後日談 彼女のお宅訪問記 ―事前ですか? 事後ですか?― その4
場所は再び現在の神ヶ丘家
千早が落とした爆弾はまだ投下されたばかりだった。
『あの時は何とか誤解が解けてよかった』
振り返ったのは二十数年前の記憶。
徐々に思考が過去から現在に戻ってくる。
改めて目の前の喧噪に意識を戻す。
千早が幸せそうにとんでもないことを口走り、楠木君は必死に止めようとしている。
……思わず隣を見る。
「あらあら」
のんびりとした表情で二人を眺めているのは長年連れ添った妻。
神ヶ丘千草……旧姓・才ノ神。あの才ノ神千草その人だ。
改めて頭痛を何とか抑え込むため人差し指を額に当てる。
気休め程度にはなるだろう。
「楠木君」
私は狼狽する少年へできるだけ穏やかな声で呼びかける。
若干涙ぐんだまま、怖々とこちらを振り返った。
……まぁ、あんな発言直後で親に声をかけられれば、こうもなる。
「まず確認だが、千早の言ってることに心当たりは?」
「……あります」
ずいぶんと緊張感が漲っている。まぁ、それはそうだろう。私にもよく分かる。
あの時は生きた心地がしなかった。
『そういえばあの時のお義父さんがやけに優しかったような気がする』
「それはやましいことかな?」
私の確認に、楠木君は、救助に来た誰かを見つけたような目をしていた。
「それは違いますっ」
そうか。真偽は確認するとして、私にはある種の予測が立っていた。
「君はもしかして、千早に振り回されているんじゃないか?」
「……っ、あ、いや、そんなことは」
ふむ、これは誤魔化すか。しかし、これは自分のためじゃない……千早のためだな。
思わず苦笑いする。
「そうか、ならば千早の言ったことの説明はできるかい?」
「え?」
面食らったようだが、すぐに思案し始める。
眉間にしわを寄せたり、視線を横にして考え込んだり。
うん、『視線が宙を彷徨う』ではないな。記憶を手繰っているようだ。
彼はひとしきり唸った末に、困ったような顔でこちらを見る。
「……難しいです」
私の持った印象としては『本当に説明しようがない』だった。
「そうか、では、こちらから一つずつ聞くよ」
「はい」
その声には若干の緊張がある。
「『一生、俺だけの千早だ』。これは確かに言ったことかい? 言ったのなら君から言ったのかな? 千早が言わせたのかな?」
「俺が言いました」
ほぉ? 言い切った。迷いがない。
明確な意思がある。
「……言葉の綾ではなくて?」
「違います。俺が彼女を、千早を取り戻すために本気で言いました」
ハッキリしていた。誤魔化しなど一切ない。
「そのままの意味、かい?」
「はい」
それだけは譲れない。そんな目だ。
「…………そうか」
苦笑いして彼を見直してみる。勢いだけというわけでもなさそうだ。それを言った時に何かを乗り越えたのかもしれない。
「今もそう思っている?」
「はい」
これは面白いな。先日、入院先を見舞った時も彼の善良な人柄は良くわかったが、こんな明確な意思はなかったように思う。
「説明はできないです……でも」
楠木君は真っ直ぐに私の目を見据える。
澄んだ瞳だった。
「あの時何もしなかったら一生後悔してました。あの時、千早を取り戻せて助けることができて俺は本当に良かったって思ってます。今でも千早のためなら何でも賭けます」
言い切った。格好つけたものではない。
これは決意表明だ。
……仕事柄、若者が何かを誤魔化そうとする場面をよく知っている。
だからこそ分かる。
彼は本気だ。
楠木君……いや、巧君はそこまで娘を想ってくれているのか。
「巧ぃ……」
千早がふるふると肩を震わせたかと思うと、バッと巧君に飛びついていた。
「巧っ、結婚しよっ♡ 今すぐ結婚しよっ♡」
「ちょっ、千早っ、お父さん達の前っ」
「もう誰が見てるかなんて関係ないよっ! うぅんっ、お父さん、見てっ。私の大切な人、私を何度も助けてくれて、命懸けで守ってくれて、私が欲しいって言ってくれた人だよ。私、もう一生巧の側から離れたくないっ!!」
とんでもない勢いで巧君に抱きつく娘を見てため息が漏れる。
さて……流石にここまで来ると千早が言っている内容を放置できない。確認しないとな。
「巧君、一つ確認したい」
「は、はい」
「本当にやましいことはしていないんだね?」
紛らわしいことを言うことは分かっているが、本当に無いかどうかは確認しておく必要がある。
「……キスはしました」
若干目を逸らしていた。
まぁ、娘の親相手に言いにくかろう。私だって嫌だ。
「そうか……」
父親としては何とも複雑な気分だが、彼の誠実さは再確認できたと思う。誤魔化そうと思えば誤魔化せるはずなのだ。
とっさに口をついて出た側面もあるだろうが、根本にあるのは『私達に対し嘘を付きたくない』だろう。不誠実な人間ならばとっさに嘘か誤魔化しが出るものだ。
とはいえキスまでというなら高校生の交際としても健全な話であるとも言える。
「千早? どうだ?」
念のため、本人にも確認しておくべきだろう……覚悟は必要だが。
「うん、あの時の巧、素敵だった……私をギュッって抱きしめて強引に奪われちゃったけど、あんなめちゃくちゃになってた私に躊躇いなくキスして……凄く激しくて」
ぽーっと思考を何処かに飛ばすような夢見る瞳で紡がれた言葉に、軽く頭痛がしてきた。
「千早、実況はしなくていい。巧君が辛そうだ」
横目で見ると、真っ赤になった巧君が途方に暮れている。
……父親の前でこれをやられると心臓に悪い。
私もよく知っている。
不意に千草が私の隣から立ち上がった。
そして、千早の元へ歩み寄り、その隣で腰を下ろすと、そっと娘を抱きしめる。
「千早……」
「お母さん?」
「あなた、本当に嬉しかったのね……」
穏やかで、慈しむ眼差し。
「うん……」
千早が視線を巧君に向ける。
「巧が助けてくれなかったら、私、今ここに居なかった。巧が命懸けで私を助けてくれたからお父さんとお母さんにまた会えたの」
「そう……」
「私、あの時、巧を傷つけて……絶対嫌われるって思ったのに……私が欲しいって、私だけが良いって、一生俺だけの千早だって」
噛み締めるように、記憶の向こう側を大切に引き出しているようだった。
「だから、私、本格的に全部巧のものにされて、一生を巧のものとして生きていきたいっ」
「待ってぇ!!」
巧君が顔を真っ赤にしたまま叫んでいた。
千早はキョトンとしている。
「あれ? 違った?」
「いや、違わない、違わないんだけどねっ。何か高校生としてしちゃダメなことしてるように聞こえるからね」
「? 私、巧にだったらどんな事だってされていいよ? 巧はしたくないの?」
「千早ぁぁあっ」
まぁ、あれだ。
ここまでのやり取りを見る限り、彼も分かっているとは思う。
そういう所も含めて、うちの娘なんだ。しっかり付き合ってやってほしい。
正成父さんグッジョブッ!!
落ち着いて対処し、何とかなりました。
本話を通して正成父さんは巧を実質的に未来の義理の息子と認知してくれそうですね。
それにしても千早……




