13 水絵の戯作
物語は、書くだけでは終わらない。
誰かに読まれて、はじめて形になる。
その最初の読者が、どんな顔をするのか――
それは、書き手にとって一番の試しでもある。
「水絵姉ちゃん、目が赤いぜ。また夜更かししたのか?」
妙に鋭い新吉が言う。
「けど、変だなぁ。鏡之介先生、算題なんか出してないのに」
新吉は、一年以上も前のことを持ち出す。
あの時は、礼次に負けたくない一心で、鏡之介が出した算題を夜更かしして解いていたものだ。
でも、今は――。
なんと言い訳しようかと考えていたら、
「おっかさんの仕立ての手伝いがあったんじゃないの?」
と、礼次が助け船を出してくれた。
水絵が、新しい猫又物語を書いていることを知っているのは、鏡之介と祐光師以外では礼次だけ。
るいを心配する礼次にだけは、そのことを話してある。
何日も夜なべして書いた猫又物語は、昨夜ようやくまとまった。鏡之介に読んでもらうために清書していたら、明け方近くになってしまったのだ。
だが、寺子たちにはまだ言えない。だから、水絵は、
「ちょっとね、急ぎの仕立てがあったから」
と、礼次の助け船に乗せてもらった。
「なあんだ、そうか」
と、新吉は素直に信じた。……が、
「そうだよなぁ。水絵姉ちゃん、算法では、もう礼次には叶わないもんなあ」
などと憎まれ口をきくのは忘れない。水絵が、言いかえそうと口を開きかけた時、礼次が再び助け船を出してくれた。
「新吉は? 九九は全部言えるようになった?」
「うぅ……それを言うなよぉ」
頭を抱えた新吉は、逃げるように本堂に入り、礼次も笑いながらそれを追いかけた。
「あの……鏡之介さん」
寺子たちが帰った後、声をかけると、鏡之介は黙って手を差し出した。
「え?」
戸惑っていると、鏡之介がにやりと笑った。
「書き上がったんだろ?」
「……ええ」
確かに、鏡之介に読んでもらおうと思っていた。けれど、先読みされたように手を出されると、少しだけ悔しい。だから、
「読みたいんですか?」
などと、訊いてしまう。
「もったいぶるな。時間の無駄だ」
ほら早く…とでも言うように、鏡之介は手のひらをひらひらさせている。なんだかんだ言っても、楽しみにしてくれていたのかもしれない、と思ったら、少しだけ悔しさが薄れた。
風呂敷に包んできた反古紙の束を手渡す。
「うむ」
受け取ると、鏡之介はどかりと腰を下ろし早速読み始める。
手持ち無沙汰になった水絵は、朱入れでもしようかと思ったが――。読んでいる鏡之介が気になって、落ち着かない。
朱入れは諦めて、水絵は鏡之介の様子を伺うことにした。
めったに見ない真剣な表情で戯作を読んでいる鏡之介は、それでも時折、口元がほころぶ。その笑顔の意味を水絵が考えているうちに、読み終わった鏡之介が、反古紙の束を床に置く。
なにか言うかと待っていたが、なにも言わない。しびれを切らした水絵が、
「どうでした?」
と、尋ねる。
ややしばらくして、鏡之介は紙の束に目を向けたまま、ひと言だけ発した。
「水絵らしい話だな。怖くもねえ猫又か……」
褒め言葉なのか、つまらないと言われているのか、水絵には見当がつかない。
「それは……」
どういう意味ですか? と訊こうとした時、
「ごめんください」
と言う声がした。
見ると、縁側の向こうに、藍色の小袖に縞の袴を着けた子どもが立っている。
「え?」
――誠太郎だった。
水絵は驚いて駆け寄った。
「大丈夫なの? 母上さまに、禁じられているのではないの?」
焦って尋ねる水絵に、誠太郎は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「叔父上が、取りなしてくださって……月に三回までなら、眞性寺に行っても良いということになりました」
「……ああ、そうなの」
よかった……と、つぶやきながら、「月に三回」という回数は、誠太郎にとってどうなのだろう、と考えた。三日にあげず訪れていたのだから、三回は少なすぎるだろう。それでも、完全に禁じられるよりはましなのか……。その時、
「なに立ち話してるんだ。上がってもらえ」
と、鏡之介の声が掛かる。
水絵は、慌てて誠太郎を中に招き入れた。
本堂に上がった誠太郎は、手に持っていた風呂敷包みを脇に置くと、鏡之介と水絵に向かって、きちんと正座をした。そして、
「この度は、大変ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
と、深々と頭を下げた。
「私が、礼次に草双紙を預けたりしたから、るいちゃんが……」
今にも泣きそうな誠太郎に、水絵がどう声をかけたらいいか分からずにいると、鏡之介がやたらのんびりした口調で言った。
「別に、おまえのせいじゃねえよ。いろいろと間が悪かっただけだ」
「でも、るいちゃんは、まだ……」
「それは、多分なんとかなる。これがあればな」
と、鏡之介は反古紙の束を掲げて見せた。
すると、誠太郎が目を輝かせる。
「ねえさまの戯作ですか? 書き上がったんですね?」
水絵が、るいのために草双紙を作っていることは、礼次から訊いていたらしい。
「おう。読んでみるか?」
「はい!」
鏡之介が無造作に束を渡すのを見て、水絵は、一瞬、文句を言おうかと思った。作者に断りなく、読ませるのはどうなんだろう……と。
しかし、思い直した。
誠太郎に読んでもらうのはいいかもしれない。草双紙をたくさん読んでいるし、るいに歳も近い。
誠太郎は、頬を紅潮させながら反古紙を繰り、時折、ふふっと笑ったりしている。それほどつまらなくはなさそうだ、と、水絵は少しだけ安心する。
最後まで読み終わった誠太郎は、ふーっとひとつ大きなため息を吐いた。
「どうだ?」
と、訊いたのは鏡之介。
なんで、作者より先に……と、思ったが、誠太郎が、うつむいてじっと考えているので、文句が言えなくなった。
誠太郎はしばらくためらった後、水絵を見上げて言った。
「……こんな物語を考えつくなんて、ねえさまは、たいしたものですね」
手放しの褒め言葉に、水絵の頬がかっと熱くなる。
「それは……褒めすぎじゃない。身贔屓が過ぎるっていうか」
自分で言った言葉に、自分で驚く。
――身贔屓。
約一年前、水絵は、初めて会ったこの異母弟をどう扱ったらいいか分からなかった。だから、「寺子と同じに扱えばいいんだ」と思って、接してきた。
けれど、やはり寺子とは違う。自分を「ねえさま」と呼ぶ誠太郎は、弟――身内なのだろう。
そんなことを考えていたら、誠太郎が少し頬を染めて言った。
「こんな物語を書ける方がねえさまだなんて、誇らしいです」
「……あ、ありがとう」
今度は素直に礼が言えた。
すると、誠太郎は風呂敷包みを水絵の前に置いた。
「お詫びの印です」
と言いながら、風呂敷を開ける。
「ねえさまの草双紙の、清書に使ってください」
中には、真新しい半紙の束があった。
驚きに、水絵が言葉を失っていると、代わりのように鏡之介が言った。
「こいつは、ありがてえ。反古紙で作った草双紙じゃ、格好がつかねえからな。ありがたく使わせてもらうよ」
「……ええ、ありがとう」
もう一度礼を言うと、誠太郎は嬉しそうに微笑んだ。
だが、ふと、考えるような目つきになり、
「あの、ねえさま、絵はどうなさるんですか?」
と、尋ねた。
「草双紙には、絵が付物ですよね?」
誠太郎の言葉に、水絵と鏡之介は、思わず顔を見合わせてしまった。
書くことはできた。
伝えることも、きっとできる。
だが、草双紙にはまだ足りないものがある。
次に必要なのは――絵。




