14 心を揺らすもの
書いたものが、誰かに届くのかどうか。
それは、書き手にとっていちばん分からないことです。
笑ってもらえた。けれど――泣かれたら、それは何を意味するのでしょうか。
「絵か……」
「絵、ですね」
水絵と鏡之介は、同時に声を上げた。
「そいつぁ、気づかなかったな」
「わたしも……話を考えるのに精一杯でした」
ふたり同時にため息を吐いたのを見て、誠太郎が慌てた。
「申しわけありません。余計なことを言いましたか?」
「いやいや、言ってくれて助かった」
「本当に。絵のない草双紙なんて、妙な物をこしらえてしまうところだったわ」
真顔で言った水絵に、誠太郎がぷっと吹き出した。
「……すみません。絵のない草双紙を思い浮かべたら、おかしくて」
まったく、誠太郎といい鏡之介といい、なんで人が真面目に話しているのに、笑うんだろう……と、少し不満に思ったが、今はそれどころではない。
「……とにかく、絵よね」
水絵は反古紙と筆を持ってくる。
「猫又だけど、この猫又は恐ろしくないから、かわいい猫を描けばいいのよね」
ミケやクロを思い浮かべながら、筆を走らせる。
「出来た! どう?」
できあがった絵を鏡之介と誠太郎に見せると、ふたりは微妙な表情で、顔を見合わせている。
「誠太郎、これは、なんに見える?」
「ねえさまが猫だとおっしゃっていたので……」
猫なんでしょう……と続くはずだった言葉は、鏡之介に遮られた。
「気を遣うことはねえ。思ったままを言ってみろ」
誠太郎は、かなり長い間ためらっていたが……。
「ええと……串のない串団子……に見えます」
と、小さい声で言った。
すると、鏡之介がははっと笑った。
「確かに、串団子だ。さすが、うまいことを言うな」
褒められて安心したのか、誠太郎はさっきよりはっきりした声で、
「鏡之介先生にはどう見えたんですか?」
などと訊く。
「溶けかけの雪だるま……だな」
今度は、誠太郎が声を上げて笑った。
「それもいいですね。この傾いているところが、溶けかけって感じで」
ふたりは楽しげに笑い合っていたが、水絵が凄みのある目で睨みつけているのに気づき、慌てて口を閉じた。
「あ、いや、人には得手不得手というものがあってだな……」
もごもごと言い訳をする鏡之介を、もう一度睨んでから、水絵は言った。
「はいはい。どうせわたしは、串団子か雪だるましか描けませんよ。絵はふたりに任せます」
反古紙と筆をふたりに向かって差し出すと、誠太郎が、うろたえた。
「私は無理です! 私の絵は、ねえさまと似たり寄ったりで……」
そう言ってしまってから、水絵の悪口にもなっていることに気づいたのか、なおさらうろたえる。
そんな誠太郎の様子を面白そうに眺めていた鏡之介は、
「似た者姉弟ってわけか、しょうがねえな」
と言いながら、反古紙と筆を受け取った。
「描けるんですか?」
尋ねながら、水絵は鏡之介が描いた見事な七宝模様を思い出していた。坑の図面も引いたと言っていたから、絵心はあるのかもしれない。
水絵の時よりは、多少時間をかけて、鏡之介の絵は出来上がった。
「ほら、ちゃんと猫だろう?」
と、自慢げに見せたが……。
「……猫……ですね」
まず、誠太郎が口を開く。
「確かに、立派な猫ですね。まるで、本草書の図みたいな」
水絵にしては皮肉っぽい口調に、鏡之介がむっとする。
「正しいに超したことはないだろう。串団子よりはましだ」
「可愛げがないって言ってるんです。これは草双紙で、禽獣の図じゃないんですから」
睨み合ったふたりの間に、おろおろとしながらも誠太郎が割り入る。
「あ、あの……ほかに、どなたか、絵の上手な方はいらっしゃらないのでしょうか? 愛嬌のある猫の絵を描ける方が……」
――愛嬌のある猫の絵。
その言葉が、水絵にある絵を思い出させた。
「千代ちゃん!」
思わず叫ぶと、鏡之介が眉をひそめた。
「千代? そんなに絵がうまかったか?」
「そうじゃありません! 千代ちゃんが持ってたでしょう? かわいい猫の絵」
「花吉か!」
鏡之介が、ぽんっと膝を叩いた。
猫が飼えない代わりにと、花吉が千代に描いてやった猫の絵。どれもコロコロと愛らしい姿だった。
花吉なら、事情を話せば、きっと手伝ってくれるだろう。
「わたし、今日にでも、花吉さんに頼んでみます」
水絵が言うと、鏡之介も誠太郎も、ほっとしたように息を吐いた。
――翌日。
手習いが終わる頃、花吉が眞性寺にやってきた。
「忙しいのに、無理なことを頼んじゃって、ごめんなさい」
水絵が頭を下げると、花吉は、とんでもないというように手を振った。
「祖父ちゃんにも言われてるんです。鏡之介先生や水絵さんにはいろいろ世話になったんだから、恩返しをして来いって」
「恩返しされるようなことはしてねえが、まあ、よろしく頼む」
鏡之介はそう答えて、反古紙の束を差し出した。
「読ませてもらいます」
ひとつ頭を下げて、花吉が水絵の戯作を読む。
水絵は、落ち着かない気持ちでそれを見守った。三人目なのに慣れないな……と、感じながら。
花吉は真剣に読んでいたが、鏡之介や誠太郎のように笑みを見せない。
もしかして、つまらない? 心配になって来た時、花吉の紙を繰る手が止まった。ドキッとして、花吉の顔を見る。すると……。
花吉の目からポロリと涙が落ちた。
その涙を拭いもせず続きを読み始めたが、花吉の涙は止まる様子がない。読み終わる頃には、涙でぐしゃぐしゃな顔になっていた。
どう考えていいか分からず、水絵は救いを求めるように鏡之介の顔を見る。
すると、鏡之介が囁いた。
「昨日、誠太郎は笑って、今日、花吉は泣いた。つまりな、おまえの戯作には、人の心を揺さぶる力があるってことだ」
今度は、はっきり分かった。
――これは、褒め言葉だ。
花吉は、反古紙の束を床にそっと置いた。
「……すみません」
涙声で言いながら、盛大に鼻をかむ。
「とても……いい話ですね。思い出してしまったんです。クロが亡くなった時、千代も大泣きして、見ている私も辛かった。今は、るいちゃんのことを気にかけて、元気がありません」
でも……と、花吉は顔を上げた。
「この話を読んだら、きっと千代も喜びます」
それから十日間、花吉は真性寺に通い詰め、何枚もの絵を描いてくれた。
涙は、ときに言葉よりも雄弁です。
花吉の流した涙は、水絵の物語が「届いた」証でした。
その意味を、彼女は少しずつ知っていくことになります。




