15 届いたしるし
誰かのために書かれた物語は、きっと、その誰かのもとへ届きます。
たとえ、遠回りをしたとしても。
花吉の絵に水絵が文を清書して――。
「猫又双紙」は、草双紙の形になった。
完成した翌日の夕方、礼次を呼び止める。
呼び止められた理由を察したのか、礼次は期待と不安が綯い交ぜになった表情で、水絵たちの前に座った。
風呂敷に包まれたそれをそっと差し出すと、礼次は震える手で包みをほどいた。
「――かわいい……」
礼次が最初に発した言葉はそれだった。
それくらい、花吉が描いた猫は、生き生きと――そして、愛らしかった。
「ありがとうございました」
頭を下げて、風呂敷を包み直している礼次に、鏡之介が言う。
「ここで、先に読んでいってもいいんだぜ?」
すると、礼次はゆっくりと首を横に振った。
「家で……るいと一緒に読みます」
「猫又双紙」を大事そうに抱えた礼次の後ろ姿が見えなくなると、水絵は思わず座り込んでしまった。
ここひと月ほどの張り詰めたものが、一気にとけたような気分だった。
「さすがに、疲れたか?」
隣にしゃがみ込んだ鏡之介が、水絵の顔をのぞき込んでくる。
「ええ。でも……心配です。るいちゃん、気に入ってくれるといいんですけど」
すると、鏡之介は、ちょっとだけ声を上げて笑った。
「なんですか? 何が可笑しいんです?」
水絵がむっとすると、鏡之介は照れくさそうに笑った。
「いや、今さらだが……。よく、あんな話を考えつくもんだと思ってな。おまえの頭の中は、どうなっているんだろうな」
「……それって、褒め言葉と受け取っていいんですか?」
鏡之介はそれには答えず、ただ苦笑して水絵から目を逸らした。
水絵の戯作「猫又双紙」の話は――。
天から、江戸の町を見下ろしていた仏様は、寺子屋で手習いに精を出している子どもたちに、何か褒美を与えたいと思し召した。
そこで、天の遣いの見習いを、現世に送り出すことにする。
見習いたちは、いろいろなものに姿を変えて、現世に降りる。
犬、鳥、金魚、花や虫、そして猫。
現世に降りた天の遣いだが、まだ見習いでしかないから、いろいろ失敗したり、とんちんかんなことをしたり……で、寺子屋はどこも大騒ぎ。
それでも、なんとか役目を果たし、見習いたちはそれぞれ天に帰って行く。
そんな中、巣鴨にある寺子屋に降りた見習いは、黒猫に姿を変える。近くに住む三毛猫が産気づいたのを幸いに、その子猫の中に紛れ込んで、この世に生を受ける。
しかし、母猫は高齢な上に、兄弟も多い。どちらも命が危ないと知った見習いは、そこで自分の力を使ってしまう。
おかげで、母猫も無事、兄弟たちも元気に産声を上げるのだが――。
肝心の自分は、一番小さく弱々しい身体になってしまう。
さらに、ほとんどの力を使ってしまったから、寺子たちに与えるはずの幸も減ってしまう。
自分は、なんのために現世に降りたのだろうと、悩む黒猫。
けれども、そんな黒猫を寺子たちは見捨てない。とてもかわいがってくれ、引き取り手がいないと知れば、心優しい娘が、親を説得して引き取ってくれる。
黒猫は、その娘の家で幸せに暮らしていたが、もともとは天の遣い。現世にいられる時は短い。
現世での生を終えた黒猫に、寺子たちはたくさんの贈り物をくれる。
一緒に遊んだ鞠、狗尾草、小茄子に折り鶴、木天蓼の木。
贈り物を両手いっぱいに抱え、黒猫は、天に帰る。
黒猫が天に召されても、母猫の三毛猫は悲しまない。三毛猫は知っていたから。黒猫が天の遣いであることを。現世での生を終えても、天では、仏様のそばで幸せに暮らしていることを。
天に帰った黒猫は、仏様に言う。
「私は、寺子たちに、何もしてあげられませんでした」
すると、仏様は優しく、黒猫が抱えてきた贈り物を指す。
「ちゃんと、役目を果たしましたよ。それがその証です」
――翌朝。
少し早い時刻に、泣きはらした目をした礼次は姿を現した。
その顔を見て、水絵はどきっとして訊いた。
「『猫又双紙』、るいちゃんの気に入らなかった?」
すると、礼次ははっと目を見開き、ぶんぶんと首を横に振った。
「るい、何度も何度もあの草双紙を読んで、読むたびに大泣きして……でも、泣きやんだ後、おっかさんに言ったんです」
「――お腹がすいた。ごはんにして」
「るい、飯を食いながら、言ったんです。ちゃんとご飯食べて元気にしてないと、天で見ているクロが悲しむって」
そのるいの言葉を聞いて、両親も礼次も、同じように大泣きしたそうだ。そして、その夜、るいは「猫又双紙」を抱えながら眠ったという。
「……よかった……」
思わずつぶやくと、すぐ後ろに来ていた鏡之介が言った。
「ちゃんと、るいに届いたな」
礼次は、ふたりにきっちりと頭を下げた。
「るいのために、ありがとうございました」
「俺はなんにもしてねえよ。礼は、水絵と、花吉さんに言うんだな」
鏡之介はそう言うと、奥に引っ込んでしまった。
るいは、明日から寺子屋に来ることになっている……と、礼次が言った。
「ほんとは今日から来たかったんですけど、昨日泣きすぎて、目が腫れていて恥ずかしいからって。そんなの、おれも同じなのに、『兄ちゃんは行って、水絵姉ちゃんにお礼を言って』なんて……」
まったく我が儘なんだから、などと言いながら、礼次の顔は晴れやかだった。
そして、その翌日。
るいは、寺子屋にやってきた――「猫又双紙」を胸に抱えて。
物語は、読み終えたあとも終わりません。
誰かの胸の中で、そっと息をし続けます。
るいが抱えていた一冊も、きっと――そうして生きていくのでしょう。




