10 見えないものの正体
目に映るものが、すべて真実とは限らない。
見えないものを見ようとする時、はじめて分かることもある。
「え!?」
水絵と礼次は、同時に鏡之介を見た。
「猫又って……」
あまりにも意外な答えに、礼次は呆然としている。
水絵は、「また、子どもを驚かすような話はしないでください」と言おうとして開いた口を、そのまま閉じた。
この前、鏡之介が猫又話をしたのには、理由があった。それなら、今度も、何かちゃんとした理由があるのかもしれない、と思い直したからだった。
「……それ……るいが猫又になっちゃったってこと?」
礼次の声は震えていた。
鏡之介は、驚きに一瞬言葉が出ない様子だったが、
「……違う!」
と、大声で否定した。
「そんなことは言ってない。るいはるいのままだ。猫又なんぞになってねえ。ただ、猫又が、るいに悪さしてるんじゃねえかってことだ。ああ、言っとくが、おまえのうちの三匹でもねえからな」
焦ったような口調は、鏡之介にしては珍しいと水絵は思ったが、礼次はそれで安心したようだった。それを見て、鏡之介もひとつ息を吐く。
「るい……大丈夫?」
鏡之介は礼次の問いには答えず、
「まず、猫又の正体を見極める。ことはそれからだ」
と、今度は落ち着いた口調で言った。
「おれは、なにをすれば?」
問いかける礼次の頭を、鏡之介はそっと撫でた。
「猫又捜しは、俺たちに任せろ。礼次は、できるだけるいのそばにいてやれ」
礼次はこっくり頷いた。
「猫又捜し、『俺たちに任せろ』なんて言っちゃって、どうするつもりだったんですか?」
礼次が帰った後、水絵は鏡之介に文句を言った。鏡之介一人が引き受けたならまだしも「俺たち」と言ったのだから――。
「だいたい、猫又なんて、どうやって捜すんです?」
すると、鏡之介は苦笑した。
「目に映るものが、すべて真実とは限らないんだぜ?」
「え?」
その言葉に、水絵の目が大きく見開かれる。
その驚きように、鏡之介の方が驚いた。
「何をそんなに驚いている?」
「……父上の……口癖、だったから……」
水絵の言葉に、鏡之介が絶句する。
「……よく、祖父ちゃんに言っていたんです。『目に映るものが、すべて真実とは限らない。よく、見極めろ』って」
あふれそうになる涙を堪えるために、唇をかみしめる。
「鏡之介さん、祖父ちゃんを知ってるって言ってましたよね? 父上とも、会ったことがあるんですか?」
鏡之介は目を伏せ、首を横に振った。
「いや……。袖切り冬三には世話になったが、水絵の父上……宇田川誠之進殿とは面識はない」
水絵が、じっと見つめていることに気づくと、鏡之介は真剣な表情で続けた。
「こんなことで、嘘は吐かねえ。本当に、会ったことはない」
鏡之介がそこまで言うのだから、真実なのだろう。父の口癖と同じことを言ったのは……偶然、なのだろうか。
水絵は、ぶんぶんと頭を振って、気持ちを切り替えた。
「それで、つまりどういうことです? 見えない猫又を捜すってことですか?」
ちょっとした皮肉のつもりで言った言葉に、鏡之介は真面目に頷いた。
「その通りだ。多分、るいは、見えない猫又に怯えている」
真面目な口調は、水絵にある言葉を思い出させた。
「鏡に映った花、水面に映った月……」
父がよく言っていた言葉だ。
「――鏡花水月、見えはするが、そこにはないもの、だな。それもお父上の言葉か?」
水絵は頷いた。
「あるはずなのに見えない物、ないはずなのに見える物……そこには必ず、何か訳がある」
その言葉を聞いた鏡之介が、何かに引っかかったように眉を寄せる。
「そういえば……少し前から気になってたんだが、誠太郎は、また草双紙を持ってきたのか?」
「え?」
何故、今誠太郎の話を? と思い、顔を上げると、鏡之介は、本棚を指した。寺子たちが「誠太郎文庫」と呼んでいる棚だ。
「草双紙の数が増えている」
「そんなはずは……」
ないんですけど……と、言いながら近寄り、棚を調べる。
「増えてます!」
回りくどい方法で異母弟・宇田川誠太郎が草双紙を水絵に託したのは、昨年の夏のことだった。その時に比べて、五冊増えている。
「おかしいです。クロのお葬式の後、わたし、本棚の片付けをしたんです。その時は前のままでした。あの後、誠太郎は一度も寺子屋に来ていないはずだし……」
それもおかしいと思っていた。
誠太郎は三日にあげず寺子屋に来て、草双紙を読んでいた。それが、この十日ほど顔を見ていない。
水絵は、新しい五冊の草双紙を確かめた。
最初の草双紙には、すべて奥付に「此主 宇田川誠太郎」と書き込まれていたが、新しいほうにはない。
「でも……こんなことするの、誠太郎しか考えられません」
「だろうな。だが、本人は寺子屋には姿を見せていない。何かわけがあるんだろうが――。草双紙のほうは、誰かに預けたんだろ。仲のいい、誰かに」
それが、誰なのかは、水絵にも分かった。
そして、五冊の草双紙を並べて見て――。
ふたりの視線は、同時に、同じ草双紙で止まった。
「大江戸猫又物語」
見えはするが、そこにはないもの。
――その正体が、そこにあった。
見えないものにも、かたちはある。
ただ、それは目ではなく、別のもので見なければならないだけだ。
――さて、
今回の「猫又」は、いったいどんな顔をしているのだろうか。




