第四章 其の壱 再起 鬼影再訪
デートの終わり……最後の余韻を楽しむための二人だけの帰路に突如現れた「あの日の鬼」。
蘇るあの日の恐怖に巧達は……?
「GyuOaaaaaaaAaaッ!!」
それは天に向かって咆哮していた。
両足を広く構え、両掌は天を仰ぐ。
上体は仰け反り、全身全霊を虚空に解き放っていた。
「あいつ、は……」
俺がそいつに出会ったのは数日前のことだ。
千早のストーカーを殺害し、その死体を攫い。
俺の肩を抉り、その血肉を貪った。女の姿をした鬼。
逆立つ長い髪が月光に揺蕩う。
「GuRuuUuu……」
何かを探すように辺りを見回していた。
同じような月光ではあるが残照の残る今はまだ以前より姿が見えていた。
それなりに整った目鼻立ちをしているというのに、理性の光は何もない。
-かつて人だった何か-
そんな印象を受けた。
人……「だった」。何の確証もないのにストンと腹に落ちた気がした。
けれど、人として大切な何かを失ってしまった。
今、人のような姿なのに、落ち着かない所作に人らしさはない。
何かの中毒患者のようにせわしなく、そして無遠慮。
時折、匂いをかぐような仕草も交えていた。
いや、今はどうでもいい。
どうするべきか? どうすればいい?
逃げられるか?
あの日……あの鬼の動きは全く見えなかった。
俺の、いや、人間の認知限界を超える速さ。
ズキンッ
完治していない肩の傷が思い出したように痛みを訴える。
「くっ」
思わず顔をしかめていた。
「巧っ」
千早っ?
腕の中にあるぬくもりを思い出す。
千早は俺の顔を心配そうに見上げている。
「なんだか……私たちが見えてないみたい」
……そんな馬鹿な。
千早の言葉に弾かれ、鬼を見てみる。
女の姿をした鬼は周囲を見回している。
焦点の合わない何かを探すような。戸惑いのある動きだった。
「千早……動けるか?」
「うん、大丈夫だよ。えっと、巧が受け止めてくれてたから」
少しだけ甘えるような声。
あれ?
千早って随分冷静なような……。
いや、そんな事を言っている場合ではない。
「逃げるぞ」
まごついている内にどこかへ行くべきだ。
傍に千早が居る。危険が迫っている。
ならば俺がやることは一つだけだ。
千早の手を取る。俺達はその場から身を引き始める。
今ならば、気づかれるようなことをする必要はない。
そして、いざという時は抱きかかえて逃げる。
何かあれば俺が庇う。
何かあったら俺が千早を絶対守る。
それだけの事だ。
「千早……」
「ん?」
「俺がお前を護ってやる。お前だけは護りたい」
俺の言葉を聞いた千早がひゅっと息を飲み込む。
見る見るうちに顔中真っ赤にしていた。
「た、巧ったら……」
小さく視線をそらしているが、耳まで赤くなったのは見逃さない。
「ありがと、嬉しい……」
その言葉だけで満足だ。
ドスンッ メキィッ!
無造作な音を伴い、山道の一部を破壊した元凶……鬼が居た。
近くにあった木を気まぐれになぎ倒している。
おそらく立ち位置にとって邪魔だったのだろう。
改めて奴を見れば、先ほどまで合っていなかった紅い双眸を俺達に緩く合わせていた。
「何の用だよ……」
強がった俺の言葉に何の反応も示さない。
俺の後ろには千早が居る。彼女は俺をじっと見つめていた。
「巧、逃げて」
無茶を言う。聞いてやりたいのはやまやまだが、目の前の相手をどうにかしないと始まらない。
俺は手段を求めて周囲を目で探る。
あった。
山道柵の一部だった無骨な鉄の棒が転がっている。
80cmくらいか、おあつらえ向きのサイズ。
軽く身をかがめて手に取ってみる。
重っ!?
コレ、パイプじゃない。中身が詰まった棒だ。
……ある意味心強い、といいんだけどな。
持ち上げる際に肩へ痛みが走る。治ってない。
……そういえば、そもそもこの傷の礼もしていない。
軽く5kg以上はあるな。この長さでこの重量なら、まともに当てれば――
目線を鬼に向ける。
「…?」
また周囲を見回している女の鬼。
俺たちの方を首をかしげて伺っている。強い意志は感じないが、けん制するような視線を感じた。逃してももらえなさそうだ。
そんな気がする。
脳裏には、ついこの間の生々しい記憶。
目で追えない速さ。爪で引っ掛けられただけで60kg前後ある俺を易々と吹っ飛ばす膂力。
そして、俺の血肉を喰った姿。
それが脳裏で俺ではなく千早に向けられた光景がよぎる。
させねぇぞっ!
俺は思いっきり鉄の棒を全力で握りしめていた。
「っっらあぁぁぁぁぁっ!!」
腰を落とし、鉄の棒を肩口まで引き上げる。
足腰の力を乗せて、思いっきり振り下ろした。
ガイィィィィィンッ!!
凄まじい衝撃が腕に伝わってくる。
直撃、確実に女鬼の脳天に叩き下ろした実感がある。
正直、俺の腕の方が悲鳴を上げていた。
衝撃が収まって。
女鬼は不思議そうな顔でこちらを眺めていた。
「っ!?」
しばらくこちらを眺めて、邪魔な何かを払うように腕が振られた。
ヤバッ
反射的に鉄棒を身体の前へ引き戻し、両端を握った。
ガインッ!
乾いた音と共に棒を伝い、両腕へとんでもない衝撃。
気づいた時には体が吹っ飛んでいた。
俺の体は地面を数度転げまわって大木の一本まで吹っ飛ばされる。
ドスンッ
「がはっ!」
肺の空気が無理やり押し出される。
棒などとっくに手放していた。明後日の方向に吹っ飛ばされた棒は「く」の字通り越して「つ」の字に折れ曲がり転がっている。
直撃こそはしていない。していれば多分そこで俺は終わっていた。
「巧っ、巧っ」
背中の痛みからかキンキンする耳鳴りの中で、胸元から愛しい声が鮮明に聞こえた。
よかった……千早は無事だ。
俺の聴覚は千早の声だけ鮮明に拾えるように進化したらしい。
「千早、逃げろ…」
「巧ぃ、やだっ、そんなのやだよ。一緒に逃げよ」
涙声で訴えかけられるが、俺の体が動かなかった。
「頼むよ、逃げてくれ……」
俺はもういい。無理でいい。
「俺は千早が無事でいてくれるのが、第一なんだよ」
「guUu……」
ゆっくりと歩いてくる姿は本当に小さい。
その存在感や、何もかも叩き壊す暴力が想像できないほど普通の女性の体格だ。
姿が人間に近しいからこそ、その動き方が異様に感じる。
俺をどうにかするか考えているのだろうか、そいつはまた見失ったように周囲を見回している。
俺の視線の先、鬼の前に千早が立ちはだかっていた。
「絶対、巧を傷つけさせたりしない」
「ば……っ!!」
馬鹿、逃げろっ。俺はお前が助かってくれるんだったら。
叫びたいのに声が出ない。
千早はその華奢な体を目いっぱいに広げて鬼の行く手を阻もうとしていた。
「あんたなんか怖くないっ!! 巧が居なくなっちゃう方がっ、ずっとずっと怖いんだからぁっ!!」
千早が叫んだ瞬間だけ、鬼の意識が収束した。
「GaAaaa!! guRaaaAAaa!」
鬼の右腕が振り上げられ、そして、振り下ろされる。
ガギィイィッ!!
硬質な音が響き渡る。
鬼の一撃は誰にも当たらず地面に突き刺さっている。逸らした? 誰が、どうやって?
千早と鬼の間を遮るように、黒い人影が居た。
「無茶をするな。そいつの相手、一般人には手に余る」
鬼の一撃をいなした何者かの声。
右手で握ったSILKとロゴの入った三脚袋に左手を添えている。それが鬼の一撃を受け逸らしたのだと分かる。
鬼に立ちはだかった黒い人影。その姿が、目に見える形を成していく。
風に揺れる黒髪の長髪。
「あ……」
見覚えがある。数日前に病院のベッドに訪れた二人の警官の片割れ。
『追矢誠司郎だ』
そう名乗っていた長身の男。
「血の匂いが濃いな。その飢えに任せてどれほどの犠牲を生んだ?」
三脚袋が破れ、内側から顔を出したのは鉄の鞘に収まった小太刀。
「ここからは俺が相手になろう。……萱島樟葉っ!」
視線は鬼を睨みつつ、別の誰かへの呼びかけ。
「分かってます」
俺と千早の傍に一人の女性が駆けつける。
こちらの女性にも見覚えがあった。
あの時とは服装こそ違うが、眼鏡をかけた理知的な瞳。
「楠木君も神ヶ丘さんも、二人ともカッコよかったよ」
優しく労わるような笑顔。
「後のことはお兄さんとお姉さんに任せなさい」
彼女はいたずらっ子のように微笑むとパチっとウィンクして見せた。
「あなたは……」
「巧っ、たくみぃ……」
俺が受け答えしている姿を見て少し安堵したのか涙をぽろぽろ流しながら抱き着いていた。
「神ヶ丘さんね? ……ちょっと今から楠木君をおぶるけど、緊急避難だから許してね」
冗談交じりに言いながら俺をあっさりと背負って見せる。
「ほら、こっちよこっち」
背後から聞き覚えのある声。なんでここでこの声がっ。
「神奈っ?」
俺の疑問の答えは千早の声で提示された。
「話は後、今は動いて」
ひとまずその声に向かい、俺は神奈を見て確認することにした。
「なぁ、神奈?」
「何よ?」
「その格好何?」
「……こんな時だけ服に勘づくんじゃない」
黒タンクトップでショートパンツ……ギャルコーデなどという珍しい格好の幼馴染が物珍しすぎただけである。
それはそれとして、俺たちは手近な岩場まで退避していった。
ついに追矢誠司郎の本領発揮っ。
尾行パートではまじめにやっててネタをブッ込む人でしたが、さぁその実力やいかに?
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