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二度目の人生では王宮を救いませんので、お好きに滅んでくださいませ  作者: 秋月 もみじ


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第3話 変装が下手な皇帝陛下


 仮面の騎士は、控えめに言って変装が絶望的に下手だった。


 名前はヴァル。リーリアの護衛として修道院に滞在する、と名乗った。顔の上半分を覆う黒い仮面、フードつきの外套、使い込まれた長剣。いかにも「訳ありの流れ騎士」という出で立ちだが、問題はそこではない。


 初日。

 リーリアが食堂で牛乳をこぼした時、ヴァルと名乗った男は舌打ちしながらも、膝をついて自分のハンカチで拭いた。粗野な傭兵が、四歳の子どもの前で膝をつく。不自然。


 二日目。

 薬草園で素振りをしている姿を窓から見た。剣の構えが護衛のそれではなかった。護衛騎士は防御を基本とする。この男の構えは「前に出て敵を薙ぎ払う」指揮官の型だ。前世で軍事関連の法令を書く時に資料で読んだ。


 三日目。

 決定打は長靴だった。


 泥を落としている彼の足元を何気なく見たら、踵の金具に紋様が刻まれていた。六芒星と双頭の鷲。二日前にリーリアの腕で見たばかりの——ヴァイゼン帝国皇家の紋章。


 護衛騎士が皇家の紋章入りの長靴を履く世界があるなら教えてほしい。


 そしてもうひとつ。


 三日間ずっと気になっていたことがある。リーリアがこの男の前で、何度か口を開きかけて止めるのだ。「パ——」と。そのたびに唇をきゅっと結んで、「ヴァルおじちゃん」と言い直す。


 四歳児に嘘をつかせるのは感心しない。


 三日目の夕方、庭で彼と二人きりになった時に切り出した。


「ヴァル殿。——いえ、陛下」


 男の動きが止まった。

 リーリアは修道女と夕食の準備をしている。聞こえない距離だ。


「もう少し変装にお気を遣われた方がよろしいかと」


「……なぜバレた」


「どこから申し上げましょう。長靴の紋章からにいたしますか、剣の構えからにいたしますか、それともリーリアが毎回『パ』と言いかけて止まるところからにいたしますか」


 仮面の奥で、碧い目が見開かれた。

 数秒の沈黙のあと、男が仮面を外した。


 銀髪。

 深い碧の瞳。

 頬に走る古い傷痕と、想像していたよりずっと疲れた顔。


 ヴァイゼン帝国皇帝、アレクセイ。

 前世の書類で何度も名前を見た人物が、目の前にいる。


「——三日も泳がせていたのか」


「正確な情報が揃うまで動くのは得策ではありませんので」


 我ながら官僚的な返答だと思う。


    ◇


 庭の石段に並んで腰かけた。

 夕陽が修道院の白壁を橙色に染めている。アレクセイは仮面を膝に置いたまま、低い声で話し始めた。


「妻は三年前に死んだ。暗殺だ」


 帝国内の反皇帝派——旧貴族勢力の仕業だという。アレクセイが推し進めた改革路線への報復。妻は、その代償として命を奪われた。


「反皇帝派は帝国全土に根を張っている。帝国内のどこにリーリアを隠しても、いずれ見つかる。だから——」


「帝国の外に出した。前の奥方の恩師であるマルタ院長を頼って」


 アレクセイの目が鋭くなった。


「なぜそこまでわかる」


「院長先生がリーリアを預かっている理由として、最も合理的な説明ですので。院長先生は二日前の夜、リーリアが泣いた時に『あの子の母親に似てきた』と仰っていました。幼少期から知っている口振りでした」


 我ながら推理というより報告書の文体になっている。もう少し人間らしい会話ができないものか。


 アレクセイが短く息を吐いた。笑ったのかもしれない。


「——お前、何者だ」


「ただの元書記官ですわ」


    ◇


 場所を書斎に移した。

 マルタ院長が淹れてくれた薬草茶が、机の上で湯気を立てている。リーリアは修道女と一緒にもう寝室に入った。


「陛下。一つ、申し上げなければならないことがあります」


「なんだ」


「リーリアの法的身分です。現在、あの子は帝国の庶子認知を受けていません。認知のない皇族の血縁者は、国際法上どの国の臣民としても登録されていない状態になります」


 アレクセイの眉が寄った。


「つまり——」


「法的に、誰もあの子を守れません。帝国法上の保護も、この国の法的庇護も及ばない。もし反皇帝派があの子を見つけた場合、身柄を拘束されても国際法上の抗議すらできない可能性があります」


 書斎の空気が変わった。

 アレクセイの碧い目が鋭さを増す。皇帝の目だ。


「……解決策はあるのか」


「帝国法第七十二条に、皇族の血縁者が危険にさらされている場合の一時的後見人指定制度があります。これを使えば、正式な庶子認知を経ずとも法的保護の枠組みを作れます」


「そんな法律があるのか。俺は知らなかった」


「前世で私が書きましたので」


 アレクセイの顔が固まった。

 三秒ほど沈黙が落ちて、それからゆっくりと口を開いた。


「……前世?」


「長い話になりますので、いずれ。今は、リーリアの安全が先です」


 誤魔化した。

 死に戻りのことを詳しく話す気はない。ただ、法律を書いた根拠だけは示す必要があった。でたらめを言っていると思われては困る。


「書類は私が作ります。陛下のご署名と、マルタ院長の証人署名があれば、帝国元老院に写しを送ることで効力が発生します」


 アレクセイが私を見ている。

 仮面を取った顔は、想像していた冷酷な皇帝像とは違った。疲れていて、少し困惑していて、でも——娘を守りたいという目だけは揺らいでいない。


「頼む」


「——私が守ります。この子の法的な盾は、私が作ります」


 言ってから気づいた。

 二度目の人生では誰のためにも働かないと決めたのに。また書類を書くと言っている。


 でも今回は少しだけ違う。

 宰相に命じられたからではない。侯爵家の義務でもない。

 あの小さな手が、私の指を握った冷たさを覚えているから。


    ◇


 夜。


 書斎で後見制度の草案を書いていた。帝国法の条文を前世の記憶から引き出しながら、一条ずつ確認する。三十二年分の記憶はこういう時に便利だ。


 行商人が持ってきた王都の噂が、ふと耳に入った。夕食の席でマルタ院長が話していたものだ。


 地方領主たちからの陳情書。処理の手順がわからず、聖女マリアンヌが対応を任されたらしい。だが回答が的外れもいいところで、領主たちの間では「前の書記官はどこへ行った」と囁かれているとか。


 ——前の書記官。

 名前すら覚えられていない。まあ、そんなものだ。


 それでも口元が緩んだ。


 ペンを走らせていると、部屋の隅で衣擦れの音がした。

 振り返らなかった。アレクセイだ。同じ棟に部屋を取っている。


 暖炉に薪をくべる音がした。

 パチ、と小さな火の粉が弾ける。


 何も言わずに薪を足して、何も言わずに去っていった。

 変な男だ、と思った。護衛というなら、リーリアの部屋の前にいればいいのに。


 まあ、いい。暖炉が暖かくなったのは事実だ。


 ペンを持ち直して、帝国法第七十二条の要件を書き出す。


 ——リーリア。

 あの子の法的な盾を、今度こそ誰の名前も借りずに、私の手で作る。


 窓の外で、夜風が薬草園の花を揺らしていた。

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