抱えられ、逃げていく。
その間に、メルガが背後から槍を突き出した。
反応が遅れた。
槍が俺の背中に当たる。
ぎり、と嫌な音。
浅い傷。
だが、確かに削られる。
「背中はやめろ! リリアが磨いたばかりだぞ!」
「余裕があるな」
「ない!」
メルガの連撃。
俺は避けるのが下手だ。
というより、守るものが多すぎて大きく動けない。
背後に民。
横に騎士。
少し離れてリリア。
退路は全部、守る対象で塞がっている。
「ガルムさん!」
リリアが結界を張る。
白い光が俺の周囲を包む。
メルガの槍が一瞬だけ弾かれた。
「聖女の結界か。邪魔だな」
メルガがリリアへ向かう。
やめろ。
そっちはやめろ。
俺の足元に、虹色の光が広がった。
守護領域。
だが、いつもより揺らいでいる。
対神鉱槍の傷が、集中を乱す。
メルガの槍が守護領域に触れる。
ぎぎ、と音を立てて、虹色の壁に穴が開く。
「通るのかよ!」
「この槍はそのためにある」
「説明どうも!」
俺は両手で槍の柄を掴んだ。
穂先が胸に近い。
嫌な音。
削れる。
だが、離せない。
離したらリリアに届く。
「ガルムさん、手が!」
リリアの声。
俺の指先のオリハルコンに、細い傷が走っている。
怖い。
正直、怖い。
今まで効かなかったものが効く。
それだけで、足元が崩れるような感覚がある。
俺は強いから前に出ていたわけではない。
効かないから、たまたま立っていられただけだ。
効くなら。
傷つくなら。
壊れるなら。
逃げたい。
本気で逃げたい。
だが。
「ガルムさん!」
リリアが俺の名前を呼ぶ。
それだけで、足が動かなくなる。
逃げる方へではなく。
前へ。
「……くそ」
俺は槍の柄を握りしめた。
「この職場、危険手当は出るんだろうな!」
力を込める。
柄が軋む。
メルガの目がわずかに開く。
「その槍は神鉱用の特別製だ。折れるはずが」
ばきん。
柄が折れた。
穂先は俺の手に残る。
メルガが初めて後退した。
「馬鹿な」
「俺もそう思う」
手には傷がある。
だが、槍の柄は折れている。
対オリハルコン装備でも、絶対ではないらしい。
いや、俺がやったのか。
よく分からない。
「やっぱり素材が悪い意味で反則だな!」
刺客たちが動揺する。
「メルガ様の槍が」
「神鉱槍が折れた?」
「撤退を」
「まだだ!」
メルガは折れた槍の穂先を投げ捨て、影の魔法を展開した。
地面から黒い鎖が伸びる。
狙いは俺ではない。
リリアだ。
「そっちは駄目だと言ってるだろ!」
俺は守護領域を広げた。
虹色の光が地面を走る。
黒い鎖が触れた瞬間、ばちん、と弾け飛ぶ。
同時に、俺の胸の傷が少し痛んだ気がした。
気のせいであってほしい。
リリアが俺の隣に駆け寄る。
「ガルムさん、もう大丈夫です。騎士の皆さんが民を避難させました」
「そうか」
「下がってください。傷が」
「下がる」
俺は即答した。
メルガが一瞬、警戒する。
俺も一歩下がる。
だが、下がった先にリリアがいた。
背中がリリアの前に来る。
「……配置がおかしい」
「何がですか?」
「下がったのに守ってる」
リリアは少しだけ笑った。
「ガルムさんらしいです」
「らしくない方向に行きたい」
メルガは周囲を見る。
民は避難済み。
騎士たちが集まりつつある。
刺客たちの混乱も大きい。
作戦は失敗だ。
「……今回は退く」
「二度と来るな」
「四天王ザリウス様は、貴様を危険な古代兵器と認めるだろう」
「認めなくていい」
「次は、ザリウス様ご自身が動く」
「本当にやめろ!」
メルガは影に沈む。
他の刺客たちも、煙のように夜へ消えていった。
砦の外には、火の消されたテントと、傷ついた地面と、俺の手に残った細い傷だけが残った。
◇
仮設区画の混乱が収まったのは、夜明け前だった。
幸い、民に大きな被害はなかった。
騎士たちが負傷者を運び、リリアが治療に回る。
俺は広場の端に座っていた。
手と胸と背中に、細い傷。
深くはない。
だが、初めてはっきり残った傷だ。
「ガルムさん」
リリアが隣に来た。
「治せるのか?」
「オリハルコンそのものは、私の治癒魔法では治せません。でも、浄化と保護ならできます」
「頼む」
言ってから、自分で驚いた。
いつもなら、やめろとか、修理費が怖いとか言うところだ。
だが、今は素直に頼んでいた。
リリアも少しだけ驚いた顔をして、それから優しくうなずいた。
「はい」
白い光が俺の手を包む。
傷は消えない。
だが、冷たい違和感が少し薄れる。
「痛みますか?」
「痛いというか、嫌な感じだ」
「怖かったですか?」
「……怖かった」
言ってしまった。
取り消そうかと思ったが、遅い。
リリアは笑わなかった。
ただ、俺の手にそっと布を当てる。
「それでも、前に出てくれました」
「出たくなかった」
「はい」
「本気で逃げたかった」
「はい」
「でも、お前の後ろには隠れられなかった」
リリアが手を止めた。
「どうしてですか?」
「……聖女の後ろにゴーレムが隠れてたら、絵面がひどい」
リリアは少しだけ笑った。
それから、静かに言った。
「私は、ガルムさんが隠れてもいいと思います」
「え」
「怖い時は、隠れてもいいです」
「……聖女の言葉とは思えないな」
「でも、ガルムさんはそれでも前に出てしまうので」
「出てしまう、か」
「はい」
リリアは俺の傷をそっと拭いた。
「だから、私はせめて、戻る場所でいたいです」
核が鳴った。
大きく。
だが、もう故障とは言いづらかった。
「……責任が重い」
「少しずつで大丈夫です」
「便利な言葉だな、それ」
俺は目の光をそらした。
遠くで、さっき助けた男の子が母親と一緒にこちらを見ている。
男の子は泣きそうな顔で手を振った。
俺は指を一本上げる。
男の子は少しだけ笑った。
「やってらんねえ……」
そう言いながら、俺は立ち上がらなかった。
リリアが手当てを終えるまで、そこにいた。
◇
魔王城の最上層。
黒い塔の一室で、影槍のメルガは片膝をついていた。
折れた神鉱槍の残骸が、床に置かれている。
その前に立つのは、黒紫の長衣をまとった男。
魔王軍四天王が一人。
大魔導士ザリウス。
白い髪。
痩せた顔。
底の見えない紫の瞳。
彼は折れた槍を見下ろし、静かに言った。
「対神鉱槍が折れたか」
「申し訳ありません」
「責めてはいない。興味深い」
ザリウスは細い指で槍の断面に触れる。
「傷はつけたのだな」
「はい。浅くはありますが、オリハルコン装甲に傷を」
「ならば完全ではない。攻略は可能だ」
部屋の隅には、ヴァルザが立っていた。
顔色は悪い。
だが、ザリウスの前では口を挟めない。
ザリウスは古代文献の写しを手に取る。
「神鉱守護兵ガルム。外装に偽装され、三百年の長期防衛任務に従事。防衛対象を認識すると、命令なしに守護行動を開始する」
彼は薄く笑った。
「なるほど。守るものがあるほど強くなる兵器か」
ヴァルザが低く言う。
「ザリウス様。ガルムは本来、魔王軍の」
「捨てたのだろう?」
ヴァルザの顔が凍る。
ザリウスは笑みを消さずに続けた。
「ならば、今は人間どもの守護兵だ」
「……」
「そして、守護兵を倒す最も簡単な方法は、守る対象ごと消すことだ」
部屋の空気が冷たくなる。
ザリウスは窓の外、人間領の方角を見た。
「次は私が行く」
その声は静かだった。
だからこそ、恐ろしかった。
「聖女も、街も、砦も。まとめて消し飛ばしてやろう」
ヴァルザは何も言えなかった。
自分が捨てた石くずを取り戻せなかったせいで。
今度は、四天王本人が動き出す。
そしてその刃は、ガルムではなく。
ガルムが守ろうとするものへ向けられようとしていた。




