第四章 其の弐 逢魔 鬼狩りの刃
鬼の襲撃を受け、あわやのところで割って入ったのはあの日の警察官 追矢誠司郎。
人外の膂力を誇る鬼を相手取って、彼はいかなる戦いを見せるのか?
その場は戦場。
鬼が凄まじい速さで動き回る。
人知を超える動きは猿ましらの如く、両手両足を全て使って縦横無尽に動き回り、前っ? いや右、違う上っ!?
方向の概念を放り投げた動きは見る者に残像さえも展開させる。
残像が意図せぬ虚、正面の突進は殺意の実。いずれも揃って黒衣の男に襲い掛かる。
ガッ ギィンッ!
対する誠司郎は苦もなく目で追い、自らに飛んでくる攻撃を表情も変えず小太刀で受け流しながら見事な摺り足で捌き切る。
ヒュ……ォッ!
顔を掠める。意に介さず。
グワッ ブォッ!!
爪が薙ぐ、無言で弾く。
「Guuuuuuuuuuッ」
唸りながら飛び掛かる寸前の四つん這い姿勢で鬼が誠司郎を睨む。
野獣の突進が、立ち上がりを一瞬で攻撃に変える。
「Gyyyyyッ!!」
鬼の苛立ちを示すように右足が乱暴に降りあがっていた。
鞭のようにしなりながら人影に叩きこまれる。
ガッ!!
凶悪な蹴りを左腕で受ければ、後方へ吹き飛……否、勢いを活かし後ろに飛び退る。
ザン……ッザシュッ
着地と同時に片足の引き戻しのみで半身に変わり、矢のように飛び込む鬼の殴りつけを避ける。
「ふむ……」
すかさず振り払うように左爪の横薙ぎ一閃。
ギィンッ
小太刀が跳ね上げる。
バキィッ! ゴンッ!!
鬼が暴れる度に周囲の樹木が犠牲になり、鬼の追撃と化すが、誠司郎には届かない。
僅かに離れれば、大木が投げ槍のように打ち出されるが、それすら躱す。
「GyoaAAaaaッ!!」
掴んだ大木を感情任せに横投げすれば、回転しながら飛んでゆく。樹木の横薙ぎが誠司郎にしゃがみ込む回避を強いる。
そこへ追撃する鬼の爪が空を裂くが、誠司郎は片腕で地面を突き放し、体をひねりながら起き上がる。既に視線は鬼を捉え、姿勢に揺らぎすらない。
息もつかせず爪が左右から何度も飛ぶ、躱す。躱す。躱す。
時折上体を捻り、少しだけ仰け反ったりするが、ほとんど大きな動きを見せず、あらゆる暴力を躱していく。
「確かに力だけなら大したものだ」
その様には全く危なげがない。
「だが、まともに当たらなければどうということはない」
特に気負うでもなく言い放っていた。
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遠巻きに人外の戦いを眺めるしかない。
とてもではないが参加できるものではなかった。
追矢さんが戦う姿を見ているだけしかできない。
だが、万全ではないが俺の体も少し言うことを聞いてくるようになってきている。
だからと言って動けるわけでもないのだが……。
千早が俺の隣でしゃくりあげながらくっついていた。
何度も俺の顔を見上げては、離れまいと腕にしがみついてくる。
無事で良かった。それに尽きる。
その横でソワソワとしている神奈が追矢さんと鬼の戦闘を見守っていた。
「わっヤバッ! …てっ、えぇっ? あれ避けちゃうの? うわっ、何あの動きワイヤーアクション?」
見るたびにどんどん顔を引きつらせていった。
「ね、ねぇ、見るからにヤバイのが暴れてるんだけど応援とかは来ないの?」
神奈の問いかけに、萱島さんは苦笑する。
「あー、私達の組織運用上それはないんです。でも」
そう言って戦場に小さく視線を向ける。
「先輩一人で過分な配置、ですから」
クスっと笑みを浮かべ放った言葉、その先で展開される超人的な戦闘。
「……あの人そんなに凄いの?」
神奈が怖々問いかけ。
「そりゃぁもう……あの人こそ私達の最高戦力ですので」
ピッと人差し指を立てて宣言していた。
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戦闘は一種の膠着状態から変化しつつあった。
鬼のあらゆる攻撃を防ぎ切った誠司郎の姿には、消耗さえ見受けられない。誠司郎に危機的なものは一切なかった。
今もって最小限の動き、攻撃に対しミリの隙間だけ残した見切りで攻め手を躱し続けている。
天秤は傾いていた。
「どうした? タネ切れか?」
退くのではない、前進しながら鬼の攻撃を躱してのける。
攻めているはずの女の鬼こそが後ずさり始めていた。
ただ黙々と間合いを詰める。
「行くぞ」
ヒュッ
誠司郎の一言と共に小太刀が斬撃を放つ。
王手……っ否っ!?
ガギィッ!
爪に弾かれ硬質な音だけを残す。
「……ちっ、硬いな」
視線だけで小太刀の刃を小さく確認する。
刃こぼれなどはない。だが、相手を斬れてもいない。
「成らねば無理か……萱島樟葉っ」
何かを決めたらしく呼びかけようとした時だった。
女の鬼は一気に後ろに跳ぶ。
「gUuuUu……gAaAaaA!!」
改めて周囲を見回したのち。
バッ!!
飛び去った。
誠司郎は鬼が立ち去った場を確認し、周囲を警戒する。
「随分と見切りが早いものだ……」
拍子抜けしたような声が零れ落ちた。
「逃した、か⋯⋯」
踵を返すと、その場の緊急避難先である岩場へ歩みを進める。
「先輩、お疲れ様でした」
樟葉の出迎え。
「失敗した」
短く返す。
「被害者がでなかった、それで良しとしませんか?」
樟葉の言葉を受け、その後ろに視線を向けた。
瞑目して表情を緩める。
「違いないな」
「それにしても、さすが先輩、圧倒的でしたね」
「いや、相手もまだ余裕があった。何より」
鬼の消えた虚空に目をやる。
「状況的に見てもこの近辺にはアレだけだ。あの日俺が居た場所まで届く膨大な鬼気を放った化け物ならば、まだまだ底は深い」
その声に一切の気負いも、油断も存在しない。
淡々と事実だけを述べる愚直さがあった。
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嵐の跡地。
恐怖と暴力の化身が去ったとはいえ、その爪痕は被害甚大だった。
少なくとも俺はしっかりとは起き上がれない。多少動けるとは言ったが、立てなくは無いだけでよろめくことは避けられない。
「ともあれ皆さん無事で何よりです」
萱島さんが強引にまとめていた。呆気にとられている俺達に対し、神奈が一人渋面見せている。
「いや、どういうことなの? 何だったのよあの化け物」
神奈の問いに萱島さんは困ったような苦笑を浮かべる。
「うーん、やっぱり聞かれますよね」
「鬼だ」
黒ずくめの男、追矢誠司郎さんが端的に答える。
「先輩……もうちょっとこう情緒と言いますかね」
「誤魔化した所でしょうがない事だ。彼らはすでに巻き込まれている。説明しなければ余計に危険だ」
「それもそうなんですけどね」
萱島さんが自身の頬をポリポリと掻いていた。
「あの……っ」
俺は、意を決して言葉を絞り出す。
「お二人は知ってるんですか、あれが……鬼という存在が当たり前に居るって……」
そんな俺の言葉に萱島さんはクスっと小さく笑みを浮かべる。
「知ってるも何も……それこそ私たちの存在理由よ」
「存在理由って、一体……」
「鬼狩り、私たちはそれを専門とする特殊部隊……とでも思ってくれたらいいかな」
その言葉に俺は改めて衝撃を受ける。
「警察なんじゃ……?」
俺が思わず零す、入院中に彼らが名乗った身分だ。
詐称は罪に問われるはず。
「今回は警察『でも』あるわね。必要だったら自衛隊でも、特殊制圧部隊の時もある。ただその対応対象が」
いたずらっ子のようにウィンクする。
「『鬼』ってだけよ」
「鬼って……」
神奈は愕然とし、それでいて半信半疑を隠しもせず顔に出している。
目の前で化け物の捕物劇を目にしたところで、これまでの常識から考えれば荒唐無稽もいいところだ。
「鬼は数も希少で特別ではある。だが、基本的にどこにでも存在しうるものだ」
続きを追矢誠司郎と名乗った人物が引き取っていた。
先程の戦闘でついたであろう体の埃を軽く払っている。
「どこにでもって、そんなめちゃくちゃな。あんなのがそこらに居たら世界滅びるわよ」
思わず、といった勢いで神奈が反発している。
だが、どこにでもいるなら確かにそのとおりだ。
「勘違いさせたな。数そのものは極端に少ない。日本全土で見ても10か20か。だが、見逃せば甚大な被害をもたらす事になる」
追矢さんが答えを示す。
「なら、やっぱりどこにでもっておかしいじゃないの? 『希少』なんでしょ?」
「鬼の素体が何かと言う事だ」
「……素体?」
「鬼は最初から鬼だったわけではない。『発生』する」
「あ……」
-かつて人だった何か-
天啓のように理解する。俺の脳裏を過った印象。
そんな俺を神奈が怪訝そうに見ている。
「察したようだな」
「あれが、人間だっていうんですか……」
俺の言葉に神奈と千早が驚愕に目も見開き、その視線が一瞬で俺に集中する。
俺だって信じられない。いや、同時に納得もしていた。
理性が理解を拒むが、心が納得する。
「ああまで堕ちたならば『元』と言うほかないがな」
「でも、どうやったら人間があんな力……」
「さてな、それについて俺に分かるのは結果だけだ。元々持っていた素養が自然覚醒したらあぁなるということだ」
「元には……」
「戻らない。少なくとも何かしら違う存在になる」
言いながら手にしていた小太刀を腰に据える。
「鬼狩りとはそういう者を相手している存在だ。そして、俺達が今ここに居る理由もそれだ」
「……」
「巧……」
俺の服の裾を不安そうな千早が引いている。
「楠木巧、確認だ。君があの晩に見た鬼は奴で間違いないな?」
追矢さんの問いかけに思わず血の気が引いた。
そうだ。あいつだ。間違いない。
千早のストーカーを惨殺し、俺の肩の肉を喰らい、ほどなくしてストーカーの死体を持ち去った化け物。
「はい……」
「ちょっ!! どういうことよっ!!」
俺の答えに神奈が目を剥いて食って掛かる。
目に涙をためている。悪いことしたな。
「ごめん。心配すると思って……」
「何言ってんのよ馬鹿っ! そんな、そんなことになってるなんて……一言くらい言いなさいよ馬鹿巧っ!」
「巧ぃ……」
隣にいる千早は完全に涙目になっている。
「やだ……やだよ。居なくならないで……私にできることだったら何でもするから」
何と返せばいいのだろう。
俺だって千早と会えなくなるの絶対嫌だ。
んっ、ぅんっ。
それはともかく、今は確認しなければ。
「あの日、俺の話を聞く前から確信してたんですね?」
俺も半ば確信をもって問う。
「あぁ、医者の所見も負傷部位の写真も見せてもらった。『棘状の物による切創』ということだったが、十中八九間違いない」
俺の左肩を見る。
「その左肩の傷、神ヶ丘千早のストーカーによるものではなく、鬼の爪痕だ、とな」
その言葉を受けて神奈の目がみるみる吊り上がる。
「巧、白状しなさい。あんたあの晩何があったのか」
「いや、その」
「怪我の原因が鬼ですってっ!? そんなの私は聞いてないっ! あんた千早のため体張ったって言っても限度があるわよっ!!」
「あ、えっと……」
俺はチラと千早を見る。
じっと涙をこらえて見つめていた。
まだ生々しい記憶のはずだ。
あの日のことは、千早の恐怖の根源だ。どう言えば。
不意に千早は一歩俺に近づいて、正面から俺に抱きついた。
え? あ、いや、何が?
千早はそのまま俺の耳元に唇を近づける。
「お願いだから、ちゃんと話して……私も巧のことをもっとちゃんと知りたいから。もうあの日の事なんて怖くない、思い出したって平気だよ。だって、巧が傍に居てくれるなら何も怖くないから」
ギュゥっとしがみついてくる かぁっと頬が熱くなってくるのを自覚する。
柔らかくて優しい日の香りのする愛しい少女。
「分かったよ」
俺は観念するしかなかった。
何故か萱島さんの視線が生暖かった。
「千早?」
離れず千早が小さく上目遣いでこちらを見ている。
「ホントはね。巧が来てくれたことすっごく嬉しくて……あの日の事って私の宝物になっちゃってるの。前から好きだったのに……あの日からもっと巧が好きになっちゃった。好きが止まらなくなっちゃって……巧が困ってないかな?って」
可愛かった。本当に、この娘が俺の事を好きって言ってくれていることが信じられないくらいに。
「俺……最初はよくわからなかった。でもさ、あの日から千早が凄くこっちに来てくれるようになって、正直、気恥ずかしかったけど……嬉しいんだ。今日のデートも楽しくて。千早がめちゃくちゃ可愛くて、本当にどうしようもないくらい……俺も千早のことが好きなんだって。千早が俺を好きでいてくれることが嬉しいんだって、分かったんだ」
「巧……」
千早の瞳が俺を見ている。俺も千早の瞳を見ている。
「うぉっほんっ」
「うわぁっ!」
「うひゃぅっ!」
神奈のわざとらしい咳払いに俺と千早が飛び上がりそうになっていた。
「お前ら場所と状況弁えろ」
半眼の神奈が呆れ返っていた。
「あぁ、いや、これはな」
「あ、あはは、か、神奈ごめんね」
耳まで真っ赤に染めた俺たちが何かを誤魔化していた。
「あれ?」
ふと神奈の横にいたはずの萱島さんはうずくまって震えていた。
「萱島さんどうしたんですか?」
「大丈夫……軽い発作だから」
少し目の焦点が合っていなかった。
「あの、本当に大丈夫ですか」
「えぇ、もう大丈夫よ」
軽くティッシュで口の近くを拭い、照れ隠しに笑みを浮かべていた。
怪異の本番です。
鬼vs誠司郎は痛み分けでした。
いよいよ鬼とは何かが開示されます。
それにしても樟葉……お前ってやつは……。
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