第三章 其の肆 結実 月下の逢瀬
文化園デートは名残惜しくも終わりを迎えようとしていた。
離れがたい巧と千早はそのまま話し込んで、帰りのバスを逃してしまう。
「なぁ、千早……良かったら一緒に歩いて帰らないか?」
巧の一言が、月下の帰路に導くのだった。
施設は閉園の時間をとっくに過ぎていた。
あれから俺たちは遊歩道を散策したり、芝生広場で新緑を堪能したりしながら時間を過ごした。
俺としては植物園を、というよりも植物園を堪能する千早を見て楽しんでいたと思う。
ころころと表情を変えて、こちらを時々気恥ずかしそうに見たり、震えながら手をつないだり。
何もかもが新鮮な体験だった。
「あっという間だったな……」
思わず呟いていた。
そう、園内の時間はあっという間に過ぎ去り、ゲート前のベンチで今日の話、学校での話で盛り上がっていた。
思っていたよりも遅い時間となっている事に今更ながらに気づく、それだけ時間の流れが速かった。
俺と千早はスマートフォンを操作して帰りのバスの時間を確認する。
18時半……当初予定していたバスなどはとっくの昔に出発済み。
目的バス以外の時間確認が抜けていたのは痛恨だ。
どうやら17時50分くらいが最終バスらしい。
「まいったな、終バス逃してら」
話し込んでいる隙に出てしまっていた。
俺一人なら自宅まで歩いて帰れなくもないが、千早が居るのだ。
バスは必要だろう……そう思って別路線のバスを探し始めた時のことだ。
「ね、ねぇ……巧、少しだけわがままなこと言っていいかな?」
千早は遠慮がちに、それでいて意を決したように問いかけてくる。
「ん?」
「あのね、少しだけ歩けないかなって、それで……」
その申し出が、素直に嬉しかった。
ただ代わりのバス停までの距離……この距離ならばいっそのこと。
それに通常の道のりには色んな人が混じって歩いていて、それがノイズのように感じた。
少しだけ外れたところを歩きたい。
俺もそんな気持ちだった。
……このまま帰りたくない気持ちさえある。
「千早、少し調べさせてもらっていいか?」
「え? うん」
ならば、と思い、俺はスマートフォンを更に操作してみる。
今考えている目的地については多少聞いている。
ならば、可能かどうかを確認するだけでいい。
やはり、さして難しくもないようだ。
ならば、後は俺の仕事だろう。
「なぁ、千早……良かったら一緒に歩いて帰らないか? 俺、千早の家まで送るよ」
徒歩40分程度、今日園内を歩き回った距離を考えればそう難しくもない。
千早の家はここから丘を越えて向こうに行けば一直線で帰宅可能だった。
バスと電車を使うと相当な大回りをしていることになるのだ。
確かに帰宅に要する時間は短くなるが……俺が一緒に居られる時間が長くなる。
この差が大きく、そして、俺が欲しい時間だった。
「え?」
もし千早が辛そうだったり嫌そうだったら提案は取り下げるし、もし道中でへばったならそこからは俺がおぶってもいい。
いや、待て落ち着け。肩の負傷が治ってないぞ俺。
……でも、いいかな。千早は軽そうだから気になるまい。
普段の練習だとノリやカズを担がされてる身だ。
ただ千早と離れるのがひどく名残惜しかった。
「……いいの?」
躊躇いがちに尋ねる千早は口元に手を当てて小さく震えている。
「千早さえよかったら、俺が送りたい」
実のところ俺と千早の家は一駅離れている。
そもそもここからだと逆方向に近いが、大した苦労でもない。
千早の家に行ってから自宅に方向転換したところで、俺からしたらたかが知れている。
いや、そんなことはどうでもいい。
「うん、私も巧と一緒に帰りたい」
目の前で嬉しそうに微笑む少女と、ただ一緒の時間を過ごしたいだけだった。
「ねぇ、巧? ここをちょっと上ったところから文化園の裏周りで帰れる道があるんだよ」
千早が、他の皆が行く道と反対側、登りの道を指さす。
「へぇ」
「もうすぐ月も見えるし、一緒に行きたいな」
「そっか、この道でいいのか?」
俺は千早が示したであろうルートをスマホ画面上で選択し千早に示して見せる。
「うん、こっちだよ」
「了解」
俺は千早に求められるままに腕を貸し並んで歩きだしたのだった。
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「ちょっとちょっとちょっと、聞いてないわよ」
ウィッグを外して平常モードに半分戻った神奈は、登り道に向かう二人を慌てて追いかけ始める。
「あっちルート使う気? ったくもう、しゃーないわね。自転車は置いていくしかない」
後日取りに来るのは面倒ではあるが、今は時間が惜しい。
「……千早、本当に遠慮とか吹っ飛んじゃってるわね。さすがにあのルートを二人きりは心臓バックバクでしょうに……」
言いながらため息をつく。
「も、いいわよ。どこまでも付き合ったげるわ」
仕方なさそうに言いながらも、その表情はまんざらでもなさそうだった。
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山道に入るまで今日の出来事を無邪気に語り合っていたのだが、千早の言っていた抜け道に入ると少し事情は変わった。
「結構な道だな」
軽いハイキングコースと言っていいルートだった。
徒歩で、階段を経由する上に道幅も広くない。
足元はやや不安定な状態だった。
「わわわ」
最初は軽い足取りで案内していた千早だが、おっかなびっくりになっている。
日暮れ時、既に月が薄く空に浮かび西陽は沈もうとしている。
道には街灯がないので足元の様子が分かりにくい。
「あ、うぅん大丈夫だよ。そのごめんね。暗くなってきたらこんなに歩きにくいなんて……」
シュンと落ち込んでいるが、俺にとってはさしたる問題はない。
何だか慌てている千早を見るだけで胸がほんのり暖かくなりさえした。
ここを二人きりでいられることにどこかしら満足感というか陶酔感すらあった。
あ、そっか……俺たち二人きりなんだ。
改めて自覚する。
落ち着いていたはずの鼓動が再び騒がしさを取り戻していた。
『落ち着け』
暴れる心臓に待ったをかける。
焦り出すとやらかしそうで、この愛おしい時間を自分で壊してしまいそうで。
「巧、どうかしたの? 少し苦しそうだよ?」
「え? あぁ、いや大丈夫だって」
思わず誤魔化してしまう。
どことなく罪悪感を感じてしまった。
俺が千早の隣りに居たいがために連れ回しているような気持ちがあったからだ。
「ねぇ、本当に大丈夫?」
階段の少し上から振り返って俺の顔をまっすぐ見ようとした瞬間。
足を滑らせた千早の体が大きく傾ぐ。
「あっ」
千早が声を残して落下しそうになる。
「千早っ」
とっさに抱き留めていた。
その華奢な体を正面から受け止めた。
柔らかかった。甘いような優しいいい匂いがした。
押し付けられるのは膨らみを主張する胸元だけではない。
彼女の存在そのものが柔らかいと感じた。
……触れた体温を感じ、心臓が破裂しそうなくらい高鳴りだす。
あぁ、やっぱりだ。誤魔化せない。わかってた。
「た、巧……」
頬を染め、弱々しく見上げてくる。
抱き留めた千早の体温が……俺の鼓動を高ぶらせる。
潤んだ瞳が俺を見つめて、互いに目が離せなかった。
長いまつげ、震える瞳、月光に照らされた黒髪、わずかに紅潮した頬。柔らかそうな唇。触れれば折れてしまいそうな華奢な体つきは、壊れそうな脆さだけでなく、思春期特有の女性らしい曲線も描いていた。
そういう目で見ることに罪悪感を感じていたはずなのだ。
千早をそんな対象に見ることに、抵抗を持っていたはずだった。
ドクンッ
大きく心臓が脈打ち、強烈に自覚する。
あぁ、俺はこの娘の事が好きなんだ。
マスコットのような同級生としてではない。
神ヶ丘千早のことが恋愛対象として好きなんだ。
「俺、俺は千早のことが……」
そう口にした時、千早はグッと更に体を押し付けてきた。
「千早?」
「私も……同じ気持ちだよ。うぅん、ずっと前から巧よりずっと強く、だから」
恐ろしく甘美な囁きだった。
俺の、俺の感情を受け止めるどころか覆い尽くしてくれるような告白。
「千早……」
互いの体を引き寄せあっていた。
暖かい。
触れ合った感触が、ぬくもりが、全てを強く愛しく感じていた。
千早の体から脈打つ振動も、緊張したような呼吸も、どちらも伝わってくる。
きっと俺の鼓動も彼女に伝わっている。
俺が、どうしようもなく千早が好きなんだと、千早にも伝わっているのだと思えた。
千早の瞳が夕日の残照を受けて微かに赤みを帯びたように見えた。全身が、魂が引き寄せられるような錯覚を覚える。
このまま引き込まれたい。千早の真っ直ぐな瞳に、命に絡め取られたい。そんな衝動に駆られる。そんな可愛らしく愛しい少女は俺を見上げたまま静かに瞳を閉じた。
俺は引き寄せられるようにその柔らかな唇に向かって……。
ドンッ!!
衝撃。
「「え?」」
俺は、俺達は半ば放心しながらそれを見ていた。
「……っ!?」
逆立つ長い髪。一際強烈に屹立する額の二房は角のようで。
全身を嵐のように渦巻く生命力。
口から覗く牙に、凶器として伸びた爪。
血、血の花、肉塊、死体……姿を消した美しくも恐ろしい獣。
あの日の記憶が蘇る。
「GyuOaaaaaaaAaaッ!!」
それは天に向かって咆哮していた。
まさに今こそファーストキス……
「ただいま♪」(鬼)
さぁっ、いよいよ帰ってきました。
ここから本番ですね。
序章で散々ダメージ与えてくれた鬼さんのお越しです。
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是非お願いします。




